3.表裏

 二人の夢が繋がった。

 最早眠りさえ二人を分かつことはできない。これからずっと死ぬまで一緒だと約束した。

 きっと愛の到達点を迎えた二人への、神様からの贈り物なんだろう。

 最愛の人の温もりを感じながら、夢を見る。


・・・・・・


 レジの前で財布を覗くと、会計に丁度百円足りなかった。

 まぁ百円玉一枚ぐらいなら、作ったとしても消耗は微々たるものだろう。そう思い手のひらに力を込める。

 しかし、一向に百円玉が作れない。

「……あ」

 そこでここが現実だったことを思い出した。

「あの……どうされました?」

「すいません、百円足りなかったんで、これ戻します……」

 レジ上のお茶を手に取り、すぐ横のドリンクコーナーへ戻そうとすると、その手を止められた。

「いいよ、私が出すから」

 振り返ると、和田村さんが財布を出していた。


「わざわざお見舞いありがとね、久瀬君」

 二人で和田村さんの家へ行く道を歩く。

「鋳門君……今は寝込んでるけど、前よりちょっと元気になってきたんだよね。なんというか、ハリが出てきたっていうかさ……本当、鋳門君の友達になってくれてありがとう」

「俺がっていうより……和田村さんの献身的なサポートが実を結んだって感じじゃない?」

 これはお世辞でもなんでもない、素直な本音だ。和田村さんが居なければ、鋳門さんは俺に出会うより先に心身ともにボロ雑巾になっていたことだろう。

「……そうかなぁ。へへっ」

 分かりやすく上機嫌になって、和田村さんははにかんだ。

「和田村さんこそありがとね、奢ってもらっちゃって」

「これぐらいそんな……っていうかそうそう、今日は久瀬君にお給料あげようと思ってたんだよね」

 そう言って和田村さんは鞄の中を探り始めた。そういえば和田村さんが俺と鋳門さんを雇っている……という体なんだったっけ。

「鋳門さんをヒモじゃないってことにする方便じゃなかったの?」

「それ絶対鋳門君の前で言っちゃダメだからね」

 和田村さんが真顔で俺に釘を刺す。この記憶は忘れないようにしようと思った。

「それじゃあ……はい、お給料」

 分厚~~~いお金が差し出される。

「……!? いや、貰えないってこんなに!」

「あ、やっぱり? ごめん。人の命を救ったと思うと、どれくらい包むのが正しいのか分かんなくて……」

 和田村さんが苦笑いしながら分厚~~~いお金を鞄にしまう。別に危機が迫っていたわけではないが、俺はなんとなく安心した。

 しかし本当に分厚かった……和田村先生は俺が思っていた以上の人気漫画家らしい。そりゃ気軽に成人男性一人養えるわけだ。

「鋳門さんにはどれくらい渡してるの?」

「それがさぁ……何回お小遣い渡そうとしても受け取ってくれないんだよね」

「あぁ……」

 鋳門さんは気真面目な人だし、自身の行動に対してお金を貰う理由などないと思っていることだろう。

「……もっと家に自分の物とか、増やして欲しいんだけどな」

 和田村さんはそんな風にぼやいた。

「だからさ、久瀬君がちょっと貰ってくれると鋳門君にもあげやすい……んだけどな」

「まぁ……そういうことなら」

 そういうわけで俺はお年玉一年分くらいのお金を貰った。

「本当にこれだけでいいの?」

「だからそんなに貰えないって、別にお金に困ってるわけでもないし」

「そう? でもレジ前で財布の中見て固まってたから、てっきり……」

「あれは……」

 夢と現実の区別がついてなかっただけ。

 ……と、ありのまま伝えたところで何になるだろう。余計な心配をかけるだけで、何も事態は好転しない。

 あのおまじないは鋳門さんだけのもので、俺の穴を埋められるものじゃない。

「……なんでもない」


・・・・・・


 寝室の扉を開くと、鋳門さんがベッドで寝込んでいた。

「鋳門さーん、お見舞いに来ましたよっと」

「……久瀬か」

「頭痛、どう?」

「薬を貰ったが……まだ良くならない」

 鋳門さんが忌々しそうに頭を押さえる。夢の中で張り切った後遺症が根強く残ってるらしい。

「まぁ……今まで一人で頑張ってきたんだし、たまには休めってことじゃない? 鋳門さんが休んでる分、俺が頑張るから」

 俺は鍛えてはいなくとも怠けてもいない二の腕を持ち上げては叩いた。

「お前は……本当になんともないのか?」

「まぁ、頭痛は平気」

 国語の授業も寝なかった。

「私より消耗していたはずだが……切り取り線をつける早さと言い、お前の能力の高さは一体なんなんだ……?」

 どうやら俺は鋳門さんより夢に干渉するのが上手い……らしい。

「うーん、若さ?」

「この頭痛は筋肉痛のようなものだということか……?」

「いや、そうじゃなくて鋳門さんの方が若いからってこと」

「私の方が……若い?」

 鋳門さんが怪訝な顔をする。聞いた話によると鋳門さんは今年で二十六らしい。けど、俺が言いたいのはそういうことじゃない。

「うん。だって鋳門さんって、記憶の内容的には生後二年でしょ?」

 鋳門さんは二年前、人助けの使命以外の全ての記憶を失っている。いや、その二年間にも記憶を消費し続けていたことを考えれば実年齢(?)はもっと低くなるだろう。

「俺はまぁ、ひま姉にごっそり持ってかれたとはいえ十六年間ちゃんと覚えてるから」

 頭に蓄えられているエネルギーが段違いなはずだ。

「……若さ……か」

 鋳門さんが顎に手をやり何やら思案する。

「今は頭動かすより休めた方がいいって……頭痛が治ってからもしばらく休んだら? 和田村さんと旅行に行ったりさ、それでお土産とか買って……自分の物と思い出、増やしなよ」

