カツ丼

「つまりメルセデスのメシマズ効果でなけなしの客も来なくなってひと月近く経つわけだが、なんかコメントある?」


「エミール君、おなかすいたぁ」


 話を聞いていたのかな、このゆるふわ店長は?

 時刻は11時、確かに夜食がまだだった。

 店の営業時間は大雑把だ。この一週間は陽が沈むころ開けて、この時間には諦めて閉めている。客入りのいい時間帯を推し量れる状況じゃないからな。

 なので開店前に早めの夕食をとり、暇を見て夜食をとるという俺の実家方式を採用したわけだが、客が来ないと仕事のリズムがつかめず、ちょいちょい食い逃す。


「よし……メザシご飯でいいか」


「しくしくしく……がっつりしたご飯が得意だっていうから雇ったのに……」


「客来ないのに贅沢だなぁ……」


 とはいえ俺も腹が減った。どうせ仕込んだものは処分しなけりゃならないし。


「じゃ、なんか作りますか!」


  ***


 すじ切りした豚ロースに塩コショウし、ミートハンマーで・・・・・・・・叩く。伸びた肉の形を整えたら小麦粉をまぶし、余分な粉をよく払ってから卵液に浸し、パン粉を厚めに付ける。

 これは10分以上おいて馴染ませたいので、ここまでは仕込みで済ませてある。


 とんかつを仕込んだ日はフライヤーを2台温める。

 170℃の油で色づくまで揚げたら、190℃の油でいい色になるまで二度揚げし、油を切る。


 フライパン(親子丼鍋ならなおよい)にかつおだし、酒、みりん、しょうゆ、砂糖を入れて弱中火にかけ、縦にスライスしたたまねぎを投入、2,3分煮る。

 2cm幅で切ったカツを入れ、煮汁をすくいかけて満遍なく吸わせる。ざっくり溶いた卵液の2/3を回し入れたらフライパンをゆすって均し、蓋をする。


 そろそろご飯をどんぶりによそう。

 卵が固まったら残りの卵液を加え、30秒くらいゆする。

 崩れないようにご飯に乗せ、さらに三つ葉を乗せたらどんぶりに蓋をする。


 『カツ丼』の完成だ。味噌汁とお新香も付ける。


                ***


「わーい、カツ丼だ♪ ほんとにぜいたくぅ~」


「まぁ、うまそうに食うよな……」


 食べる時は顔の半分くらい口になる店長である。

 メルセデスが嬉しそうに頬張るのを見てから、俺も自分の丼に手を付けた。

 うん、うまい。やるな俺。


「やっぱりエミール君のご飯はおいしいなぁ。お店のことなら心配しなくても、お金たくさんあるからね。好きなだけおいしいもの作ってね」


 生活できるのはありがたいんだけど……あんたの専属料理人になったつもりはないんだよなぁ。

 どうせならたくさんの人に食べてもらいたいのが料理人の性ってもんだ。これだけ立派な厨房を備えた店で働けるならなおさら。


 いろんな好みを持った人を俺の料理で満足させたい。俺の腕と味覚を総動員して、客の要求に応えたい。そしていつか、俺は自分の店を持ちたい。王都の実家を継ぐのは嫌じゃないが、俺は自分の力で自分の城を建てたい。

 そのために俺はここで働いている……はずだったんだが。


「んは、おいひー」


 うまそうに食べるメルセデスを見ると、なんか逆らえない。


 と、妙な空気を割るように引き戸がガラリと鳴った。

 カツ丼の匂いを洗い流すように冷たい風が吹き込む。店内に新たな人影があった。

 そういえば今日はまだのれんをしまってなかったな。


 俺は店に第三者が入ってきたところを見たことがない。この店に客が来ないからだ。そう、この店『迷い猫』には客が来ない。ならば今、戸の前に仁王立ちしているのは何だろう。ひらひらした異国の服を着た幼女だ。ふさふさした金髪を結い上げ、髪飾りを差している。瞳は青い。狐のような耳としっぽがついてるということは、獣人の子どもか。そんな子が深夜に何の用だ? なぜ出歩いている? 本当に子どもだろうか。そもそもここは居酒屋だ。子どもが来るような店じゃない。そうか、妖精の類か。つまりそこにいるのは居酒屋の引き戸の妖精――


 ――というか、俺が待ち望んだ初めての客が立っていた。

 急に来たものだから、すっかり取り乱してしまった。


 突然の客は俺とメルセデスのどんぶりを興味深げに見ると言った。


「そのカツ丼とやら、われももらおうか!」


                ***


「お嬢ちゃん、こんな時間に一人か? 変わった服だけど異国の人? お父さんかお母さんは?」


 ふう。一瞬客かと思って舞い上がったが、やっぱり子どもが一人で来るような店じゃない。たぶん迷子だろう。


「たわけ、迷子ではないわ! あとこれはキモノという東方の装束ぞ。わかったら、はよカツ丼をもて」


 オゥ、キモォノォ――はよくわからないが、この三角耳幼女は客だとおっしゃる。そして店長は味噌汁をすすっている。


 まぁ種族によっては子供に見えても俺の親父より年上だったりする。ここはあらゆる種類の人類、特に強者が集まる冒険者の街だ。見た目通りの獣人ではないのかもしれない。

 だが、そう思っても一応言っておくのが飲食の嗜みだ。


「お嬢ちゃん、ここはお金を払ってご飯を食べるお店なんだ。お金は持ってるか?」


「無論」


 幼女はメルセデスの隣の椅子へ飛び乗ると、カウンターに小金貨を出して見せた。

 この国の貨幣は銅貨に始まり、大銅貨、銀貨、小金貨、金貨、大金貨へと10枚ごとに切り上がる。俺の賃金が家賃・食費無料で月に小金貨10枚、つまり金貨1枚だ。小金貨5枚もあればこの街でひと月普通に暮らせることを考えると、破格の待遇である。

