第27話 向き合って、気持ちを伝えて
「よし。これでいいかな」
私は会社に行くのと同じくらいの服装に着替えた。
実家に居た時、こんな綺麗な部屋着を着ていたわけではない。
でもなんだか、ちゃんとしようと思ったのだ。
今日は午前中だけお店をお休みにしてもらった。
店の奥にはおばあちゃんも五島さんも居てくれるけど、私は落ち着かなくてお店の前のベンチに座りお父さんたちを待っている。
今日も真夏日で、目の前にアスファルトで目玉焼きが焼けそうなほど暑い。
小学校からはプールの授業だろか……笛の音が響いてくる。
校庭の木にとまったセミが面白いほど大きな声を出して鳴いている。
ジリ……と暑い日差しの下に足先を出して背を伸ばす。
私を産んでくれたお母さんは、私が幼稚園の頃に死んでしまった。
でも小学生の間は、夏になるとお母さんのお母さん……祖母のところに行った。本当にお盆の時だけだったと思う。
その時、お父さんはいっつも私に真っ白なワンピースを着せた。
私はなで肩なので、キャミソールのような服は肩から滑り下りてしまう。
だからイヤだったけど、お父さんは「お母さんみたいで似合うよ」と言い、それをみた祖母は「真美子にそっくりね」と笑ったのだ。
あの居心地の悪さを、今も私は覚えている。
ポン……とLINEが入り、小学校の目の前にタクシーが停まった。
私は立ち上がる。来た。
タクシーからふたりの人影が見えた。
真っ白なシャツに紺のパンツを穿いた方は、真っ白な日傘をさして私の方を見た。
滝本さんだ。
「絵里香ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです」
私は頭を下げた。
滝本さんはずっと保険外交員としてお仕事されていたが、結婚を機にやめて、今は近所のお花屋さんでお仕事していると聞いた。
後ろにお父さんの姿も見えた。私を見て手をあげてほほ笑む。
「絵里香。旅行に行ってたんだって? いいな」
「お父さん。真夏なのにスーツで暑くないの?」
「これは夏用だぞ?」
そう言って笑うお父さんは数か月会ってないだけなのに、年を取ったのが分かった。
ううん、きっと毎日見てた時は気が付かなかっただけね。
私はお店の前にふたりを連れて行った。
滝本さんはお店を見て、
「まあ、ビデオレンタル。懐かしいですね、あなた」
とお父さんのスーツを引っ張った。お父さんは、
「確かに……最近はもう個人商店は難しそうだな」
と頷いた。
私はふたりをお店の前にあるベンチに座らせた。そして横の冷蔵庫からいつも私が食べているチョコアイスを渡した。
ふたりは「??」と戸惑いながらもそれを受け取り、食べはじめた。
私も横に立ってアイスを食べる。
先日壊れてしまい、新品になった冷凍庫は、アイスをキンキンに冷やしてくれる。
三人横並びで小学校のグラウンドを見ながらアイスを食べている状況に、自分でも少し笑ってしまう。
そして思う……こんな風にお父さんと外でアイス食べたのなんて、何年ぶりだろう。
棒だけになったアイスを口から出して顔をあげた。
「あのね。今日来てもらったのは、色々昔の話をしたかったからなんだ」
「ああ」
お父さんは静かに頷いた。
私は続ける。
「私、昔ね、お父さんに『頼むから普通に生きて、普通にしてくれ』って言われたのが、忘れられなくて」
「え……俺、そんなこと言ったか?」
私は静かに頷いた。
中学校の時、任侠映画にハマり、部屋のリビングで見てた時にお父さんが何気ない一言だ。
言ったお父さんはきっと覚えてない。でも言われた私は……ものすごく心の奥に刺さった一言だった。
「私ね、あの一言から好きだってことを全部隠して生きてた。それでネットでこのお店を知って……ここは任侠映画をたくさん置いている店なの。それでね、私夜はここでバイトしてるんだ。だから家を出たの。好きなことを、好きって胸を張りたくて、家を出て、ここに来たの」
「そうだったのか。いや……なんでこんな駅からも遠くて、縁もゆかりもない場所にマンションを借りたのか……不思議に思ってた」
お父さんは静かに頷いた。
私はお父さんの目の前に立つ。
「お母さんみたいに、品行方正で、普通のお嬢さまになれなくてごめんなさい」
「絵里香。すまない。そんなつもりは全く無かったんだ」
「ううん。それを望んでたよ。知ってた。だから頑張ったんだけど……無理だったんだ。ごめんね」
そう言うと目から涙が溢れてしまった。
もうお母さんは居ないんだから、せめて私が……って思ってた。
