鶏のピリ辛鍋

 今日も陽が沈み、店を開けた。

 昨日初めて客が来た『居酒屋 迷い猫』の料理人である俺は、店先に出て店名の書かれたのれんを掛ける。

 店の真正面、広場を挟んで50メートル先には迷宮の入り口があり、今日も二名の衛兵が出入りする冒険者をチェックしていた。しかし彼らは気付いてないだろう。自分たちの足元からこの店までの範囲、狭くはあるが地上も迷宮になっていたのだ。

 昨日訪れた迷宮主を名乗る客は確かにそう言っていた。


「寒みぃ……」


 冷たい風が吹きつけ店に戻る。春だというのに、今夜は冬に戻りそうな寒さだ。

 こんな日は温まる料理がいいだろう。アイテムボックスのおかげで仕込みは万全だが、今から増やせる品はないだろうか。

 温まるといえば煮込み料理……ひき肉とキノコを煮込むか……いや、激辛麻婆豆腐も捨てがたい……定番のおでん……は今からだと遅くなるな……あ、グラタンの準備もできてる……全部作りたい。


「エミール君、そわそわしてる。お客さん来るといいね」


 カウンターで本を読んでいたメルセデスが、こちらを見てにんまりしている。

 いつも通りゆったり編んだピンクブロンドの髪が目に暖かい。いや、温かそうに見えるのは胸がでかいせいだろうか。


 昨日初めて客が来たせいで、確かに俺は落ち着かない。今日も客が来るんじゃないかと期待してしまう――普通の店は来るからな。客の一人や二人、来ない日ないから。


「店長も他人事じゃないだろ? 暇なら外で客引きでもしてこいっ」


「お外寒いのに~」


 わめく店長に防寒着を被せて、外に放り出す。

 心静かに仕込みの続きを……と思ったら、もう終わっていた。温まる料理をぼんやり考えながら、やってしまったらしい。やっぱり今夜は落ち着かない。


 と、引き戸がガラリと開いた。

 寒い中での不毛な客引きに、メルセデスが早くも音を上げたか。

 ビラでも持たせればよかった。


「お客さん、連れてきたよ~」


 顔を上げると、にんまり顔の店長のほかに昨日来たグーラ、あと見慣れない女が二人いた。


「まじかよ……いらっしゃい。テーブル席にどうぞ!」


「うむ、今宵は冷えるの」


 寒いので、とりあえず熱いお茶とおしぼりを出した。

 新顔の二人はグーラが連れてきただけあって、キモノと似た異国の服を着ている。


 長い黒髪を両サイドに垂らした方は、寒そうにしながら赤い瞳でこちらを値踏みするように睨んでいる。キモノはグーラ同様高そうな服だが、こちらの方が落ち着いた色合いだ。


「この寒い中わざわざ足を運んであげたのだから、おいしいものを出すんでしょうね? まずかったらただでは済まさないわよ?」


「はいはい。うまいもん食わせちゃるぜぇ」


 高飛車系美人がキッと指差して啖呵切ってくれるとか、もうご褒美だな。

 毎日ゆるふわ店長と顔つき合わせてると、こういうの逆に癒されるわー。


「ちょ、ちょっとそこの料理人、聞いているのかしら!?」


「よせテルマ。主様が連れてきてくださったのだ、店への無礼は主様の顔に泥を塗ると心得よ」


 そう言うのは銀髪を後ろで結った方。黄色い瞳で店の様子を伺ったきり、目を伏せている。美人だが怜悧で、連れというより護衛に見えた。

 こちらの真っ白なキモノは上下にパーツが分かれそうで、他の二人と違うものだとわかる。腰に差しているのは冒険者でも珍しい、刀だ。迷宮主が連れているのだから、相当の猛者なのだろう。


 マグロの解体とかやってくれないかなぁ。


「しかし主様に迷宮化して頂いたご恩を感じるなら、貴様も死力を尽くすがよい――店主よ」


 そういうビャクヤの目は冷たく、料理に何も期待していない、と語っていた。凛々しい美人に冷たい目で見られてちょっとゾクゾクした――じゃなくて。

 

 迷宮化なんて頼んでねぇが、やってやろうじゃねぇか。こっちゃいつだって店の看板背負ってんだ。店主じゃないけどな!