「……そう長くお前一人に任せるわけにはいかない」

「むっ、前は人助け向いてるって言ったじゃん」

 そう言ってもう一度二の腕を見せつけようとすると、鋳門さんの鋭い目が光った。

「お前はさっき……頭痛平気……と言ったな」

「う」

「頭痛以外に何か、支障が出ているんじゃないか」

 同じ潜夢者同士だからか、鋳門さんが鋭く俺の異変を感じ取ってくる。俺はもう全て正直に話すことにした。

「その……これはひま姉への恋心をなくしてからなんだけど……なんか全部、現実感がなくて。現実で手のひらからなんか出そうとしたり……たまに自分の立ってる所が夢か現実、どっちなのか分からなくなるんだ」

 俺がそう告白すると、鋳門さんはまた考え込んだ。

「……そうか」

「鋳門さんは、こういうことある?」

「いや……ないな。悪いが力になれそうにない」

「ううん、いいよ」

 そんな答えが返って来るだろうと、問いかけた時点で分かっていた。これさえあれば自分で居られる思い出……鋳門さんは他の全てを失っても、そんな記憶だけは守り続けていたのだから。

 それを忘れた俺とは違って。

「久瀬、今さらお前を止めるつもりはない。だが……誰に気後れする必要もない、やめたければいつだってやめていいんだぞ」

「ご心配どーも。でも、俺は一人でも続けるよ」

 困ってる人を助けるのは当たり前。

 俺に残った穴の形……これをなぞり続けることが、ひま姉への恋を思い出す近道な気がする。


・・・・・・


 人助けをするというのは大変なことだ。他人のために自分を犠牲にすることが辛い、というのはもちろんそうだが、まず助けを求めて困ってる人を見つけるのも結構難しい。

「全然繋がってないな……」

 鋳門さんとやっていた通りに、今度は一人で片っ端から他人の夢に潜る。繋がってしまった夢がないか探しているわけだけれど……そんな夢には全く出会わない。

 そういえば鶴崎さんの夢に潜った時、『たったの一晩で見つかるとは、早かったな』と鋳門さんは言っていた……多分本来は何日もかけて一つ見つかるかどうかって感じなんだろうな。

 潜る、着地、感知、離脱。そんな単調な作業にちょっと辟易してきた。

「まっ、困ってる人が居ないならいいか……」

 とはいえせめて話し相手ぐらいは欲しいなぁ。

 なんてことを考えてたら、とある夢でたくさんの富士山に話しかけられた。

「感電したソフトクリームをカーペットにしたい」

「タンバリンタンバリン! ここ! 腕のここタンバリン!」

「風に宅急便を任せてもでっかい蜘蛛なら無理だよなぁ」

 無視して夢から離脱しようとしたが、その内の一匹が理解できることを言った。

「エナジードリンクにりんごジュースってどうかな」

「あぁ……ちょっと美味しそう、かも」

「でもタイヤ痕と一緒に踊ってる内に消しゴムになりそう」

 確かに……朝一番にドリフトした場合のことを考えると注射器のことも考えないといけない。その上での改善策を考えてみる。

「じゃあタマネギを仲間にしてからぬりかべとセパタクローすると……か……」

 気付いた瞬間、すぐに夢を離脱してそのまま飛び起きた。


「うおおっ!」

 辺りを見回すと、まだ暗い部屋が見える。……ここは夢じゃない、ここは俺の部屋だ。時計は午前三時半を指していた。

 今のは……なんだ?

 ついさっきまで潜っていた夢。俺はそこで夢の住人と……会話していた。あいつらが言うことを理解していた。

「なんだよ、ドリフトって……」

 今思い返すとまったく理解できない。だがあの時は奇妙な納得感が俺を包み込んでいて、違和感など露ほども感じなかった。まるで脳の仕組みが丸ごと作り変えられたような感覚だ。

 多くの人にとっては、こんなのは笑い話だろう。夢の中ではいつもと違うめちゃくちゃな考えをしてしまうなんてよくあることだろう。

 だが……多くの人にとっては夢の自分と現実の自分は断絶されている。意識が連続した世界ではない。

 でも、自分の夢を持たない潜夢者にとって……俺にとってその二つは繋がっている。夢と現実で連続した同じ意識を持っている。

 俺の中にとある疑念が生まれた。次におかしくなった時、俺はもう一度夢から醒めることができるだろうか。

「ダイバー……か」

 ダイバーと呼ぶなら、俺達には潜っていられるタイムリミットがあるんじゃないか? 縋る鎖がないままそのリミットを超えた者は、二度と浮かび上がってこれないんじゃないか。

 三時半を指すの時計を眺める。いつもならできる二度寝が、その日はできなかった。


・・・・・・


「……ね」

「……うん」

 朝の廊下をひま姉と一緒に歩く。

 会話が途切れてしまった。こんな時どうしてたか、思い出せない。ひま姉の方を見ると、向こうも目線を右往左往させて困っている。忘れたはずはないのに、ひま姉も思い出せないらしい。

