第8話 猫人、戦う

 洞穴ほらあなの中を、「赤色の雪ネーヴェロッサ」のオルフェオ、「黒の波濤オンデネーレ」の魔法使いソーサラー、バジーリア・ラ・マールカの二人と進んでいく。魔法使いソーサラー三人で暗く、くねくねと曲がりくねった洞穴を進んでいくと、先頭を行っていたバジーリアがこちらに手を伸ばしながら足を止めた。


「……いた」

「あいつか。ぐっすり寝てやがる」


 次いでオルフェオが、バジーリアの後ろから顔をのぞかせながら小声でつぶやいた。そっと覗き込めば、確かに人食い獅子イーターライオンが洞穴の一番奥まったところで、すやすやと寝息を立てている。

 今はまだ日が高い。イーターライオンは基本的に夜行性だから、この時間は休む時間なのだろう。都合が良い。

 と、オルフェオが俺の顔の前に手を出して、押しとどめながら言った。


「ビト、分かっているとは思うが、突っ込み過ぎるなよ。お前の仕事はあくまでも、あいつの目を覚まさせて洞穴の外に引きずり出すことだ」

「向こうは最低でもAランク、君はC級だしね。殺されないことをまず考えて」


 バジーリアも俺の方に視線を向けて、こそこそと声をかけてきた。

 心配されて当然だ。イーターライオンは基本がAランク、強いものになるとSランクに届く。こうして大規模戦闘レイドが組まれる相手だ、Sランクの可能性も十分にある。

 ここで俺が先走ったら、確実に殺されて終わりだ。俺も、そのことはよく分かっている。こくりと二人にうなずきながら相手が見える位置に身体を移動させた。


「……分かってる」

「よし……じゃあまずは、俺が気を引く」


 そう言いながら、オルフェオがそっと手を出した。バジーリアが彼の後方にまわる。そして俺とバジーリアが、魔法をすぐに詠唱できるように構えたのを確認して、オルフェオが声を上げた。


「万物を引き裂け、空虚なるやいば! 形無き死神が命を奪う! 真空波バキュイティシュート!」


 風魔法第六位階、真空波バキュイティシュート。空気の断層を作り出すことで巨大な真空波を生み出し、敵の身体を切り裂く魔法だ。威力はBランク程度の魔獣なら、一撃で首をはねられるほどに高い。

 今も、イーターライオンに向かって一直線に飛んだ真空波が、相手の首をぱっくりと割った。首元をたてがみで守っていようと、この魔法は関係ない。それでも一撃で殺せない辺り、やはり強力な魔物だ。


「ガッ……!」

「よし、お前らも撃て!」


 苦しげな声を上げるイーターライオンに指を向けて、オルフェオが声を張り上げる。ここからは俺とバジーリアの仕事だ。二人揃って手を前方に伸ばす。


「鋭きつぶてよ、鋭き礫よ! 石矢ストーンアロー!」


 バジーリアが大地魔法第一位階、石矢ストーンアローを重複詠唱して発動する。

 魔法の詠唱文句の一部を二度繰り返して発動させるこのテクニックは、魔力の消費こそ大きくなるが、威力を上げたり連射したり出来るようになる。詠唱の一部を省略して即時的に発動させる詠唱省略と並んで、魔法使いソーサラー付与術士エンチャンターの基礎テクニックだ。

 こうした、連続して魔法を発動させて相手をおびき寄せるような時には、第一位階を重複詠唱して連射状態にし、移動するのが定番だ。こういう形でなら、以前までの俺も仕事が出来た。

 だから迷いも悩みもない。突き出した手に魔力を集めて声を発する。


「冷たき刃よ、冷たき刃よ! 氷矢アイスニードル!」


 水魔法第一位階の氷矢アイスニードルを、こちらも重複詠唱で発動する。バジーリアの放つ石片と一緒に、氷の欠片が矢となってイーターライオンに殺到した。

 こんなに遠距離からちくちくと攻撃されたら、いかにイーターライオンが気が長くともいらつくのは当然だ。すっかり起き上がり、口から血をまき散らしながら大きく吠えた。


「ゴアァァッ!!」

「起きた!」

「急いで下がるぞ、撃ちながら退け!」


 オルフェオの素早い指示に従い、俺たち三人は来た道を戻る。しかし今度はイーターライオンに追われながらだ。魔法の連射を続けていて牽制けんせいは続けているけれど、悠長に構えている余裕はない。

