第40話 聖女の罪を暴け②

 涙に濡れる蜂蜜色の瞳を、国王が同情を込めた眼差しで見つめている。眉を釣り上げると、国王は私に向き直った。


「無礼者! そんなことを、誰が信じると思うのだ。聖女の神聖なお力を、愚弄するか」


 私が何か言う前に口を開いたのは、王都警備隊長だ。


「陛下。あの夜の聖女様の治癒術の半分は、そこにいる黒髪の魔術師の手柄です。彼女はあの時魔力の大半を、聖女様に渡したのです。上限点に達する寸前まで渡し、しばらく立っていられないほどでした」

「聖女の人の良さにつけ込んで、嘘を申す気か!」


 私は気がつくと、声を立てて笑っていた。

 国王は自分にとっての善人は、全ての人にとっても善人だと思っている。

 私の小さな笑い声に、窓ガラスすら割れそうなほどの緊張がその場に走る。

 国王は私に怒りの眼差しを向けた。


「何がおかしい!」

「おかしいです、陛下。可憐な仮面の下の、真っ黒い本性にまだ気づかれませんか?」

「何を申すか。聖女はそのような感情を持たぬ、清廉な女性だ!」

「黒い感情を持たない人間など、おりません。いるように見えるとしたら、それはその者がうまく隠しているか、表に出していないだけです」

「お信じにならないで下さいませ、陛下。わたくしを陥れる陰謀ですわ!」


 そこへマックが進み出た。燃えるような赤い髪を靡かせ、聖女を指差す。


「悪事はそれにとどまらない。舞踏会場だけでなく、その前の劇場火災も、裏で聖女様が糸を引いていました」  


 バカな、と震える国王を無視し、マックは言い募る。


「当時の劇場の防火責任者は、今は辞職してゼファーム侯爵領内で優雅に暮らしています」

「ーーそれは、まことか?」


 一番前列にいた、聖女の父であるゼファーム侯爵を、国王がギロリと睨む。侯爵は震え上がるように首を左右に振った。


「そんな者は、知りません」

「派手な暮らしぶりで、近隣の住民は皆知っておりました。今からの転入の証拠隠滅は、なかなかに難しいと思いますよ?」


 マックの代わりに王都警備隊長が釘を刺すように言い足すと、侯爵は尚も反論した。


「それだけで、その防火責任者とアイリスをどう結びつける? 言いがかりだ!」


 私とマックは視線を交わした。侯爵は私たちが用意した最後の追及材料に、手を掛けたのだ。

 言い逃れは許さない。ここで追い込み、一気に決着をつけなければならない。

 マックは国王を真っ直ぐに見つめ、毅然と言った。


「防火責任者は、ある見返りと引き換えに、歌劇場に放火しました。――彼には、不治の病を患っていた一人息子がおりました。どの医者も匙を投げた難病でした」


 マックが一旦言葉を区切ると、「それがどうした?」と国王が怪訝そうに問う。

 マックはニヤリと笑い、肩をすくめた。


「なんと不思議なことでしょう。今、その息子の病はなぜか完治しているそうです」


 ひと呼吸置いてから、そこへ私が畳み掛ける。


「それこそ、奇跡です。まさに、聖女の治癒術のような」


 大勢が詰めかけた広い謁見の間が、静まり返る。

 国王は時間をかけて視線を聖女に移した。


「その者の不治の病を治したのは、そなたか?」


 聖女は顔をそのドレスのように真っ白にさせ、首を振った。


「違います! 全て、嘘ですわ。わたくしは、聖女よ! こんな、こんな…」

「アイリスがそんなことをするはずがありません! 父上、戯言に惑わされないで下さい」


 王太子が必死の弁護をする。

 私は国王にしっかりと目を合わせると、聖女を指差した。


「なぜ聖女が放火をしたかを教えて差し上げます。一つには、聖女としての地位を、早く王太子妃にふさわしいところまで上げる為です。でももっと大きかったのは、一度国中の注目を浴び、煌びやかな舞台に立って活躍した彼女は、その舞台に立ち続けたかったのです。大舞台が中毒になったのです。被害者を出して、大きな事件にするほど、そして自分がそこでたくさんの怪我人を救うほど、降り注ぐ注目と賛辞が快感になったのです。その為には、民の犠牲や痛みなど、出ようが構わなかったんです」