 そのままぎくしゃくしていると、俺の教室に着いた。

「えと……じゃあ、また明日ね、かな君」

「うん。またね、ひま姉」

 扉の前でひま姉と別れて教室へ入る。

「……また一緒に登校することにしたんだね」

 席に着くと、御園が話しかけてきた。

「あぁ……朝だけな」

 ひま姉への恋心を思い出すために、これからも朝の登校は一緒にするようにした。とはいえ、成果は今の所芳しくない。

「今までにないくらい気まずそうにしてたけど……」

 御園が神妙な面持ちで俺を見る。

「あぁ……言ったから、好きだって」

「……そうか」

 もう一度恋をするどころか、俺達の関係は更にぎくしゃくしていた。

 好きだった、とか、もう一度思い出したい、とか……わざわざ言う必要はなかったかもしれない。けど、言わなきゃなんか卑怯だ。

「その……大丈夫なのかい?」

 不安気な瞳がこちらを覗き込んでくる。

「大丈夫だよ」

「もう吹っ切れたのかい?」

「吹っ切れたっていうか……」

 こいつにも、言わなきゃ卑怯かも知れない。

「あのさ、俺……」


「夢の中に入って……そんなことが」

「信じられないなら、今晩お前の夢に出てやっても……」

 その言葉の途中で、今日潜った夢を思い出して喉が詰まった。

「いや、いいよ。僕は信じる」

 御園の表情に驚きはまったくない。その驚かなさにこっちが驚くくらいだ。それだけ信用されているということなのかもしれない。

「このこと……向日葵先輩には?」

「ひま姉には言ってない……これからも言わない。言ったら多分、ひま姉は自分を責めるから」

 これ以上に気まずくなるのはごめんだ。

「……真実を伝えれば、向日葵先輩は君を好きになるかもしれないよ?」

「そこはもういいんだよ。松沢先輩が居るんだから」

「……君が恋心を取り戻すのは遠そうだ」

 呆れ顔で御園は言葉を続ける。

「君はお人好しだな。鋳門っていう人との『人助け』も続けるんだろう?」

 そう問われて真っ先に思い浮かんだのは、やはり今日潜った夢での出来事。そしてその次に鋳門さんの『やめたければいつだってやめていい』という言葉だった。

「そっちは……」

「………………どうした?」

 そして俺は、夢と現実の区別が付かなくなってきていることを話した。

「恋心を取り戻すどころか、こうやってまともに話すことすらできなくなるのが、俺は怖い」

「……そうなる理由は分かっていないのかい?」

「鋳門さんも分からない、なったことないって言ってたな……」

 その事実が、逆にヒントになったけど。

「多分、現実と強い繋がりがない奴が他人の夢に入り浸るとこうなる……んだと思う」

「強い繋がり……以前の君にとっての、向日葵先輩のような、か」

 御園が顔の近くに手をやって考え込む。そしてしばらく経ったあと、急に笑い出した。

「くっ、ふふ……」

「何だ急に」

「いや……病院で君が何か誤魔化していたのを理解してね……」

 病院での誤魔化し……俺が御園のことを覚えていると確認した時か。

「そうか、あれは怪我の後遺症を心配していたんじゃなくて……本当に僕のことを覚えていたか心配していたんだな。そうかそうか」

 ちょっと恥ずかしい真実が暴かれてなんかばつが悪くなる。また重い奴だとからかわれてしまうだろうか。

「じゃあ、僕がそれになるよ」

「……え?」

「夢の住人との会話がきっかけでそうなるのなら、反対に現実の人間と話すことで正気を取り戻すこともあるんじゃないか? ただ君と話すだけなら、僕にだってできる……『人助け』が恋心を取り戻すまでの近道である、という君の直感はおそらく正しい。とにかく絶対に『人助け』をやめてはいけない」

 御園は祈る様に自分の手を握った。

「不安なら、僕が君の鎖になるよ。君の幼馴染と比べるとか細いだろうけれど、それを取り戻すまで僕を鎖にすればいい」

 その言葉を聞いた時、無性に気恥ずかしくて、むず痒くて、少しほっとした気分になった。

 この感覚には覚えがある。

「……やっぱり、お前の方が重いよ。御園」

「前にも言ったろう。君とは同じものを感じると」

 御園はこともなさげに微笑んだ。


・・・・・・


 その晩も、俺はいくつもの夢を巡って、繋がってしまった夢を探していた。

 道中、みたらし団子が話しかけてくる。

「鏡越しならベビーカーが一番だよね」

「……うるせーよ」

 団子の妄言を一蹴して、その夢から離脱する。あがった先の空間で、安心のため息をついた。

 夢の中に着いて、住人に話しかけられる時は不安になる。御園の言ってくれたことは気休めの屁理屈でしかなくて、今度こそおかしくなって戻れなくなるかもしれないという疑念はまだまだ強く残っている。

 けど、そんな屁理屈が俺の背中を押してくれた。

「今日は朝までやってやるぞ……」

 そう意気込んで、次の夢に潜った。


 ……だが、意気込みとは関係なくその夢がいきなりそうだった。

「この気配……」

 夢の端々から二種類の気配を感じながら着地する。三度目となれば慣れたもので、すぐにこの夢が他の夢と繋がったものであることを理解した。

 鶴崎さんの時を思い出しながら、第六感を研ぎ澄ます。確か次は、夢の主の二人がどこに居るかを探るんだった。

「……え?」

 第六感で捉えた、二つの夢のそれぞれの中心。そこに居た二人の夢の主。

 その二人は同じ場所に居た。

 何かの間違いかと思い、もう一度集中して気配を探ってみる。しかし何度第六感を用いても、二人の気配は全く同じ場所にある。

「どういうことだ……?」

 おかしい。

 ひま姉の時も、鶴崎さんの時も、夢の主はそれぞれ離れていた。今回もそうじゃなければおかしい。だって夢の主は夢の中心に居るんだぞ。その中心が同じ位置にあるなんて……。

 どくん、と胸が気味悪く弾む。俺は急いで二つの気配のもとへ走った。


 色んな建物がつぎはぎになっている場所を駆け抜けると、眼前に手を繋いだ二人の少女が現れた。

「……あなた」

「何か用……?」

 二人の少女はとても似ていた。人形のような顔も長い髪も小さい背丈も鏡写しのようであり、俺を訝しむ声すら聞き分けるのが難しい。唯一の違いは服装で、同じ意匠のワンピースと髪飾りだったが、左は藍色、右は水色をそれぞれベースにしていた。

 夢が見せる幻かとも思ったが、二人からは強い別々の気配を感じる。おそらく双子なのだろう……なんてこと、今はどうでもいい。

「……覚えた」

「何を……」

「話は後でっ!」

 瞬時に二人の気配を覚えて、すぐさまその場を離れる。そして夢中を駆け回って切り取り線を引くべき箇所を探す。

 けどいくら探し回っても、そんな箇所は見つからなかった。

 この夢には混ざりあった場所とそうでない場所の境界がない……というのは、正確な言い方ではないだろう。

「はぁっ……はぁっ……」

 息を整えながら、走り回った夢の世界を見る。

 二つの夢は、既に混ざりきっていた。


・・・・・・


「混ざりきった夢……か。私も何度か遭遇したことがある」

 深夜。状況を理解した俺は飛び起きて、失礼を承知で和田村さんちの扉を叩いて鋳門さんに助言を求めた。

「俺、どうしたらいい? どうしたらあの二人を助けられる?」

 鋳門さんはベッドの上で体を起こして俺の質問に答えた。

 しかしその答えは、俺の望んだものとは真逆のものだった。

「結論から言えば、その二人を助ける方法はない」

 重々しく言い放たれたそれが、俺の体から熱を奪う。

「私も遭遇するたびに何かできないかと試した。例えば夢を少しでもより分ければ境界を作れるのではないかと……だが無駄だった。二色の砂が混ざった砂山をより分けるなど不可能だった……おそらくお前にも不可能だろう」

