(本名)の三題噺

三題噺トレーニング

蝙蝠の嘘 【蝙蝠/髭/火鉢】

 時は大正時代の正月。


 めでたい1日を迎えた卸問屋の家の前に、一人の行き倒れがいた。

 困ったことに、旦那は正月の寄り合いで隣県へ出かけてしまってしばらくは戻らない。奉公人達が慌てていると、女将さんが現れる。行き倒れの人をを一瞥するなり「部屋へ連れて行きなさい」とだけ言ってそのまま去ってしまった。きょとんとなる奉公人達。とにかく行き倒れの人を部屋へと連れて行った。


 部屋には、その卸問屋の跡取り息子の竹次郎がいた。まだ齢10つの竹次郎は外の世界に興味津々だったが、旦那と女将さんから「跡取り息子なのだから、よそ見をせずに勉強をしなさい」ときつく言われており、嫌気が差していたのだった。

 さて、竹次郎が寒いからと火鉢に当たっていると、行き倒れていた人がかつぎ込まれる。奉公人達が女将さんとのやりとりに首を傾げながらも部屋から去るや否や、がばっと行き倒れの人は起き上がり「いやー、こら正月から幸先がいいなぁ」などと言って、火鉢へ当たっている。ぽかーんとなる竹次郎。よく見ると、男は若く見えたが口元へ髭をはやしている。

 

 いひひひと笑っていた男だったが、竹次郎に気づくと一瞬ぎょっとなるも、やがてしげしげと竹次郎を眺めて「お前、ここの倅か」と問う。

 「そうだ。俺はここの長男の竹次郎だ」と竹次郎。男はふむ、と何か考え込むと「そうだ。坊主。ここで会ったのも何かの縁だ。すこし話聞いていけ」と言う。竹次郎はいぶかしみながらも、うん、と頷く。他のものは忙しく、すごろくで遊んでくれず退屈だったのだ。

 「そうだな、東京に本郷というところがあってな。そこにコウモリ組、という盗賊がいたんだ。コウモリ組はな、本郷の井戸の土を掘ってそこに古畳を敷いてな、何人かで暮らしていたんだ。昼は息を潜めて、夜になると盗みにはいる。それも決まって、豪商の家だ。コウモリ組はケチな盗みはやらない。やるのはいつだって、金持ちの家からだ」「すごい。そんなことをしていたのか?」男の話に竹次郎は夢中になった。

「そうだ。それに、コウモリ組は自分のためには盗まない。盗むのはいつだって、お金のない人、困っている人のためなんだ」大嘘だった。男はたしかにコウモリ組だったが、盗んだ金は遊郭に使ったり、射的場に使ったりして消えていた。


 そして、そこから、男はいかに自分が義賊としてまっとうなことをしていたか、いかに人々を救っていたかを語る。恵まれない男の子が最後に寿司を食べたいと言ったから、その子のために金を盗み、寿司をおごったこと、警察との果てなき追いかけっこで、鬼瓦で足を滑らせて捕まりかけたことなど、男はおもしろおかしく聞かせた。


 しかし、それはすべて嘘だった。男の名前は松太郎。ここの本当の長男だ。

 松太郎は、世の中をもっと見たいと言って、旦那から勘当されて東京をさまよった。

 そんな中、コウモリ組を結成してやりたい放題。そして、捕まってしまった。

 釈放されて、また遊んでやるぞと思っていた矢先に関東大震災が来てしまった。

 世情は悪く、金はない。だから松太郎は本当は金策のために家へ来ていたのだ。それも、旦那がいない隙を見計らって。ばれないと思って付けひげをつけていたが、当たり前のように女将さんにはバレていた。


 竹次郎を見た際には、これ幸いと、金庫の場所を聞いて金をかっぱらって適当なところで切り上げて逃げていくつもりだったが、竹次郎のあまりに純粋なまなざしと、重ねてしまったかつての自分と、関東大震災で呆然としてしまったこども達を思い出して、考えが変わったのだった。

 やがて、松太郎の姿はその日の夜には、煙のように消えて、問屋からお金が5円ほど抜かれていたが、そのお金は先に起きた関東大震災で孤児になったものたちの支援に使われたということが後の新聞記事で明らかになった。


「まるで蝙蝠みたいだねぇ。もうお天道様の下を歩けない身じゃあるまいに」とは、記事を読んだ女将さんの弁だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る