第12話 暴力事件

 駆け足で2月から3月が過ぎ、4月。爽やかな薫風くんぷうが暖かく、冬の極寒でささくれがちだった人の心も浮き立つ日和ひより。3月の末頃から世の大人たちは花見と称しての酒盛り大会を敢行し、そういうのが大好きというか生きがいである祖父に引きずられて無理矢理強制参加させられる辰馬たつまは、案の定というか日常レベルにおける脆弱を存分に発揮、酒の臭いにあてられてとりあえず美少年のくせにゲロを吐くという絵面を晒したが、まあそれはさておき桜もたいがい散って、4月になった。


 神楽坂瑞穗かぐらざか・みずほは当然というかあたりまえのように昇級試験に合格、新学期から二年生ではなく、三年生となる。過去に飛び級制度が存在したころにも存在しなかったほどの、完璧な正解率をたたき出したらしい。瑞穗のもとからの聡明もあるが、恐るべきは乙女の盲愛。


「でもクラスは一緒じゃないんですよねー……はぁ……せっかく同じ学年になれたのに……」

「まーなぁ、おれらは基本、劣等生だし。瑞穗は最優秀クラスのA組だし」

「辰馬さまが劣等生なはずないじゃないですか!」


 そう言ってくれるのは嬉しいが、辰馬は劣等生である。地頭は非常にいいとして、史学以外の学問に身を入れないため総合での成績が落ちているのは間違いない。それでもみのりに獲られるまで学年トップを守れていたのは、実技……つまりクエストの成功率でごまかしていたに過ぎない。


・・

・・・


 学食にて。4月9日の時点でまだ、本格授業は始まっていないのだが。それでも美味くて量の多いメシを求めて学生は大挙してここに押し寄せる。それを捌いてのける学食のおばちゃんたちの手並みが神がかっているわけだが、まあおばちゃんの凄腕ははっきりいって死ぬほどどうでもいい。


「あんたさー、辰馬に依存しすぎ。そんなにべたべたしたいわけ?」


 今日も芋ジャージ姿で思いで深い素うどんを食すエーリカが、西洋人とは思えない箸使いを見せてちゅるりと面をすすりつつ、箸先を瑞穗につきつけ半眼で睨めつける。口にしないものの、やはりそこには嫉妬という感情が渦巻いていた。お姫様でありながらメンタルが一番「普通の少女」に近いエーリカは、瑞穗や雫のようにたぁくん好き好き~と堂々言うことが出来ないので正直、うらやましい。


 まーね、わたしだって辰馬が好きなことでは負けてないんだけど。「護る」力に欠けては人に負けないし、必要とされてないなんて事ない……筈、よね?


 少々自信なく尻すぼみになるあたりが、エーリカの心の弱いところ。そんなあたりにまったく気づかずに、瑞穗は元気よく頷いてのけた。


「当然です! わたしはいつだって辰馬さまと一緒に居たいし、なんだって辰馬さまと一緒に経験したいんです!」

「あー……そう……」


 恥ずかしげなんかかけらもナシでそう宣う瑞穗。ヒノミヤで純粋培養されてきた瑞穗にとって、羞恥心というものはあまりない。男に裸を見られれば本能的羞恥を感じるのは当然として、そこがなぜ恥ずかしかったりするのかはよくわからないとか、そのレベルなのである。神月五十六一派による凌辱で男というものへの恐怖感と忌避感を植え付けられはしたが、辰馬はそういう相手ではない(特に瑞穗にとって重要なことに、「男に見えない」という容姿的に)。そういうわけで大好きな辰馬に対しての瑞穗は、全力投球ストレート剛速球での一本勝負である。本当に、ヒノミヤ事変期のころとは性格が別人。


 そんなわけでエーリカとしては頭を抱える。辰馬が瑞穗を愛でることに関しては可哀想な出自への憐憫であろうと思って最終的には敵ではないと思っていた……その割りに、三人で辰馬を襲った最初の夜、瑞穗にサキュバスコスとかさせて辱めを与えたりもしたが……エーリカだが、この容姿に積極性が加わると雫に劣らない強力ライバルだ。自分に絶対的な武器がないことを自覚しているエーリカとしては、瑞穗の献身性や雫の包容力がうらやましい……というかはっきり言うなら妬ましい。許されるものなら瑞穗や雫を物理的に抹殺したいくらいだが、さすがにそれを実行するほど彼女は人間として終わっていない。かわりに、とりあえずイラついたので、学食のテーブル状にだぷん、とこれ見よがしなバカでかい柔肉をぎゅーと摘まんだ。