「おぅ、その涼しげな顔を汗だくにして、ひぃひぃ言いながら食わせてやるぜ!」


「エミール君、悪い顔してるよぉ……あと、店主はわたしなんだけど……」


「カカッ、今夜も期待しておるぞ、エミールよ。これは『水脈竜テルマ』と『氷雪竜ビャクヤ』と言っての、われの迷宮を守る階層主よ」


「階層主……てかドラゴン連れてきちゃったの?」


「今は人の姿をとらせておるがの。無論そこらの魔物ではないぞ? われがここよりずっと東にある国で祀られておった頃からの眷属での。神獣と呼ぶのが正しい」


 確かに魔物呼ばわりしたら怒りそうな気配あるな。人の形した美人だし。

 こうしてまた一歩、この店は人間の客から遠ざかっていくわけだが。グーラの時はいきなり注文されて反射的に料理出しちまったけど、神とか竜の味覚なんてわからないんだよなぁ。


 メルセデスは注文も待たずに酒とお通し(今日は鶏と根菜の煮物)出してるし、まぁ聞いちまうのが早いか。


「なんか食いたいものあるか? 好みの味でもいい、できるものなら出すぜ」


「そうよのぅ、われはうまいものならなんでもよいが――ぬしら、なんぞ望みを言うてみよ」


 あ、これ料理人を一番困らせる人だ。

 グーラならほんとになんでも食べる気もするけど。


 先に声を上げたのは、両手で熱い湯飲みを抱え込んだテルマだった。


「わたしはグーラ様が召し上がるものなら、ゴブリンの生き胆でも構わないけれど……そうね、熱いものがいいわ。この店ちょっと寒くないかしら?」


 竜ってゴブリン食うのかよ……やっぱ味覚違うじゃねぇか!?

 いや、今のは『まずくて食えないもの』って意味かな?

 わかんねぇ、竜の味覚、わかんねぇ……!


「この身は主様が食えと命じたものを食すのみ。しかし最近は冒険者の火炎魔術も少々食い飽きた。氷雪竜の名のごとき冷たいものを所望する」


 火炎魔術って食い物なの!? 『魔術は飲み物』とかそういうノリ?

 しかもビャクヤは冷たいものをご所望か、この寒いのに。

 竜の味覚、わかんねぇよ……。


「あとはそうねぇ……甘いものが食べたいわ。人の子はそういうの得意でしょ?」

「この身は辛いものを好む。人の子は火を吹くほど辛い物を食べると聞く」


「さっぱりしたものがいいわ」

「こってりしたものがよい」


「柔らかいもの」

「歯ごたえのよいもの」


 ………………。

 何から何まで逆だなぁ。そりが合わないってやつか。

 うまくいかない部下二人を居酒屋へ連れてくる上司。これはつまり――


「うむ、『飲みにけーしょん』だの!」


「!?」


「ほれ、テルマも飲め。今宵の酒はこの辺りでは珍しい、米の酒ぞ。われらの故郷を思い出すではないか」


 そう、店長がグーラたちに出したのは米から造った清酒だ。グーラが昔いたという東方の国に近いものがあるらしい。酒好きのメルセデスが見つけてきたのを早速封切した。どうせ本人も一緒に飲んでるし。


「グ、グーラ様。わたし、お酒はあまり得意じゃないのよ。知ってるでしょう?」


「無礼講ぞ、よいではないか、よいではないか!」


「……」


 無言で飲むのがやけに似合っているのはビャクヤだ。

 そして酒を部下に強要する行為。これはつまり――


「うむ、『あるはら』だの!」


「!?」


 さっきから心でも読んでるのかよ? まぁ神様だしなぁ。


「うむ。小僧の心くらい読めずして何が神か。であるからして、われらに味の好みなどあってないようなもの。人の子の好む味でよい」


「いいのか?」


 後で『人間の血の味が足りない』とか『魔法が効いてない』とか言わない?