 大陸に唯一無二の聖女。稀有な存在。

 それは、アイリスの自己顕示欲をこれ以上はないほど、満たしたのだ。

 謁見の間は静まり返った。目を閉じれば、まるで誰もいないのかと思えるほどに。

 そこへ聖女のか弱い声が上がる。


「わたくしは、何もしていないわ」

「――では、そなたは王都警備隊が、組織をあげてでっち上げをしていると?」


 今や国王の声にははっきりと冷たさがあった。

 まだすぐ近くに並んで立っていた他の受章者たちが、白い目で聖女を見つめながら、少しずつ後ずさって彼女と距離を取る。

 その場の流れが変わった。

 私は全員に聞こえるように、大きな声で言った。

 これは殺された私が、あの時何度も訴えたこと。でも、誰ひとり、信じてくれなかったこと。

 あの時の可哀想なリーセルが、私の中に今もいるのを、たしかに感じる。

 人生二回分の主張を込める。


「悪女なんて可愛いものではありません。このアイリス・ゼファームは、稀代の犯罪者です!!」


 静まり返ったその場に、どんどん同意する声が上がりだす。

 私は聖女の前に立つと、その理不尽に愛らしい顔を引っ叩いてやる代わりに、一番言ってやりたかったことを、怒鳴ってやった。


「あんたが聖女だなんて、ちゃんちゃら可笑しいのよ! この性格どクズアイリスが!!」


 言ってやった。口汚くも、言ってしまった。

 周囲は恐ろしいほど静まり返っていた。聖女も彫像のように固まっている。

 それを受けて、王都警備隊長が動く。


「どクズな犯罪者は、王太子妃になれませんな」


 彼の指示でマックが聖女の手首を取り、有無を言わせず後ろに捻り上げた。


「何するの!」

「警備隊の詰め所にご同行願います、性悪聖女様」


 マックは同僚の手を借りて聖女を後ろ手で縛り上げながら、私をチラリと見た。

 微かに笑みを見せると、すぐに真顔に戻る。


 あの日、卒業パーティの夜に私が過去の話をした時。マックは火事が怪しいと、睨んでいたのだ。そして王都警備隊を希望し、大火災に備えたのだ。

 聖女は体をくの字に曲げながらも、顔を真っ赤にして必死に訴えた。


「王太子殿下、助けて!」


 綺麗に結い上げられていた聖女の髪は、既にぐちゃぐちゃに乱れていた。鼻水が垂れるが、両手を拘束されていて拭うことは叶わない。

 王太子は蒼白な顔で両手を聖女に差し出そうとした。だがその手を、素早く割り込んだ国王が払いのける。

 そのまま国王は聖女の頭上で煌めくティアラを毟り取る勢いで奪い返し、侍従が持つ小箱に戻した。

 続けて国王は、張りのある声で王都警備隊に命じた。


「聖女を王立病院に軟禁し、病人の介護に生涯当たらせよ」


 そして思い出したかのように、言い足した。


「その前に聖女をジュモー家に連行し、ミア嬢の治療をさせるのだ」


 キャサリンナの母が、床に突っ伏した。

 そのまま涙声で叫ぶ。


「感謝申し上げます!! 陛下!」


 キャサリンナも一緒に頭を下げ、すすり泣く。興奮で首筋まで真っ赤になっている。


「いやっ、そんなのおかしいわ! わたくしは聖女よ!」


 皆の前を、泣き喚く聖女が強制退場させられていく。

 黄金の髪を振り乱し、涙に濡れるその蜂蜜色の目を、いまや誰もが憎悪の眼差しで見ていた。

 燃え落ちた舞踏会場に居合せ、命を落とした犠牲者の多さを思えば、誰も彼女に同情などしなかった。あの治癒劇が、自作自演の茶番だったのだから。

 聖女を連れたマックが謁見の間から出て行ったその瞬間、私はその場に座り込んだ。


 終わった。


 ついに、聖女を断罪できた。

 彼女の罪を明らかにし、野望を挫けた。アイリスが王宮に足を踏み入れることは、二度とないだろう。

 前回の人生で出来なかったことを果たし、抜け殻のように脱力する私の腕を、誰かが背後から掴んだ。

 王太子だ。

 彼はこの世の地獄でも見たような、凄まじい憎しみに顔を歪ませ、私を睥睨していた。

 一難去って、また一難だ。

 むしろこの王太子の怒りが、何を引き起こすかが全く想像できない。

 恐怖で喉が引き攣る。

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