夜職のグルメ

水原麻以

シンデレラのキッチン

時計が十時を回ると青づくめの男がやってくる。白馬の王子であればどんなに素敵か。小山のような男は「もう帰れませんよ」と無常の宣告をして階下へ消えるのだ。ああ、そしてクーラーボックスがでんと置いてある。こいつがどんなに頑張っても日付が変わろうとカボチャに戻ることはない。ましてや羽が生えてシンデレラの成りそこないを拉致する事もない。

というか悲劇のヒロインでも幽閉の姫君でもない。わたしは今まさにここで戦っている。牧歌的なファンタジーとは少し次元がずれているが闘いの渦中にいる。進軍ラッパのごとく着信音が鳴り響き銅鑼の代わりにホワイトボードが拳で打たれ雄たけびでなく口角泡を飛ばす男たち。

そして火が燃えている。メラメラと燎原の火が納期を予算を神経を焼き尽くす。

燃えている。私には見える。勤労の喜びや働き甲斐を灰燼に帰す途方もなく巨大な負の炎。


現場が燃えている。

私は火消しだ。ニックネームでも称号でもない。職種は火消し。派遣元責任者はそう呼んでいる。

バトルフィールドは電子のジャングルだ。うねうねとカテゴリー5ケーブルが伝い鋼鉄のラックが林立し平均気温は熱帯。そこに火消しと呼ばれる専門職が大量投入されている。

システム開発は時間でなく工数との戦いだ。顧客の要望に応じてソフトウェアをオーダーメードするがゼロから新造するため手探り状態と製造を同時並行する必要がある。そしてプログラミングは機械化できない頭脳労働である。

人が足りない。圧倒的に人間が足りない。予定していた納期は大幅に過ぎ各店舗のオープニングスタッフも研修が終了し割引クーポンも出来上がっている。

なのに運用システムが微動だにしない。できないのだ。作っている最中だから。

開発予算はとうに尽きた。しかし完成までほど遠いシステムを突貫工事するための人件費が要る。

そこで開発元は顧客を騙して不要不急の追加仕様を認めさせ予算を確保し「火消し」という名の専門チームを招集して工期短縮をはかる。


私のことだ。既に小休止と食事と仮眠を含めて42時間もここにいる。互いに顔も知らぬ各界のスペシャリスト。

ピアノ連弾のごとくキーボードを叩き漏水が溢れるようにソースコードエディターの文字列が成長する。そのカタカタと規則的な作業音に私の刻む高級言語が溶け込んでいる。

担当はデータベース。私はチューニングという工程を得意としている。入り組んだリレーションを解きほぐし冗長なSQLコードをスッキリさせる。「どこをどうすればこんなに美しく整うんだ。お前は魔術師か」とお褒めの言葉をいただくと耳の後ろがかゆくなる。

そんな小さな生き甲斐ほしさに炎上する現場を渡り歩いている。


時計の針が23時をさした。誰とでもなくキーボード入力の手を休めスチール机からカップラーメンやポテチのお徳用パックを取り出しては休憩室へ持っていく。ズタボロに裂けたソファー。ウレタンが臓物のようにはみ出している。

「しまった! セコムが動いてるんだっけ」

嘆きとも驚嘆ともつか茶色い声。ビルはロックダウンしている。内部からも外部からもアクセス不可能。

こんな時にどうやって腹を満たせばいい。


そこでシンデレラの出番だ。

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