第18話 ストーカーのストーカーに御用心
「へえ、ストーカーしてたんですか?」
「それを言うなら、ストーカーのストーカーだね。いくらなんでもやりすぎだよ。和奏ちゃんをどうするつもりだったのかな?」
「乙女の口から言うのは憚りますね」
「もう、心音ちゃんには、何を言ってもダメなんだろうね」
「従う理由はありませんから、ね? そもそも、和奏先輩にやめるよう言ってくれたら、終わりにしてたんですよ? ううん、どうしよっかな。そうだ! もう一日だけ猶予をあげましょうか? 明日までに説得してくれたら、手を出しませーん」
「言ったはずだよ。ゲームは終わりだって。和奏ちゃんも私も、事務所をやめる気はない。心音ちゃんは、自由に京史郎さんと恋愛すればいい。……これからはちゃんと仲良くするっていうのなら、許してあげるけど――」
「いいですよ」
軽く了承すると、穂織はきょとんと目を丸くした。そして、心音は含みのある言葉を付け加える。
「もっとも、これからも私を信用できるのならね。ふふっ」
言葉での説得。まるで意味がないことだと心音は思う。
この場で了承したとしても、その約束を守る保証なんてどこにもないのだ。許すとか、許さないとか、実に甘くてくだらない言葉だと心音は思った。
けど、穂織は満足したのか「じゃあ、指切りだ」と、小指を向けてきた。
「あはっ。案外子供っぽいんですね。いいですよ。指切りしましょうか」
「――けど、その心音ちゃんの小指はへし折らせてもらうよ」
出そうとした指を止める心音。なんだか、面白い台詞が聞こえた。
「これは代償だ。和奏ちゃんに酷いことをしてきた代償。そして、これまで水に流し、これからを仲良くやっていくための代償。約束を破らないためにも、この指切りに痛みは必要だよ」
ジト目で笑みを浮かべる心音。
「ふぅん。ちょっと見直しましたぁ」
臆病な不思議ちゃんだとばかり思っていた。けど、それはあくまで演技だったようだ。あるいは、恐怖を克服できるだけの覚悟を持てる人物。日和見主義の事なかれ主義ではなかったらしい。こうして敵意を向けてくるからには、喧嘩も強いのだろう。
「断ったらどうします? 私を潰しますか?」
「そうなるね。私も、和奏ちゃんを守るために必死なんだ」
こういう敵意は好ましかった。恋の障害。しかも、かなりハイレベルな障害。乗り越えられたのなら、それはやはり愛の証明となって、心音の胸に刻み込まれる。
「穂織先輩のそれも、ある種の愛ですね。けど、喧嘩を売る場所と相手を間違えてますよ」
先刻の和奏の襲撃。取り逃がした結果となったが、実はあの計画には先があった。
チーマーを相手に、おそらく和奏は善戦するだろう。もしかしたら返り討ちにするかもしれない。その場合『
そうなれば、和奏は感情のまま、店へくるに違いない。それを想定して、心音は下準備をしておいた。
「――はぁい、みなさん、出番ですよぉ」
客席にいた連中が、穂織の合図によって一斉に立ち上がる。店員らが、無縁の客を帰らせる。あっという間に、穂織は取り囲まれる。
「友達、多いんだね」
友達というよりも信者。世の中には他人に支配されることを望む男性がいる。
心音はそのルックスから、大勢の男性から言い寄られてきた。だが、京史郎への愛を貫くためにすべて断ってきた。しかし、中には強引な奴もいた。そういう輩は暴力によって抑えつけた。
すると、希にいるのだ。新しい扉を開く変態が。心音のサイコ性に惹かれる人間が。従いたくなるバカが。
――心音が怖いからという者もいるだろう。そういう連中が金を貢ぎ、労働力として動いてくれる。
「ふふっ、穂織先輩。まずは、土下座してくださぁい。私と京さんの恋路を邪魔したこと。意地悪をしようとしたことを謝ってくださぁい」
