第三章 人か兵器か Ⅴ

 愁思郎しゅうしろうは床から跳ね起きると、雄叫びを上げて男に突進する。

 横合いからの体当たりだ。


「なっ⁉」


 今度は男の方が吹き飛んだ。

 はじき出されたパチンコ玉のように、硬質な音を立てて壁まで吹き飛ぶ。


上月こうづき……くん?」


 男を突き飛ばし、愁思郎は美穂に背を向ける形で立っていた。その背に美穂の嬉しさ半分、戸惑とまどい半分の声がかかる。


 愁思郎は振り返らなかった。今振り返れば決心が鈍る。

 なんで動き出したか自分でも分からない――だがこうなった以上、この男は必ず倒す。


「――ヤロウ!」


 吹き飛ばされた男が身を起こす。どうやらダメージはあまり大きくないようだ。


「やってくれるじゃねえか、てめえもサイボーグだったとはよう」

「…………」

「ブチのめしてやるぜ!」

「やってみろ!」


 愁思郎はえた。

 美穂が近くにいる。戦闘に巻き込みたくはない。


(──なら短期決戦ですぐに勝負をつける!)


 愁思郎はダッと床を蹴って、男に肉薄にくはくする。両者の距離は一瞬で致命的なほど深く交差した。

 

 至近距離クロスレンジ──攻撃を出せば無条件で当たる距離だ。

 男と愁思郎、両者の拳がうなる。


 共に渾身の右ストレート。

 防御も考えず、ただ一瞬でも早く自分の攻撃を当てることを考える。


 拳打が当たったのは同時──しかし愁思郎はその場に踏みとどまり、男は再度吹き飛んだ。


「がは――っ⁉」


 男は目をく。

 圧倒的な力の差。それを如実に感じたのだ。


 愁思郎の耐久力とパワーは桁外れに高い。まともな肉弾戦では歯が立たない――それをこの一合いちごうで察したのである。


「――クソが!」


 吹き飛びながら、男は床をかかとで削って踏みとどまる。

 そして腕の機構ギミックを作動させた。


 非合法なサイバネティクス。

 それは法規制をオーバーする高出力の他に、違法改造で仕込まれた武器が特徴である。


 この男もそういう手合だった。

 男の腕が変形――折りたたまれた刃が姿を現す。前腕部から厚みのある刃が飛び出し、指も肉食獣を思わせる鋭利な爪が伸びる。


 近接戦闘主体の兵装だ。


「死ねやぁ!」


 今度は男の方から愁思郎との距離を詰める。

 単純な足運びではない。幻惑げんわく牽制けんせいを含めた細かなステップだ。

 

