第5話

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「やがて時代が下るにつれてその温泉宿は段々と格式張る様になっていった。それはやっぱ山の中にあるっちゅうところが密談やら色んなことに便利になったんやろう、維新後は政やら経済とかに関わる連中が忍んで来るようになり、それで実入りは増え、やがて爛爛たる本当の山上楼閣の様になった。それは、それは…昭和の戦争時も変わることなく絢爛とした立派な山楼や。若しかすると動眼の『験』がずっと残り続けたんやろうなと土地のもんは言い続けたんだが、もしかすると馬蹄橋を出て直ぐに見つかった狐の祠の霊力と合わさったのかもしれん」

「狐の祠?」

「あるんや、不思議やろ?実はなぁこの動眼、山上に温泉を当てただけやなく、その馬蹄橋の下にある場所にも温泉を当て寄ったんや」

「へぇ…」

「その源泉がなぁ、その祠やった。それだけやない。動眼はやはり目鼻が効くんやろうな。夜道でもその温泉街が遠くからでも分かるように灯篭を七基、その馬蹄橋を囲む様に立てたんや。そうすれば夜でも山間を照らすやろうし、まるであやかしの様な風も見せる」

「成程、確かにそうした風景と言うのは情緒もあるし、夜道を行く人にとっては休む場所のランドマークにもなりますもんね」

 老人が大きく頷く。

「それも狐の祠や、やがてそれは御稲荷さんにしよったが、或る意味参道の様な感じに見せた。せやからその馬蹄橋には温泉が溢れ温泉街は大繁盛や。やっぱ動眼は目端の利く男やったんやな。それからその温泉街では『東夜楼蘭(あずまやろうらん)』を上屋(あげや)、その祠から源泉引いた温泉宿を下屋(さがりや)と言うようになった。もうそうなると動眼は修験者をやめて姓を『東(あずま)』と変え、やがて東家っちゅうのがそこにできた。それで下屋には色んな連中が集まってきたが、ほら…その鉄蹄を打った田中屋を盟主にして小さくも山上と祠を中心にした温泉街が出来たんや。そこは明治から昭和初頭にかけて大繁盛してぁ通称『動眼温泉』と言われた」

「動眼温泉…」


 ――知らない。そんな温泉街など。


 佐竹の心の内を察したのか、老人が頭を掻いた。

「まぁ今ではもうそんな当時の名残ははとんと無く温泉も消えてしもうたけど、今でも山上の東夜楼蘭(あずまやろうらん)の建物と温泉街としての形だけは残っている。きっと山上のあれはどこかの誰かが所有しているんやろうな…それで…」

 老人が一拍の間を置く。

「温泉の成り立ち。中々ようできてるやろう?どこかの小説みたいやがな」

 かっかっかとと老人は笑う。笑うとコップを手に取り喉を潤す。潤して佐竹に向き直って力を籠めて言った。

「それでワシはなぁ。その当時の下屋の盟主田中屋の跡取り息子の田中竜二の友(ダチ)なんや」

 佐竹はペンを止める。

 それから老人の顔を見て思った。

(いつ東京オリンピックの話が出てくるのだろう)

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