甘い言葉で謝罪を要求する心音。鞄から、髭剃りに似たスタンガンを取り出す。バチバチと音を立てるそれを突き出し、脅してみせる心音。
――すると、ベキンという鈍い音が聞こえた。
「いぎっ! ……あ……え……?」
スタンガンが、カシャンとテーブルに落下する。
「大丈夫。折ったんじゃなくて関節を外しただけだから。心を入れ替えてくれたら、ちゃんと元に戻してあげるよ」
恐る恐る視線を右手首へとやる心音。皮膚の下から、骨が歪に盛り上がっていた。
「くぅ……ん……ぐ……ああぁぁぁぁッ!」
「これ以上、和奏ちゃんを虐めるなら容赦しない」
「ふ、ふふっ……そ、そういえば、穂織先輩も空手をやっていたんでしたね」
「やってたよ。けど、私のはそんな生易しいモノじゃない」
――油断した。おめでたい奴だと侮っていた。
「小学生の時、先生に教わらなかったかい? いいことをすればいいことが返ってくるし、悪いことをすれば悪いことが返ってくるって。こういうのを因果応報っていうんだ」
「説教は結構です! みなさん! こいつを殺しちゃってください!」
容赦する必要はない。夏川穂織は殺す。いや、半殺しにして、自分のしたことを後悔させる! 己の手で墓穴を掘らせて、生きたまま穴に埋めてやる!
「唯坂さんに逆らったことを後悔するんだな」
穂織の肩に、ポンと手をのせる男性。
「きみ。人生を……終わらせる覚悟はあるのかな?」
「あ?」
次の瞬間。穂織は、座ったままの姿勢を圧縮させる。テーブルを蹴って、その勢いで椅子の上で半回転。爪先を男性の顔面へとめり込ませる。
「がふっ!」と、声をこぼしながら倒れる男性。穂織は、流れるような動作で椅子を持ち上げる。彼の鳩尾めがけて、椅子の脚の突き刺す。
穂織を捕まえようと、別の信者が動く。穂織は跳躍し、足刀を顎に叩き込む。まさに正確無比な一撃。脳を揺すられ、一撃で動けなくなる信者。
「殺すぞ、このクソアマがぁぁぁあぁ――ぎゃッ!」
穂織が、ポケットから取り出した『モノ』を親指で弾いた。それが、信者の眼球を精密に穿つ。怯んだ隙に、滑るような動きで穂織が接近。
再びポケットから何かを取り出した。
じゃらりと。
「うふぇぐッ――?」
口いっぱいに押し込まれたのは『おはじき』だった。すかさず、顎の下から掌底を食らわせる。
「おぎゅガごヴェほッ――!」
バギボギゴガリと、口の中のモノが派手に砕け散る。崩れ落ちた信者の口からは、数多のガラス片。己の歯。そして大量の血液。それらを盛大に床へとぶちまける。
「ゆ、唯坂さん! な、なんなんすか、こいつッ!」
「……なにをびびってるんですか?」
「あ、いや、びびってねえっすよ! けど、ただものじゃないっすよ!」
――この女。実力を隠していた。
いや、違う。隠していたのは実力じゃない。性格の方だ。臆病で穏やかな不思議ちゃん。アイドルを絵に書いたような彼女が、まさか境界線を越えてくるとは思わなかった。
――心音と同じ、悪意と殺意の渦巻く世界への。
いや、最初から越えていたのだろう。ただ、穂織の場合、自分の感情を制御できている。性格が大人なのだ。大人のサイコアイドルなのだ。
「こ、このっ! 調子に乗ってんじゃねえッ!」
愚直な右ストレート。穂織は、避けると同時に腕を掴む。曲げてはいけない方向へ、ベギバギと粉砕音を奏でながら曲げる。
別の男が鉄パイプをスイング。回避しながら足払い。男はバランスを崩し、鉄パイプは近くにいた別の男の顔面へとめり込んだ。困惑する鉄パイプ男の金的に蹴りを叩き込む。グシャリと。
「ぶっ殺すぞゴルァ!」
