第25話
折角の休暇だというのに、俊熙は部屋で忙しそうにしていた。
時折、部屋から出て来ては食事を取る。
休暇に入って二日目には、部下の宦官である、子忠が邸を訪ねてきた。
俊熙が内常侍を解任させられた原因を作った宦官なので、つい刺々しい態度で対応してしまう。
二人で食事にでも行くのかと思いきや、子忠は大量の巻物や書類を抱えていた。どうやら休暇中だというのに、ここで仕事をする気らしい。
目を丸くする私の前で、二人は二階の部屋に篭ってしまった。
流石に客に茶も出さないのはどうかと思われるので、私は仕方なくお茶を台所で淹れた。
それを盆に乗せて二階の俊熙の部屋まで持って行く。
部屋の前まで行くと、中から二人の声がもれ聞こえてくる。
「発券数と合わない」
「
「馬車の中の金」
何の話をしているのだろう。
聞きかじる程度だが、あまり愉快な話をではなさそうだ。
躊躇いつつも廊下から声を掛けると、すぐに俊熙が飛び出してきた。
俊熙は微かに焦りを帯びた視線で私を見た後、盆の上を見た。
「ああ、お茶を……。ありがとうございます」
俊熙の後ろを覗き込むと、子忠が広げた巻物に、何やら筆でせっせと書き込んでいる。
俊熙は盆ごと茶を受け取ると、続けざまに私に手のひらほどの大きさの巾着袋を手渡してきた。
小さな見た目とは違い、ずっしりと重い。
俊熙は子忠の視線を気にしながら、私にだけ聞こえるように囁いた。
「これで茶菓子を買ってきて頂けますか? 梅屋の
大変分かりやすい追い出し方である。どうやら俊熙は私に部屋の近くを
そもそも涼粉は夏場に人気の菓子だ。春帝国では冬も売っているのだろうか。
首を傾げながらもありがたく巾着を受け取り、大人しく階下に下りていく。
俊熙が部下との会話を私に聞かれたくないのだとすると、錦廠で彼は何か私に言いたくないことをしているのだ。
雑用や掃除をしているなんて、信じられない。
何を隠しているのか、気になって仕方がない。
――危ないことをしているのではないだろうか。
梅屋は俊熙の邸から、一本大きな通りに入った所にある。
老舗の菓子屋で、店の入り口の上には瓦を並べた実に立派で大きなひさしが伸びており、店の前には非常に目立つ看板が置かれていた。看板は染みひとつない朱塗りの上に金色の彫刻で梅屋、と書かれていた。
梅屋は若向きではないのか、店の中に入るとお年寄りが多い。
米菓子や豆菓子、飴などを見ていると、どれも美味しそうで、危うく頼まれたものを忘れるところだった。
涼粉を買わないといけない。
涼粉は竹の筒の中に入れられて、売られていた。
澱粉を固めて麺状にしたものに、梅果汁や黄な粉をかけて食べるのだ。
つるつると喉越しがさわやかなのだが、冬に買うと寒々しく思える。
私は食指が動かなかったので、二つだけ購入すると、帰路に着いた。
邸に戻り、台所で見た目のいい器を探す。
食器棚の奥には、緑瑠璃の器があった。
「うわぁ、綺麗……!」
外側が多角的に切られており、光を反射してキラキラしている。一般家庭に瑠璃が普及しているとは、流石春帝国は違う。
思わず手に取り、裏返したりして眺め倒す。
客人に対する見栄から、緑瑠璃に涼粉を移す。
もっともここは私の家ではなく、俊熙の邸なのだが。
涼粉を持って二階に上がると、足音を聞きつけたのか、俊熙が丁度部屋から出てきた。
俊熙は私が両手に持つ器を見て、一瞬虚をつかれたようだった。
「涼粉? ありがとうございます。――この時期でも売っているとは、驚きました」
「えっ、涼粉を買ってきてって言ったよね?」
「私が? いつそんなことを?」
「さっき、お金をくれた時!」
俊熙は目を丸くして瞬いた。
まさか覚えていないのだろうか。よほどさっさと私を階下に下ろしたかったらしい。
呆れて二の句を告げられずにいると、俊熙は気まずそうに己の首の後ろを抑え、私から器を受けとった。
私は苦笑しながら、二人の仕事を邪魔しないよう、階下に下りた。
年の終わりの朝は、よく晴れていた。
少し寝坊をしてから台所に行くと、釜には炊かれた白米が残され、鍋にも汁物があった。
俊熙が作ってくれたのだろう。
お礼を言おうと俊熙を探すと、彼は裏庭にいた。
庭に出ようとして、思わず立ち止まる。
俊熙はそこで、意外にも弓矢の練習をしていたのだ。
裏庭には手入れの行き届かない、しょぼくれた木と、苔むした灯篭があった。
その隅に円を描いた木の板を貼り付けた棒が突き立てられている。
俊熙は弓を引きしぼり、その的を狙っているようだ。
俊熙は片方の肩の袍を脱いで弓を構えており、剥き出しの肩と腕が見えた。
腕の筋肉は盛り上がり、普段長い袖に隠れている時は想像もつかないほど、太い。
(宦官って、あんなに筋肉がついているもの?)
