1−5 急降下度胸試シ

「フワ伍長、高度八千メートル超えたがそちらはどうだ?」

「問題ないです、まだ上がれます」

「了解、引き続き上昇。ルードルマンはそのままついてやれ」

「了解——」


 通信を切り操縦桿をゆっくりと引く。直は引き続き上昇する機体のメーターと、自身に取り付けられている測定器の値をチラリと確認した。すぐ近くには二機一組ロッテを組まされているルードルマンの機体が並んでいるのが見える。

 肺に流れ込む空気が更に冷たくなるのを感じてメーターに視線を戻せば、次の規定値は目前だった。


「バルクホーン中尉、こちら高度九千到達しました。まだいけます」

「了解した、そのまま継続しろ。我々は高度八千で一旦待機する、何かあればすぐに通信を入れるように。……二機一組ロッテは崩すなよ」

「了解——」


 今日は直の高度適正テストも兼ね、四○三分隊との四機小隊シュヴァルムで飛行訓練をおこなっている最中だ。

 高度八千メートルを超えた時点で酸素濃度は地上の三分の一だ。神の恩恵とやらが断たれたせいか、高度上昇に伴う気圧調整ができる機具などは原則主義派にとって無いに等しく、このデスゾーンをほぼ生身で超えられるか否かが飛行部隊の二つ目の関門となっていた。


 通信を終え、八千メートル地点で高度を保ちながら待機中の飛行部隊第四○三分隊の二機一組ロッテ、小隊長でもあるシルト・バルクホーン中尉とその相棒機に搭乗するエリク・シュペーア・ハートマン少尉は遥か上空に消えていく二機を見つめていた。


「いやぁ、ちょっと話には聞いてたけどバケモンですね」

「あの歳で、体も小さいのに大したもんだよ。しかしまあ、アレくらいじゃないとルードルマンの戦法にはついていけないというのが現実だしな」

「……僚機には地獄っすよ、あんなの」


 若干頑なな声が、無線のスピーカーから聞こえてくる。


「何度も言ったがお前とルードルマンじゃ戦闘スタイルが全く違う、そこは口を出さんことだハートマン」

「はいはい……っと」


 応答し隣に並ぶ機体のコクピットを見れば、生意気な部下が納得のいっていないような顔で適当な返事を返してきた。上官に対し、その緩い態度はどうかとも思うがこの際スルーだ。

 配属から基本的に一貫してバルクホーン中尉と二機一組ロッテを組むハートマン少尉は、エリートの家系の出で主席で軍大学を卒業した筋金入りのお坊ちゃんだ。正義感の強さ……といえば聞こえはいいが、その自己の正義を貫き通す姿勢はかなりのカタブツで、二つ歳上で正反対のルードルマンに歯向かうまではいかなくとも何かと突っかかる姿を見かける。

 しかしなんだかんだ、戦法が気に食わなくとも認めるべきところは認めているのだろう。

 平時では癖の強さに持て余すような人材だが、群を抜いて優秀なパイロットである事は間違いない部下達である。何事にも動じず、部下を怒鳴りつける姿など見たことがないと噂されるバルクホーン中尉をトップとする小隊に、この二名が割り当てられたのも当然の采配だと誰もが思った。


「ハートマン、待機とはいっても休憩じゃないからな。しっかり周りに目を光らせておけよ」

「了解です」


 整備担当や計測員は勿論、分隊の他パイロットは入れ替わりのローテーションでの訓練のため地上待機である。四○四分隊に所属する不破弘のみ、現在別任務を上から直々に言い渡され外しているという状況だ。つまり今、何か有事が起こった際に直接のフォローができるのは自分達だけである。上空に意識を向けつつ、周囲の空域をチェックすることも忘れてはいけない。


「バルクホーン中尉、俺思ったんですけどー」

「……何だ?」

「あの二人、配属初日から激突したって話じゃないですか。念のため、機体間無線をこちらで傍受しといてもいいんじゃないかと」

「言う程奴らギスギスしていたか? そんな盗み聞きみたいなこと——」


 フーッとハートマンの短い鼻息が耳元で聞こえた。正しいと思えば何を言っても良いわけではないぞ、と暗に批難めいた視線を送る。


「あれは貴方が側にいたからでしょう? 考えてもみてください、多少の嫌味を言っても俺は一度もルードルマン少尉に殴られたことなんてないです。確かに乱暴ですが、あの人はそんな子供じゃない」