「ひぅ!? え、エーリカさま、痛いですよ?」

「うっさいなー。そりゃ、こんな武器があればねー……あたしだって97あるんだけど、コレと比べちゃあなー……この卑怯者!」

「へ? えぇ? な、なにがですか? いくら盾の乙女さまでも、今のは名誉毀損ですよ?」

「なに? めーよきそんとか、わたしと法知識で張り合えるつもり? 普通の勉強と軍学に関してはともかく、政経と法曹学に関してはわたしの独壇場なんだけど」


 挑発的に片眉つりあげ、ぐにぐにと瑞穗の柔乳を揉み……というよりつねり上げるエーリカ。なんのかんのでお姫様、今は貧乏暮らしに甘んじているが、もともと欲しいものが手に入らないなんて事はなく。そのせいで辰馬は絶対に自分のモノだという思い込みがあり。その邪魔者である瑞穗や雫への感情が理不尽なほどに黒いものとして噴き出していた。普段のエーリカはそのへんをうまく自分の中で昇華させて嫉妬心を隠しておけたのだが、なぜか今日に限って、であった。


 その極上に綺麗なさらさらの金髪を、誰かが後ろから遠慮なくすぱーんとはたく。


「ったいなぁ~! 誰よ!」

「おれだよ馬鹿。なにやってんだこんなとこでチチモミとか」

「んー……とりあえずデカすぎてムカつくから?」

「理由にならんわ。あとお前のも大概デカいからな」

「え? そう? そっかぁ~、えへへ……」

「褒めてねーわ、ばかたれ。にやけんな」

「え? でも辰馬、おっきいの好きだよね?」

「なんか、その質問にどー答えればおれの人格は守られるんだ……?」


 冷や汗滝汗脂汗の辰馬。そこに


「なんのお話ですか?」


 そう、やってきたのは貧乳世界代表、晦日美咲つごもり・みさき。どんなに反らせようがまったく全然、これっぽっちも膨らみを見せない胸板を惜しげもなく晒し、とりあえず学食三大名物のひとつ、鯖の味噌煮定食をトレーに抱えた美咲は、きょとんとした顔でこちらを見る。


「なんでもない」


 不自然に目をそらす辰馬。「?」首を傾げる美咲。


「ちょうどいいわ、美咲も聞いときなさい。辰馬が巨乳と貧乳、どっちが好きか」

「だから! やめろやそーいうの!」


 辰馬はわたわたと腕を振ってエーリカの言葉をなんとかかき消そうとするが、無駄すぎる。そして、特別辰馬のことは別段全然なんとも思っていない美咲が、ギラリとツリ目がちの赤紫な相貌を光らせた。


「へぇ……ところで、巨乳好きの男性と巨乳の女性は頭が悪いという統計がありますが」


 ものすごいハードパンチが飛んできた。辰馬はその言葉の恐怖にふるえあがり、エーリカは瞬時に頭を沸騰させてがたんと椅子から立ち上がり、そもそも「巨乳」の意味がわからない巨乳さん、瑞穗は「?」という顔で首を傾げる。


「美咲。あんた、喧嘩売ってる?」

「いえ、そんなつもりは毛頭。わたしは俗説のひとつを提示したまでです」


 エーリカは美咲の前に立って、ほとんど襟首を掴まんばかりの勢い。対する美咲はどこまでも涼しい顔で、しかし貧乳の威信を賭けた強い瞳でエーリカを見つめ返す。


「喧嘩とかやめとけよー。女同士の殴りあいとか、見苦しーことこのうえないんだから」

「わたしにその意思はありませんが……エーリカ王女の態度次第ですね」

「ふん、まあ、持たざるものがなにほざいたところでね……結局は大きい方が勝つのよ」

「それはどうでしょう?」

「だから殺気立つなって……」

「黙って(黙ってください)」

「……えぇ……そんなムキになるこっちゃねーだろ、胸のサイズなんか……」


 ざわ!


