第17話 邪教

「つーわけで。今日のクエストはガキのお守りのおまけつきだ」


 辰馬がうんざりしつつ言うと、大輔たちも実にイヤそうな顔をする。博愛精神と献身性の瑞穗はともかくとして一番の当事者である雫がなんとも複雑そうに苦笑いしているし、エーリカはそもそも辰馬にたてつく相手、というだけで瀬名に対して敵愾心が凄まじい。この、元来の新羅一行に加えて北嶺院文ほくれいいん・あや磐座穣いわくら・みのり晦日美咲つごもり・みさきの三人が新規で加入しており、三人それぞれに大公家の若い……というか幼い……当主に視線を投げる。穣ははっきりいってどうでもいいとばかりにほとんど無視だが、そうは行かないのは同じく三大公家の一角、北嶺院の娘である文と小日向家の侍従長である美咲である。一応同格、ということにはなっているものの、覇城家の家格は他の二家を圧倒的に凌ぐ。文や美咲から見れば対等でも、瀬名から見れば彼女たちは塵芥ちりあくたでしかなく、そしてそれを裏付けるだけの権力を持つだけにうっかり反抗的なことを言うわけにも行かない。


 そして三大公家の二家代表を黙らせたという実績に、瀬名は満足げに鼻を鳴らして椅子にふんぞり返る。辰馬は特別だが基本まだ男嫌いの抜けていない文はカッとして腰を浮かしかけたが、瀬名が冷たく冷徹な視線を向けると悔しげに座り直した。


「だからさー、そーやって偉ぶるのやめろや、ばかたれ」


 ばしーんと。辰馬の平手が隣に座す瀬名の後頭部を張る。大した力を込めたようにも見えない一撃はしかし鞭のようなしなりでもって瀬名を痛打し、瀬名は顔面から学食のテーブルに突っ伏した。


「……痛いですね! そうやってすぐ暴力を振るうから、蛮民は……!」

「おまえさ、大概自分を棚上げするのやめよーな?」

「なにがです? 話をすりかえないでもらえますか?」


 いや、すり替えてねーんだが……辰馬はそう言いたかったが、相手の瞳が何処までも本気だったので諦めた。覇城瀬名という少年の中ではまったくもって一切の罪悪感も悪気もないらしい。


 権力者になる人間がそれだと、困るんだけどな……。


 いちおう、歴史好き。辰馬は無知な権力者が暴君ぼうくん暗君あんくん昏君こんくんとなって国を傾ける話をそれはもういくらでも読んできた。瀬名の希望がどうなのか知らないが、そんなことはお構いなく彼は政治の枢要すうように参画する立場に身を置くことになるはずであり、そのときになにをやっても自分は間違ってない、などという人間では困る。


 とはいえ、おれが教育してやるのもなー……とことん嫌われてるし……。


 辰馬はそこまで考えて、盛大にため息を吐いた。もう考えるだけで疲れる。最初からこのガキとの接点がなければ困ることもなかったのだが、強制的に接点を作られて雫を盗るぞ、と脅迫されている以上は無視することも出来ない。


「こーいうときはまあ、蓮っさんだな」


 考えつくのは義理の叔父。もとアカツキ王宮の宰補だった蓮純はすみなら、このクソバカ自己中ばかたれガキをどうにかしてくれるかもしれないと、他力本願だがそう思う。コネを使うのだって実力のうちじゃボケぇ! と、なかばやけくそ気味に内心で息巻いた。


「そんじゃ、行くか」


 辰馬はそう言って一気にメロンソーダを呷り、立ち上がる。


「まあ待って下さいよ。ボクはあなたのように野蛮には動けませんので」

「いーから立てや! ホントしばくぞお前!」

「だから、そういうところが蛮民なんですよ、あなたは。新羅家に突然の負債をかけることになってもいいんですよ、ボクとしては?」

「……ッ、ホントに最悪だな、お前」

「使える権利を存分に使う、当然でしょう? あなたがたのような賎民には、できもしないことですが」


 パァン!