「そんな……」

 心臓を握り絞られているような気分になった。

 昨日の、丁度深夜頃の自分を思い出す。夢の住人に近付いたことを恐れて、枕にすら近付けずにただ夜が明けるのを待っていた。

 今思い出せば、なんて醜く利己的な考えだろう。

「もっと早く、昨日見付けていれば、助けられたのに……! 助けられるのは俺だけだって、分かってたのに……!」

 起きてすぐに探索を再開していればきっと、いや絶対に助けられたはずだ。

「……そうだな。私が寝込んでいなければ、昨日の時点で見つけられたかもしれない」

 鋳門さんが俯き、自分の体を見つめた。

「あ、いや……鋳門さんのこと責めたかったわけじゃ……」

「なら、お前もお前を責めるな」

 俺を見上げて、鋳門さんは真剣な顔をした。

「見つけたのが昨日なら間に合っていたとも限らない、何日も前から既に混ざりきっていたかもしれない……そもそも、私達は神様じゃないんだ。全ての人間を救うことなど始めから出来はしないし、する義務もない。お前が気に病む必要など一つもないんだ」

「……うん……」

 鋳門さんの言葉で少し落ち着く。けれど、罪悪感の手は決して心臓から離れなかった。

「それに……二人を助けることは不可能でも、どちらか片方を助けることはできる」

「……本当!? どうすればいい!?」

 鋳門さんに詰め寄った。けど、鋳門さんは目線を逸らしてすぐには答えない。

 その反応だけで、俺は答えを理解してしまった……いや、問いかける以前に俺は既に答えに辿り着く材料を持っていた。

 二人が衰弱するのは、互いに害しあっているからで……それを解消し、どっちか片方しか助からないとなれば考えられるのは一つだ。

「……殺すんだな、どっちか」

 鋳門さんは無言で頷いた。

「今から眠る。お前はその夢まで案内しろ……その後は私に任せればいい」

「いいよ、殺せばいいって分かれば十分だ。俺が、やる」

「なら、お前の気配を追って、無理やりにでも私が……っ」

 その言葉を言い終わる前に、鋳門さんは頭を抱えて、倒れた。ベッドが衝撃に軋む音と、鋳門さんのうめき声が重なる。

「昨日も言ったけど……休んでてよ、その分俺が頑張るから」

 呼び止める声を無視して、寝室をあとにした。


 リビングに降りると、和田村さんが飲み物を用意してくれていた。

「久瀬君これ……」

「要らない。すぐに寝るから」

 ソファの前に立ったところで、和田村さんが更に声をかけてくる。

「あの、鋳門君は、なんて言ってた……?」

「……二人助けるのは無理だって、どっちか片方しか助けられないって」

「どちらか……」

「今から、それを決めに行く」

 和田村さんが息を飲む。

「それって……」

 そしてちらりと視線を寝室に向けた。

「大丈夫だよ、鋳門さんは不参加……キツいのは、俺だけ」

 俺がそう言うと、和田村さんの心臓が跳ねたのが分かった。

「……ごめんなさい」

「あ、いや、俺も意地悪な言い方してごめん……いいよ。鋳門さんに楽して欲しいのは、俺も一緒なんだし」

「違うの。私、何もしてあげられないのに、あなただってまだ高校生なのに……こんな、押し付けるようなこと……っ、でも、今まで一か月に一度くらいだったのに……私これ以上、鋳門君に、傷付いてほしくなくて……!」

 そう言って和田村さんはさめざめと泣き出してしまった。

 押し付ける……か。そのくせして、なんて綺麗な涙を流すんだろう、この人は。

「和田村さんは何も悪くないよ……ソファ、借りるね」


・・・・・・


「……また来た」

「何か用? 久瀬君」

 もう一度夢の中心に降り立つなり、双子は俺の名を呼んだ。

「……君達も俺のクラスメイトなのか?」

「私、伊坂いさかうみ

「私、伊坂いさかそら

 藍色の少女が海、水色の少女が空と名乗った。どうやら名前に基づいた服装を選んでいるようだ。ついでに名前を聞いてもピンと来なかった。

「前はともかく、最近はちゃんと覚えようとしてるんだけどな」

「最近? じゃあ私達のこと覚えてないかもね」

「私達、一週間前から入院してるから」

 二人は互いに同じ、薄く微笑んだ表情で交互に喋る。

 一週間前……大体ひま姉の時と同じ時か。それが分かった所で何も変わらないけど。

「それで? あなた私達の夢の住人じゃないよね?」

「普通ならどっか行けって念じればどっか行くもんね?」

「外から来たでしょ、久瀬君」

「どうやって私達の夢に入ってきたの?」

 二人が矢継ぎ早かつ交互に質問をしてくる。そのどれもが意味を理解できる。一瞬自分の頭を疑ったが、疑えるということは正常だろう。

「伊坂さん達は……まともな会話ができるんだな」

 更にはここが夢であるという自覚に加え、夢の内容をコントロールすることもできるようだ。一瞬俺達と同じ潜夢者である可能性も考えたが、潜夢者は自分の夢を持たないはず。この二人はおそらく夢に適応した一般人だ。