「難しく考えたところで、エミールは階層主を見るのも初めてであろう?」


「たいていの人間は竜自体、生涯見ないんだぜ!?」


 遭遇したら死ぬからな! そもそも竜が人の姿になるとか、物語の作り話だと思ってたぜ。

 肉は超高級品でうまいらしいけど、ああいうの見るとなんかなぁ。


「そうであろう。ビャクヤには五層『雪原』、テルマには六層『温泉街』の管理を任せておる。……おるのだが、昔から折り合いが悪くてのぅ」


「それで飲みに連れてきたと……迷宮に温泉があることのインパクトでそれどころじゃねぇよ」


「六層は魔物の出ないセーフゾーンにしたのだが、どうせなら温泉があればまた来たくなるであろ? われも温泉入りたいしの。で、腹も減ったし飯は気楽に作ってくれてよい」


 リピーター確保か。やるな、うちのお向かいさん。

 そういうことなら、こっちはいつも通りのうまいものを作ろう。


  ***


 さて、メニューは決まった。


 昆布を入れた水を火にかけ、沸騰する前に火を止め昆布を取り出す。

 鶏モモ肉と手羽先はフライパンで皮をパリパリに焼いて、モモ肉はぶつ切りにする。出た脂でカットした白ネギを焼く。


 ネギに焼き目がついてきた頃、テルマとビャクヤの言い争う声が聞こえてきた。


「――あなたはまたそうやって! よそ様で飲み物を凍らせる癖、不作法だからやめてよねっ」


「何を。これは『しばれ酒』というれっきとした飲み方だ。これだから酒も飲めない奴は無粋なのだ。それに貴様こそ、よその階層で勝手に温泉を作っていると聞いている。この身の雪原には湯けむりなどたてさせぬぞ」


「あら残念。もう作ったわよ、雪見風呂」


「なんだとっ!?」


「冒険者は汗をかくんだから、お風呂が無いと不潔じゃない。あなたの階層の次はわたしの温泉なんだから、最低限身ぎれいにしてきてほしいわ?

 それより雪原の冷気がこっちまで漏れてるわよ。源泉の温度が下がるじゃないのっ!」


「仕方ないであろう、この身の権能は周囲のすべてを凍てつかせること。この店とてグーラ様がいなければ、この身の意思とは関係なく凍り付いているだろう」


 まじで?


 鶏ムネ肉をミンチにし、みじん切りにした白ネギ、塩、片栗粉、卵、酒、醤油、少々のごま油とおろししょうがを混ぜ、粘りが出るまでこねたら団子にする。肉400グラムから20個くらいの団子ができる。

 キノコは石突を取ってカサに切れ目を入れ、豆腐と白菜は大きめにカットしておく。


「あらまぁ! この雪女ったら、とんだ迷惑女だわっ。どうしてこんな陰キャが人里にいるのかしら?」


「貴様、言ってはならぬことを!? 水脈が無ければ何もできぬ竜の面汚しめっ!」


「あら、試してみる?」


「覚悟はよいか?」


 うん、順当に大喧嘩になり、刀に手をかけたビャクヤと、懐から扇を取り出したテルマが腰を浮かせた。

 まさに一触即発、怪獣大決戦前夜。冒険者相手の仕事だから荒くれ者のケンカくらいは覚悟の上だが、これは俺、死ぬのでは?


 その時、ちゅるちゅると酒をすすったメルセデスがコトリとお猪口を置いた。


「もうすぐご飯がくるから座ろうね――テルマちゃん、ビャクヤちゃん」


「「「!!」」」


 !? いつも通りにこにこしているのに、背筋にぞくっときた……。

 階層主二人と、なぜかグーラも叱られた犬のようにビクリとした後、バツが悪そうにお通しをつつき始める。


 土鍋に醤油、味噌、みりん、砂糖に、少々の豆板醤と魚醤、おろしたニンニクとしょうがを加え、火にかけて香りが立ったら作っておいた鶏ガラ出汁と昆布出汁を等量加える。

 下ごしらえした具を火の通りにくい順に投入し、煮立ったら灰汁を取りつつ火を通す。


 食欲をそそる匂いが広がったせいか、テーブル席から腹の鳴る音が4人分聞こえてきた。


「いい匂いがしてきたのぅ……二人もそろそろ腹が限界であろう」


「ケンカするとおなか減るもんねぇ」


「面目ない……」

「恥ずかしいわ……」


 テーブルの真ん中に小さな魔導コンロを置き、土鍋を乗せ弱火にした。

 蓋を開けると湯気と刺激的な香り、それにぐつぐつと煮立つ音に包まれる。


「まぁ……」

「これは……」

「ほぅ……」


 出来上がりの歓声も調味料。これが、


「『鶏のピリ辛鍋』だ。取り皿も置いとくぜ」

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