新代の魔王

第31話 君臨する魔王

「魔王って、必要だと思う?」


 感情の読めないアルカイックスマイルで、クズノハ……魔皇女はそう言った。


まさか。


 とは思う。


 当面、人間に敵対するつもりはない、そう言ったのはそう遠い過去の話ではない。それを突然翻す理由も……考えられるとすれば先日の、瀬名のやりようか。


「あーいうのはあのバカガキだけだぞ? いや、そりゃ許せんかもしれんが……」

「そう。許せないのよ、わたしは。同胞を遊び半分に殺されて、それでまた、バカみたいに笑ってられるほど気長ではないのよねー」


 相変わらずの、読めない笑顔。しかし急速に、圧が高まる。気弱な人間なら彼女のそばに近づいただけで失神しかねないほどの魔力。まだ魔王化はしていないにもかかわらず、その魔力の凄絶なこと、圧倒的。なにせ本気の新羅辰馬が、実力同士を真っ向からぶつかり合わせる機会をえてそれでも押し負ける相手だ。この場で戦うのは絶対に避けたい。


 雫と視線を交わす。さすが姉弟同然にして恋人、互いに意思交換は完璧。二人とも、どうにかクズノハの怒りをやり過ごす、で合致した。


「まあ、店ん中だし、落ち着けって」

「ふふ……いきなりこの国が地図から消えたら、流石に人間たちも思い知るかしら?」


 宥め賺す辰馬に、まったくクズノハは耳を貸さない。そして魔力の圧はぐんぐんと天井知らずに高まっていく。魔王化。腕を左肩に引き絞り、なぎ払う!


七星罡天しちせいこうてん! 那由多無限之黒炎燐火なゆたむげんのこくえんりんか!」

「嵐とともに来たれ! 輪転聖王ルドラ・チャクリンッ!」


 辰馬も同時に、掲げた両手を振り下ろす! 互いの最大火力、漆黒の竜炎と金銀黒白きんぎんこくびゃくの光の柱が、同時にぶつかり合い、相殺する。


 だがやはり辰馬に分が悪い。素の魔力が、あまりにも違う。盈力は神力魔力を超える一線画した力だが、それは威力に勝るとかいうことではなく創世神を殺しうる刃、としての意味。純粋な威力比べで、盈力が魔力を上回れるという意味では、決してない。そして素質なら辰馬が勝るとして、向こうには70年分の研鑽があるのだ、それは勝てる道理がなかった。


 とはいえ辰馬にも矜持がある。守れる限りありとあらゆる命を守護するという義務感があり、それがなんとか周囲一帯を焦土と化すことを免れさせた。とはいえ、ファストフードショップはまずまず壊滅、咄嗟の守護結界で全部の客を無傷に守り抜いたのはほとんど偶然か、もしくはクズノハが手を抜いたか。


「まあ、今の辰馬じゃこんなものか……大した遊びにもならない、かな」

「遊びでこんなことすんなって……おれだって怒る……!」

「わたしもね。何十年も監禁されてたし、実際退屈してるのよ。だからもう、あの瀬名の態度にも腹が立ったことだし、人間界、滅ぼしちゃおっかなって」

「だから、そーゆーのやめろって! 瀬名とおなじ事することになるだろーが!」

「うんまあ、今のままじゃあ辰馬、退屈しのぎにもなってくれないからね。ひとまずは、引くわ。ちょっと腕を上げなさい……というわけで、オリエ」


 す、と。


 雫にすら察知させず、小柄……とはいえ流石に、雫よりはだいぶ大きい……な褐色肌の少女が姿を現す。右手には大ぶりの強弓、褐色肌を際立たせる灰色ベースの衣服に、弓道のそれのような緑の胸当てと、両腕には紫の手甲。そして、赤い瞳。


 概して瞳の赤さが濃いければ濃いほど、魔族としての純度、格は高いとされる。今まで辰馬が見てきた相手としてはクズノハと、そしてやはりローカ・パーラの一角だったユエガが別格。あと一人、辰馬の義父である新羅狼牙もまたかなり強力な魔族の血を引いているが。この褐色肌の少女は最低限、狼牙と互角程度には魔族としての格が高い。下手をすると、本気の辰馬や雫がかなわないほどの相手。それですらもクズノハにしてみれば、「ここは見逃してやるからこの子程度には勝ちなさい」でしかない。


 褐色肌にとがった妖精耳。すなわちデック・アールヴ(闇妖精)である少女は、まず、辰馬に一礼。


「お初にお目に掛かります、皇子。そして、残念ながらお別れです」


 次の瞬間には必殺の矢が、嵐のごとく注ぐ。魔法で生み出された無尽の矢、凍気を帯び、雷を帯まとい、燃えさかる、巌の如き矢の嵐はまさに幾星霜。またも近隣さんにご被害が、と辰馬は全力振り絞って障壁。しかし障壁を創造するその隙に、辰馬の体に避けきれない矢が数十本単位で突き刺さる!


