第4話 道場見学

 綺麗な姉様は、いわゆる花魁的な人じゃないかなって思った。


 男の前で舞い、酒を注ぎ、しなだれかかる。枕が二つ並んだ布団が一組ある部屋で。


 私は部屋の隅に控え、酒と言われれば酒を、飯と言われれば膳を運び、姉様が舞う時には時には歌を、時には楽を奏でる。姉様が客と布団に入る時は、部屋の明かりを落とした。

 暗闇でまぐわう男女は、男が上だったり女が上だったり、色んな体位になりつつ嬌声を上げる。私はそれを色のない目で見、いつしか座ったまま舟を漕ぐ。


 夢の中で居眠りするのである。


 ★★★


 凄い……。


 私達(私、花ちゃん、花岡君)は、道場の隅で正座をして見学していた。小学生の高学年のクラスで、尚武君は武術の形の模範演舞中だ。

 滑らかなキレのある動き、空気を斬る音、シンとした道場に尚武君の呼吸音だけが響いていた。


 生まれて初めて男性の身体を綺麗だと思った。目が離せなかった。中三とは思えない身長に、逞しい筋肉。でもこの動きは、その筋肉有りきなんだってわかった。見せる為のものではなく、戦う為の筋肉だ。この日本でそれが必要かどうかと言われると微妙なんだけど、弱っちいよりは断然良い。


「尚武君って、本当に同じ年なの? 」

「うん。見えないけどな。昔からガタイ良くてさ。あいつのランドセル姿笑えたぜ。あ、今度写真見せるよ」


 花ちゃんの言いたいことはわかる。厳つい顔立ちの尚武君は、いわゆる老け顔だ。多分まだまだ大きくなるだろうけど、身体だって一般の成人男性並みに大きい。

 だからって、笑えるとはいかがなもんよ。

 私は尚武君だけを見て、花岡君のことをガン無視する。


「な、琴音ちゃんも笑えると思わない? あのナリでランドセル背負って黄色い帽子かぶってたんだぜ」

「やだ、和君。そんなこと言ったら尚武君に悪いですわ。ね、琴ちゃん」


 私の不機嫌を察したのか、花ちゃんは花岡君を窘めようとしたが、花岡君は全く気がついていない様子だ。

 そうしている間に演舞は終わり、尚武君がやってきた。全身汗だくで、顎の先から汗がポタポタたれている。ハンカチくらいじゃどうにもならなそうで、タオルがないものかと回りを見る。


「おまえ、汗すげぇな」

「あぁ、あっちぃ」


 道着の袖で汗を拭う尚武君を見て、何故か心臓の鼓動が速くなる。何だろう? 尚武君だと近寄られても全く嫌な感じがしない。

 今まで自分のことを、男嫌いだとばかり思っていたけど、もしかして筋肉フェチとか汗フェチとか、特殊な性癖があったんだろうか? いや別に、尚武君が好きとかそういうんじゃなくて、珍しく嫌じゃないってだけで……って、自分で自分に言い訳してバカみたいだ。


 そんなことはない筈だと、慌てて自分の考えを否定する。だって、剣道や合気道を習っていた時だって、大人の人達には筋肉達磨はそれなりにいたし、みんな汗だくで練習してた。どちらかというと近寄りたくないと思っていたし、更衣室の異常な汗臭さとか我慢できないくらいだった。


