第二章 蠢く気配 Ⅲ

 その日の放課後。

 上の空で授業を聞き流していた愁思郎しゅうしろうは、いつも通り図書室に向かい本を読んでいた。


 下校時間のチャイムがなるまで本を読んでいると、


「──ねぇ、今日一緒に帰らない?」


 唐突に美穂が提案した。


「どうしたの急に」

「ん~……私、毎日上月こうづき君と会ってるけど、一緒に帰ったことないなぁって思って」

「まぁ、そうだね」


 愁思郎は下校のチャイムが鳴ったらすぐに帰ってしまうが、美穂は図書委員として図書室の戸締りなどの業務がある。

 帰るタイミングにズレがあるので、一緒に下校する事は今までなかった。


「それに前は南条さんと先に帰っちゃったし……」

「え?」

「いやいや、何でもない! ──駅までは帰り道同じでしょ。どうかな?」

「俺はいいけど……」


 やった――愁思郎の返事に、美穂は嬉しそうに笑った。それを見て愁思郎も少しだけ笑う。

 血の通わない心臓が、少しだけ熱くなったような気がした。


 美穂の作業を手伝い、図書室での仕事を終えると、学校を出て二人並んで駅に向かう。


「それでラストの展開が――」

「え? そうなの――」


 帰り道の途中も、読んでいる本の話題で盛り上がった。美穂と愁思郎では本の好みが違うのだが、それでも美穂の話を聞いていると、話題に上がった本を読んでみたくなるから不思議だ。


 何気ないやり取り。他愛のない会話が心地良い。美穂のカラカラとした明るい声を、いつまでも聞いていたくなる。


 しかし気付けば、もう駅前まで来ていた。愁思郎と美穂の乗る電車は別だから、美穂と話すのはここまでだ。


「もう着いちゃった……」


 美穂がポツリと呟く。

 名残惜なごりおしいと感じていたのは美穂も同じだったようだ。そう思ったら、愁思郎の口は自然と動いていた。


「……どこか寄ってく?」

「え?」

「特に用事もないし、少し寄り道してもいいなって思ったんだけど」


 愁思郎は駅前のカフェを指差す。

 美穂は驚いたように目をしばたかせていたが、


「うん! ちょっとお茶してこうか」


 ヒマワリのような笑顔でうなずく。

 カフェに入ると愁思郎はオリジナルブレンドのコーヒー、美穂はパフェを注文してテーブルにつく。


 向かい合わせに座って、話すのはまた本の事。そして本の話題から派生して、小説が原作の映画やドラマの話題にまで及んだ。

 美穂は普段の大人しさからは想像できないほど、よく喋った。


「実は前々から、上月君とは好きな作品を語り合いたいと思ってたんだけど、そんな機会がなかったからね。ちょっと喋りすぎちゃった」


 茶目っ気たっぷりに笑う美穂。


「俺が図書室にいる時に話せば良かったじゃないか」

「ダメだよ上月君。図書室じゃ静かにしなきゃ」

「生真面目だなぁ」

「私、図書委員だからね。一応そのあたりはちゃんとしないと。それに私も本を読んでる時に、周りがうるさいと嫌だし」


 それもそうか。

 愁思郎だって静かに本が読みたくて図書室にびたっているのだ。そう考えると一緒に帰ろうとしなければ、美穂とこうも楽しく話せなかったのだと気付く。


(なんで今まで一緒に帰ろうと思わなかったんだろ……) 


 帰り道を一緒に話しながら歩く――そんな機会、今までにいくらでもあったはずなのに。その答えにすぐに思い至り、愁思郎は小さな自己嫌悪を覚えた。


 愁思郎はサイボーグで美穂は人間。

 気付かぬうちに一線を引いてしまっていたのだ。


 無意識に愁思郎は、美穂とはどうせ分かり合えないと思っている。どこかで美穂と自分は決定的に違うのだと、思い込んでいる──だから自分から美穂との距離を縮めようとはしなかったのだ。


(ズルい奴だな、俺は)


 そんな時だった。

 ポケットに入れていた携帯が鳴る。着信相手は涼子りょうこだ。


「――ごめん」


 愁思郎はことわりを入れてから、テーブルから少し離れ、携帯画面の着信ボタンをタッチする。涼子との会話を美穂に聞かれたくない。


『もしもし愁思郎、今どこ?』


 開口一番かいこういちばん、涼子はやや緊迫感のある声でたずねる。


「学校の最寄り駅近くです。何かあったんですか?」

『緊急要請よ。サイボーグの傷害、殺人事件が起きたわ。犯人は今も人質を取って、ビルに立てこもってる』

「――分かりました」


 愁思郎は苦虫をつぶしたような表情で返事を返した。機甲特務課のエージェントである以上、愁思郎に拒否権はない。


『場所は隣町の繫華街。細かい住所はこれから送るわ』

あずさは?」

『もう現場に向かってる。現場で合流して――急いで!』

「了解」


 愁思郎は通信を切った。

 大きく息を吐く。名残惜しいのは山々だが、それでも行かなくてはならない。


「上月君、電話なんだったの?」

「佐久間さんごめん。俺、ちょっと急用が入っちゃって」

「え……」


 美穂の楽しそうな顔が、一瞬でしぼんでしまう。それが何とも心苦しかった。

 愁思郎がただの人間なら――機甲特務課に所属していなかったら、こんな風に彼女を悲しませずに済んだのだろうかと、愁思郎は思わずにはいられない。


「ごめん、いつか埋め合わせはするから」


 愁思郎はお代をテーブルに置くと、カフェを飛び出した。





 愁思郎よりも先に連絡を受けた梓は、現場へと急行していた。

 走るのは歩道ではなく、屋根や屋上。

 

 梓は消えたかと思うほどの高速で、建物の上を駆け抜ける。

 制服姿の女子高生が有り得ない速度でビルからビルへ走っている――荒唐無稽こうとうむけい過ぎて、もし梓の姿を誰かが見かけたとしても、見間違いだと思って自分の目を疑うだろう。


 梓は高速機動に特化したサイボーグだ。

 そのスピードと建物を無視して地図上を直線的に移動できるという事も相まって、愁思郎の到着よりもずっと先に、現場の向かいにあるビルの屋上まで来ていた。


 繫華街にある古びた雑居ビル──梓はビルの屋上から現場を見据える。

 

 すでに周囲には非常線が張られ、通行人は完全にシャットアウトされていた。

 雑居ビルの周りをジュラルミン製の盾を構えた機動隊が包囲し、突入のタイミングを伺っている。


 梓はビルの屋上から、非常線の内側へと飛び降りた。梓の義足はその性能を余すところなく発揮して衝撃を吸収。着地音はほとんどしなかった。


 傍目はためにはいきなり人が現れたように見えただろう。

 梓は現場の責任者と思わしき、パトカーの無線機で何がしかの指令を出している、スーツ姿の警官に声をかけた。


「要請を受けて急行しました、機甲特務課第七分室です」

「なっ⁉」


 さっきまでいなかったはずの少女が、いつの間にか隣に立っている――何が起きたか分からず、責任者と思わしき警官は戸惑った。


「お、お前どこから――」

「状況を聞かせていただけますか」


 機甲特務課の身分証明書を突き付け、梓は警官の発言に取り合うことなく、一方的に説明を要求した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る