第22話 灯台もと暗しって、言うじゃない。
この世界に来てから、私の心臓もタフになったものだ。三階にあるはずの自分の部屋のベランダに夜中に若い男が立っていることが、私の中で想定の範囲内になっている。
「セルゲイさん、どうしたんですか?」
「頼む。話があるんだ。ここを開けてくれ。」
窓越しでも十分会話出来ますよ。そう言いたかったが、病人の様に蒼白なセルゲイを前にそんな台詞を言ったら、私が人格を疑われかねない。私は仕方なく彼を部屋に招き入れた。
「どうしたんですか?顔色が凄く悪いですよ。」
「ここのとこ、忙しかったんだ。……あまり寝てないだけだ。」
私はこの時、セルゲイにちょっとした違和感みたいなものを抱いた。だがそれが何なのかはっきりする前に、彼は力強く私の二の腕を掴んだ。
「頼む。今から一緒に病院にいってくれないか?帰ってきたばかりで疲れているとは思うが、俺も当分今しか時間が取れないんだ。」
病院に。
確かにこの顔色の悪さなら是非病院に行く事をお勧めしたいが、何故一人で行かない。しかも三階までよじ登る体力があるなら尚更付き添いは不要だろう。
「………どなたか同僚の方にでも付き添いを頼めないのですか?」
「リサに、来て欲しい。……キムが一昨日から入院しているんだ。会える内に、会ってあげて欲しい。」
「キム先生が……!?」
言われてみれば今日は彼女の姿を見ていない。私に付き添いではなく、お見舞いを頼みに来たらしい。……でも、なぜこんな時間に。キム先生には確かにお世話になったけれど。私がセルゲイと今からキム先生のお見舞いに…?彼女は私が行っても喜ばないのではないだろうか。彼女に好かれている自信は正直言って、無い。寧ろ嫌悪の対象としてなら多少の自信がある。
そんな私の気持ちを察したのか、セルゲイは続けた。
「リサがここに来た時に、リサの教育係として自ら進んでその役を引き受けたのがキムなんだ。………キムは、子供の頃に第五界から来たんだ。」
キム先生が、地球から!?
そんな事は聞いていなかったし、彼女はそんなそぶりすら見せなかった。彼女はこの国の人々と同じ白色人種の顔立ちをしているので、姿形も馴染み切っていた。それに、こよなく神殿の権威を崇拝していた。同郷だなんてとても信じられない。
「キムは、九歳の時に中央神殿の中庭に突然現れたんだ。ユー・エセイという国から来たそうだ。」
そんな国は知らない、そう言おうとしてはっとした。ユー・エス・エイ?
それってつまり、アメリカ合衆国の事!?
「九歳って……。そんな小さい時に?」
私が驚きのあまり掠れた声で聞くと、セルゲイは静かに頷いた。
「記録にある限りは、最年少だ。尤もそれ以上幼いと、周囲に理解されずに結果的に神殿の登録から漏れている可能性も否定できないが。彼女は中央神殿で育ったんだ。」
だからなのか。
キム先生は神力がそれほど有るわけではないのに、神殿の人達から一目置かれる存在だった。
「キムが、リサに会いたがっている。」
「容体が、そんなにお悪いのですか?」
セルゲイは生気の無い顔を軽く横に振り、答えた。
「キムは以前から胸を患っているんだ。最近は調子が良かったんだが、又苦しくなったらしい。今は薬で落ち着いている。医者は心配無いと言っているんだが。本人は自分がいついってもおかしく無い年だ、と勝手に達観している。リサが又旅に出る前に、会いたがっている。」
「……病院は近いんですか?」
セルゲイは鋭い眼光を私に向けた。
「近い。神殿の裏口に馬を用意してある。飛ばせば五分だ。」
セルゲイのまるで光を放っている様な青い瞳に気圧される形で私は、分かった、と答えていた。
「ありがとう。キムも喜ぶ。…彼女には、俺は今まで本当に世話になったんだ。」
そう言うとセルゲイは私をベランダへ連れて行こうとし、窓を開けた時点で突然立ち止まった。
「そうか。リサは普通に前からでれば良い。……神殿の裏口で待っていてくれ。」