「こんな感じ、どうだった? 」

「綺麗だった……」


 思わず出た私の言葉に、尚武君の動きがピタリと止まる。頭をボリボリかいている姿は、困ったような少し照れているような。


「いや、まぁ、ありがとう。じゃなくて習うか習わないか」

「ああ、うん、そっちね。やりたい。習いたいです」

「じゃ、この後パンフレット渡して説明するから」

「なら、僕も! 」

「じゃあ私も」


 花岡君と花ちゃんが揃って手を上げる。


「花岡は、塾が忙しくなるとかで辞めたんじゃなかったか? あと部活もあるだろ」

「いや、一日くらいならなんとか。体力作りにもいいかなって」

「私は護身の為。琴ちゃんがやるならやってみたいですわ」

「まぁいいけど。じゃあ、みんな母屋の方で待っててくれるか?シャワー浴びたらすぐ行くから。花岡、わかるよな? 」

「おう! 」


 私達は花岡君の後について、道場から階段を上って母屋の方へ行った。


「お邪魔しまーす」


 返事も待たずに道場二階にある母屋に入ると、花岡君はズンズンと進んである部屋の前まできた。


「どうぞ、入って」


 勝手にドアを開けて中に入ってしまう。中は個人の私室だ。感じからして多分尚武君の部屋。

 青のチェックのカーテンに、壁際にベッドに箪笥、向かい側に大きな本棚、勉強机はないけれど、真ん中に少し大きめなローテーブルが置いてあった。床は畳だ。

 学生鞄や勉強道具が畳に散乱している。ベッドには無造作に学生服が脱ぎ散らかっており、雑誌なんかも数冊置いてあった。


 男の子の部屋にしてはそんなに汚れていないのではないだろうか?若干男臭くはあるが、嫌ではなかった。


「なんだよ、たいしたもんないな」


 何を探しているんだか……。

 花岡君は、ベッドの下とか布団の中とかを覗き込んでいた。本人がいないのにダメだよね。


「私、男の子の部屋入るの初めてですの」


 花ちゃんは興味があるのか、本棚とかを見ている。花ちゃんも一人っ子だから、男子の部屋に入る機会なんかなかったんだろう。私だってそうだ。小学校は男女共学でも、男嫌いの私に男友達がいる訳もないから。

 初男子部屋、確かに私も興味はある。尚武君に限っては、何故かいつもの男嫌いが発動しないから余計なのかもしれないけれど、どんな本に興味があるのかとか、私服はどんなだろうとか、見てみたい気もする。でも、本人の承諾なしに家捜しのようなことをするのは良くない。


「あ、アルバムですわ」


 花ちゃんが、勝手に本棚からアルバムを引っ張り出してローテーブルに広げた。

 数冊あるうちの一冊なんだろう。小学校低学年くらいから、四~五年生くらい(?)の写真が貼ってあった。


 勝手に見るのはダメ、……でも見てみたい。ついつい誘惑に負けて覗き込んでしまう。


 回りに比べると頭一つ以上高い尚武君は、まだ今みたいにごつくはなく、ややがっしりめくらいの体型をしていた。


「昔から大きいんですね」

「あいつ、小一ですでに高学年くらいでかかったよ。小三で学校一でかくなったかな。これ、道場の夏キャンプ。ほら、これ僕だ」

「可愛いです! 」

「花ちゃん、僕男の子だよ。可愛いは嬉しくないよ。ほら、ここにもいた」


 そう言いつつも、花岡君は自分アピールが激しく、自慢げに自分の写っている写真を指差していく。


 花岡君よりも、小さい時の尚武君が見たいな。


 そうは思ったけれど、自分でページをめくるのは悪い気がして、花ちゃんと並んでアルバムを見ていた。すると、ガチャンと音がして麦茶をのせたお盆を持った尚武君が部屋に入ってきた。


「こっちにいたのかよ。居間にいなかったから探した」

「ごめんなさい、勝手にお部屋に入っちゃって」


 花ちゃんが慌てて謝ると、「別に大丈夫」と、尚武君はお盆をローテーブルに置いて、ちらりと開かれているアルバムに目をやる。でも特に文句も言わずにアルバムを端に寄せると、小脇に抱えていたパンフレットを私と花ちゃんの前に置いた。


「花岡はいらないよな」

「いるよ、クラス変わんじゃん」

「あー、じゃ後で渡す」


 尚武君はパンフレットを見せながら、簡単にクラスの説明をしてくれた。

 幼児部、小学生部、中高生部、社会人部、シニア部に別れており、さらにその中で段位によって時間帯が別れているらしかった。私と花ちゃんは中高生部。まだ段位がないから初心者のクラス。花岡君はその一つ上のクラスらしいんだけど、久し振りだから初心者クラスからやりたいって言っていた。

 とりあえずパンフレットを貰い、親に相談してから申し込みすることで話が落ち着いた。


「琴音ちゃんは剣道とか合気道とかやってたんだよね?何でやろうって思ったの? 」

「護身……の為? 」


 まさか、ボコボコにされる夢をしょっちゅう見るからなんて言えない。

 自分が強くなっても、夢の私は抵抗しないから意味がないのかもしれないけど、でも実際にあんな暴力を受ける可能性があるなら、やられっぱなしは嫌じゃん。だから強くなりたかった。