「っあ!?」


 瞬時に体に痺れが走る。地水火風四重詠唱どころではない、さらに毒や麻痺、脱力や気力減退など、あらゆるバッドステータスを付与してくる。辰馬の戦闘力は一合の打ち合いであっという間にほぼ完全に削がれた。


 くそ、すぐに解呪せにゃ……


「たぁくん!」


 それまでクズノハとにらみ合って牽制し合っていた雫も、衢地くちに落ちた辰馬を救うべくクズノハから目を離す。すかさず抜刀、抜き打ちの一閃、当然のように躱され当然のように二の太刀、指先狙い。これも避けられるが、詰めて三の太刀、脇の付け根に刺突。一撃で終わらない。回避されたら二突、三突。雫の必殺、流石にこれは不可避の筈だったが、それをさらに超越した身体能力で褐色の闇妖精……オリエは回避してのける!


「ちょ……うそ……?」


 達人なればこそ、斬り結んだだけで互いの力量はだいたい、わかろうというもの。そして雫がえた確信は……信じがたいことに、このデックアールヴへの少女は、武技だけでおそらく「竜の魔女」ニヌルタや「最強の騎士」ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを凌ぐ。


 信じられないことながら、これが「魔王の側近」たるものに求められる、最低レベルだとするのなら。本気のクズノハにはいったい、何処までレベルを上げれば歯が立つようになるのか。


 近接、ということでオリエは長弓を亜空間に収納……これも隔離世結界の応用……すると、短刀を抜いて軽く猫背気味に構える。


「しっ!」

「っ!?」


 辰馬を仕留めるより、雫を強敵と判断したか。狙われたのは雫。猿臂通臂えんぴつうひというべき異様な腕の伸びから、まぶたの上を恐ろしい正確さで狙ってくる。かろうじて、雫は愛刀・白露しらつゆで受けたが、もし雫の身体能力でなければ、まずまぶたを切られて脂で視力を奪われ、そのままなぶり殺しになってしまったところだ。どれだけ精神を研ぎ澄ませようと、人間が視力に依存する度は絶対的に大きいのだから、まずそれを奪う、というオリエの戦法がいかに実戦向きに洗練されているか分かる。


 ちっ、ききん、きんっ!


 打ち合う、打ち合う! 火花が散って雫が圧倒される。下から、分厚い短刀が雫の刀を強引に跳ね上げ、そして一瞬、ガラ空きになったどてっ腹に軍靴の底で痛烈に蹴り!


「ぁぐ……ッ!」

「まずはお前から。死になさい、アールヴ」


 オリエの底冷えする声が、雫の耳に痛烈に響く。ダメージを受けること自体久しぶりだった雫は、自分が意外なほど耐久力を衰えさせていたことに驚きつつ、見下すオリエをにらみ返した。自分に普通の魔術は効かない。なら、なんらかの肉体的術式を行使する筈。そこにどうにかしてカウンターをあわせる!


その決意も固まらぬ前に、短刀が目にとまらぬ疾さで凪がれた。


しかし、雫の首が落ちることはない。一人の男の指が、人差し指と親指の間にがっちり刃をはさんで止めていた。膂力も凄いのだろうが、なにより凄いのは力の使い方だ。どこに力点を置いて作用させれば動きが止まるかを、完全に理解していなければこうはいかない。


