3-4

 今にも悲鳴を上げそうな二人の女子とは別に元紀には気がかりなことがあった。稗島がいない。一人がいなくなって大量の血が現れた。元紀は嫌な予感がした。

 急いで階段を駆け下りて踊り場から一階の麓を見てみた。面前の光景と臭い、そしてひたひたと歩いて来るピエロじゃない足音に吐き気がこみ上げて来た。


 そこには下半身だけになった彼がいた。腰から上は見当たらず、骨盤にのった内臓が落ちずにたゆんたゆんと揺れているのが見えた。そして一歩、二歩、ゆっくりとこちらに近づいて来る。まるで忘れてしまった自分に気づいてほしいかのように。


 やがて、彼の足は止まり、ぐしゃりとその場に倒れ込んだ。今までかろうじて乗っかっていた臓物が床一面に散らばる。よくフィクションだと変死体を前に悲鳴をあげたりするものだが、人はそんな簡単に叫べるものではない。ただただ、その場にしゃがみ込み、散らばった下半身とホルモンを見ていることしかできなかった。


 彼らの代わりにピエロの悲鳴が聞こえる。まるで彼らの心を代弁するかのように。いな、もしかしたら歓喜の叫びかも知れない。けど、それをかき消すくらいに大きな音が校舎中に響いた。校内のあらゆる場所に設置されたスピーカーから発せられる校内放送だ。


! ! ! 



 ***



 うわっ、やった。やったんだ。私はとうとう人を——。


 まさかあんな風に綺麗にいくとは思わなかった。


 人間の臓物ってあんなに整頓されているんだ。今はもう散らかってしまったけど、一瞬でもあんな光景を見ることができて感激だ。


 ああ、どうしよう、どうしよう。


 興奮で手足がうまく動かせない。もし、このまま体を自由に動かそうものなら、隣にいる親友の首を、公衆の面前で締めてしまうかも知れない。


 それでは、ここまで我慢した甲斐がない。


 落ち着け——、落ち着け……、私。


 まだまだ時間はたっぷりあるんだし、思わぬ犯人候補が出てくれた。彼らを利用すれば疑いを背けることだってできる。


 慌てず冷静に、焦らず沈着に行こう。




   2  


 

 二月二十九日火曜 午後十一時十五分



 トコトコというお化けがいる。お化けと呼ぶべきなのか、幽霊と呼ぶべきなのか定かではないが、上半身が何らかの理由で欠損してしまい、下半身だけで彷徨う怪物のことを指すらしい。

 お化けに足はない、と言う既成概念から外れたこの化物はそれほど周知されておらず、ネットで検索してみても数件しかヒットしない。


 しかし、もし本当にこのトコトコが現れたとしたらこんな感じなのだろうか。骨盤に臓物をのせ、血や糞便を滴らせながら歩き回るのだろうか。

 もしそうであれば、トコトコの歩き回った跡には不快臭が漂うに相違ない。なぜなら、彼らは鼻を捻じ曲げたくなるほどの悪臭に侵されていたからだ。


 五人から四人となった少年少女は動くことすらできずに一階と二階の間の踊り場で座り込んでいた。元紀とラムジーがそれの前に立ち、後ろでは悠里が顔面を蒼白させて綾子の腕にしがみついている。

 どうして稗島はこんな姿になったんだ? 誰かに殺された? それともピエロがやったのか? でもどうやって? 元紀は頭の中であらゆる可能性を考えた。大量の血液が目の前の死体になりたくないと拒むかのように全身を駆け巡る。しかし、死にたくないという焦りがその冷静な思考を阻害した。


 もしピエロが稗島を殺したのだとしたら、この学校の怪異は噂とはかなりかけ離れた実態になる。ではなぜ、噂と現実が解離してしまったのか。その時、元紀は下で転がっている稗島の遺体を見てゾッとした。

 もしかして、真実を知ってしまった人たちは全員殺されてしまうのか? だとしたら、僕らも……。元紀は慌ててメモ帳の一番上にある呑気なタイトルを棒線で消し、すぐ下に「殺戮校舎」と書いた。


 その時、一階廊下の奥の方からピエロの悲鳴が聞こえてきた。同時にカツカツという足音が近づいて来る。嫌な予感がした。今まで学校で習ってきた事からではなく、自分が生まれたその時から持っている野生の勘が全力で上へ行くように言っていた。


「二階に上がろう!」


 元紀は三人にそう言って、階段を駆け上がった。北階段を上がった先には家庭科室と理科室がある。理科室の怪異が噂どうりなのか、この段階で信憑性は低い。となると、怪異の噂が何もない家庭科室でいったん身を隠すのが安全だ。

 元紀は家庭科室の扉に手をかけて開けようとしたその時、ラムジーが「もっちゃん」と叫んだので目の前を見てみた。


 なんと、そこには包丁が刃先を彼に向けてのだ。窓ガラスを挟んで目と鼻の先にそれはあったため、元紀は背筋がゾクッとする感覚がした。

 家庭科室の中をよく見てみると、そこら中で包丁や食器類が飛び交っている。どれも壁や床、天井にぶつかる前に停止し、また明後日の方向に飛ばされていた。世間で言えばポルターガイストなんて言葉が当てはまるのだろうが、国語が苦手かつ茫然自失となった元紀にこの言葉は思い浮かばなかった。


 いま家庭科室に入ったら危険だ。食器類が当たるならまだしも、包丁に刺された暁には生きて帰ることはできないだろう。階段からはカツカツカツと足音が聞こえて来る。一階の廊下までだというピエロの噂はどうやら嘘みたいだ。


 では、どうする? 三階に上がるか? 二階を逃げ回るか? どれを考えても確実に安全とは言えなかった。このままでは全て行き当たりばったりの作戦になってしまう。いくら頭がいい人でも、こんなことを続けていればいつかはボロが出てしまうだろう。どこかにうまく身を隠せたら、少しは落ち着いて次の手を熟考することができるのに……。


 元紀が迫る危機に今までにないくらい思考を巡らせていたその時、彼の肩を誰かが叩いた。驚いて振り返ってみると、ラムジーと目が合った。

 何事かと思うと、彼は黙って理科室の扉を指さした。周囲を見てみると、綾子と悠里も元紀のことを見てゆっくり頷いている。理科室の扉に視線を移して少年は自分の目を疑った。

 なんと、理科室の扉の小窓から一体の骸骨模型が首をかしげてこちらをじっと見ていたのだ。骸骨はにっと笑っていて(骨だけの彼が笑うはずがないのに、元紀には骸骨の口角が上がっているように感じた)、関節が丸見えの手で手招きしている。


 元紀はすぐに状況を察した。何をされるかわからないが、体を真っ二つにされるよりはまだマシだし、何よりこれで落ち着けると思った。四人は急いで理科室に入った。


 扉を閉めると階段を上るカツンカツンという足音は次第に遠のいて行った。おそらく三階に行ったのだろう。

 これで一先ず危機は去ったか。元紀は胸を撫で下ろして視線を上げた。すると、目の前にはワニがこちらの様子をじっと伺っている。わっと元紀が飛び上がると、ワニもわーっと言って飛び跳ね、四つの手足をじたばたさせて後退りした。

 どこかの絵本に出てくるワニのように二足歩行できるわけではないらしい。それに、よく見てみると本物のワニではなく剥製っぽい。彼は理科準備室にワニの剥製があったことを思い出した。

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