「まぁ、入院してからは眠ってる時間の方が多いしね」

「こっちが現実みたいなものだから」

 二人は表情を変えず。薄い笑みを顔に張り付けたままにそう言った。

「というか、先にこっちの質問に答えて欲しいんだけど……」

「久瀬君、あなたはお迎えの天使? それとも死神?」

「どっちも違うけど……似た様なもんかな」

 手のひらから剣を作った。

「君達のどっちかを殺しに来た」

 剣をその場でぶんと振り上げ、二人の居る方向へ突き付ける。

「天使か死神か……そんな質問をしたってことは、このままじゃ二人共死ぬって分かってるんだろう?」

「どっちか、っていうのはつまり……」

「殺されなかった方は生き残るってこと?」

「……そうだ」

 答える声が震えた。ちゃんと覚悟を決めてからこの夢に潜ったはずだが、会話を交わして改めて強く強く、自覚する。

 俺は今から殺人をするのだ。

 しかも、選ぶ。俺は俺だけの勝手な基準でどっちを殺すか選ぶ。

 声と一緒に、剣を持つ手も震えた。切っ先はゆらゆらと揺れるけど、二人のどちらにも向かない。二人を繋ぐ手の上だけをさまよっていた。

 ……どちらが殺されるか、二人に選んでもらおうか。そんな最低な考えが一瞬だけ浮かぶ。誰にも押し付けず、俺一人でやると決めたのに。

 そんな風に悩んでいる内に二人が口を開き、俺の慮外の言葉を吐いた。

「どっちも殺さなくていいよ」

「……は?」

 俺を見つめるその顔は微笑んだまま一切崩れていない。さっきまでの素振りを見るにたった今急に話が通じなくなったということもないだろう。つまり、二人は本気だった。

「私達はさ、今の状況にとても満足してるの」

「この神様からの贈り物にね」

「贈り物……?」

 二人は得意気に声を弾ませる。

「そう。愛し合う私達の夢が繋がったのは、きっと神様の思し召し」

「私達は、このまま二人がになるのを待ち望んでいるの」

「……本当に分かってるのか? 死ぬんだぞ、このままじゃ二人共……!」

 俺が精一杯真剣な声を出しても、二人の胡乱な調子は変わらない。いや、これが二人の『真剣』なんだろう。

「確かに、最初の頃は頭痛が辛いだけで怖かったけど……同時になんだか高揚感もあった」

「そして夢の中心が近付いて、二人の夢が繋がったんだと知った時、私達は最大の幸福に包まれたの」

「私が感じたことは、この子が感じたこと。この子が思ったことは、私が思ったことになる」

「久瀬君には分からないかもしれないけど、愛し合う相手と心が繋がるって、本当に蕩けそうなほど幸せなことなの」

「まだ……まだ足りない。私達はもっと近づくことができる。重なり合うことができる!」

「そのためなら……先に待つ死だって構わない」

 二人は悠然とそう言い切った。

「そんなの……そんな愛、間違ってる! 互いを殺す愛なんて……!」

「じゃあ……本物の愛って、何?」

「そっ、れは……」

 答えられるわけがなかった。そんなもん、俺が知りたい。

「……もうあなたと話すことはないね」

「帰って」

 二人がそう言った瞬間、俺の眼前に時計塔に付いているような巨大なベルが出現した。

 そのベルは強い力で動かされ、大音量の音色とともに俺の体に衝突した。

「ぐあ……!」

 衝撃に耐えられず吹き飛び、その拍子に剣を落とす。するとどこからともなく生い茂った蔦が触手のように動いてそれを拾いあげる。

「返すね、これ」

 そしてそのまま俺の背後に回り、裏から心臓を深々と突き刺した。剣の鍔が背中を叩き、俺の放物線がそこで止まる。

「っ……!」

「それじゃ、バイバイ」

 蔦が高層ビルやタワーを添え木にして、剣ごととてつもない勢いで上空へ上がっていく。俺は風圧で何も抗えないまま強制的に夢から浮上させられた。

 全身が強かに水面へ打ち付けられる音と共に、極彩色の水たまりから白い空間に俺の体が吐き出される。

「……くそっ!」

 飛び出た勢いで数瞬のたうった後、姿勢を直して二人の夢への入り口を見ると、その水たまりは縮んでいき、姿を消そうとしていた。

「逃がすかっ!」

 適当な棒を作って、水たまりの中に投げ入れる。するとうまい具合に棒がつっかえて、水たまりの縮小は止まった。

 初めてやったけど、水たまりの中だけでなく形にも干渉できるらしい。

 今の内にと思い、再度水たまりに飛び込む。けど、今度は縮小の暇もなく、水たまりは瞬時に姿を消した。

 俺の体はそのまま白い床に叩きつけられる。


 ずだん、と鈍い音がリビングに響く。その音と衝撃と痛みとで俺は完全に目を覚ました。

 時計を見ると午前四時半、窓の外に気怠い光が満ち始めていた。この時間に水たまりが瞬時に消えたということは……二人が起床したのだろう。随分と早起きな双子だ。

「だ、大丈夫……?」

 フローリングの上で無様に転がっている俺を和田村さんが見下ろす。その手に持たれた盆の裏が見える。

「……体の方は大丈夫」

 体を起こしてソファーに座り直す。すると盆の上に何種類かの飲み物が用意されていたことが分かった。……俺が起きるまで待っていてくれたみたいだ。

「あ、これ好きなの飲んでいいからね」

「じゃあ、いただきます」

 別に喉は渇いていなかったけど、二度断るのも悪いので適当なのをいただいた。

「本当に……お疲れ様」

「……いや、しくじった。追い出されて逃げられた……」

「……! そんな……」

 和田村さんが不安気な瞳で俺を見つめる。

「いや……大丈夫。今日中になんとかするから」

 あの二人は『入院してからは眠ってる時間の方が多い』と言っていた。更に起きた時間を鑑みるに、頭痛によって睡眠リズムが狂っているはずだ。俺の予想が正しければ、昼頃にまた眠り始めるはず。

