第5章 武士の誇り

ある日、良蔵は非番だった。同じく非番の沖田と、久しぶりに京の街を歩いていた。良蔵は胸がドキドキしていた。最近、沖田の顔を見ると胸が苦しくなるのだ。今までになかったことに、良蔵は戸惑っていた。言葉が少ない良蔵に、

「どうしたの?良蔵。美味しいおしるこ屋見つけたんだよ。良蔵がここに来て、初めてだろう?一緒の休み」

と覗き込む。

「う、うん……」

顔を見られないようにと、良蔵は俯く。

「誰もいないから、本当の名前で呼ぶか、な、りょう」

沖田の優しい声に顔をあげる。その顔は、紛れもない少女の笑顔だった。「良蔵」は、新選組に入るための男名であり、本当の名は、「玉置りょう」といった。久しぶりに本名で呼ばれて、「りょう」は素直に喜んだ。沖田の前でだけは、自分を偽らずにいられることが嬉しかった。


東堀川通を歩いていると、関屋の前を通りかかった。

「あそこが、『関屋』さんだよ、総兄そうにぃ」

沖田は良蔵が示す先に目をやった。そんなに大きくない構えの店であった。その横に、立派な駕籠が止まっていた。その提灯の紋に、沖田の目が止まった。

「あれは、両替商『岩国屋』の駕籠だな……。関屋は、岩国屋とも付き合いがあるのか……」

それを聞いて、良蔵が言った。

「『岩国屋』さんて、すごく大きな両替商でしょう?この前は、中川宮なかがわのみやさまのお使いの方もいらしていたよ。宮さまが『之定』をご所望されているんだって。刀剣を扱うお店は大変だね、総兄ぃ」

すると、沖田の顔が厳しくなった。

「中川宮さまは公武合体派だ。今の帝のご信任も厚く、会津とも懇意にされている。そのため新選組にもご理解がある方だ。お公家様でありながら、剣術にも造詣がお深いと聞いている。対して、『岩国屋』は、長州との繋がりが深いといわれている。倒幕派の志士に資金を出しているという噂もあり、探索方も調べたのだが、まだ証拠がつかめていないんだ。中川宮様は、長州には恨みを持たれていると言っても過言でない。『岩国屋』が中川宮様の依頼を知って、『関屋』を訪ねたのだとしたら……」

すると、良蔵が呟いた。

「じゃあ……『岩国屋』さんも『之定』を探しているってこと……?まさかね」

良蔵は冗談で言ったつもりだったが、沖田は真顔になった。『岩国屋』は、元は周防国の出で、池田屋事件のあとくらいから、大坂や京で勢力を増してきた両替商だった。長州の関連している事件の裏には、必ず『岩国屋』がいるはずなのだ、と沖田は思っていた。新選組がその行方を捜している、桂小五郎とも『岩国屋』は繋がっているらしい...『之定』を使って、中川宮も、『岩国屋』も何をしようとしているんだ……?


良蔵は、沖田に『関屋』の話をしなければよかった、と後悔した。

「総兄ぃ、屯所に戻る?僕ならいいよ。何か気になる事があるのなら、幹部の皆さんに話したほうが……」

良蔵の寂しそうな顔に気づいた沖田は、

「ごめんごめん、りょう。何でもないよ。さあ、おしるこ食べよう、ね!」

と、明るい表情に戻り、歩き出すのであった。


その頃、岩国屋は、関屋にやはり、『之定』を手に入れるよう、依頼していた。いや、依頼というよりは、脅迫に近かった。

「中川宮さまより、『之定』の依頼があったそうですな。お隠しになってもむだですぞ。話はこちらにも伝わっておりますでな」

岩国屋は、関屋に聞いた。

「中川宮さまは、島津公が上京の折り、宮様の警護をされた薩摩藩士の方に感謝として刀をお贈りされるおつもり、と聞いておりますが」

関屋はとぼけた。すると、岩国屋は言った。

「関屋さん、あんたが美濃から出てきて店を構えたいと申し入れがあったとき、この岩国屋がいろいろ便宜を図ってさしあげましたな」

岩国屋は、言いたくないことを言わせるな、という顔をした。

「感謝いたしております。私ども親子がこの東堀川通に店を構えられましたのは、皆、岩国屋さんのおかげでございます。ですから、月毎に売り上げの一部を献上いたしておる次第……」

