第8話 好きな気持ちともどかしさ

「なんか南先生、今日ずっと病棟にいるね。こんな時間なのに。仕事しづらい」

他の夜勤看護師が嫌がっている。

夜勤中、日付をまたいで深夜二時。

当直の南先生はナースステーションのパソコンの前ですでに三時間近く仕事をしている。

先生がナースステーションにいる理由は大体見当がつく。

もしかしたら私の自惚れかもしれないけれど。

時々当直コールが鳴るものの電話対応済むようで比較的落ち着いているようだ。

看護師は三人で夜勤をしていてこれから私が仮眠に入る。

残る看護師に仮眠中頼むことを書いたメモを渡す。

看護師二人が患者のケアのためナースステーションを離れたのを見届けて南先生に近寄る。

「先生、めずらしいね」

にやっと笑って私を見る。

今日、眼鏡なんだ。

似合ってる。

「美穂ちゃん白衣だから見ておかないと。やっぱりめっちゃかわいい」

「スクラブだと見えちゃうから。着替える時大変だったんだよ」

南先生の鎖骨につけた私の跡を確認するとスクラブからは見えなかった。

「私のは丁度隠れた」

私が考えていることが見透かされている。

「私、これから仮眠なの」

「一緒に仮眠してもいいの?」

「そんなわけないでしょ。一緒にコーヒーでもどうかなって。私、コンビニで買ってくるから。外なら誰にも見られないでしょ?」

「仮眠なのにコーヒー飲むの?」

「どうせいつも眠れないからいいの」

先に院内のコンビニでコーヒーを買い、待ち合わせに指定した外のベンチで落ち合う。

寒い季節だからか誰もいない。

「寒かったね。先生大丈夫?」

私は更衣室でコートを羽織ってきた。

南先生はスクラブに白衣だ。

「大丈夫。スクラブの下に長袖着てるし」

職場で南先生と二人きりでいることに不思議な気持ちになる。

スクラブ姿の南先生はどちらかというと私にとって緊張が走る姿だった。

気持ちが伝わり、体を重ねた仲になると愛おしい気持ちになる。

これからまた、学会が終わるまで南先生とはしばらく会えなくなる。

急に切なくなってしまう。

「先生。手、つないでもいい?」

南先生は返事をするかわりに手を握ってきた。

細長い指が私の指の間に滑り込む。

「先生、本当に私のこと好きなの?」

何を女々しいこと言っているんだろう。

寂しさがそうさせる。

恥ずかしい。

きっと嫌がられる。

「大好きだよ。美穂ちゃんこそ私のこと好き? 私、結構不安」

「え?! 私、不安なことした?」

「だって三年もずーっと片思いしてたんだよ。美穂ちゃん女好きってわけじゃないし。それに毎日一緒にいたいし、抱き合いたいし、大分しんどいんだよ」

「先生って全然分からないね」

「そうかな。で、好きなの?」

先生はニヤけながら覗き込む。

「大好きだよ。すごく」

顔が近くて恥ずかしくなる。

先生の顔を見るたびに綺麗だと思ってしまう。

ずっと顔を見ていたいと思うくらい好きになった。

今まで何とも思わなかったのに不思議だ。

「今ので当直頑張れるわー」

先生は満足そうだけれど、私は頑張れそうにない。

もっと先生と触れ合いたい。

「学会っていつなの?」

「来月、名古屋だよ」

「最終日の夜って私、名古屋行ってもいい? でも、先生、次の日仕事か」

「次の日休みもらえたって言ったら来てくれる?」

「休み希望出すね。ホテル取る」

学会が終わるまで先生と当直がかぶることはないし、二人きりになれる日はない。

学会が終わって東京に戻ってくるまでの時間さえも待てない。

先生の仕事を邪魔してしまうようでメールさえも気軽に送ることができない。

会いたい時に会えないもどかしさが、先生への気持ちを煽り立てるように大きくしていった。

そして、着替えるたびに薄れていく先生の跡が私を寂しくさせた。