 その時を見計らってもっかい寝ればいい。機会は問題ない……機会は。

 目を閉じると、揺れる切っ先が見える。

 俺は、今度こそどっちかを選ぶことができるだろうか。

「……じゃあ俺、家帰ってから学校行きます。夜遅くに押しかけてすいませんでした」

 立ち上がり、リビングをあとにする。

「え、帰るの?」

「俺が居なかったら家族も驚くだろうし……ひま姉との約束もあるから」

 こんな時こそ、ひま姉から逃げたくなかった。


・・・・・・


「……ね」

「……うん」

 朝の廊下をひま姉と一緒に歩く。

 また同じ場所で会話が途切れてしまった、今日も進展なし。あとはこのままぎくしゃくした空気が教室まで続くだけだろう。

 などと考えていると、ひま姉がやにわに口を開いた。

「かな君、今日なんか変じゃない?」

 上目遣いでひま姉が俺を見る。会話に困って無理矢理ひねり出した言葉……ではなさそうだ。

「早起きでちょっと眠い……からかな」

 言語化すると体もそれを自覚したのか、そこそこのあくびが出た。

「そうじゃなくて、なんか悩んでる風っていうか……あ、いや、そりゃ最近はいつでも悩んでるかもしれないけど……」

 ひま姉は後半をごにょごにょさせながらそう言い当てた。鋭いのか俺が分かりやすいのか……あるいは俺達の間にある時間の大きさか。全てを検討することはできなかった。

「……気のせいだよ」

 なんてことを言っていたら俺の教室に着いた。

「えっと、話したい事あったらいつでも聞くからね、かな君」

「うん。またね、ひま姉」

 扉の前でひま姉と別れて教室へ入る。

「……なんか悩んでるみたいだね?」

 席に着くと、御園が話しかけてきた。

「人の会話を勝手に聞くな」

 俺は黒板の方を向いたまま、後ろの席の御園が視界に入らないようにした。それでも御園は構わず背中に話しかけてくる。

「向日葵先輩に話しづらいなら、僕に話してみなよ」

「なんでもないって」

 これは一人でやりきる。他の誰にも背負わせないと決めた。

 俺がきっぱりと言いきったあと、御園の声が止まった。ちょっときつい言い方になってしまっただろうかと考えたが、そう経たない内に御園はもう一度口を開いた。

「混ざりきった夢か?」

 その言葉が耳に入った瞬間、俺は勢いよく後ろに振り返った。

「……当たりか」

「どうして、それを……」

「ただの推理だよ。君の潜夢者の話を聞いてから、混ざりきって切り離せない夢もあるだろうと思っていた。その解決法も予想がつくし、向日葵先輩にも僕にも相談できないならそれだろうと思った」

 御園は澄ました顔で言いきった。

「解決法も予想がつくって……」

「どちらかを殺すことで、強制的に進行を止める……そうだろう?」

 俺と違って他人の夢など入ったことがないはずなのに、御園は完璧に言い当ててみせた。

「……俺は鋳門さんに聞くまで思いつかなかったけどな」

「それは君が優しいからだろう」

 あるいは、無意識の内に気付かないようにしていたのかもしれない。

「なんにせよ、この件に関して俺はお前に相談するつもりはない」

 話をそこで打ち切るために、もう一度前へ向き直って視界から御園を外す。しかしそれでも御園は俺の言葉を無視して喋り続けた。

「僕は愛が強い方を残すべきだと思う……本当に愛が強ければ、死んだ相手を取り込んで、一つになって生きていけるから」

 俺がもう一度振り返り、しつこいと怒るより先に、御園は言葉を重ねた。

「……僕の言葉を聞いた以上、従うにしろ背くにしろ、君は僕の言葉を思い浮かべながら殺すことになる。つまり、これで僕も共犯だな」

 なんでもないような表情で、御園はそう言いきった。

 そんなの屁理屈だと言い返したかったけど、できなかった。俺は既に、屁理屈に救われているから。

 それに俺がどう思い、何を言い返したところで無駄だろう。こいつは既に一緒に背負ったつもりでいるのだ。

「なんでそんな……俺は、一人でやるって、決めたのに」

「君の鎖になると誓ったから」

 違う、今鎖になっているのは俺だ。

 俺は見落していた。自分と誰か繋がるということは、誰かが自分に繋がれるということであり……鎖の本質とは、何かを縛り付けることにあることを。


・・・・・・


 昼休み、伊坂姉妹が寝たような気配がした。現実で第六感は使えないので多分気のせいだが、俺はそろそろかと思って保健室に赴いた。

 保健医が何用だと尋ねてくる。

「具合が悪いので休ませてください」

「本当は?」

「……教室に居づらい、とか」

「……休んで行きな」

 どっちも嘘の理由だったけれど、保険医は一つ目の嘘を見抜き、二つ目の嘘を信じた。

 教室に居づらそうな奴だと思われているのだろう。事実御園が居なければ相当居づらいので正しい。

 とにかく、俺は確保した寝床に寝転がった。すると丁度そこで携帯が鳴った。画面には和田村さんの名前が表示されている。

『もしもし、久瀬君?』

「……丁度今から寝る所だよ」

『えっとそのことなんだけど、久瀬君が夢から追い出されたらしいって鋳門君に言ったら……鋳門君がまた私も行くって言い始めて。私分かんないんだけど、大丈夫? もう一回追い出されたりしないの?』

「大丈夫だから、鋳門さんには休むように言っといて……まぁ、俺も追い出されたのは初めてなんだけどさ。心配はないよ」


・・・・・・


 俺が水音と共に伊坂姉妹の夢に潜り込むと、中央の二人は一瞬で気付いて上空の俺を睨んだ。

「……しつこい」

 二人の繋いだ手がぎらりと輝く。次の瞬間、巨大な鐘が地上から俺めがけて発射された。

 ぐわわわと鳴りながらすごい勢いで迫って来る。そのまま俺に当てて夢の外へ弾き飛ばすつもりなんだろう。

 ついに鐘が俺の鼻先に当たる、そのタイミングを狙って俺は全身を薄い紙っぺらに変えた。

 鐘は俺の体の芯を捉えられず、掠めただけで真横を過ぎていく。

「……えっ」

 俺の変化に二人が戸惑っている間に、次に俺は拳銃になった。そのまま二人が居る場所へ発砲し、弾丸になって着弾ちゃくちする。

「空っ、蔦出すよ!」

「うん!」

 弾丸から人の形に戻っている間に、二人が呼びかけあって繋いでいない片方の手をそれぞれ前に突き出す。すると二人の足元から何本もの蔦が伸びて俺に襲い掛かった。

 だが、俺は既に水になっていたので蔦に捕らわれず、分裂して蔦の中に染み込んでいく。そして蔦を通して二人の足元に集合し、人の形に戻る。その時、片方の腕だけはいつも通りではなく刃に変形させておいた。