 剣道を始めたのは、家の近くに道場があったからと、近所のお兄ちゃんが防具一式お下がりでくれたからで、合気道は小学校で休みの日に学校の体育館で習えたからだ。


「護身って、琴音ちゃんの回りってそんなに物騒なの? 」

「別に(現世で)実害があった訳じゃないけど、うち母子家庭だから母親につきまとう変な男とかもたまに……」


 実際に誰かを叩きのめしたことはないけど、私も母親も変な男を引き寄せやすいらしい。今のところ私の方は好きな子を虐めてしまうが少し過ぎるというような男子につきまとわれることが多いが、母親につきまとう男はもっと酷いのが多い。まぁ、母親なりのかわし方で事なきを得ているらしいけど。


「母子家庭……なんだ」

「そうだね。記憶にある限り、母親と二人だよ」


 花岡君の表情が、いかにも可哀想って言っていた。でも、私には何でそう思うかわからない。だって、現世の父親の記憶はないし、夢の中の父親は最低最悪のDV野郎だ。あんなのが父親なら、母親一人で本当に良かったと思うし、母親の愛情だけでお腹いっぱいだから。


「母子家庭なら、習い事とか難しいのかな? この道場、月謝はそんなに高くはないけど、道着とか買わないとだよ」

「道着ってそんなに高いんですの? 」


 まるで母子家庭で余分なお金はないだろうと言うような花岡君に、花ちゃんは素直に道着は値段が高いものだと思ったようだ。


「ピンキリだと思うよ。私は一応持ってるけど、道場で決まったのとかあるのかな」

「いや、何でも大丈夫だ」

「後は、合宿とかもあるよ。夏キャンプに冬キャンプ。自炊だけどそれなりにお金かかるよ」

「別に絶対参加じゃないぞ」


 花岡君は私を貧乏認定したいらしい。たまにこうやって心配するふりをしてマウントを取りたがる人がいる。


「ふーん、合宿とか楽しそうですわね。さっきアルバムの写真があったわ。私、移動教室以外でお友達とお泊まりしたことないです」

「基本は合宿だからな。遊びじゃないぞ」

「えー、でもほら、川遊びしたりしてるじゃないですか。凄く楽しそうだわ」


 花ちゃんは、端に寄せられたアルバムをテーブルの真ん中で広げると、さっき見た夏キャンプの写真を指差す。


「そりゃ、空いた時間はな。でも掃除とか洗濯とかは自分達でしないとだし、自炊もするんだ。チビ達の面倒もみないとだし」

「チビ? 」

「年長から合宿参加できるからな。保護者がついてくることもあっけど、だいたいは高学年以上が面倒を見る」

「そういうのも面白そう、ね、琴ちゃん」

「うん、楽しそうだね」


 確かに小さな子を両手に抱えている尚武君の写真もあった。少し困ったような尚武君に、満面の笑みの子供達、仲良さそうで微笑ましい。


「まぁ、お母さんときちんと相談して、無理そうなら僕相談のるし」


 花岡君に相談してなんとかなるんだろうか? 花岡君に相談なんかするつもりないし、第一母親の了解はもう得ている。見学にくることを伝えた時点で、好きなことをやりなさいって言われてるし。


「無理なら無理って自分で言えるだろ。おかしな奴だな」

「えっと、さっきから和君は何の心配をしているのかしら? 」


 花ちゃんが、心底わからないというように首を傾げる。


「え、いや、別に問題ないならいいんだけど」

「うーん……、あぁお金的なやつですの? 」

「それも……あるかな」


 花ちゃんがクスクス笑うと、花岡君が少し不機嫌な顔つきになる。


「なら問題ないですわ。ね、琴ちゃん」

「でも」

「花岡、おまえこそ大丈夫なのか。勉強を理由に辞めただろ。しかも中学入ってから部活もあるし」

「僕は……」

「とにかく、別に強制でもなんでもないんだから、みんな各自親と相談して決めればいいだろ。じゃ二人共また。花岡にはパンフ渡すから下にこいよ」


 尚武君の言葉で強制解散になる。

 正直、親切心を装った花岡君の言動は不愉快だったからありがたかった。



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