宦官は丸みを帯びた体型をしていると思っていたが、庭で弓の練習をする俊熙はどう見ても男にしか見えない。
固唾を飲んで見ていると、俊熙の腕から矢が放たれ、的に向かう。
矢は的の中央に当たり、的が真っ二つに割れた。次の瞬間、的の上半分が吹っ飛ぶ。
続けて俊熙は矢をもう一本放ち、残る的も棒から弾け飛んだ。
俊熙が弓をゆっくりと下ろし、的を真剣に見つめていた目から緊張感が消え、それは邸の方に動いた。何を見るとでもなかった瞳が私にぶつかると、驚きに見開かれる。
立ち止まっていた私はそれを合図に彼の方に走り出した。
「凄いわね! 俊熙、あなたが弓術を嗜むなんて、知らなかったわ」
俊熙は私が駆けつける前に、急いで脱いでいた袍の中に肩をしまった。
「少しだけ手解きを受けたことがあるだけですよ。忘れてしまわない程度には、練習しています」
的の回収をするために、庭の隅に向かう俊熙についていく。
空は雲ひとつないが、耳まで凍りつきそうな寒さだ。
「春帝国の帝都は、冷えるわね」
的を拾い、片手にまとめ上げると俊熙は私を振り向く。
「毛皮の襟巻きをお貸しします。――中に入りましょう」
俊熙と一緒に邸の中に戻ると、竃に火をつける。思わずその前に屈み込む。
竃から漂う熱気がありがたい。
しゃがんだまま、顔を上げて俊熙を見上げる。
「今夜は年越祭というのが、あるんでしょう?
「ああ、年越祭には数えるほどしか行ったことがありませんが、帝都の年越しは毎年賑やかですね」
ふと気になって尋ねる。
「俊熙は毎年、年越しの時は春帝国でどうしていたの?」
「叔母が亡くなるまでは、親族で集まっていましたよ。でもここ最近は、一人でこの邸で過ごしておりましたね」
年越しを、一人きりで?
それはとても寂しい新年の迎え方に思えた。
私も端の宮の王女と呼ばれてはいたが、王宮自体には常に人がたくさんいたものだ。
私の驚きを無言のうちに察したのか、俊熙は腕を組んで窓の外を見やりながら、言い足した。
「私が宦官になったことを、よく思わなかった親戚もおりましたので。宦官になると、どうしても人付き合いが減りますね」
その口調は特に何の感情も込められていなかったが、私はそれを一層寂しく感じた。
「早めに帰ってくるね」
そういうと、俊熙は頷いた。
「そうなさいませ。――時間が遅くなると、酔っ払い客で溢れますので。日没前に切り上げた方宜しいかと」
うん、気をつける、と答えると私は立ち上がって鍋の中の汁物をかき混ぜた。
新年を迎える瞬間には、絶対に俊熙と一緒にいたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます