第7章 御大名の刀

数日後、屯所に関屋が訪れた。

「こちらの御刀を、ぜひ土方さまにお買い上げいただきたく……」

それは、関屋が家宝、と言っていた、あの『之定』だった。歳三は驚き、

「い、いや、いくらなんでも、あんたの家宝は……それに、そんな大金は今俺の手元にはねぇ……そうだ、中川宮様はどうした!?」

動揺を隠せない歳三に、沖田も、斎藤も、良蔵もクスクス笑っていた。

「おめぇたち、笑ってないで、なんか言え!」

「欲しければ、欲しいって言えば?土方さん」

沖田がからかった。すると、関屋は言った。

「この『之定』は、まことの武士だけが持つ資格がある、という私の考えに嘘はありません。土方さまは、『之定』にふさわしいお方と思っております。もう一人、私がまことの武士とお見受けした方がいらっしゃったのですが……お名前も、いらっしゃるところもお話しくださいませんでしたので……」

「ほほう……どんな御仁だ?」

歳三は聞いた。関屋は、

「私が怪我をして間もない頃、店にいらした薩摩の方で……」

と言うと、良蔵が、

「あっ、その方、僕がチビだって笑った、あの失礼な方ですね!?」

と言ったので、歳三は、苦笑いした。関屋も微笑みながら、

「それは、災難でございましたね。その方の手もそうですが、目が、良い御刀を知っている目だと」

と言った。良蔵は、バカにされた悔しさで顔を良く見ていなかったのだが、そんなに立派な武士には見えなかったのに……と思っていた。歳三は、

「……薩摩でなければ、一度会って話してみたいもんだな、その、『まことの武士』とやらと……」

と呟いた。


少しの間、会話が途切れた。やがて、何かを決心したように、関屋は話し出した。

「私は妻が亡くなったのを機に、都へ出て、刀で名家との付き合いを深めようという野心を持っていました。でも私の意固地な商売のため、自分の命ばかりか、娘の命まで縮めるところでした。新選組の皆様がいなかったら、私は自分を責め、一生後悔してすごすところでした」

良蔵が、

「新選組は『名家』じゃあないですもんね!」

と言うと、歳三が、

「なんだと?」

と良蔵を睨んだ。関屋はそんな二人を微笑ましく見た。

「良蔵さんのおかげで、私は何を守らねばならないのか、やっと気づきました。私の心の臓が、あとどれほど持つかわかりませんが、この先は、親子で静かに暮らそうと思います。もう、この『之定』は、私が持つべき刀ではありません。本当なら、命を救っていただいたお礼に、差し上げたいところですが、それでは土方さまも納得なさらないでしょうから。おいくらでも結構でございます。お心のままに。中川宮様には、どこかの御大名に、即金で買われたために手に入らなかった、とお伝えいたしますので……」

と言った。歳三が、

「じゃあ、美濃に帰るのかい、関屋さん」

と聞くと、

「はい、このまま京にいても、物騒でございましょう……?」

と答えた。その通りだ。まだ岩国屋は生きている。また恨みを買うかもしれない。千恵のためにも、帰った方がいいのだ、と歳三は思った。

「ち、ちょっと待っててくれ」

歳三は、しばらくたって、金子を携えてやってきた。

「すまねぇ。今、俺に自由になるのは、これだけだ。これで、『之定』を譲ってもらえるのか?」

たぶん、そのときの歳三の持ち合わせ全額であったろう。関屋は、

「お買い上げ、ありがとうございます」

と微笑んだ。そして最後に、歳三に告げた。

「新選組にとって、これからは向かい風が強くなるでしょう。どうか、お命をお大切になさってください。あなたを守ろうとしてくださる方のためにも……」

歳三は、関屋の言葉の意味がわかったのか、わからないのか、ただ、頷いただけだった。


その月のうちに、東堀川通の刀剣商、『関屋』は店を閉めた。その後の消息は、誰も知らない。


年の暮れに、大変なことが起こった。孝明帝が急死したのだ。最初は軽い風邪だという話だった。そのうちに、疱瘡だといわれ、療養されていた。松平容保が中川宮から聞いた話では、回復しておられる、ということだったのだが...。

「岩国屋が、一枚噛んでいますかね?」

と、沖田が歳三に聞いた。

「わからねぇ。しかし、これで徳川幕府を擁護してくださる大きな傘はなくなった、ということだな」

歳三は言った。


やがて、徳川幕府はその幕を閉じた。新政府となった薩長を中心とする軍と、徳川の体制を守ろうとする幕臣達の軍とで戦争になった。戊辰戦争である。新選組も、その大きな渦の中に巻き込まれていった。井上が、山崎が、沖田が、その中で消えていった。多くの仲間が離れていった。小姓の良蔵も、転戦の途中で別れてからは消息不明だった。そして、盟友、近藤勇も、流山で新政府軍に投降し、板橋で刑場の露と消えた。


歳三は、たとえ一人になっても戦うことをやめないと誓った。自分には戦うことしかできないのだと思っていた。それが、武士なのだと。


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