「そりゃそうだが……」


聞きながら、「嫌味を言っている自覚はあるんだな」とバルクホーンは内心苦笑する。


「それがフワ伍長が吹っ飛ぶくらいに殴りつけたというじゃないですか? 俺思うんですよね、あの二人壊滅的に合わないか……」


言いながらハートマンは遥か上空を見上げる。


「滅茶苦茶波長が合ってしまうか……、のどちらかじゃないかと思うんですよね——」

「……」


 依然上空を見上げたままの部下に倣い、バルクホーンも視線を上に向けた。

 ……何かがおかしい、直感的にそう感じる。


「……ッ! 中尉、あれっ!」


 ハートマンの焦る声に目を細めれば、数秒遅れて風を切るサイレンのような音が辺りに響いてきた。見上げる上空には二つの黒い点。

 ……否、黒い点のように見えたのは徐々に目視できる高度まで降りてきた戦闘機だ。しかも我が軍の、飛行訓練過程に使用している——。


「アイツら! バカかっ!?」


 記憶が正しければ、軍に入って初めて部下をバカ呼ばわりした。


「何をしている! フワ! ルードルマン! 直ちに空力ブレーキをっっ」


 そこまで叫んで、目の前を二機の戦闘機がほぼ垂直の角度、ものすごいスピードで通過していくのを確認。


「ハートマン! 追うぞ! 地上の待機班にも連絡を!」

「何て伝えます!?」

「墜落の可能性ありとでも伝えておけ」

「了解——」


 急いで地上に通信をし、先に二機を追って降下していったバルクホーンを追う。あんなに血相変えて飛び出す中尉、初めて見たなぁ。緊迫する空気の中、ハートマンは妙に冷静にそんなことを思っていた。




***




「フワ伍長、我慢はしていないだろうな?」


 高度一万メートルを目前に、隣を飛ぶルードルマンから通信が入った。

 いちいちコイツの言う事は気に障る……そう内心思いながらも、直は先日の事もあるので至って冷静に返答を返す。


「しとらんです。貴方こそ、息が苦しかったら自分を置いて離脱しても構わないのですよ?」

二機一組ロッテは崩すな、との指示をもう忘れたのか?」

「……」


 余裕綽々な声は、高度的にはなんの問題もないのだろうということを感じさせた。なら別に関係のないことだ、と直は皮肉とも受け取れる上官の言葉を無視する。


 現在の原則主義派の軍隊において、航空燃料は枯渇しているに等しく、パイロットとなる人物には燃料無しでもエンジンが稼動できるような特性が必須とされている。ただでさえ生身の人間では只そこに存在する・・・・・・・・だけでも厳しい環境の空と海の領域は、常日頃から圧倒的な人手不足だ。

 例えばバルクホーン中尉は磁力を操り、その対となるハートマン少尉は空気中のあちこちに火花を発生させその総力で機体を操りそこからの射撃を可能とする。飛行訓練の離陸とは、自分の能力の開示であるとも言えた。

 直の能力は簡単に言えば帯電であった。膨大かつ広範囲での放電はできないため部隊への電力供給には向かないが、集中ヶ所への稲妻程度のボルト数なら瞬時に叩き出せる。余談だが、ウイルスから生還した直後の幼かった直は、訳も分からずバチバチと電流の流れる自分に触れて弘が火傷をした時は大声で泣いたものだ。今では平時は電流が流れないように制御できるようになったのも、この時の弘との猛練習の賜物である。


 初日から大衝突をカマしたにも関わらず、分隊の異動などは行われなかった。

 やり辛さは感じつつも、結果だけ見れば上官をブン殴ったという事案には変わりない。飛行訓練で絶対にルードルマンの鼻を明かしてやろうと内心意気込んでいた事は明白だ。

 しかし——。

「何だコイツ……」結果として自分の方が鼻を明かされたようで悔しい。パイロットとしてのルードルマンはなるほど優秀で、そこにただ在るだけで制空権を握ってしまいそうなほどの圧倒的な存在感があった。重力に干渉できる、という能力も滅茶苦茶すぎて単純にムカつく。自分が爆撃時の補佐という立場に配置されると聞いたのも、これが原因かと納得せざるを得ない。

 だが——。子供じみている自覚はあるが、”何か一つでも勝ちたい”という欲求には抗えなかった。



***



 一瞬にして周囲を凍りつかせる程の発電。なるほどこれがこのチビの能力か。個人的には感嘆したのだが、気がつけば周りが萎縮するような仏頂面のせいかニコニコとこちらを眺めてくるガードナー以外は気を遣っている視線しか送ってこない。