 そしてこの店で小金貨1枚出せば、健啖な冒険者が5人は腹いっぱい飲み食いできる。つまり十分だ、釣りがくる。


「エールでよいから酒もよこせ」


 小金貨1枚の幼女は悠然としっぽを揺らしながら追加注文した。


「お嬢ちゃん、酒飲めるの?」


 大体15歳で成人って言われるけど、俺はあまり飲まないよ? 味は一通り覚えたけど。

 この子は10歳くらいに見えるけど飲ませていいのかなぁ。

 店長を覗うとカツ丼を完食してお茶をすすっていた。接客しろよ……。


「その『お嬢ちゃん』もそろそろやめい。われにはグーラという名があるのだ」


「お、おう、グーラな。しかし子どもに酒飲ませるってのはなぁ……」


「――エミール君、この子は大丈夫だよ」


 いつの間にか食器を下げたメルセデスが、冷えたエールと小鉢の炒り豆をグーラに出した。自分の分も準備してジョッキを煽り始める。

 何が大丈夫かわからないが、金払うなら客だ。そしてここは飯を出す店だ。

 俺は頭に巻いた手ぬぐいを締め直した。


「いらっしゃい。カツ丼少々お待ちをっ」


                ***


「――お待ちどうっ!」


 カウンターに出したカツ丼に、グーラの顔が綻んだ。


「ほぉ、蓋つきとは強そうだ。人間の食い物は面妖だの」


 それに答えるようにグーラの腹が鳴った。

 すきっ腹に食うカツ丼はさぞかしうまかろう。

 でも料理に強いとかないよ?


「どれ、いただくとしようかの――」



  ~ グーラのめしログ『カツ丼』 ~


 どんぶりの蓋に手をかけると取っ手まで熱く、いやが上にも期待を掻き立ておる。そっと開ければ湯気が立ち上り、出汁と三つ葉の香りに空っぽの胃がねじれ、悲鳴を上げおった。


 もう辛抱堪らぬ! われはカツの切れ目に箸を突き入れ、口に運んだ。かじりつく。カツの衣から甘めの煮汁がじゅわっと染み出した。肉は柔らかく、ホロホロの衣とよく合っておるの。

 肉のうまみと衣の油は濃い味の煮汁にまとめ上げられ、われは慌てて飯を口に追加した。甘い。米が、甘い。カツ煮のうまさが丸ごと飯に移り、喉を通っていく。


 次にとろっとした卵を口に運ぶ。しっかりとじられているのに、とろみを残しているのは如何なるわけか。そうか、そのための蓋であるなっ!? 蓋は卵をじっくり蒸らしてとろみを残すためであったか! (ちがうよ? by エミール)


 この卵には煮汁を吸い込んだ甘いたまねぎが隠れておるのぅ。煮込まれたにもかかわらず、しゃくしゃくとした食感を残すたまねぎの香味。これに少量紛れ込んだカツの衣が混ざると……うまさが跳ね上がりおった! われはまたしても慌てて飯を口に追加する。米の甘みに幸福感が湧き出し、止まらぬ。われの箸は最早止まらぬぞっ!


 ついにどんぶりの底には最後の一口が残された。このために残しておいたのは、半月を象ったような端の一切れ。名残を惜しむかのごとく、飯と一緒に噛みしめる。ひときわ脂身と衣の多いこの一切れに満足感をダメ押しされ、われは箸を置いた。


     ~ ごちそうさまであった! ~



「かはーっ、うまかったのぅ」


 味噌汁をすするグーラにお茶を出した。

 メルセデスもたいがいだが、随分とうまそうに食べる子だ。


「うまいものでも食ったような顔をしておるが、どうかしたかの、料理人?」


「エミールだ。うまそうに食べてもらって嬉しくない料理人はいねぇよ」


 しかも初めての客だしな。


「エミールとやら。ぬしはなかなかの腕よの。いっそ――」


「――グーラちゃんは、どうして迷宮の外にいるの?」


 二杯目を飲み干したメルセデスがジョッキを置いて割り込んだ。俺には質問の意味がわからない。迷宮ってうちの向かいのことだろうか。


「そりゃ、うまいものが食いたくなったからに決まっておろう、メルセデスよ」


 名乗っていないはずのメルセデスの名を知っていた。


「店長、知り合い?」


「グーラちゃんはね、うちのお向かいさんの迷宮主だよ」


 そう言ったメルセデスの目が一瞬冷たく光ったように見え、背筋に冷たいものが走った。

 しかし迷宮主とはまた聞きなれない言葉だ。

 俺の困惑を汲んでか、メルセデスは口に手を当て説明を続ける。


「迷宮主っていうのは……あ、グーラちゃんがおいしそうに食べてたから小腹空いてきたかも」


 おい。


「うむ。冒険者でもないぬしには迷宮もピンと来ぬようだな、人の子どもよ」


「子どもじゃねぇよ……俺はただの料理人だからな」


「ならばわれが講釈してやるゆえ、もう一品二品作るがよい。あとエールは飽いた、リンゴ酒をもて!」


「わたしも食べるー!」


 俺の返事も待たずにメルセデスはリンゴ酒を用意し始めた。うちのリンゴ酒カルヴァドスは度数が高く、じっくり飲むスタイルだ。まぁ居酒屋だからいいんだけども。

 ではそれに合う……今から作ってもあまり待たせない肴はなんだろう。もうご飯ものを出した後だしなぁ。


「じゃあ油温めたばかりだし、次も揚げ物でいいか?」


 そもそも閉店間際なんだわ。

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