第14話 古流と江南流

「だから、たぁく……新羅くんが凶行に及んだ理由は神楽坂さんを暴行しようとした生徒たちへの怒りによるもので、むしろ彼の好意は善行ととるべきで……!」

「牢城さん?」


 学院長室。やせこけた老年女性の学院長は執務机に両手を立ててその上にあごを置き。静かに雫の言葉を聞いていたが、やがて穏やかながら有無を言わせない言葉で、雫をさえぎった。


「どんな理由があれど、罪は罪、よね?」

「いえ、だけど……」

「雫ちゃん」


 あえて学生時代の呼び方で、学院長は雫をたしなめる。雫が学生時代、この老教諭は雫の担任であり、恩師と言っていい相手であった。だから雫としては強く出ることが出来ない。


「あなたと辰馬くんの関係は承知しているし、すばらしいことだとも思うけれどね。でもやっぱり、どうしても彼の血は……」

「血なんか関係ないでしょう!?」


 恩師を相手に雫は吼える。自分だって普通の人間ではない、半分は妖精(アールヴ)だ。幼少期のいろいろで悪くすればデックアールヴ(悪妖精。ダークエルフ)に堕ちたかも知れない雫の心の支えになったのは最初は初恋の新羅狼牙であり、そして狼牙が連れ帰った辰馬である。それを否定されることは雫自身を否定されるに等しい。


 雫は学院長を強い目で見据える。学院長のほうも、静かな目でそれを受け止めて逸らさない。


「ずいぶんと、強い目をするようになったこと……」

「そりゃあ、愛しい人のためですから!」


 恥ずかしげも臆面もなく、当然とばかり昂然と胸を張る雫。学院長は深く深く、あきらめに似たため息をついた。


「なら、好きになさい。ただし、全校生徒をしっかり納得させること。出来るわね?」

「とーぜんです!」


・・

・・・


 辰馬が大輔に肩を貸されて戻ると、瑞穗とエーリカが色めき立った。なにせ辰馬の顔が明らかに殴られて青痣を作っていたので、瑞穗とエーリカは驚くより先に怒り狂った。


「辰馬さまにそんなことをするなんて、許せません! わたしがトキジクを使ってでも……」

「やめれ」

「風紀の教師ってクヌギよね。あのサディスト、泣いて謝るまで盾で殴ってやろうかしら?」

「だからやめれって。これはまあ、あれだ。授業料みたいなもんだから……」

「「でも……」」


 青紫121と金髪97の二大美少女が、もう顔がくっつくばかりの距離で心配を表明する。辰馬はまだいろいろとつらいところはあるものの、元気なところを見せないと瑞穗たちが暴徒になってしまう。なので空元気を振り絞って見せた。


「で、しず姉は?」


 シスコン、辰馬が真っ先に聞くのは結局、そのこと。ほんの一瞬、瑞穗とエーリカが眉根を曇らせたものの、すぐに返事を返す。


「学院長室です。辰馬さまの無実を証明する、って……」

「あー……まあ、無実でもないわけだが……」


 実際やってしまったことがかなり重いために、辰馬も胸を張っておれは悪くない、とは言えない。確かにあのとき、辰馬は人間というものの悪意に絶望して破壊衝動に身を明け渡したのだ。魔王の継嗣けいしとしてならともかく、人間・新羅辰馬としては絶対にやってはならないこと。


 まーそれでも、ある程度図々しく「無実です」って言わねーと。


 そうでないと今頑張っている雫を裏切ることになる。


「んじゃ、学長室に……」


 そう言って一歩踏み出した瞬間、ドバァン、と不意打ちでドアが開き、辰馬の横っ面を殴打。


「ぶぁ!?」


 辰馬に気配を悟られないという時点で、相手は一人しかいない。


「ちょ、しず姉……って……へ?」


 雫がいない。


 144㎝、視線を20㎝下げても、そこにピンク髪のポニーテールもとがったエルフ耳もない。


 かわりにさらに20㎝ばかり視線を降ろすと、黒茶のさらさらの髪の毛がそこにあった。


「相変わらず間抜けですね。この程度も避けられないとは、新羅江南流もお里が知れます」


 皮肉たっぷりにそういうのは、正月のリゾートホテルでいろいろと迷惑を掛けてくれたクソガキ、三大公家筆頭・覇城の当主、覇城瀬名はじょう・せな11才。


「っあ……なにしにきた、クソガキ? 学校見学には早いだろ?」

「ボクも今春からこの学園の学生ですので」

「は……はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」

「そしてまあ、あなたに力を貸すのは本当に、死ぬほど不本意なのですが、雫さんの為です、あなたが今抱えている問題、ボクが解決してあげますよ」


 ものすごく上からのいいざまだが、辰馬の力では手詰まりだったのも事実。覇城の名前と権力でどうにかしてくれるというのなら、それに越したことはない。


「……んじゃ、頼む」

「ええ。かわりに、今週末雫さんとデートさせていただく、ということで」


 その言葉に、辰馬の柳眉りゅうびがピクリと上がる。しかし「どーせこのガキ、しず姉の前でたいしたことできねーし」と思い直した。


「オッケー、わかった」

「素直でいいことです。それでは……早速やりましょうか」


 瀬名は慣れた手際で軽く指を鳴らす。すると出るわ出るわ、何処に隠れていたのかというぐらいのスタッフが、ぞろぞろぞろりと登場する。


「今から学園各所にテレビを設置します」

「テレビ?」

「まあ、あなたにもわかるように簡単に説明すると、リアルタイムでの動く写真です。ヴェスローディアでつい先日、実用化されたものを輸入させていただきました……そのあたり、エーリカ姫、よい買い物を有り難うございます」

