夢の中(前世)では超絶不幸ですけど、現実(現世)では幸せになりますから

由友ひろ

第1話 前世の記憶

 生まれてからこの方、家族からな愛情を感じたことはなかった。

 母親の記憶はない。一番古い記憶は、呑んだくれた父親がだらしなくテーブルにつっぷす姿。私は空腹で起き上がることができずに、床に寝転がりただただそんな父親を眺めていた。

 泣いたり喚いたりしたら、目の前が真っ暗になるまで殴られるから、私はいつしか涙も言葉もでなくなっていた。

 父親が食べ散らかした酒のつまみを、父親が泥酔した後に手づかみで口に頬張った。いつ起きるかわからないから、噛まずに飲み込んだ。


 そんな生活が続いた。


 自分の年齢なんか知らなかった。胸が少し膨らんだくらいの時、初めて父親に風呂に入れられた。痛いくらい洗われて、とくに胸と股ぐらを擦られた。

 何度も何度も洗われて、頭に白い粉をかけられて、生まれて初めて清潔な衣服を着させられた。どこも汚れてない、穴も開いてない衣服は凄く気持ち良くて、私は生まれて初めて笑ったかもしれない。


 そのまま引きずられるように初めて家の外に連れ出され、大きな屋敷に置き去りにされた。

 そこは女の人だらけの場所で、毎日一回食べ物が出て、二日に一回風呂に入れられた。言葉を習い、字を習い、身の回りのことができるようになると、一人の女性の世話をするように言われた。


 良い香りのするその人は、たまに美味しいお菓子を食べさせてくれたり、頭を撫でてくれたりした。私は彼女が凄く好きだった。何を言っているのかわからないことの方が多かったけど、彼女のそばにいるとおなかが暖かくなった。


 彼女はいつも昼過ぎに起きる。

 それから食事をし、習い事に行く。歌だったり踊りだったり楽器だったり。私はそれを同じ部屋で眺める。夕方から彼女の湯殿の世話をし、衣服を整え髪を結う。

 彼女は檻のような部屋に入り、男に指名されると二階に移動する。彼女は男に服を脱がされ、悲鳴を上げながら男ともつれあう。

 私は彼女の世話係だから、部屋の隅でその行為が終わるのを待った。



 そんな生活が三年続いた。

 私は十五歳になったと、彼女が教えてくれた。常に栄養不足だった私は、多分見た目は十歳くらいにしか見えなかっただろうけど。


「あんたにお使いを頼みたいのだけれど」

「はい姉様、何を買ってきましょう? 」

「いつもの金平糖と、白粉と紅……あとはいつもの薬を。金平糖はあんたの駄賃」

「直ぐに行って参ります」


 姉様からお金を預り、街へ買い物へ出かけた。寄り道もせずに買い物をすませて姉様の部屋へ戻ると……天井の梁からぶら下がった縄に首を括った姉様が揺れていた。


 あの後の記憶はあまりない。

 気がついたら姉様はすでに部屋から片付けられており、汚れた床は拭き清められていた。そして、私が姉様の着物を着せられ、白粉をはたかれて紅を塗られた。そして子を孕まない薬を飲まされ……。


 私を最初に買ったのは大店の旦那様だった。痛みしかない行為を強いられたが、小さい時から痛みに耐性のあった私は、身体の感覚と自我を切り離す術を身に付けていた。人形のようにただただ時間が過ぎるのを待った。

 それ以降は毎晩数人の男が私の部屋へやってきては大店の旦那様と同じ行為を私にしてきた。姉様のように檻のような部屋に入れられることなく、部屋からも出されず、男達に蹂躙される日々。色ん手練手管を男達に覚えさせられた。私がいたのは花街という場所で、女が男に身体を弄ばれる場所だった。私は客をとる為に店の男達に仕込まれたのだ。


 私の心は何もうつさなかった。揺れることもなくなった。姉様から貰った金平糖も、もう一粒も残っていなかった。


 ★★★


「おまえは何が好きか?」

「……」


 月に一度、私の元に訪れる男。



 私が初めて檻のような部屋に入った時、最後まで部屋に残った私の目の前に立ったのがこの大男だった。着崩した衣服は薄汚れていて、大きな身体に額に傷のある厳つい顔をしていた。客というより、用心棒のような風体で、うちの店にこれるような稼ぎがあるようには見えなかった。