 じゅうよくごうせいす。

 愁思郎との力比べを捨てて、本気で殺しにかかっている。


 仕込み刃を展開させた男は正面から切り込むと見せて旋回。高速で回り込み、愁思郎の背後を取る。


 ──しかしそれも、


「見え見えだよ」

「んなっ⁉」


 後ろ向きのまま、愁思郎は男の刃を止めた。

 義眼で男の動きを捉えられなくても、愁思郎の体に内蔵されたセンサーは男の挙動を見切っていた。


「俺の相棒はお前の数倍速い――出直してこい!」


 一喝いっかつと共に愁思郎は反転。


 背後に向き直ると同時に男の肩関節。

 腕の付け根に左の掌底を打ち込む。


 大砲を撃ったような射出音がして、男の肩から先が千切れた。


「なにぃ――⁉」


 愁思郎が打ち込んだのは掌底ではなかった。愁思郎の手のひらを突き破って、巨大な杭が伸びている。


 それは愁思郎の腕に仕込まれたパイルバンカー――対サイボーグ用特殊対物兵装スペシャルアンチマテリアルウエポンだ。


 その威力は絶大で、鋼鉄化されたサイボーグの手足さえ容易たやすく貫く。

 信じられないと驚愕きょうがくに顔を歪める男。 


 愁思郎の攻撃は止まらない。さらに男の脚を左足で固定すると、右足で膝関節を踏み抜いた。


 いくら義肢が鋼鉄でも関節部が脆いことに変わりはない。固定されて力が逃げなければ、愁思郎のパワーで簡単に破壊できる。


 片腕と片足を失い、バランスを取れなくなった男は、為す術もなく地べたに倒れる。数秒にも満たない時間で、愁思郎は男を無力化してしまった。


「っ! ――クソ!」


 うめく男の背を愁思郎は踏みつけた。その気になれば簡単に踏み抜いて殺せる。

 男はまだ動く片手片足をバタバタと動かして暴れた。


「なぁ、お前はくやしくはないのか!」

「…………」

「今の世界は間違ってるって思わないのか――何で普通の人間を守る側についてんだよ!」


 何故だろうか。


「分かんねぇよそんなの」


 愁思郎が男の後頭部に手刀を落とすと、男は気を失って動かなくなった。

 ふぅ……と愁思郎の口から安堵の息が漏れる。


上月こうづきくん……」


 愁思郎の背に、美穂の声がもう一度かけられた。

 胸に去来するのは、わずかな躊躇ちゅうちょと不安。


 どんな顔で何を話せばいいか分からない。いっそ何も言わずに立ち去ってしまいたくなるが、それでも愁思郎は振り返る。


 美穂は泣きはらした顔で、戸惑とまどいがちに口ごもる。

 彼女をこんな顔にさせたのは愁思郎だ。こちらが先に口を開かねばならない。


「佐久間さん……ごめん。俺、ずっと君をだましてた」


 何を言うか決めてはいなかった。

 ただ自然と最初に出た言葉は、謝罪の言葉だった。


「見ての通り、俺、サイボーグなんだよ」


 愁思郎は腕をかかげる──手のひらを突き破り、杭の射出口が覗いた左腕を。


「俺の体のほとんどは作り物――生身で残っているのは脳だけ。俺は九割機械で出来てる。だからずっと自分が人間なのか、兵器なのか疑問だった。自分を人間だって言える根拠が見つからなかったんだ」


 それを探して求めていた。


「でもそれは間違いだった。佐久間さんもさっき言ってたけど、サイボーグは人でなし――やっぱり俺は兵器だ」


 自嘲気味じちょうぎみに手のひらを見やる。

 相手のサイボーグを破壊する――その為の機構を備えた腕。


「こんなナリでどこが人間なんだよって話だよな、もっと早く気付いていれば良かった」


 もっと早くあきらめていればよかった。

 もしかしたら自分を人間だと思える何かが、見つかると思っていた。


「もう会えないかもしれないけど、佐久間さんは無事に帰してあげるよ。それだけは本当だ」


 それじゃ――と別れを告げようとした。

 それを愁思郎が言うより早く、美穂が動いた。


 ダッと駆け寄ると、愁思郎の胸に頭をうずめるように抱きつく。


(――これは一体?)


 愁思郎は何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

 しかし愁思郎の身体に備わった各種の擬似神経ぎじしんけいは、あやまたずに美穂の存在を愁思郎の脳髄のうずいに伝える。


 愁思郎を抱き寄せる華奢きゃしゃな腕の力も、ほのかにかおる髪の匂いも、触れ合う身体から伝わる体温も、まぎれもなく美穂のものだ。


 愁思郎を力の限りにギュッと抱きしめたまま美穂は言う。


「これでお別れみたいな……何でそんなこと言うの?」

「……それは」

「私が上月くんのことをサイボーグだって知ったら、見向きもしなくなるって思ってた?」

「…………」

「そんなことないよ」

「でも俺は」

「サイボーグだからって何⁉」


 美穂は顔を上げた。

 真剣な眼が愁思郎を射抜いた。


「上月くんが優しい人間だって、私知ってるよ」

「俺が……人間?」

「だってそうでしょう、上月くんが優しい人じゃなかったら、私は今殺されてた。人のために体を張って立ち向かえる人が、優しい人間じゃないわけがない」


 それは暴論ぼうろんだ。

 ひどく主観的で、客観性も理論性もない。

 それでも何かを愁思郎は感じていた。


「上月くんは人間だよ。世界中の人が機械だって言ったって、私は上月くんのことを人間だって思ってる」

「――――――――‼」


 その一言で、愁思郎の抱えていたわだかまりが氷解ひょうかいした。

 ようやく愁思郎は理解した。自分が何を求めていたのか、何も分かってなかった。

 

 愁思郎が求めていたもの──それは自分を人間であると言い張るための理論や理屈ではない。

 そんな物は、本当はどうだって良かった。


 愁思郎が本当に求めていたもの。

 それは自分を人間だと認めてくれる誰か――その存在だったのだ。


 どれ程苦悩しようとも、哲学書を読もうとも、たどり着けないもの。

 誰かと向き合う事でしか得られないもの。


 たった一言、誰かに心から『貴方は人間だ』と言ってもらう。自分を人間だと認めてくれる誰かが、この世界に確かに存在するということ。

 

 ただそれだけで良かったのだ。


(なんて間抜けだ……)


 こんな簡単なことに、ずっと気付かなかった――そんな自分に呆れ返っていた。

 それと同時に、妙な清々しさと充実感を感じる。


 それを感じさせてくれたのは美穂だ。

 今はただ感謝の念だけがある。

 じんわりとした熱が、身体中に広がっていくようだった。


「佐久間さん……」

「上月くん……」


 自然と見つめ合う形になる。美穂に抱きつかれているため、顔と顔の距離が近い。

 頬に吐息といきさえ感じられるほど近く──


「今度こそキスしようとしてない?」

「「ッッ⁉」」


 梓の声に愁思郎と美穂はバッと体を離した。


「あ、梓……無事だったのか」


 床から身体を起こした梓が、憎々しげ顔を歪めて歩み寄る。爆発寸前のニトログリセリンのようだった。


「人がぶっ飛ばされて痛みに悶絶してる間にイチャつき合うとは、いい根性してんじゃない……!」

「違う梓、これは……」

「問答無用!」


 梓のハイキックが愁思郎の側頭部を直撃した。

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