「そこまでにしてもらおうか。ぼくの可愛い息子と、愛弟子をこれ以上傷つけさせるわけにはいかないのでね」

「わたしも、わたしたちの子に危害を加えるあなたを、許しません」

「助けに来てやったわよ、辰馬。おねーさんに感謝しなさい!」

「魔王の娘……ですか。アーシェさま以外に魔王の后がいたとはね……」


 やや潰れた感じにハスキーな美声は、もちろん魔王退治の勇者、新羅狼牙しらぎ・ろうが。そしてその妻にして魔王の后でもあったアーシェ・ユスティニア・新羅と、アーシェの妹、この物語の発端である魔王退治の旅を始めた人物ルーチェ・ユスティニア・十六夜、最後にルーチェの良人おっと、もとアカツキ皇国宰補にして人理を超えた人理魔術……すなわち天壌無窮の境地に到達しているこの国にただ三人のうちの一人、十六夜蓮純いざよい・はすみ。かつて世界を救済した勇者たちと、その勇者に救われた聖女が、一堂に会す。


「へぇ……あなたが、わたしの父の仇、ってわけ? 確かに辰馬よりは遊べそう……でも無理ね。所詮、お父様のお情けで勝ちを拾った程度の男では。わたしを熱く焦がすには到底、足りない!」


 再度、燐火を熾すクズノハ。しかしその炎はたちまちに萎み、薄れる。


「……ふぅん、そっちの乳白色の髪の……どちらかというと、あなたが危険、か……」

「退きなさい、魔皇女。人と魔の間にふたたびいさかいを起こす必要はありますまい」

「理由は、そうね。特にないけど。退屈だから滅ぼす、気にくわないから滅ぼす。それはあなたたち人間がわたしたち魔族にやってきたことではなくて?」

「それに関しては人間を代表して謝罪します。しかし遺恨に遺恨を返すのは……」

「うるさい」


 燐火が力を増した。蓮純の使う煙草の魔術、強ければ強い力ほど多くを奪い取り、そして任意の仲間に還元する力。それに大きく力を吸い取られてなお、クズノハの魔力は過去に魔王を倒したはずの勇者一行を圧する!


 ズム! と想い爆裂音。そしてじぅ……ぐしゅ……と肉の焼け焦げる音。妻を庇った新羅狼牙は、胸板に大きなやけどを負った。しかしそれだけで済んだのはアーシェが障壁結界を展開したからで、逆説的にいうと聖女の結界があってすらクズノハの一撃は圧倒的だったわけだが。


「っ……とにかく、早々に決める必要がありそうだ。ルーチェ!」

「諒解ッ!」


 新羅狼牙とルーチェ・ユスティニア・十六夜は同時に神讃に入る。かつて魔王を屠った一撃、それをもう一度現出する!


「暗涯(あんがい)の冥主! 兜率(とそつ)の主を喰らうもの、餓(かつ)えの毒竜ヴリトラ! 汝の毒の牙もちて、不死なる天主に死を与えん!」

「書、宝輪、角笛、杖、盾、天秤、炎の剣! 顕現して神敵を討つべし、神の使徒たる七位の天使!」


 沸き起こるは魔力と神力。この二つを同時に放つことで、彼らは擬似的に盈力とおなじ、「神力と魔力の融和して一線を画した力」を行使する。創世神のかたわれでもあった魔王を倒しえたのも、まさにそのため。雷帯びる魔の重力塊と、どこまでも清廉にして激しい光の波が、同時に高まり、そして放たれる。


「焉葬(えんそう)・天楼絶禍(てんろうぜつか)!!/神奏・七天熾天使(セプティムス・セーラフィーム)!」


 轟音とともに、炸裂。一極のみに絞った破壊の暴嵐ぼうらんに耐えうるものはまず、存在しえないはずであり。それ故に、彼ら彼女らは驚嘆に目を剥くことになる。


「ふむ……まぁ、70点というところ?」


 片手で。まるでダメージの様子もなく。クズノハはそう言ってのける。


「やっぱり帰るわ。いまのあなたたちじゃ全然、熱くなれないから。辰馬が強くなるまで待ってあげる。……聞こえてるよね、辰馬。あなたが人間を守れるか、わたしが人間を滅ぼすか、競争よ」


 ふざけろバカ……競争じゃねー、それ狂騒やんか……。


 毒と麻痺とその他諸々によってまだ動けない辰馬。心の中にそう毒づいた。


 そして。


 これから先の時代。もはやかつての勇者、狼牙たちを頼ることは、出来ないらしい。


「ひとまず帰るわよ、オリエ。じゃーね、みなさん、そして……辰馬♪」


 将来の楽しみを見つけた、とやや嬉しげに。クズノハはそう言うと転移魔術で倒壊したファストフードショップから姿を消した。

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