 刃を二人の間に突き付ける。

「君達はまだ一週間だろうけど、俺は九年前からここが夢だって知ってるんだ。夢の中の動きじゃ絶対負けない……不意打ちでもなきゃね」

「くっ……」

 二人が刃を横目に苦々しい表情をし、抵抗が無駄と悟ったのか、蔦を地面に戻す。

 もしも二人が瞬時に体を水に変えられるほどイメージに熟達していたとしても、俺ならそれを凍らせてから切ることができる。二人は俺を追い出すどころか、絶対に逃れることはできない。

 しかしその事実は、もう一つの問題をまったく解決しない。

 刃を右か左か、どちらかに振り抜くだけで目的は達成される。だというのに、刃は震えるだけでやはりどちらにも振れない。

「……なんだ、結局決めないで潜って来たんだ」

 俺の様子を見て、二人の表情に薄い微笑みが戻る。

「いいんだよ。人殺しなんかしなくたって……今朝も言ったけど、私達は二人が一緒になって死ぬことを望んでいるの」

「それが本当の愛だと確信してるから」

 二人の甘言が俺の耳にまとわりついて、肩から刃までを侵そうとする。俺はそれを振り払うように、刃の震えをぴたりと止めた。

「違う、それは愛なんかじゃない……互いに縛り付け合うならそれは、呪いだ」

 俺がその確信を言葉にしても、二人の表情は変わらない。

「ふーん……まぁ、今更口喧嘩するつもりもないけど」

「だからって殺せるの? 選べるの?」

 ごごん、と大きな地鳴りが始まった。辺り一面の夢の景色が、稲妻のように弾け飛び、あるいは春の雪のように融けて、めいめい消え失せていく。

 二人が微笑みを貼り付けたままの顔を見合わせる。

「始まった……」

「もうすぐ訪れる、私達が一つになる瞬間」

 だが、それは同時に二人に悲劇をもたらす。それを半分に減らすためなら、俺は。

「殺せるよ」

「……あなた以外の誰も、それを望んでいなくても?」

「やる。最初から一人でやるって決めてたし……」

 不甲斐ないことに、共犯も居る。

 地面が揺れる中、それでも震えない切っ先に決意を重ね、御園の言葉を思い出す。

 愛の強さで選ぶ。

 伊坂海と伊坂空、愛が強いのはどっちだ? 言動からは二人とも同じだけ相手を想っているように見える。そもそも夢が混ざりきっている今、二人の言動に違いなんて出るのか? 事実、さっきから会話の中で、どれがどっちの言葉か分からない。

 二人が着ている服の色、藍と水だったそれは今や同じ青になろうとしている。終わりと共に、重なろうとしているのだ。

 ……そもそも、どちらの愛が強い弱いなど、どうやって決める?俺が勝手に決めてもいいのか?俺一人の価値観で?愛を忘れてしまった人間失格が?愛で選ぶなどはなから間違っていたんじゃないか?だがそうしないのなら御園の覚悟を踏みにじることになるのか?だとしても御園に頼らないでいいのであればそれでいいはずだ。いやこんな葛藤は目の前に二人と関係ない。けど二人のことは尊重するならそもそも関わるべきじゃない。それでも俺は、俺は俺のエゴでもそれを押し通すと決めた。そうだ、勝手に決めるんだ。その覚悟をしてここに立っているはずだ。

 どうして今更こんなことを考えている? 既に俺の中で済ませたことで、蒸し返す理由も時間もないのに。

 選べない。俺が迷えば迷うほど、二人に違いを見つけようとすればするほど、二人は重なり合って違いをなくしていく。二人は最早、表裏一体のコインのような存在だ。表と裏、そんな記号的な違いしかない。選べない。

 それでも、選ばなきゃいけない。今すぐに。


 俺は手のひらに力を込めて、一枚のコインを作った。


「「……え」」

 戸惑う、二人の重なった声が聞こえる。それに答えるように俺はコインを頭上に弾いた。

 回転と一緒に空中のコインは目まぐるしく表と裏を変えて、ちかちかと光る。

「表なら左、裏なら右だ」

 俺は二人の名前すら呼ばず、そう告げた。

「まさか……っ」

 二人が意味を理解して微笑みを崩す、それと同時にコインは地面に落ち、回転をやめた。

 裏。

 右の伊坂空に向かって腕の刃を構え直す。

「待って……っ」

 伊坂海が叫んで足元からまた蔦を出し、俺の腕を絡めとろうとした……けど、直前で蔦が止まった。

 俺は何もしていない。つまりこの蔦を止めたのは。

「なんでっ、ねぇ……っ、ちょっと待って! 空を殺さないで! お願い、お願いだからぁ……!」

 繋いだ手を離して、伊坂海が俺にしがみつこうとする。俺はそれを振り払い、彼女はその場に倒れ込んだ。

「待って、やめてっ、やめてよぉ……! 空じゃない、でしょ……! 殺すんなら、私にしてよぉ……!」

 伊坂海の泣き叫ぶ声が、地鳴りとともに響きわたる。しかし伊坂空は姉妹の涙を横目に微笑みを取り戻していた。

 ああ、なんだ。

「あんたも……あんた達も、俺に押し付けたのか」

 刃を振り抜いた。

 伊坂空の上半身と下半身が両断される。くっついて元に戻らないよう、二の太刀で下半身を串刺しにし、離れた場所へ投げ捨てた。

 下半身は放物線をなぞる内、上半身から離れるほどに『伊坂空の夢』ではなくなっていく。地面に落ちるが早いか、太陽に透かしたみたいに白くなって、煙のように消えていった。