「あ? え? えーと……それはどうも?」


 政争を逃れて国から出奔したきりのエーリカにはテレビなどと言う新技術はわからない。というかあの兄と伯父の抗争の合間にそんな技術を作るとか、我が国の技術者たちはずいぶんと逞しかったんだなぁとか思うが。


「……えー、つまり、それを通してみんなにおれの話を聞いて貰うわけか」

「はっ」

「あ゛ぁ!?」

「そんなことで万民の賛同など得られませんよ。クズノハ」

「はーい♪ 久しぶりね、辰馬♡」

「うげえぇ……!」

「なによ、その態度。愛しいおねーちゃんとの再開でしょーが!」

「しず姉みたいなことゆーな! つまりアレか、姉貴の『蠱惑』で全校生徒に洗脳を……」

「そーいうこと♪」

「ばかたれぇ! そんなの認められるわけがねーだろーが、しばくぞ!」

「でもまあ、そんくらいしないとあなた、ここにいられないわよ?」

「ぁう……」

「過剰防衛ここに極まれり、ですからね。そもそもあなた、独占欲が強すぎるんじゃないですか?」

「このガキ、どの口で言ってんだお前? しず姉に粘着してる大公家の当主サマは、ど・こ・の・ど・ち・ら・サマでしたっけ?」

「く……痛いな! つむじをグリグリするな! この際ボクのことは関係ないだろうが、混ぜっ返すな、下民!」


 関係なくねーと思うけどなぁ……とは思うが、まあこの際手がない。確かに辰馬やら雫が自己弁護のスピーチをしたところで、学園の半数の賛同が得られるか怪しい。魔王……正確には魔王見習い? であるクズノハに力を借りるのは不本意だが、彼女の『蠱惑』は海魔たちの支配権をユエガから完全に奪ってのけたほどに完璧だ、頼りになるかならないかで言えば、文句なく頼りになる。


「じゃ、頼むわ……うん、まあ、納得できんが、納得する」

「態度の悪い客ですね、一度上下関係をはっきりさせておくべきですか……」

「あ゛ぁー? おいクソガキ、おまえ、一度油断してたおれを投げたくらいでいい気になってんなよ?」


 それに瀬名はフッと笑い。


「打撃技など華拳繍腿かけんしゅうたい、王者の技とは組み技ですよ。その程度もわからないから、打撃屋は馬鹿だというのです」

「へぇ……ま、ガキが華拳繍腿なんて言葉を知ってるのは褒めてやるとして。本当に強いやつがなんで組技を使わねーか、わかってねぇよなぁ~」

「新羅辰馬の無実表明放送はそれとして。その前にエキシビジョンといきましょうか? ボクとあなた、アカツキ古流集成と新羅江南流、どちらがより優れた技か」

「オッケー、やっちゃる。殴られても泣くなよ?」

「そちらこそ。関節外されて泣いても、戻してあげませんよ」


・・

・・・


 ということで。


 急遽新羅辰馬対覇城瀬名の試合が組まれることになった。その様子は学園各所に接地された最新鋭機器、テレビによって全校生徒の衆目に晒される。はっきり言って、負けたら恥なんてものではない。


「ま、おれが勝つし」


 と。辰馬は意気軒昂。瀬名とクズノハの登場によって、落ち込みがちだった気分もようやく上り調子だ。


 いっぽうでクズノハをセコンドにした瀬名も。


「ここであの生意気な銀髪を徹底的に叩いて恥をかかせれば……フフ」


 こちらもすでに勝利を確信して皮算用に酔っていた。





 そして、両者花道を通って特設リングへ。こんなもんを即時作ってのけるあたりが覇城の財力権力。そしてこの舞台装置に、観客の生徒たちがノリに乗って歓声を上げる。


「きゃーっ、新羅くぅ~ん♡」

「あっちの茶髪のちっこい子も素敵よ♪」

「新羅負けろ新羅負けろ新羅負けろ……」

「茶髪の子もいーけど、あと5年かなー?」


 などという外野の声は、すでに辰馬にも瀬名の耳にも入っていない。両者ともに達人、明鏡止水の境地。ゆえに雑音など聞こえず、目の前の敵をどう躱し、いなし、さばいて間合いに入り、罠に掛けて必殺の術策にはめるか、それだけしか見えていない。


 ゴングが鳴った。


「さ。この大観衆の前で、大恥かかせてあげま……ぶぁ!?」


 余裕ぶっこいてニヤリと言いかけた瀬名の顔面が、殴られてくしゃりと歪む。油断したわけではなかったし、打撃対策は常に万全にしている。


 しかし。


 新羅辰馬の打撃というものは、とにかく尋常の速度ではない!


