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 二月二十九日火曜日 午後三時二十二分



 平川先生のいつまでも続きそうな話に終止符がつくと、教室は起立礼して最後の掃除に入る。ラムジーも当番なのだが、その心はどこか浮き足立っていた。

 彼は机を下げると、自分の任務などすっかり忘れて辺りをキョロキョロ。そして、最愛の親友を見つけて、たたたと駆け出した。


「それでそれで、さっきの続きやけど、どないする?」


 声をかけられた元紀は用具箱のフックから箒の柄にある紐を取り外しながら考える素振りを見せた。その間にラムジーも自分が掃除当番だったことを思い出し、用具箱から箒を取り出す。彼が取り出したところで、親友はようやく口を開いた。


「しょうがないな。ついてってやるよ」


 それは仕方ない、という雰囲気の口調だったが、ラムジーにとっては嬉しく、喜びの声を上げようとした。


「——ただし」


 それを元紀は制すると、神妙な面持ちで続けた。


「僕とお前の二人だけで行くのか? それだと少し寂し過ぎると思うんだけど」


 彼の言うことはもっともだった。確かに真夜中の学校は昼間と比べて、コンビニと高級百貨店くらい雰囲気が違う。そこを二人だけで行くというのはいくら親友であろうとも、どこかよそよそしくなりがちだ。せめてもう一人、二人、欲しいと思ってるに違いない。


 そのことについてはラムジーも計画を練っている時から考えていた。元紀以外に誰を誘うかは大体目星が付いている。それも誘い方さえ誤らなければ、絶対についてくるような子を。


「大丈夫や、ワシに心当たりがあるねん」


 そう言って彼は指をパチンと鳴らそうとした。しかし、人差し指は親指の上を滑って虚しい音が鳴るだけだった。もう一回やろうかと思ったが、格好が悪いので無視してそのまま進行する。


「おーい、厨二病!」


 ラムジーが声をかけたのは、教室の隅で腕を組んでいる長髪の男子だった。彼は呼ばれたことに気づいたのか微笑を漏らすと、俯いた。肥満体質なため、顔を下に向けると二重顎が際立っている。


「どうやら、この世界の住人が我を偽りの名で呼んでいるようだな。なに、この世界とアナザーワールドの危機に気づいていない愚民の戯言だ。本来なら、この封印されし……」


 なんてことをぶつくさと言い出した。


「おーい、ダークジェノサイダー」


 ラムジーも間髪入れずに別の名前で彼のことを呼んだ。すると、ジェノサイダーと呼ばれた男子は耳を真っ赤にして二人の元に駆け寄ってくる。


「き、貴様、その名を人前で何度も口にするなと言っただろう。その名は、かつて滅ぼされし王国、アステラード帝国の大聖者に名付けてもらった由緒ある名なのだ。カイザー神国の密偵がいるかもしれないこんな公の場でその名を呼べば、貴様の生命いのちも危ぶまれるかもしれないのだぞ」


 ジェノサイダーは言い終わると、制服のポケットから紫色のカラーワックスを取り出した。そして、それを髪の毛に塗りたくって睫毛までかかっていた長い前髪を後ろへ押し上げる。

 髪自体を染めないのは校則で染髪が禁止されているからだ。そのため彼は放課後になると、カラーワックスをつけて、闇より封印されし力を手にし、日々、世の中の平穏を守るために陰で戦っているのだそうだ。


 しかし、そんな事実はこの世界に限って一切ない。アステラードなんとかや、カイザーなんとかなんてものはこの世には存在しない。

 ジェノサイダーは子供心ながら、そんなことがあったらいいなと勝手に妄想しているに過ぎない。しかも、それが自分の頭の中だけに収まらず現実世界にまで持ち越している、いわゆる「痛い奴」なのだ。


「お前、今夜空いてるやろ? よかったら『津江中の七不思議』を一緒に探しに行かんか?」


 ラムジーの問いかけをジェノサイダーは流し目で明後日の方向を向きながら聞いたのち、親指と人差し指と中指で三角形を描くように目元を覆った。彼なりに考えていることを示したいのだろう。