 辰馬が不用意に言うなり、周囲の男たちの視線が殺気を帯びる。それはもう、普通に息してるだけで美少女が寄ってくるなんてまず、辰馬ぐらいしかいないのである。それが生意気にも日和ったことをほざいたとなれば、「殺すぞ♡」という集団意識が簡単に形成されるのだった。


「オレは晦日さん派!」

「俺はヴェスローディアさま! やっばお姫様だし!」


 騒動に発展する。辰馬は瑞穗の手をひいてこっそり逃げようとしたが、辰馬の卓越した運動神経をもってしても瑞穗の運痴ぶりは覆せない。よたよた~、のろのろ~とした動きはもうホントどーしようというレベルで動きを邪魔し、「おい、こいつ逃げようとしてるぞ!」と、見つけられてしまう。


「あーもう! つーかそもそも、おめぇらは関係ねーだろぉが! しばくぞ!」

「ふ、フン……暴力を振るってみろよ、牢城先生が泣くぞ?」

「あ? なに……」


 あ、そーいえば……右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい……とかなんとか。


 そう思った瞬間、辰馬の威勢が急速にしぼんだ。そして暴徒化した男子たちは、「あの」新羅辰馬をブチのめせる大チャンスに猛然と湧く。欣喜雀躍きんきじゃくやくとはまさしくこのこと。


「ぅ……らぁ!」

「……っ」


 どきゃっ!


 いつも自分のことを頼ってくる男子連中が、まさか本当に殴ってくるとは思わなかったが。かなり遠慮なく殴られた。まあ蒼月館の学生だけに素人のテレフォンパンチだったり、肩や腰の回転が乗っていない腕だけのパンチだったりすることはないが、とはいえ辰馬も辰馬でダメージをうまく逃がしている。派手な音はしたものの、とりあえず大して痛くはない。痛いのは心のほうで、人間というものがどけだけ身勝手で自分の都合だけで行動するか、それを見せつけられた気分に吐き気がした。


「へ、へへ……どーだぁ新羅ぃっ! へへ、そのかわいー顔、二度と見れないくらいボッコボコにしてやるよ、ひゃはは、泣いて謝れ!」

「ちょ、あなた、辰馬さまになにするんですか!? やめてくださいっ!」

「うへ……うるせーよ、てめぇもメチャクチャにしてやるぁ! そんなデカい乳で誘うみたいに歩いてんのが悪いんですよぉ~、姫様ァ!」


 ぶちりと。

 辰馬の中でふっとい筋がブチ切れる。

 頭の中が沸騰して、真っ白に染まった。いかんいかん、駄目だやめろという声と、こんな奴らやっちまえよという声がせめぎ合い、一瞬で後者が前者を駆逐する。


……


…………


………………


 時間にして数十秒。それが辰馬が意識を手放していた時間。

 その時間で、辰馬はあたりにいた男子生徒全員を、ほぼ無差別に血祭りに上げた。手加減など一切なく、顔面を殴られた相手はほとんど頭蓋骨を陥没させる勢いで顔をひしゃげさせ、血まみれになっているし、腹を蹴られた相手はおそらく、内蔵を破裂させてしまっている。腕や足が不自然な方向に曲がっているものも一人や二人でなく、一人たりと呻吟しんぎんの声を上げる余力もなく完膚なきまでにたたきのめされていた。そこかしこ血しぶきと折れた歯が凄惨に飛び散り、動くものはない。あれだけエキサイトしていたエーリカと美咲でさえ、ここしばらくのつきあいで辰馬が初めて見せた容赦のなさ過ぎる暴力性に青ざめて震え上がり、反目することを忘れる。そして真っ先に回復した学食のおばちゃんが、ぎゃーーーーーーーーーーーー! と金切り声を上げた。


 そして瑞穗にしがみつかれながらようやく、正気に戻った辰馬は食堂を満たす惨状と血臭に自分のやってしまったことを思い出し、膝を突いて盛大に吐瀉としゃする。


 誰ひとり辰馬を慰める言葉を持たない。辰馬は涙とゲロに美貌を汚しながら、ひたすら自責の言葉を呟き続けた。


 そこにかけつける学生会の林崎夕姫と、風紀教諭と、風紀教諭の補佐でまだ三年目の新任体育教諭……つまり雫。


「たぁくん……これ……」

「あー……やっぱおれ、魔王かもしれん……どーしようもねーわ、最低だ……」


 かくて新羅辰馬は、新学期早々、学園に拘留されることになった。

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