「ルードルマン少尉、お怪我は…?」

「ん? ないぞそんなもの」


 ビクついた小隊付きの整備官の言葉に返して、瞬時に理解した。どうやら自分に電流が掠めたものと思ったらしい。

 掠めたとて別に怒るわけがなかろう、ため息をついたのが余計に気に障ったと勘違いされたのか「スミマセン!」と凄い勢いで頭を下げられた。チラリと伺えば、計測器の親機を稼動させているガードナーは噴き出すのを堪えるのに必死だと言わんばかりに口元を押さえていた。

 ここで時間を喰っても仕方がない、と別段フォローもせずにそのままコクピットへ入る。


 その後はバルクホイーン中尉の号令で四機揃って発進、問題なく順を追って離陸した。戦闘訓練ではないので特別な操作をするでもなく、ゆっくりと高度を上げていく。隣の機体を見ればチビの方も難なく飛行と高度をクリアしていっていた。やはり即戦力になる人材には違いないらしい。


「息が苦しかったら、自分を置いて離脱しても構わないのですよ?」


 だが高度八千を超え、二機になったところで通信を入れるとこう返しがきた。

 自分の異常高度とGへの耐性は飛行部隊の中でもトップだ。知らないとは言え、こういう物言いをするクソガキを少しは見直そうと思った自分にいなと突きつける。

 自分の訓練生時代を思い出し、無理をしていないかと問うたつもりがまさか直の神経を逆なでしたなどとは、ルードルマン本人は思うはずもない。


二機一組ロッテは崩すな、との指示をもう忘れたのか?」


 少しやり返したその物言いに返事はない。メーターを見ればもう高度一万は目前だ。一万をクリアすればもう上出来だろうと、再度隣の機に通信を入れる。


「高度一万をクリアした段階で戻るぞ、合流して編隊飛行訓練に移行する」

「……まだバルクホーン中尉から指示をいただいてません。このまま上昇するのはいかんのですか?」

「実戦を考慮すれば、貴様は俺の僚機だ。そこまでの高度は必要ない、限界値に挑戦することもなかろう」

「承諾し兼ねます」


 あ? と咄嗟に素で詰る声が出た。何を言っているのだろうこのチビは。


「少尉殿は平気なのでしょう? でしたら自分は補佐として戦闘時にそれに着いていく必要がある。何か起きた時の備えとして、限界高度もお互いに知っておくべきでは?」

「その上官が直接貴様にその高度は必要ないと言っている。貴様は可愛げもなければ聞き分けもないのか?」


 致命的だぞ、と返した言葉は自分にもぐさりと突き刺さった。聞き分けのなさで何度単機突撃をカマし、上にこってりと絞られたか数えられない。だが今はその矛盾も、上官として突きつける必要があると判断した。


「パイロットに可愛げが必要あるとお思いですか? それこそ必要ないモノです。では、少尉殿が付き合いきれない高度になったということで降下いたしますか?」


 ぶつかる程に寄ってきた機体を見れば、意地の悪い表情でこちらを見ているチビが見えた。負けず嫌いもここまでくると忌々しい。二機一組ロッテを絶対に崩すなという上官の命令もある以上、お互いに引っ込みがつかなくなっていく。


「時にチビ、作戦時の我が分隊の役目は理解しているんだろうな」

「……何を今更。少尉殿の急降下爆撃でしょう。自分はその際の敵の迎撃です」

「先ほど貴様は補佐として俺に着いていく必要があると言ったな?」


 ……どうやら雲行きが怪しい。


「それが何か?」

「高度の限界値で張り合うより、俺の急降下に着いてこれるかどうかの方が現実的ではないか?」

「……は?」


 若干間抜けな声に、揶揄い口調に火がついた。


「できんのなら無理にとは言わん、どうせ誰にもついてこら」

「やってやるよ」


 ほう? どういう意味か本当にわかっているのか?そう思って隣を見れば、射抜くような視線を向けながらも不敵に笑っているチビが見えた。


「……どこまでついてこれるか見ものだな。怖くなったら即ダイブブレーキを引いて構わんぞ」

「テメェこそ。早々に離脱すんじゃねぇぞ少尉殿」

二機一組ロッテは崩すなよチビ」


 がくんっとルードルマンの機体が角度を変えたのがわかった。突然エンジンから力が抜けたように、垂直の角度で降下を始める。


「……おもしれえ!」


 嬉々として直も続いた。

 後先なんて知るか、こんな滾る飛行訓練は初めてだ——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る