関屋がそこまで言うと、岩国屋は、うぉっほん!と咳払いをした。

「関屋さん、あんたもそろそろ旗幟を鮮明にされた方がいいのではありませんかな?中川宮さまは、幕府に近い立場のお方ですぞ。余り近づきになるのは、お勧めいたしませぬな。この京で商いを続けたいと思われるならば……」

岩国屋は関屋を見た。関屋は顔色を変えることなく、岩国屋に聞いた。

「私に長州の間者になれ、と仰せですか?」

岩国屋は、胸の前で手を振り、にやりと笑いながら

「お人聞きの悪いことをおっしゃいますな。そのようなことは申しておりません。しかし、もう、長州と薩摩は盟約を交わしました。先だっての幕府の大敗でもわかるように、時勢は変わってきております。この先、どちらにつく方が商いの利に繋がるか、お考えになってもよろしい頃ですぞ……!」

と言った。その顔からは、笑みは消えていた。関屋もさすがに、ここはおとなしくした方がいいと思ったのか、

「それで、私に何をお望みなのか?私は一介の刀屋でしかありません」

と岩国屋に聞いた。岩国屋は、やっと本題に入れる、とばかり、膝を正して話し始めた。

「関屋さん、あんたはその屋号が示す通り、美濃、関の刀鍛冶とは懇意にしておりましょう。『之定』を探すくらい、訳が無いはずです。『之定』を手に入れられましたら、中川宮様でなく、こちらにお渡し願いたいのです。これは、長州と薩摩の盟約を維持するため、ひいては、日本国の将来のためでもありますぞ」

岩国屋の言葉に、関屋は顔をしかめた。

「関の名刀、『之定』を、盟約の引出物にするとおっしゃるのか!?あれは本当に刀剣を知るものが持つ刀。駆け引きの道具にされるようなものではありません!」

「駆け引きこそが、商人の生きる術ではございませんかな?関屋さん!」

岩国屋の気迫に、関屋は言葉を詰まらせた。

「し、しかし、私はこのように怪我を負っている身でございます。とても今、美濃へ旅することなどできません」

関屋が言うと、岩国屋はまた、にやりと笑った。

「あるではございませんか。関屋さんの手元には、『之定』が、一振り...」

関屋の顔色が変わった。

「ど、どうしてそれを……!?やはり長州の間者を束ねているという噂は...い、いや、あの『之定』は売り物ではありません!あれは私の……!!」

俯く関屋に岩国屋はさらに言った。

「お早い決断をされたほうがよろしいかと……この先、何が起きるかわかりませんからな」

そう言い残して、岩国屋は関屋をあとにした。関屋は思った。

(あの『之定』は、私がかつて、武士であった証!どうして渡せようか……!)

武士を捨て、商人となった関屋であったが、その心には武士の意地と誇りを残していたのだ。薩長の盟約がなったとはいえ、薩摩の立場は、今だはっきりとしていなかった。長州は薩摩に対して上位の立場に立つため、中川宮が薩摩に渡そうとしている『之定』を先に手に入れることにより、交渉の道具にしようとしていたのであった。


京の御所から南西に、恭礼門院の女院御所がある。今は賀陽宮かやのみやと改名した、中川宮の屋敷となっていた。中川宮は、孝明天皇の信任が厚く、八月十八日の政変や、禁門の変で、薩摩や会津と共に、長州を追い落とした。そして公武合体の考えを持っていた。倒幕派とは、異なる立場である。その一部屋に、男は通されていた。背は高く、その鍛えられた体格からは、一部の隙も感じられなかった。やがて、この屋敷の主が部屋に入ってきた。男は正座したまま、深くお辞儀をした。