さらには刃物。まるで幽霊のようにすり抜ける穂織。腕をつかんで、合気のような動きで受け流す。刃先は、彼の太股へグサリと差し込まれる。
「あがやぁあぁぁぁぁッ!」
ナイフを引き抜くと同時に投げる穂織。それは、背後にいた男の肩に刺さる。
「ひいい、いてええぇぇぇッ!」
「この女ッ! やべえぞ!」
「ああぁあぁぁぁぁッ!」
次々に、信者たちがやられていく。いや、やられていくという表現では生易しい。
――壊されていく。
彼らは、和奏を倒すために集めた精鋭だ。これまで心音が屈服させてきた連中の中でも、悪意の強い連中ばかりを揃えた。それが、この有様――。
「どう……なってるの……?」
信じられない、と、いったふうに心音は言葉を漂わせる。死屍累々。気がつけば、揃えた駒は全滅。ひとり残らず床に転がり、苦悶を表情を浮かび上がらせていた。
屹立するのは、かよわきサイコ乙女。そいつは、刀のように鋭い視線で心音を見やった。
「もう、やめるよね?」
じゃらり、と、ポケットからおはじきを取り出す。
「ひっ……。ほ、穂織先輩は、い、いったい何者なんですか……」
「私のことはどうでもいいよ」
死を予感し、心音の心臓が暴れる。心の奥底に流氷を詰められたかのように冷たくなる。
自分の行為が、自分の人生を脅かす行為だったいうことを認識する。心音は、自分がタガの外れている人間だとは思っていた。だが、目の前に同類がいた。自分以上の同類が。
「ねえ、やめるよね?」
「事務所を? い、嫌です! 京さんだけは、絶対にあきらめません!」
「うん? 事務所じゃないよ。和奏ちゃんへの嫌がらせをやめてくれたらいいだけ」
「……へ?」
「だって、私たち……仲間だよね?」
「私を許すって言うんですか?」
――本気で言っているのだろうか。
「よ、要求はそれだけですか? もし、断ったら――ふほっ?」
穂織が親指を弾いた。心音の口内におはじきが一個入る。
「ふぇ、はっ」
ぴん、ぴん、ぴん、ぴん。次々におはじきが口の中へと吸い込まれていった。ぞぞぞと背筋が震える。口の中におはじきを入れられた奴が、どうなったのかを心音は見ている。
「うぇほっ! げほっ、はぁ、はぁ……わ、わかりました。こ、降参です」
「あとは……そうだね。ここであったことは全部忘れて欲しいなぁ。和奏ちゃんが知ったら、すっごく悲しむと思うから」
口封じか。それぐらいは受け入れようと心音は思った。穂織が何者であれ、バケモノであるということは理解した。この状況で逆転は不可能。だが、仕切り直せば話は別だ。まだ、ゲームオーバーではない。ここは従っておいてもいい。
「あ、はは。私がバカでした。最初から、仲良くしていれば……誰も傷つかずにすんだのに。穂織先輩の言うとおりだったんです……ご、ごめんなさいでした……」
「そうだよね。よかった、わかってくれて。じゃ、これ、仲直りの印ね」
彼女は、懐から『くない』を取り出すと、心音の右太股へ容赦なく突き刺した。
「え、あ……ぎ、あぁあぁああぁぁぁッ!」
痛みのあまり、膝を突いてしまう心音。
「あ、こっちは元に戻しておくね。約束だし」
心音の腕を掴み、ハズした右手首の関節をメキャリと元に戻す。再度、悲鳴が上がった。
「怪我、見つからないようにしてね。あたしにやられたってことも内緒。心音ちゃんは明日も元気に学校へ通って事務所にも行く。休んじゃだめだからね? ……和奏ちゃんが心配するから」
くないを引き抜き、笑顔で穂織は言い残す。ポケットから小銭入れを取り出し、おそらく喫茶店の代金をレジにおいて、彼女は店から消えるのであった。
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