 後方に手を伸ばしながら、俺は全力で走る。走りながら魔法を相手に当てるのは難しい。いくつもの氷が洞穴の壁や地面にぶつかって消えていった。


「くっ……!」


 俺が必死に走っても、イーターライオンとの距離は開かない。あちらも随分ご立腹、全力疾走で駆けてくる。ここまで来たら魔法を使う必要はないが、追いつかれやしないかと不安になる。

 と、すっかり魔法による牽制を止めたバジーリアの隣で、オルフェオが走りながらこちらを振り返った。


「ビト、加減せずに走れ! 半人間メッゾだろお前!」

「うるさい! こんな洞穴の中で無茶言うな!」


 その言葉に俺はフードの中で牙をむき出しながら言い返した。確かに猫人キャットマンは人間より身軽だし、走るのも早いけれど、長距離を走り続けるだけの持久力には若干劣る。そうでなくてもこのくねくねした洞穴の中、走りにくくてしょうがない。

 しびれを切らしたのか、オルフェオが俺に手を差し出してきた。


「ああもう、仕方ないな! 手を出せ!」


 そう言いながら彼は魔力を練っていた。オルフェオの手を俺の手が掴むや、彼は魔法を発動させる。


「人よ、風のように駆けよ! 疾駆スプリント!」

「く――!」


 付与魔法第二位階、疾駆スプリントだ。移動速度が上昇し、素早く走れるようになる魔法。オルフェオが付与術士エンチャンターの経験もあって助かった。

 とっさに俺はフードを後方にやった。今は人化転身を解いている。ほとんど獣人な俺の頭があらわになった。


「分かってるじゃないか、フードを被ったままじゃ、速度が落ちちまう!」

「さすがにこんな時まで被っちゃいられないだろ、こんなもの!」


 こちらをちらと振り返ったオルフェオが目を見開いた。そうだろう、これまでずっと人化転身を維持し続けて、解けたとしてすぐにかけ直していた俺が、人化転身を解いたままで走っているのだ。


「まあな! それで、どうした、転身解いて! 吹っ切れたか!」


 何やら嬉しそうな、楽しそうな声をしながら声をかけてくるオルフェオに、俺は思わず眉間にしわを寄せながら言い返した。吹っ切れたと言えるならどれだけいいことか。


「そういうんじゃない!」


 そうこうする間にも俺たちはどんどん洞穴の中を走っていく。出口が近づくにつれ道が曲がりくねらなくなり、走りやすくなる。どんどんイーターライオンとの距離が開いていく中、俺たち三人は洞穴の外に飛び出した。ちょうど外で構えていたオットリーノが声を上げる。


「来たか! 全員生きてるな!?」

「問題ない、すぐ来るぞ!」


 短く返事を返しながらオルフェオが洞窟の外、構えていた冒険者たちの後ろに駆けていく。続いてバジーリアも、俺も彼に続いて駆けていった。イーターライオンがこちらに迫ってくる足音もどんどん大きくなってくる。


「よし、魔法使いソーサラー、前衛の後ろに回れ! 前衛はやつを取り囲むぞ!」


 オットリーノの声に合わせ、前衛のアンベルら重装兵ガード戦士ウォリアーが武器を構えて洞窟の出口を取り囲むように陣を組んだ。その間にエルセら拳闘士グラップラーも配置して、早速前衛陣がイーターライオンと交戦を始めた。

 アンベルやエルセがイーターライオンと激戦を繰り広げる中、俺は彼女らの作る壁の後ろで呼吸を整えていた。


「はぁっ、はぁっ……」


 走り続けたことで体力を使ったのもある。しかし今はそれ以上に、知り合いとは言え「眠る蓮華ロートドルミーレ」以外の冒険者に、この獣人姿を晒したことで心臓が激しく高鳴っていた。しかも偶発的に見せたのではなく、自発的にだ。


「ビト君」

「……ヒューホ」


 と、同じく後衛のヒューホがこちらにぱたぱたと飛んできて声をかけてきた。心配そうな表情をしながら俺の顔のそばに寄ってくる。


「大丈夫かい、人前にその顔をさらすのは、嫌いだと聞いていたけれど」


 俺を気遣ってくれるその言葉に、わずかに視線を逸らす俺だ。

 確かに嫌いだ。人前に獣人姿はなるべくならさらしたくない。俺の劣等感の原点だし、さらしたら確実に嫌われたり怖がられたりする。まさかそれが俺の力になるとは、思ってもいなかったが。


