第5話

「もうやだ……もうやだ……帰りたい……もうやだ……」

「そこまで気にすることかよぉ」

 大男はアルスから着替えを借り(とはいえ上着はサイズが合わず着られなかったためズボンのみだが)、二人についていくことにした。

「ていうか、なんでついてくるのぉ」

「お前らと一緒にいると楽しそうだからな」

「来てほしくないんですけどぉ」

「そう言うなって。旅は道連れって言うだろ?」

「そんなの知らない! お兄ちゃんも何か言ってよ!」

「え!?」

 先程の”事件”からミリアの機嫌が雪山の頂上よりも悪くなったままのため、アルスも大男もほとほと手を焼いていた。田舎の村の年端も行かない生娘にとっては、ちょっとやそっとの衝撃では脳内から消えてくれそうにない絶大な破壊力を持っていたことは間違いない。

「服着たまま狼になれねぇし、どうしようもねぇよ」

「じゃあずっと狼のままでいて! 次私の前で人になったら殺すからね!」

 ミリアの殺害予告からは伊達や酔狂といった与太が含まれているようにはとても思えなかった。次は確実に殺す、そのような覚悟と覇気があった。

「こ、こえぇ……お前の妹さん、いつもあんな感じなのか?」

「気が強いところはあるけど、あそこまで怒ってるのは見たことないかも……」

「なんなんだよぉ……減るもんでなしに……」

「なんか言った?」

「いえなんも言ってないス」

 言うより早く大男は狼に変身していた。ズボンはアルスが回収した。


 ひと悶着あった後、アルスの腕は竜人族(仮)のそれから今までどおりの人間の腕に戻った。時間にしておよそ3分程度の部分的な変身となった。あれからアルスは意識して左腕を竜人族の腕に変えようと思ったが、一晩かかっても人間の腕から変化することはなかった。強いて言うならば、野宿の最中に虫に刺されて少し赤く腫れた程度であった。


 王都までたどり着いたのは野宿を挟んで翌朝のことであった。

 王都へ入る唯一の方法は、目の前にそびえる門をくぐる他ない。門の前には吊橋がかかっており、馬車が4台は余裕を持って横並びで通れる巨大な橋は、王都の繁栄を象徴していた。橋の下は泳いで渡るには難儀する程度の川が城壁を沿って流れている。日没の間は吊橋が上がってしまい、通ることができなくなる。

 村を出る際、万一の事態を想定し、適性試験が始まる数日前に到着するよう予定を組んでいた。想定外の出来事はあったが、まだ時間に余裕がある。

「そういえばさ」

「ん?」

 王都に入る手前で、アルスは狼を見ながら素朴な疑問を投げた。

「名前、なんていうの?」

「俺の?」

「他に誰がいるのさ」

「犬っころでいいよこんなヤツ。犬っころ」

「ひでぇなぁ」

 出会ってからここまで、獣人ビースターである彼の名前を聞いていないことにアルスは気がついた。狼は「うーん」としばらく唸る。

「名前なんかなくても生きてこれたからなぁ。これと言って名前はねぇんだわ」

 狼は常に山の中で生活していた。山の中で活動し、山の中で休み、山の中で人間を見つけては襲い、食料を奪って今まで食いつないできた。

「名前なんざなくたって生きていけるさ、これからもな」

「それは困るよ」

 アルスが間を割るように口を挟む。

「誰がだ」

「俺が」

「お前が?」

「そう」

「なんでだよ」

 同じ獣人族ビーストニアは探したけれども見つからなかった。

 寂しかったわけではない。

 ただ、同じ苦しみを分かち合いたかった。

 誰かにこの苦しみを見てもらいたかった。

 しかし、誰もいなかった。

 周りには誰もいなかった。

 あるのは人間への憎悪だけ。

 アルスとミリアのことも、最初は興味本位でついていったが飽きたら隙を見て食い殺すか姿を眩ませるつもりだった。今はタイミングを見計らっているだけ、そう自分に言い聞かせた。

「だって俺たち、仲間だろ」

「……は?」

 今までかけられたことのない、慈愛に満ちた言葉だった。

 最愛の妹を気分で食い殺そうとしたケダモノに。

 みずからの腕を咬み千切ろうとしたバケモノに。

 ただひたすら人間を忌み嫌ってきたノケモノに。

「かける言葉じゃねぇっての」

「なんか言った?」

「なんでもねぇよ」

 狼はアルスから顔を隠すようにそっぽを向いた。

「名前なんざ知ったこっちゃねぇよ。お前が勝手に決めろ」

「いいの?」

「好きにしろ」

「犬っころでいいよ犬っころで」

「ひでぇなぁ」

王都へと伸びる吊橋を渡る前にアルスは顎に手を当て考えを巡らせた。

馬車が2台ほど通り過ぎた頃、よし、と声が聞こえた。

「狼だし、ウルフにしよう」

「……お前」

狼、もといウルフはアルスの顔をじっと見つめる。

「犬っころと大差ねぇなぁ!」

「え!?」

「私が言うのもなんだけど、お兄ちゃんのネーミングセンス最悪だよね」

「えぇ!?」

あっははとウルフは高笑いを上げた。その笑い声からは哀愁や憐憫、そして憎悪の感情は見えなかった。


吊橋を渡り、王都へと足を踏み入れた。ウルフが獣人ビースターであることを悟られないようにするため、手続き上は<番犬>扱いとなった。

「やっぱ犬っころじゃん」

ミリアは気づかれないようにほくそ笑んだ。


 その日は宿を取り、3人とも休息の日とした。

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