 実際、男はうちの店の客の護衛としてきていたようで、座る私を真正面からただ見ているだけだった。

 次に男がきたのはその一週間後。私は檻のような部屋から出されて私の部屋に連れていかれた。部屋にはあの男が待っていた。


「お待たせしました」


 私は手順通りに男の前に歩み寄り、帯を解き羽織を床に落とした。透ける肌着の下は何も身につけておらず、父親に虐げられた醜い痕は隠せてないだろう。数人の客につけられた傷痕も。姉様達のように華やかな顏も、豊満で艶かしい肉体ももたない私は、なんの魅力もないことだろう。高い金が無駄になったと怒っているのではないだろうか?


 手を伸ばしてこない男を胡乱に思い、落としていた視線を上げる。男は睨み付けるように私を見ていた。険しい顔つきだったが、不思議と怖くはなかった。


「お食事を頼みましょうか。お酒がよいでしょうか。それとも……」


 定型文だ。初めての客の場合、趣向もわからない。私の淡々とした口調に怒り、いきなり殴りとばしてきた客もいたが、この男は?


「いらん。おまえを買った金で財布は空だ」

「さようですか。では床に」


 男は私の手をひくと、膝の上にのせた。大きな男の身体は、小さく薄っぺらい私の身体をすっぽり包んだ。固くゴツゴツしていたが、居心地は悪くなかった。

 その晩、男は私を膝の上から下ろさなかった。私は初めて人の温もりを気持ち良いと感じながら眠りについた。


 それからも一ヶ月に一度、男は私を買った。そして私は一ヶ月に一回安眠を得た。男は毎回私を膝に乗せるだけだったから。



「好きな食べ物とかはないのか」


 私の髪の毛をすきながら、男は再度聞いてきた。


「高いもんは買えんがな、何か食べたいものや欲しいものはないのか」

「……金平糖」


 姉様から貰った金平糖が頭に浮かんだ。食べたいかどうかわからないけど、それしか思い浮かばなかった。


「金平糖か! 」


 男は初めて私に笑顔を見せた。男の名前も年齢も知らなかったが、私が思っていたのより、もしかしたらずっと若かったかもしれない。そんな笑顔だった。こんなに強面なのに、なんて可愛らしい……。


 男は毎回私に金平糖を買ってきた。袋いっぱいの色とりどりの金平糖。私は一ヶ月かけてゆっくり食べた。あと一つ食べたらあの男がやってくる。そう思いながら、大事に大事に食べた。


 ある時、男が言った。


「しばらくこれない」

「しばらく? 」

「あぁ。戦に行くんだ」

「戦? 」

「志願した」


 男の逞しい身体を見る。今まで見たどの男よりも筋骨逞しい。腕に、胸に手を這わせた。脂肪のない発達した筋肉、剣さえも通さなさそうだ。これなら大丈夫。きっと無事に生き残れる筈だ。


「ご無事で」

「ああ、必ず生きて戻る。待っていてくれるか? 」


 待つ?

 待ってどうなるの?


「沢山の敵の首を狩る。大将の首なら懸賞金も高い。この戦で、俺は大金を手にする。そしておまえを迎えにくるから」


 つまり、私を身請けする為に危険な戦に行くと。


「迎えにきたら、おまえを抱くからな」


 私は男の胸にしがみついた。


 ★★★


 あれからどれくらいたっただろう。いくつの季節が過ぎただろう。男はまだ迎えにこない。

 私を忘れてしまったのか、戦で散ってしまったのか……。なんの知らせも私の元には届く筈もなく、私の日常は過ぎて行く。


 金平糖の甘さも思い出せなくなった頃、客の一人の家に呼び出された。金払いの良い客で、店の女将はご機嫌に私を送り出した。この客は金払いは良ものの、酷い仕打ちをすることで有名だった。店の中の行為であれば、時間の制限もあるし悲鳴があがれば助けも入るのだが……。


 私の記憶は、その家に入るまでで終わっている。

 そこで誰に何をされたのか、そして私がどうなったのか。私は何も知らない。






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