「中村半次郎、ひさしぶりだの。息災であったか?」

「へ。宮さぁもお元気んご様子で、ないよりでごわす」

中村半次郎、と呼ばれた男は、先日、関屋の店先で良蔵とぶつかった薩摩の青年であった。

「そちの働き、噂に聞いておる。西郷の右腕として、めざましい活躍だそうだの。最近は、土佐の者ともさかんに交流いたしておるらしいではないか?」

中川宮(賀陽宮)が言うと、中村は、

「土佐の坂本龍馬ちゅう男は、肝が座った良か男でごわす」

と答えた。坂本龍馬は、薩長の盟約の立役者だ。坂本から、時代が変わる、ということを学んだ。坂本の話は壮大だった。蝦夷という北の大地に、武士の生きる道がある、と説いた。いつか蝦夷に渡る、という志があるが、池田屋で多くの土佐郷士が命を失い、その話も進まなくなったとも言っていた。中村は、西郷の命令で、寺田屋事件のあと、坂本龍馬の警護をしており、坂本の話をよく聞いていた。

「薩摩も変わってきているということかの」

中川宮は聞いたが、中村は答えなかった。

「私も、いつそちに斬られるかもしれぬな」

そう言って中川宮は笑った。

「宮さぁには、上京した頃、色々な事をいっかせっいただきもした。薩摩ん唐芋からいも侍が、京で一端ん武士としていらるっとも、宮さぁんお陰でごわす。でくれば斬りとうはなかねぇ」

と、中村も笑った。

「あの頃は大変世話になった。幾度も守ってもらったの。生きておるうちにそちにこれまでの礼がしたいと思っているのだ。美濃から来たという刀剣商に、そちのために、『之定』を探してもらうように頼んだのだ。だが、幻の名刀は、なかなか難しそうだ。その刀剣商には行ってみたか?」

中川宮の問いに、中村は、

「行ってみもした。こん時世には珍しか、真面目まいめな主でしたね」

と答えた。

「そん真面目がもとで、怪我まやったそうじゃ」

中村は続けて答えたとき、ふっと、そのときぶつかった少年のことを思い出した。

(京は、男まで小せとじゃな)

中川宮は、そんな中村を見て、ある人物の話をした。

「会津が面倒を見ておる新選組にも、そちと同じように、『兼定』を好む男がおってのう」

「ほう。宮さぁは、そげん者たちとも付き合うちょっとな」

中村は、多少皮肉を込めた。その物言いから、中川宮は、薩摩が方針を変えつつあるのだと感じた。

「会ってみればわかるが、局長の近藤という男は、知識もあり、道理をわきまえたなかなかの人物だ。その近藤の補佐をしている男で、土方歳三という、多摩の豪農のせがれがおる。これがまた、眼光鋭く、頭も切れるやつでな、剣もよく使う」

「そん土方が、『兼定』を持っちょるんか?」

中村は興味を示した。腕の立つ男には、会ってみたくなるのが剣術使いのさがである。中川宮は、

「さあ、今は持っているかどうかわからぬが、かつて鴻池か、升屋から礼として譲られた刀が、『之定』だったという噂だ。まあ、そのような噂がたつほど、武士の気概のある男だ、ということだ」

と言った。中村は呟いた。

「そげん男なら、一度会うてみよごたっもんじゃ。新選組でなかればもっとよかとだがな……」


気長に待つ、と、中村は屋敷をあとにした。薩摩はもう、倒幕に舵を切っている。今はまだ『一会桑』を押さえることが目的だが、やがては、幕府そのものをなくさなくてはならぬのだ、そしてそれを叶えるのは、西郷先生の他にはおらぬ、と中村は思っていた。新選組とは、いつかは刀を交えねばならぬ。その、土方歳三という男とも……。


中川宮は、中村半次郎に『之定』を渡すことで、彼に帝(孝明帝)を守ってほしかったのだ。中川宮は、中村の、西郷とは違う、一途な性格に期待をしていた。なにやら、宮中がきなくさくなっていることを中川宮は感じていた。特に、公武合体派であったはずの岩倉具視の行動がおかしい。薩摩や長州に近づき、なにかを企んでいるにちがいないと、中川宮は思っていた。


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