先生と会えない日が続くとある日勤。

「山田さんの担当っている?!」

南先生が苛ついてナースステーションに入ってきた。

これは何かある。

担当ナースは検査に出ていた。

今日のリーダーは私だ。

「山田さんの担当は検査で今いません。私のチームなので私が伺います」

南先生の前に出る。

「山田さんの胸腔ドレーン、吸引かかってなかったんだけど。ちゃんと見てるの? いつから吸引かかってないか確認してくれる?」

「今調べます」

パソコンで看護記録を確認する。

隣のパソコンで先生も確認し始める。

「さっきレントゲンに行ったので、一時間くらい前だと思います」

「ナースが付き添ってるよね? 検査の後ってダブルチェックしてるんじゃないの? それに、いつも観察項目に吸引かかってるかあるのに、山田さんの記録、観察項目ないんだけど。どういうこと?」

患者の受け持ちは一年目の鈴木さん。

朝のカンファレンスでは胸腔ドレーンの管理の確認はしたが、その後のフォローが足りなかった。

フォローはリーダーの私の役目だ。

「すみません」

「この人、胸水しっかりと引きたいの。そういうこと、ちゃんと私カルテに書いてるんだけど。どうしてか分かってる?」

先生はパソコンを見たまま言う。

「オペとか外来で、私患者のところに行けないし、ナースともコミュニケーション取れないことが多いから、それでも治療の意図とか分かってもらってナースに管理してもらえるようにしてるんだけど」

「はい。」

「一つ一つの治療の意味、共有していきたいの。そういうことナースもしっかりやってくれないと困るんだけど」

「すみません。」

「今回のことナースで共有してくれる?」

「はい」

それだけ言うと南先生はパソコンに向かってカルテを打ち始めた。

南先生と恋人になれても、仕事を離れると全然違うと分かっていても落ち込む。

仕事での南綾乃は南先生なんだな。

だけど、今の私は落ち込む感情の他にそんな南先生の仕事の姿勢に惚れ直してしまう部分がある。

ちゃんと怒ってる理由を説明してくれる。

そして南先生の視点はいつも患者に向いている。

そんなブレない南先生の仕事の姿勢が好きだ。

でも、やっぱり落ち込んでしまう。

昼休憩で休憩室の扉を開ける。

「青木さん、久しぶりにやられちゃったね」

同僚達が一斉に私を見てきた。

「また鈴木さんやらかしたんでしょ? 青木さん悪くないのにとばっちりだよね」

同僚達が私を慰める。

「南先生も青木さんには当たり強いよねえ。最近青木コール減ったと思ったんだけど」

「仕事熱心なのは分かるけど、もうちょっと言い方なんとかなんないかなあ」

南先生は悪くない。

同僚達が私のために言ってくれてるのは分かる。

けれど辛くなる。

鈴木さんのミスだが、リーダーとしての私の落ち度でもある。

自分の不甲斐なさを指摘され落ち込む。

けれど、さっき久しぶりに南先生と関われたのが本当は嬉しかった。

仕事の姿勢に惚れ直した。

好きな気持ちが溢れ出る。

でも、会えないし声も聞けない。

今日のことも、あとで南先生に謝ったり、仕事のことをもっと色々話したい。

南先生が考えてることや思ってることをもっと知りたい。

気になったその時にすぐ知りたいのに。

でも、メールさえも送ることがはばかられる。

南先生の仕事の邪魔をしたくない。

医師の仕事の大変さはそばで見ているから言われなくても分かっている。

だからこそ自分のわがままを言って困らせたくない。

頭では分かっているのだけれど。

様々な想いが絡み合って一度に溢れる、それは涙となって外に出た。

「青木さん。大丈夫?!」

同僚達が近づく。

休憩室で私は泣いてしまった。

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