私はセルゲイがベランダに出て行くと急いでカーテンを閉めて着替え、部屋を飛び出した。神殿の建物を出ると、扉の両脇に警備の為に控えていた大神殿騎士達に驚かれたが、彼等は私が大神官付秘書だと知っているのか、特段咎められる事は無かった。建物を迂回し裏口へ行くと、既にセルゲイがいた。先ほどの騎士の制服ではなく、私服を身につけていたので、一瞬別人かと思った。着替えの速さにも驚くが、脱いだ騎士の制服はどこに放置してきたのか。
すると裏口の扉が開き、外から馬を引いたアレンが現れた。
「アレンさん!?どうしてここに。」
彼はそれには答えず、両手を組み合わせて差し出し、私の前で腰を屈め、私が乗馬する為の足の踏み台を作った。見れば肩に大きな鞄を下げている。……もしやセルゲイの制服はその中だろうか。どうやら氷崖の騎士様は公私の別無く、セルゲイに尽くしているらしい。忠実というか、盲従っていうんじゃないだろうか。
セルゲイに促され、私はアレンの手に足を乗せてどうにか馬の高い背中にまたがった。人の手に足を掛けて全体重を乗せるというのは、かなり抵抗がある。馬の背にしがみつきながら、私はアレンに詫びようかと思ったが、続けてセルゲイが同じ事をして私の後ろに乗って来たので、黙っておく事にした。流石に私の方が軽かろう。
「お気をつけて。」
アレンがそう言うと、前触れも無くセルゲイが掛け声を上げて馬を走らせ、私は首が折れるかと思った。
「飛ばすから、しっかりしがみついていてくれ。」
耳の直ぐ後ろで声がしたが、私は鞍から滑り落ちない様に全身で馬に食らいつくのに必死で、返事はとても出来なかった。飛ばせば五分、という言葉を軽視すべきではなかった。彼は実際、絶え間なく馬の脇腹を蹴り続け、馬に何らかの怨恨でもあるのか、と疑いたくなるほど疾走させていた。
私が落馬しないうちにどうにか辿り着けたらしい。減速した馬を止めると、セルゲイは軽々と先に飛び降りた。見上げれば大きな灰色の建物がそびえていて、その石造りの外壁の中央上部には、こちらの世界では病院のマークになっている、何かを包み込む様な仕草をした両手の彫り物をされた紋章が付けられていた。
地面に降り立ったセルゲイは、まるで荷物を下ろす様に私を抱えて下ろし、そのまま私の手を引いてさっさと病院に入ろうとした。それについて行こうとした私だったが、足がバカになったみたいに力が入らず、足がもつれてそのまま転んでしまった。どうやら私の運動能力の許容を超えたらしい。
地面にへたり込んだ私を、驚いてセルゲイが振り返った。
「どうしたんだ?まさかどこか痛めてるのか?」
痛めてるんじゃなく、痛めたんだよ。
直ぐにはうまく立てない私を、純粋に驚いて目を白黒させるセルゲイを見て、私はふと、彼はこう見えて実は女性の扱いに慣れていないんじゃないだろうか、と思った。それとも彼はマッチョな女性とばかり付き合って来たのだろうか。
「もうすぐ面会時間が終わるんだ。悪い、運ぶぞ。」
運ぶ……?真意を図り兼ねているとセルゲイが両手を私に向かって伸ばし、そのまま肩に私を担ぎ上げた。
「面会時間があと十分くらいしか無いんだ。」
短っ……!!!
もう、驚きの連続である。
やつれた顔で三階の部屋へ侵入した後で馬を疾走させて、軽くは無い私を肩に担いで颯爽と院内を駆け、暗い階段を上るその体力はどこから来るのか。並の体力では大神殿騎士は務まらないらしい。頼もしい事だ。味方につけたならば。
セルゲイは病室のならぶ廊下の途中で立ち止まると、私を壁沿いに備え付けられた椅子の上に下ろした。
「ここで待っていてくれ。」
そう言い残して彼は私が座る椅子の直ぐ横の病室に入っていった。引き戸型の木の扉が閉まると、暫くしてキム先生の聞き慣れた怒鳴り声が聞こえた。
「また抜け出して来たんですか!!」
どうやらセルゲイは病人を怒らせたらしい。キム先生の性格からすれば、セルゲイが大神殿警備の仕事を放り出して私を連れて来たら、怒るに決まっているのだ。何やら彼はごにょごにょと叱られ続けている様だった。病室の場所を聞いて、明日私が一人で来た方が良かったのではないか。そう思っていると、ガラリと扉が開き、セルゲイが笑顔で出てきた。中に入るよう手招きし、自分自身は外に出た。
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