そうするとお父さんが喜んだから。それを見てるのは嬉しかったから。
大切な人が望む私で居たかった。
お父さんは何度も小さく頷いて口を開いた。
「……そうだな。それを望んでた。世間一般の人間であったほうが、世間一般の幸せを手に入れられると思っていた。俺はそうだったから。でも絵里香が幸せなら、それが一番だ。言ってくれてありがとう。絵里香がずっと気にするような言葉を言ってしまって、すまなかった。俺の頭が固かったんだ」
私は静かに首をふる。
「違うよ。お父さんが私の幸せを、誰よりちゃんと祈ってたの、知ってるもん。立つ場所が違っただけ。大切にしてくれてたの、知ってるよ」
自分が幸せだったら、その道を同じように子どもに歩かせたいと思うのは普通のことだと思う。
だからそれを望んでいたお父さんを、悪いとは思わない。
ただ、そうじゃなくても、今私は幸せだと伝えたかった。
私は店の中……ソファーで私を見守っているおばあちゃんと、五島さんを見た。
目が合うと優しくほほ笑んでくれて、それだけで勇気が出た。
引き戸を開けて、ふたりを店の中に入れる。
「それでね、このお店のおばあちゃんに、すごくお世話になってるの」
まずおばあちゃんが一歩近づいてきて頭を下げた。
「はじめまして。五島洋子です。絵里香ちゃんに無理言って、このお店を手伝ってもらってます。すいません、大切なお嬢さんを夜も働かせるようなことになってしまい。でも絵里香ちゃんが来てくれてから、本当に助かってるんです」
「いえいえ」
お父さんが頭を下げる。
そして私は奥に立っている五島さんを見た。
「それでね……このお店に来た時に、偶然同僚の人が、ここのお店の人だって知って……私、その人のこと……好きになって……えっと……」
「?! 絵里香お前彼氏ができたのか?!」
今まで冷静だったお父さんが豹変してしまい、正直笑ってしまう。
私は真っすぐに顔をあげていう。
「五島尚人さんです。私の好きな人なんです」
五島さんが一歩前に出て頭を下げた。
「はじめまして。五島尚人と申します。この店を経営していて、橘さんとは同僚です」
五島さんは私の横に立った。
「ばあちゃんの紹介でこの店にくるまでは、橘さんと俺は、会社でただの同僚でした。でもこの店に来るようになり……一緒に過ごすうちに、橘さんのことを好きになりました。橘さんとお付き合いさせてください。将来的なことも考えています。よろしくお願いします」
!! なんだか予想以上にちゃんとした挨拶をされてしまい、私は突如もにょもにょし始めてしまった。
好きになりました、将来的なこと……いや……五島さんは三十歳だし私も二十六歳だし、そうなんだけど!
まだ付き合い始めたばかりだけど、未来を考えてくれる姿勢が嬉しい。
お父さんは五島さんに向かって頭を下げた。
「……絵里香をよろしくお願いします」
横に立っていた滝本さんも静かに頭を下げた。
そしてふたりはおばあちゃんや五島さんとお茶を飲みながら話をして、店を出て行った。
私はなんとなくしょんぼりして見えたお父さんが気になって店の外までふたりを見送った。
すると滝本さんが私の視線に気が付いて、素早くLINEをくれた。
『ずっと小声で絵里香に彼氏が……絵里香に彼氏が……絵里香が……絵里香が……って言ってる(笑)。何よりそれがショックみたい』
そういって私の方を見て手を振ってくれた。
ポン……と続きが入ってくる。
『ちょっと時間がかかるかも知れないけど、大丈夫よ。子離れ出来てないだけ』
私は、
『あの、落ち着いたら。お父さんと滝本さんと三人で、温泉旅館とか行きたいです』
『すてきね。行きましょう。そう言ったらきっと元気になるわ。あとね、ずっと気になってたんだけど、もう結婚して滝本じゃないの。私のことはぜひ名前で呼んで。美奈子と申します』
『!! はい、美奈子さん、これからもよろしくお願いします!!』
実は私もずっと気になっていた。でも「お母さん」じゃないし、名前を呼ぶほど親しくも無い。
だからどう読んだら良いのか困っていた。
返信して顔をあげると、美奈子さんは私に向かって手を振ってくれた。
そして停まったタクシーに乗り込んで帰って行った。
私はそれを静かに見送った。
もう秘密はないし……もう少し顔を出そう。
しょんぼりしていたお父さんをみて、私はそう思った。
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