第05/13話 トップ・オブ・ヒル③

 先手を打ったのは、巒華のほうだった。彼女は、右手を、エプロンのポケットに、ざっ、と突っ込むと、そこから、ばっ、と拳銃を取り出した。

 間髪入れずに、銃口を相手に向け、引き金を引いた。ばあん、という音がして、麻酔弾が発射された。

 しかし、その先手は成功しなかった。中年兵士は、右手を、巒華から見て右から左に、ぶんっ、と振り、弾丸の側面を殴りつけた。

 逸らされた弾丸は、未だに眠りこけている若い兵士の頬に命中した。彼は、「んん……」という唸り声を上げた。

 中年兵士の右手から、財布が離れ、宙を吹っ飛んだ。それは、階段に通じる出入り口の左脇の壁に、どしっ、と、ぶつかった。その後、真下に落ちると、若い兵士の蟀谷に、ぽすっ、と乗っかった。

 中年兵士は、すかさず、次の行動を開始した。着用しているタクティカルベストの胸ポケットに収めているトランシーバーに、振り終えた右手を、ばっ、と伸ばしたのだ。巒華の存在を、仲間たちに知らせるつもりに違いなかった。

 彼女は、ぶんっ、と右手をスイングした。拳銃を、相手めがけて、投げつける。

 それの銃身が、トランシーバーに命中した。ばきっ、という音とともに、液晶ディスプレイが割れた。

 中年兵士は、姿勢をわずかに低くした。直後、だっ、と巒華に向かって突進してきた。そのまま、彼女の腰に組みつくようにして、タックルを食らわせてきた。

「ぬぬ……!」

 タックルを受けた巒華は、後退させられた。しかし、それを食らう前に、両腕を腰の前に突き出したことにより、ダメージを軽減させられた。

 中年兵士は、未だ、巒華の腰に組みついていた。彼は、もはや、完全に屋上へ出ていた。

 頸椎をへし折ってやる。巒華は、そう考えると、右手を、右肩よりも右上へと移動させつつ、手刀の形にした。間髪入れずに、右腕に渾身の力を込めると、それを、中年兵士の首めがけて、振り下ろした。

 しかし、彼女の手刀が、ターゲットに命中するよりも、相手が、大声を上げるほうが、早かった。

「侵入者ああああ──」

 中年兵士の声は、そこで途切れた。巒華の手刀が、彼の頸椎に命中し、ぼきっ、と、へし折ったからだ。

 彼は、どさっ、と俯せに倒れると、そのまま動かなくなった。首が、本来は曲がらない方向に曲がっていた。

 巒華は、嶺治に目を遣り、叫んだ。「逃げましょう!」

 彼が、こくり、と頷いたのを確認すると、巒華は、視線を前方に戻した。だだだだ、と走り始める。

 出入り口をくぐり、屋内に躍り込んだ。だんっだんっだんっ、と、階段を、半ば跳び下りるようにして、駆け下り始める。

 事前に立てていた作戦は、自分たちの存在が、仙汕団にばれないことが、大前提だった。気づかれてしまった以上、もはや、計画は崩壊した。こうなったら、ひたすらに走って、天文台から、力尽くで脱出するしかない。

「あの中年兵士が、タックルを仕掛けてきたのは、攻撃することが目的だったわけではありません……」巒華は、悔しさを声に滲ませながら独り言ちた。「大声を上げて、わたしの存在を仲間に知らせるため、外へ出ることが目的だったのですね……!」

「中年兵士は、最初、右手に財布を持っていた……あれは、巒華が、麻酔弾で眠らせた若い兵士を、屋上へ移動させている時、そいつのズボンの後ろポケットから落ちたやつだ」嶺治も、階段を駆け下りながら呟いた。「財布は、床を跳ねた後、手摺り子と手摺り子の隙間を抜けて、落ちていった。きっと、その後、階段と階段の隙間を通っていって、最終的に、一階に着地したんだろうね。それを、たまたま階段を利用しようとした中年兵士が見つけたんじゃないかな」

 三階フロアに通じる出入り口の前に至ったところで、下方から、たんたんたん、という音が聞こえてきた。巒華は、ばっ、と、階段と階段の隙間を通して、一階方面に視線を遣った。

 兵士たちが、数人、階段を駆け上がってきているのが見えた。直後、そのうちの一人が、ひょこ、と、巒華と同じようにして、階段と階段の隙間を通して、二人のほうを見上げてきた。若い女性だった。

 ばっ、と身を仰け反らせた。次の瞬間、ばあん、という音が、下方から聞こえてきた。

 一瞬後、目の前を、何かが、下から上へと通り過ぎていった。さきほどの兵士が、銃器を撃ってきたに違いなかった。

 巒華は、三階フロアに通じる出入り口の扉に近づくと、ノブを、がっ、と掴んだ。がちゃっ、と乱暴に引っ張って、開ける。

 彼女は、フロアに躍り込むと、廊下を走り始めた。後ろから、嶺治もついてくる。

 廊下は、南へと、まっすぐに伸びていた。その先は、左への曲がり角となっていた。

 突き当たりの壁には、スライド式の扉が取りつけられていた。それの上には、「多目的室C」と書かれた、小さなプレートが設けられていた。巒華たちが天文台に侵入した後の、スタート地点だ。