 それと連動して、夢の中から『伊坂空の夢』の半分が同じように消える。

「あ……」

「空ぁっ!」

 伊坂空が上半身だけになった体をよじらせる。駆け寄った伊坂海を虚ろな目を見つめる。

 そこから、夢のあちこちで起きていた消滅反応が伊坂空のものだけに集中しはじめた。爆破も風化もなくなって、光る煙が何本も立ち上る。

 互いの夢は互いにとってのウィルス……今のでその比率、パワーバランスが大きく偏ったことになる。あとは何もしなくても、勝手に自滅するだろう。

 使ったエネルギーは切り取り線一回分とコイン一枚分。ただそれだけで俺の殺人は完了した。

「待って、行かないで……」

 伊坂海が無数に立ち上る煙を見る。あれが伊坂空の残滓であると、彼女も理解しているのだろう。

「一人にしないでぇっ!」

 大地が隆起し、周りの物体を巻き込みながら巨大な手を形作る。その手が、たなびく煙の最期の一本へ伸びて、握りしめた。

 そしてそれからずっと、握りしめ続けていた。放せばどこかへ行ってしまうから……ではないだろう。

 俺は既に、伊坂空の気配が手のひらからすり抜け、消え失せたことを察していた。

「う……」

 伊坂海の嗚咽と共に、その手が開かれる。

「うあっ、ううぅ……!」

 空に伸びたまま孤独にたたずむ一つの手のひら。

 その姿が俺の目に深く焼きついた。


・・・・・・


 俺が病院に行くと、偶然、あるいは待ち構えていたかのように、伊坂さんは入口に立っていた。

「……何しに来たの」

 赤い目が俺を睨み、問いかける。

 そこで俺は気付かされた。自分が特になんの理由もなくここに居ることに。

「えっ……と……」

 言葉に詰まった俺を見て、伊坂さんが鼻を鳴らす。そのまま俺から視線を逸らして病院を見上げた。

「あの後、起きて隣を見たら……空が、少しだけ喋った……あれも、あなたの計算?」

「……現実で話せたのか?」

「……偶然だったんだ」

 最期の瞬間を思い出したのか、伊坂さんは遠くを見る目をした。

「あの子……空さんはなんて?」

「私にたっぷり、鎖を巻きつけて逝ったよ」

 伊坂さんはそう言って、自嘲気味に笑った。その微笑みを見て、俺は理解した。もうこの少女はどこにも逃げられないんだと。

「そんなわけだから、しばらくは生きてみようと思う。でもやっぱり耐えられなくて、死にたくなった時は……またあなたにお願いするね」

 完全に俺に背を向けて病院に戻っていく途中、伊坂さんは最後にもう一度だけ口を開いた。

「ごめんね、ありがとう、許さない」

 そんな言葉と二人きりにされて、俺は立ちすくんだ。

 俺は……正しかったのだろうか。伊坂さんが生きているのは、俺のおかげだ。俺がやらなくたって鋳門さんが代わりにやっただろう。御園だって一緒に背負ってくれた。伊坂さん達だって俺をうとましく言っていたが、本心では俺みたいな選定者を望んでいた。

 ……違う、そんなことは関係ない。

 人の生き死にを、コインの表裏なんかで決めていいはずがなかった。

「俺は……」

 手のひらで顔を覆った。

「間違えた……」

 空に浮かぶ太陽が、俺を責めるサーチライトのように燦々と輝いていた。

「そんなことないよ」

 立ちすくんで、数瞬。隣から声が聞こえてきて、気づけばそこに御園が立っていた。

「……御園」

「君は何も悪くない」

 慰めるような微笑みで御園は俺を見つめた。

「悪いのは、あの女の愛の弱さだ」

 聞き間違いじゃない。御園は確かにそう言った。

「……は?」

「…………」

 御園は無言で、俺を見つめ続けた。

「なんでっ、そんなこと言うんだ……今回のことで一番傷付いてるのは、伊坂さんなんだぞ……?」

 俺がそう言うと、御園は一度目を閉じてから表情を神妙なものに変えた。

「……すまない。君を慰めるためとはいえ、心にもないことを言ってしまった。二人に謝るよ」

 一瞬、『君のため』という言葉に流されてしまいそうになる。けど強い違和感が残る。

 今の言葉は、多分俺を慰めるための嘘なんかじゃない。御園の本心だ。

 心臓の音が、うるさい。

「御園、お前なんでここに居るんだ?」

 俺は誰にも言わずにここに来たはずなのに。

「……伊坂さん達が入院していることは知っていたからね。そこから逆算して……」

「違う。鶴崎さんの時も、お前はすぐ見舞いに来た……どうして俺の居場所が分かる?」

 数時間前、昼休みのことを思い出す。あの時、二人が眠ったことを察知した感覚。あれが勘違いじゃないなら……『第六感』を現実でも使えるなら、見知った人間の位置を把握することも可能だろう。

 この力を使える人間が、俺と鋳門さん以外に居るとしたら。

「お前も、潜夢者なのか……?」

「…………何の話かな」

 御園は、何も答えない。

 もし、本当に潜夢者なのだとしたら……どうして。

「どうして、今まで黙ってた?」

 問いかける以前に俺は既に答えに辿り着く材料を持っていた。

 本来一か月に一度ほどしか起こらない『夢が繋がる』という現象が、この一週間だけで三回も起きている。

 その三回とも、俺の高校の生徒が被害者になっている。

 そして潜夢者なら、他者の夢の水たまりに干渉できる。


 潜夢者は意図的に他者の夢を繋げることができて、その犯人は俺の高校に居る。


 俺は、御園をじっと見つめた。

「……もしかして、僕の気配を覚えようとしてるのかな」

「ああ、今日の夜、お前の所に行くよ……そこで聞きたいことがある」

 御園は俺を見つめ返して、くすりと笑った。

「夜とは言わず、今にしよう」

 次の瞬間、俺達は夢の中に居た。

「なっ……!」

 さっきまで眼前に建っていた病院はどこにもない。あるのは何もかもがつぎはぎになったでたらめな空間だ。

「鋳門さんから聞いていないかい? 君が前に言っていた『潜夢者は自身の夢を持たない』という解釈は間違いだ。自身の夢の世界を人の形に圧縮し、操縦可能にした者を『潜夢者』と呼ぶ……ここは、僕が人の形から再展開した夢の中だ」

 御園が得意気な顔でぺらぺらと喋る。

「御園、お前……」

「何を驚いている? 潜夢者はその能力を現実でも使えると、君も既に知っているはずだ。だからさっき僕の気配を覚えようとしたんだろう?」

 その声音に変化はない。異常事態の最中、いつも通りの御園有一がそこに居た。

 御園が目を伏せて、『本当はもっと段階を踏むつもりだったが』と呟く。

「聞きたいことがある……か、奇遇だな。僕も丁度、君に話したい事がある」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る