「前はホント、油断したからなー。今日は初手から本気だ。本当の強者が関節使わない理由な、あれは、極限まで研ぎ澄ませた打撃に組み付くなんて不可能だからだよ!」


 ぱぱん、ぱんぱんっ!


 まるで爆竹のように、辰馬の拳が、肘が、膝が、蹴りが、瀬名の前身を打ち据える。瀬名はどうにか辰馬の手足が伸びきったところをつかみにかかろうとするが、前述通りに速度があまりにばかげているために触れることも許されない。一流でしかない瀬名と、超々一流の辰馬、勝負は一方的なものになった。


 気がつけば瀬名は天井を見上げていた。自分がダウンさせられたことすら認識出来なかった。ふがいない、2歳の時からやってきたアカツキ古流集成、その技の一端も発揮できずに負けるのか。


 断じて否である。もし万が一、負けるとして、それなら自分に納得の出来る負け方がしたい。


 やおら立ち上がる。黄色い歓声が上がった。どうもやり過ぎの辰馬に対し、苦戦しながら立ち上がる瀬名の株が上がったらしい。そんな声が耳に入るのが、集中の途絶えている証拠。瀬名は一瞬、瞑目し、そして余計な雑音と雑念を払う。


 普通の戦い方では、あの神速に追いつけない。


 それはもういやというほど理解した。ならば腕一本囮にして、肉を切らせて骨を断つ!


 ……ふむ。


 左半身を前につきだし、あからさまにそこを打ってこいと誘う瀬名に、辰馬は一瞬、考える。


 まあ、何処を打たれるかわかってればおれの拳速が早くても対応できるだろーからな。これを無視して他を打ってもいいが、やっぱ年下がここまでなりふりかまわずやってんのに、それを避けるのも情けない……勝負、してやっか。


 辰馬が踏み込む。ズン、と震脚。普通の相手ならバランスを崩すところだが、さすがに瀬名は崩れない。あくまで本命、辰馬の一撃を待つ。


「っ!!」


 まず幻惑の右フックで目くらまし、そして同じく右のローキック。鉈の威力で脚を刈られても、瀬名は耐え抜く。


 そんじゃ、ごほーびだ!


 瀬名が待って待って渇望したもの。左のフック。あまりの速度に取りそこねかけるが、そこを根性で掴む。掴んだ瞬間に手首と肘と肩を同時に極める。いちどつかみさえすれば瞬時の関節破壊、これこそアカツキ古流の恐ろしさ!


 が。


 辰馬はひょい、と高く跳躍、とんぼ返り。それだけで完全に極めたはずの腕関節が抜ける。そして上空から、瀬名の後頭部に強烈な膝。それはもう鈍器の一撃といってよく、ここまでよく耐えた覇城瀬名だったが、完全に意識を刈られて失神した。


「まあ、そこそこいー線行ってたけどな」


 珍しく、本来の圧倒的強さを見せつけた新羅辰馬は、そう言ってリングをおりる。雫と瑞穗とエーリカが、一斉に抱きついて祝福した。


「おめでとー! やっぱりあたしのたぁくんは強い!」

「少しだけ、覇城さんが可哀想な、気もしますが……」

「だいじょーぶよ、あの子どーせまた雫センセのおしりを追っかけ回すんでしょ?」


「姉貴ー、本来の仕事、忘れてないよな?」

「ええ、問題ないわよー。じゃ、始めましょうか」


 クズノハが金銀の瞳を妖しく光らせる。と、それまでリングを映していた画面に記録映像的なものが映写された。それは辰馬が学生たちを血祭る寸前の記録であり、学生のひとりが瑞穗に対して不遜で無礼で穢らわしい、男性恐怖症の瑞穗がまた過去のことを思い出すに十分な言葉を吐いた事実が克明に記述されていた。さらに丁寧なことに、瑞穗の男性恐怖症に関してその原因はぼかしつつも懇切丁寧な説明と、それゆえに瑞穗を護りたい想いが過剰な辰馬の理由が語られる。おまけとして人間のエゴイズムがあまりにひどいと辰馬は本当に魔王になるかも知れない、という警告映像までが流され、時間にして10分そこそこの映像が流されたあと、それまでのように辰馬をあしざまに言うものはいなくなっていた。


 もちろん、ただの映像効果ではない。クズノハの『蠱惑』を存分に使って効果を増幅し、ほぼ洗脳にひとしい効果を実現させているわけだが、もう最初の段階で納得すると言ったからには仕方ない。


「ふふん、どーよ?」

「いや……ありがとさん。退学にならずに済んだ」

「そーでしょお~♡ やっぱりおねーちゃんは頼りになるわよね♡」

「うっさい! 寄るな、抱きつくな!」

「まったく、破廉恥さんだねー、困ったもんだ」


 そう言いつつしどけなく首にしがみついてくる雫を、「あんたもな」と言いながら辰馬は嘆息しつつ引きはがすのだった。

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