「……今までに何度もあったことだ。俺がこういうの・・・・・だってことは、あちこちの冒険者に知れ渡っている……気にしたってしょうがない」


 とはいえ、ヒューホに返事を返していく。ぽつぽつと言葉をこぼすように話しながら、俺はもう一度視線を手元に落とした。


「でも、顔なじみの冒険者には知られていても、町の人には知られていない……初めて会う冒険者にも印象は良くない。だから、出来る限り隠していた」


 一緒にクエストを受けた冒険者には、時たま俺の獣人姿を見せてしまうことはあった。冒険者ギルドにも俺は猫人キャットマンであることが伝わっている。だから冒険者に対してさらしたところで今更だ。

 しかしそうでない人には怖がられる要素でしか無いわけで。力なく話す俺に、ヒューホが腕を組みながら言った。


「なるほどね」


 そう言うと、彼は俺の肩に手を置きながら言った。小さな手をぐっと握りしめる。


「なら、なおのこと僕たちと一緒にいれば問題ない。僕たちと一緒なら、君が獣人の姿をさらしていても誰も疑問には思わない。町の中にいる時は僕たちもビト君同様、人化転身してフードをかぶって動いている。君が気にする要素は一つもない」

「そうか……」


 その勇気づけてくれる言葉に、俺は顔を上げた。戦闘中だと言うのに、他の冒険者がイーターライオンに武器を、魔法を向けているのに、俺とヒューホは一切戦いに加わっていなくて申し訳ない。

 と、度重なる猛攻に耐えかねたのか、イーターライオンがくるりと身を反転させて洞穴に飛び込んだ。


「グガ……!」

「あっ!」


 エルセがはっと声を上げる。続けて声を上げたアンベルがオルフェオに視線を投げた。


「洞穴に戻ったぞ、追うか!?」

「いや、チャンスだ! あの洞穴は一本道だ、このまま炎魔法で焼き尽くす! バジーリア、お前も手伝え!」


 しかしオルフェオは、このまま洞穴の外から魔法を使ってイーターライオンを攻撃することを選んだらしい。バジーリアと一緒に前に出て、魔力を練り上げ始める。


「……」


 その様子を、じっと見ている俺だ。

 逃げ場のない敵、安全な場所からの魔法攻撃、力を発揮するにはこれ以上ない状況だ。加えて俺には「獣化度を変えれば高い位階の魔法も使える」という強みがある。

 意を決して、人化転身を解いたままで前に飛び出した。


「オルフェオ、俺も手伝う!」

「ビト!?」

「ビト、お前はいい! 下がって――」


 俺の姿に、バジーリアもオルフェオも驚きの声と制止の声を上げた。

 気持ちは分かる。彼らの知っている俺は第一位階しか使えない俺だ。しかし今の俺は限られた弱い魔法しか使えない状態ではない。力強く両手を突き出し魔力を練り上げた。


「爆炎よ大地を焼け! 地にうもの全てを火の海に沈め、一切の闇を刈り取れ!」

「え――」


 俺の発した詠唱に、オルフェオが小さな声を上げた。その声をかき消すようにして、俺は魔法を唱える。


焦熱波ファイアリーウェーブ!!」


 炎魔法第六位階、焦熱波ファイアリーウェーブ。爆炎を広範囲に巻き起こし、一気に焼き尽くす魔法だ。中位の魔法でも威力が高い、魔導士ウィザードクラスの使い手なら、たくさんの敵を一度に焼き払うことが出来る。

 俺にそこまでの力はないが、イーターライオンは洞穴という閉鎖空間にいる。そこに炎を放たれたらたまらないだろう。


「ギャァァァッ!!」


 洞窟の中から耳をつんざくほどの大きな悲鳴が聞こえてきた。魔法を発動させて息を整える俺を見て、オルフェオとバジーリアが信じられないものを見る目をしている。


「だ……第六位階、だって……?」

「ビトが……第一位階以外の魔法を……」


 魔法を放つことも忘れてぽかんと立ち尽くす二人。彼らに、俺はすぐさま声を飛ばした。


「ぼーっとしてんな、二人とも! 追い打ちを!」

「あっ、ああ!」

「ごめん!」


 これはまたとないチャンスなのだ。ここで二人が焦熱波ファイアリーウェーブを使えば、確実にイーターライオンにとどめを刺すことが出来るだろう。

 二人が同時に焦熱波ファイアリーウェーブを発動させ、俺が先程洞穴に放り込んだ以上の爆炎を巻き起こす。熱を帯びた空気が洞穴の中から押し出される中、イーターライオンの断末魔が洞穴の奥から響いてきた。


「ギァァァァ……!!」

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