「今宵か? 今宵は……、どうかな。シュナイダー三世皇太子閣下の結婚披露宴がかの地で行われるから、それに呼ばれるかもしれないし、呼ばれないかもしれない。だが貴様らの頼みであれば聞かないことも……」

「ダメみたいや、もっちゃん」


 あまりの長い御託ごたくにうんざりした素振りでラムジーは元紀に向かって首を横に振った。


「なら、仕方ないな。別のやつを誘おう」


 元紀も眉を潜めて両手を挙げる。その顔はどこかほくそ笑んでいた。


「ま、待ってくれ。行けないとは一言も言ってないぞ。全く、下界の愚民どもはそういったところを勘違いするから、何度も同じ過ちを犯すのだ」

「なんとか皇太子のとこに行かんでもええんか?」


 ラムジーはニヤつきながら問いかけると、ジェノサイダーは鼻を鳴らして胸を張った。


「ま、まあ、シュナイダー閣下とは幼い頃より面識はあったが、特段、親密な仲でもなかったからな。我一人おらずとも、彼らならうまく式を盛り上げてくれるに相違ない。

 それに、貴様の言っていた『津江中の七不思議』とやらも、我の所属するインターパルス極秘捜査局の捜査対象になっていたはずだ。仲間よりも一足先に調査しておくのも悪くないだろう。

 と言っても、我は一度、その怪異の一つである技術室のピエロとやらと邂逅しているのだがな」

「えっ、それほんまなん?」


 思わぬカミングアウトにラムジーは食いついてしまった。もし彼の言ってる事が本当なら、自分が待ち望んでいた超常現象と対峙できるかもしれないのだ。その気運は少しでも高まったほうがいい。


 だが、残念ながらジェノサイダーの口から出たのは到底彼の性格から予想のできる内容だった。


「ああ、もちろんだとも。彼奴きゃつめ、最初の方こそ粋がっていたものの、我の姿を見た瞬間、震え上がって逃げていきおったわ。やはり、我の封印されし左手に気づいたのだろう。あともう少し近づいていたら、このカイザック……」


 と、彼は嬉々として妄想のなかで行われた戦闘を語り出した。怪異は怖がらせる事が目的であって、ありもしない幻想に破れるほど脆くはない。ましてや相手は技術室を占拠する狂気のピエロなのだ。厨二病が作り出したカイザックなんとかで倒されるほど柔ではないはずだ。


「ああ、もうええわ」


 ラムジーはかぶりを振ってジェノサイダーの話を遮ると、元紀に向かった。


「もっちゃん、とりあえず、こいつを含めた三人でええか?」


 マイクを渡された元紀はしばしの間、熟考した。彼のみょうに切れる頭がこのメンバーで大丈夫かどうかを演算しているのだろう。

 ラムジーとしてはこれでOKを出してくれないと、これ以上すぐに今夜動ける人材が思い当たらない。ジェノサイダーの家庭は母親がシングルマザーをやっていて抜け出しやすいが、そう夜に抜け出しやすい家庭などあってはならないのだ。


「大丈夫じゃないかな。稗島ひえじまがいると、場が和むはずだし」


 ややあって元紀は承諾の意をあらわした。それと同時にラムジーも大きく頷く。よし、これで当初考えていたメンバーが揃った。あとはどうやって侵入するかだけや。彼の心はいよいよ真夜中の校舎へと向かい始めた。


 ちなみに稗島とは、ジェノサイダーの苗字である。稗島五月ひえじまさつき。これが彼の本名だ。


「ほな決まりやな。後でもっちゃんと打ち合わせたことをLINEすんけど、それでええな?」

「ああ、構わない。作戦は貴様らに任せよう。我は与えられた仕事をこなすだけだ」


 彼は斜め右下を見つめながらワックスで汚れた手で顔を覆い、答えた。


 気づくと教室の掃除はほとんど終わっていて、あとは机を片付けてゴミを捨てるだけになっていた。ラムジーたちが話している間に、女性陣を中心に清掃は進行していたのだ。青春系によくある、


「ちょっとぉ、男子ぃ。サボってないで掃除しなさいよぉ」


 なんて言葉は存在しない。影の薄い男子二人は気恥ずかしく机を片付けると、ゴミ捨ては自分らが行くと言って、少しでも印象回復に尽力した。

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