 そこで瀬名の頬が激しく張られる。辰馬ではない。平手をかましたのは雫だった。


「瀬名くん……そーいうのは駄目だって言ったじゃん。人の痛みがわかんない子は、あたしは嫌いかなー……」

「ぁ、ぅ……も、もちろん冗談ですよ! ボクがそんな、権力を濫用らんようするゴミ政治家のような真似をするはずが……」

「おー、しず姉に対してはあったら素直な、お前。ずっとその調子で頼むわ」

「……黙ってくださいよ、新羅辰馬!」

「いや、黙ってもいーんだが、お前の人生の先行き考えるとなー……ちょっと心配にもなるし……」

「知ったことじゃないでしょう!」

「瀬名くん?」

「ぅ……はい……」


・・

・・・


 というわけで。


 久しぶりにギルド「緋想院蓮華堂ひそういんれんげどう」。


「たのもー!」


 いつもの挨拶で派手にドアを開け放つ辰馬。太宰でもラジオが置いてある場所は珍しいわけだが、もはや蒼月館にはあちこちにテレビ(しかも、一足飛びにカラーテレビ!)が置かれている時代である。ラジオ放送ごとき驚くにも値しない。


「やあ、辰馬くん。しばらくぶりだ」


 乳白色の蓬髪ほうはつに白面、切れ長の瞳、ネクタイを緩めやや着崩した焦げ茶のスーツ姿という、いつもの姿で辰馬を出迎えたのは十六夜蓮純いざよい・はすみ。普段なら受付嬢兼看板娘(もう32歳だってのにな(笑)=辰馬談)であるルーチェ・ユスティニア・十六夜が応対に出るはずだが、今日は珍しく夫の出番だった。


「あー、蓮っさん? おばさんは?」

「買い物に行っているよ。ついでにエステとか……」

「エステえぇ!?」


 素っ頓狂な声が出た。新羅辰馬の血筋でもあるユスティニア家の血統に、エステほど似合わないというか、不要なものはない。ルーチェだって正月にちょっと顔を合わしたときからして、まだ見た感じ20代の若さである。エステとかどう考えても、必要ない。


「女性はいつだって美しくありたいものだからね。だが、そのせいで二人の時間がなかなかとれず……ルーチェの自由を奪いたくはないが、さりとて二人の時間も失いたくない。わたしはどうすればいいのか……」

「いや……おれに言われても知らんが……」


 瀬名の政教育をおねがいしたい所だったが、魔王殺しの勇者のひとり、十六夜蓮純はまさかのグロッキー状態でとても人に教えを垂れられる状態になかった。


「まあ、元気出せ。つーことで、仕事は?」

「あぁ、うん。いくつかあるよ……少し、待ってくれ」


 フラフラした足取りで、奥の資料室に入っていく蓮純。なんらかの精神疾患を抱えた人間に特有のふらつき具合であり、見ていて実に危なっかしい。十六夜蓮純という男は愛妻が過ぎて、ルーチェがいないと馬鹿みたいにぽんこつだった。


「あの、新羅さん? 蓮っさんてあんな人でしたっけ?」

「言うな。おれも叔父貴の悪口を言いたくない」

「そんなことより。とりあえず、ジュースくらい出ないんですか、この店は?」

「出ねーよ。水ならそこに水道がある。テキトーに飲め」

「水道水なんか飲めると思うんですか? ボクは最低でも蒸留させた水でないと……」

「だからさー、そーいう特権意識捨てろって」

「特権帰属が特権意識を放棄すること自体問題でしょう!」

「開き直んな!」

「そこの太いの。外で氷菓でも買ってきて下さい。ボクのぶんと、雫さんのぶん。おつりはあげます」


 200弊硬貨(2000円札相当)を放られた出水は「はっ、了解でゴザル!」とプライドのかけらもなく、喜んで買い物に出かけた。太いの、とか言われて平気なんかお前はといいたいが、本人が気にしていないのでなんとも言えない。