「さっきの話の続きだけれど……階段の一階の床に落ちている財布を見つけた中年兵士は、くすねようとしたにしろ、所有者に届けようとしたにしろ、財布の中身を検めて、違和感を抱いたんじゃないかな」走りながら、嶺治が喋りだした。「持ち主が、今、屋上に通じる出入り口を見張っている兵士である、ということは、すぐにわかっただろう。その彼が、落とし物を取りに、一階まで下りてきそうにないんだから。それも、財布という貴重品を落としたにもかかわらず、だ。

 その後、屋上に通じる出入り口に行ってみると、誰もいない。それで、いよいよ不審に思って、念のため、外の様子を確認しようとした。そこで、巒華とばったり出くわした、というわけだ」

「それにしても、まだ、仙汕団のやつらが、山内にいるというのに、すでに、レベラーの起爆装置が動き始めているとは……口封じのためか、山を消し飛ばすついでに不要な人材を処分するためかは、知りませんが……天文台にいる兵士たちが、哀れですね……」巒華は、そう独り言ちながら、角を左に折れた。

 その後の廊下は、東へとまっすぐに伸びていた。それの先は、左への曲がり角となっている。

 突き当たりの壁には、金属製の、両開き式である扉が設けられていた。それの上には、「南東階段」と書かれた、小さなプレートが取りつけられていた。

「あそこに向かいましょう!」巒華は、駆けだそうとした。

 直後、南東階段の左右の扉が、がちゃっ、がちゃっ、と開かれた。その向こう側には、二人組の男性兵士がいた。彼らは、アサルトライフルだのサブマシンガンだのを携えていた。

「むうう……!」

 巒華は、ぐるっ、と体を半回転させた。さきほどの曲がり角まで戻ると、多目的室Cの扉を、がらり、と開けて、中に跳び込む。直後、嶺治も、半ばヘッドスライディングをするようにして、入った。

 次の瞬間、ばばばばば、と銃声が鳴り響いた。一瞬後、部屋の出入り口のすぐ後ろを、ひゅひゅひゅひゅひゅん、と弾丸が通りすぎていき、どどどどど、と壁に穴を開けていった。

 巒華は、扉を、がらがらがら、と引っ張った。ばたん、と閉め、即座に、がちゃり、と施錠する。

 数瞬後、がたがたがた、と扉が動かされようとした。兵士たちの仕業に違いなかった。

 巒華は、ぐるっ、と辺りを見回した。室内の様子は、彼女が箱から出た時と、まったく同じだった。

「あれを使えば……!」

 巒華は、だだだ、と駆けだした。箱に近づくと、それの後ろ側に回り込む。

 そうしている間に、がん、ごん、ばん、と扉が打撃を受け始めた。兵士たちが、入室するため、それをぶち破ろうと試みているに違いなかった。焦っているせいか、銃で鍵を撃って壊す、という方法に思い至っていないらしいことは、さいわいだった。

 巒華は、箱を、ざざざざざ、と押して動かし始めた。数秒後には、それの側面を、部屋の北壁に、ごつん、とぶつけた。そこは、スライド式である扉の、レールの上だった。

 一秒後、ばあん、という音がした。一瞬後、扉に設けられている鍵穴の近くに、別の穴が開いた。

 兵士たちが、やっと、銃で鍵を撃って壊す、という方法に思い至ったらしい。扉が、がらがら、とスライドさせられ始めた。

 しかし、それは、十数センチ開いたところで、がん、という音を立てて、停止した。レールの上に置かれている箱が、つっかえているのだ。

 兵士は、諦めきれないらしく、三度、扉を、無理矢理スライドさせようと試みた。しかし、がん、がん、があん、と三度、金属音が鳴り響くだけの結果に終わった。

「ふうー……」巒華は思わず、安堵の息を吐いた。「とりあえず、扉を開かないようにすることには、成功しました……しかし」緩みかけた頬を引き締めた。「そう長くはもたないでしょう……何らかの方法により、扉ごと破壊されては、お終いです。そうなる前に、ここから脱出しませんと……しかし、どうやったら……」

 彼女は、その後、箱を北壁に押しつけながら、逃走手段について、思いを巡らせた。しかし、いくら考えても、いいアイデアは閃かなかった。

 数分後、唐突に、背後から、どがしゃあん、という音が聞こえてきた。ばっ、と振り返り、そちらに視線を遣る。

 南壁に設けられている窓のうち、東端付近に位置している物のガラスが、粉々に割れていた。そして、それの手前、室内に、ディセンダーがいた。

 車両は、姿を現した後、巒華めがけて突進してきた。ブレーキがかけられているらしく、きいいいい、という甲高い音が、部屋じゅうに鳴り響いていた。その後、彼女まで、あと一メートル弱、という所で、完全に停止した。

「展望台の駐車場に停めてあったディセンダーを、遠隔運転機能を使って、動かしたんだ」

 嶺治の声が、右方から聞こえてきたので、そちらに視線を遣った。彼は、スマートホンをズボンのポケットにしまうところだった。

「高台の崖からジャンプさせて、この部屋に飛び込ませたんだ。上手くいって、よかった……さあ、早く、これに乗って、脱出しよう」

「承知しました!」

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