「……待たせた。それで、今日依頼したい仕事だが……」


 蓮純がいくつかのファイルをかかえて戻ってくる。その悪役めいてはいるが端麗な美貌は妻という飼い主に捨てられた飼い犬のようであり、悲愴で見るに堪えない。誰がといって辰馬にとってこの叔父は世界で一番尊敬する人間のひとりであり、こんな憔悴したサマを見たくなかった。


「ん……邪教密儀じゃきょうみつぎ組織の根絶、か。うし、これにする」

「結構な危険度だが……まあ、ヒノミヤの神月五十六を倒した辰馬なら大丈夫か……。とはいえ、今回相手は基本的に普通の人間だ、倒せるかい?」

「まあ、たぶん? 大丈夫じゃねーかな……うん」


 相手が人間となると途端に鋭鋒が鈍る……というか人間相手に戦うとその心の醜さに触れて気分が悪くなる辰馬だが、これ以上叔父を心配もさせられん。とにかくファイルをとって花押かおう(サイン)を記し、依頼を受ける。


・・

・・・


「あれ、辰馬?」

「ありゃ、おばさん」


 蓮華堂を出たところで、ルーチェに出くわした。なにやらチャラけた感じの雰囲気悪い男二人と一緒なのがそこはかとなくいやな感じだったが、まずそのことを責めるのもなんだ。


「蓮っさんが泣いてるから。さっさと帰ってやんな」

「わかってるわよー。あの人ほんとに、あたしがいないと駄目よね~♪ それじゃ、志村さん、鮭延さん♡」

「……はい、どうもです、奥さん♪ それではまた♡」


 イラッ、ときた。亭主がほとんど鬱になるほど悲しんでいるときに、この叔母はなにやってんだという気になる。


「おいおばさん、そいつらは?」

「えー? 蓮純から聞いてない? エステティックサロンのスタッフさん」

「知るかよ! あんたなにやってんだばかたれ!」

「? なに怒ってるのよ、辰馬」

「なんもかんもアンタ……今蓮っさんが……!」

「あのひとはちゃーんとわかってくれてるの。辰馬がどうこう言う必要ないわ」


 本当かよと頭が痛くなる。しかし話が成立するような状態でもなく、辰馬としては諦めるほかない。とりあえず浮気だけはしてないで欲しいもんだと思いつつ、叔母と別れてクエスト資料に目を通す。


「ふむ……密儀が行われてるのは間違いないとして、場所やらメンバーは謎、と。磐座、頼めるか?」

「別にいいですけど。わたしを都合のいい情報収集機とでも思ってません?」

「……あとでなんかおごる」

「では、水籠庵すいろうあんのあんみつで」


 いきなり高級品の要求が来た。水籠庵はアカツキ、ヒノミヤの境、山道の入り口にあるアカツキ屈指の名店で、創業200年、お値段の方も歴史に比例して高い。


「まあ、いーや。頼んだ」

「はい。では」


 穣は口訣を呟き、「見る目聞く耳」を発動させる。毎日祝詞を上げているおかげで、彼女らに神讃という手順は不要。すぐさま周囲半径40キロメートルの全ての情報が穣の脳内にダイレクトに飛び込み、常人なら発狂もののこの情報を穣はすべて完璧により分け、選別し、優先順位をつけて整理し一つのデータベースとして完成させる。ヒノミヤの天才軍師としての能力は未だ、いっさいの衰えを知らなかった。


「だいたい、わかりましたが……どうもルーチェさん? 彼女、騙されているようですね」

「あぁー……やっぱか。それで、あの馬鹿叔母と密儀団が繋がってるって?」

「はい。間違いなく……。あぁ、それとまだ肉体関係には及んでいないようです。そこはご安心を」

「……ん、安心した」


 本当に、安心した。もし不義密通なんてことがあったら、蓮純が自殺する。


「そんじゃ、叔父さんと、ついでにおばさんのためにも。クソの密儀団をつぶしに行くとすっか!」


 辰馬はそう言って気勢を上げる。一同いつものように辰馬のカリスマに引っ張られる形で一緒に声を上げたが、一人だけ、覇城瀬名は冷めた表情で彼らを眺めていた。

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