013 悪いニュースとは

 翌朝――。


「おいおい、まじかよ……」


 起きてすぐに二つのことで驚いた。

 そのどちらも衝撃的なことだ。

 よろしくない汗が全身から噴き出した。


「雪穂、朝だぞ」


 服を着て雪穂を起こす。

 彼女は「もうちょっと」と言い張って聞かなかった。

 しばらく雪穂の頬を指でつついたが、起きる気配がない。


(そうだ、今の内に……!)


 こっそり雪穂の額にキスすることにした。

 指で前髪を分けて、そーっと額に唇を当てる。

 その瞬間、雪穂の目がカッと開いた。


「見ーっちゃった! 見ちゃった!」


 ニヤニヤする雪穂。


「起きてやがったのか……」


「ふっふっふ。大吉君がどうするか興味があってね。おでこにチューだなんて、大吉君らしいなぁ!」


 雪穂が上機嫌で体を起こす。


「ウキウキなのはいいが、まずは服を着たらどうだ」


「あっ……!」


 俺は「ほら」と彼女のジャージを渡す。


「ちぇ、大吉君をからかい倒せると思ったのに!」


 雪穂はぶーぶー言いながら服を着る。

 俺が見ていても気にしていない様子だった。


「それより雪穂、大変なことが起きたぞ」


「どうしたの?


「二つあるんだが、どっちから知りたい?」


「あ、それアレでしょ! 洋画でよくある『良いニュースと悪いニュースがある』ってやつ!」


「そうであったらよかったんだが、どちらも悪いニュースだ」


「えっ」


「片方は命に影響を及ぼさないもの、もう一方は命の危険があるものだ」


「じゃ、じゃあ、まだマシなほうで……」


「つまり命に影響を及ぼさないほうだな?」


 雪穂がコクリと頷く。


「コイツだ」


 俺は地面に並べてあるアクションカメラを手に取った。


「カメラがどうかしたの?」


「どういう仕組みなのか、コイツはスイッチがオンになっていた」


「ええええ!? でも、昨日は確かにオフにしたよ?」


「分かっている。俺も確認した。おそらくタイマーのようなものが設定されているのだろう。そんなわけでいつからかは不明だがオンになっていた」


「じゃ、じゃあ、もしかして、昨日の夜のやり取りが……?」


「そういうことになる。幸いなのはレンズを焚き火に向けていたことだな。音声しか入っていない」


 雪穂は「うわぁぁぁぁぁぁ!」と喚きながら崩れた。

 顔が赤くなり、鼻と耳の穴、それに口から蒸気が出ている。


「すっごく恥ずかしいじゃん! やっちゃったよー!」


「ま、まぁ、たぶんカットされるだろ」


「絶対されないよ! これ社長の陰謀だもん! 間違いないよ!」


 あの社長ならありえるな、と思った。

 雪穂をこの場に残していくくらいだから。


「まぁこれに関しては恥ずかしいだけで済むからいいとして……」


 俺は住居の外に目を向ける。

 焚き火のすぐ近くに獣の足跡があった。


「どうやらこの島にはイノシシが棲息しているようだ」


「イノシシ!? それって本当なの?」


「足跡がある。すぐ近くまで迫っていたようだが、炎にびびって去ったらしい」


「イノシシに襲われていたら死んでいたかもしれないね」


「かもしれないというか、死んでいただろうな。イノシシは人間を食うから」


「え、そうなの!?」


「雑食だからな。腹を空かせていれば何だって食べる」


「じゃあ、私達、焚き火に命を救われたんだ」


「それと竪穴式住居のおかげだな。草木で作った簡易テントなら、イノシシは普通にぶち破っていたと思う」


「そんな……」


 俺は住居を出て、イノシシの足跡を調べる。


 足跡は新しい。

 おそらく日が昇ってからここへ来たのだろう。


「撮影スタッフの船が来るのは昼だ。それまで時間がある。だから雪穂、その間に今後のことを決めておこう」


「今後のことって……?」


 雪穂はすっかり怯えていた。

 無理もないことだ。


「今後もこの番組を続けるかどうかだ」


「え? どういうこと?」


「イヌサフランといい今回のイノシシといい、言っちゃなんだが明らかにスタッフの下調べが足りていない。このまま続行すると、いつ死んでもおかしくない。日本のテレビ番組にしてはきつすぎる環境だ」


「…………」


「それでも続行したいなら、少なくとも今日中にイノシシを狩るほうがいい。幸いにもまだ近くにいる。今なら見つけ出して倒すことが可能だ」


「た、倒さないって選択は?」


「それはオススメしない。今回は無事だったが、今後もそうとは限らない。危険の芽は摘める内に摘んでおいたほうがいいし、それが嫌ならこの仕事は降りるべきだ」


「少し考えさせてもらってもいいかな?」


「そうしてくれ。俺は雪穂の決断を支持する」


 待っている間に石斧の手入れを済ませておく。

 イノシシを退治するとなったら、使うのはナイフと石斧だ。


「大吉君、決めたよ」


 俺は振り返り、雪穂を見る。

 彼女の目を見れば、どういう答えを導き出したのか分かった。


「続行する気なんだな? この危険な無人島生活を」


「うん。私はプロだから。受けた仕事は降りないよ」


「命の危険があってもか?」


「まぁ普段なら流石に降りるけど、この仕事は大吉君が一緒だからね」


「そう言われたら頑張るしかないな」


「朝ご飯に最高のイノシシを食べようね」


「分かった」


 俺達は素早く準備を済ませ、イノシシを追って森に向かった。


 ◇


 俺と雪穂の装備は同じだ。

 右手に石斧、左手はフリー。

 ナイフは腰のホルスターに収めている。

 ハンディカメラは雪穂のリュックに入っていた。


「こっちだな」


 迷うことなく進んでいく。


「私にはもう足跡が見えないんだけど、どうやって判別しているの?」


「小枝や草の折れ方を見ているんだ」


「すごっ、なんだかプロみたい」


 雪穂の目がキラキラしている。


「このテクニックも爺ちゃんから教わったんだ」


「大吉君のお爺ちゃんって、なんでそんなに詳しいの? 無人島を持っているし、なんだか凄いよね」


「たぶんサバイバルが好きなんだろう。辣腕BASHが人気なように、男ってのは無人島の開拓が好きなんだ」


 言った後に「あっ」と気づく。


「名前、出しちゃまずかったんだっけ」


 収録のマナーとして、他局の番組名は極力避ける必要があった。

 特に同じジャンルの別番組――辣腕BASHなどは絶対のタブーだ。

 この番組がどれだけBASHの後釜を狙っていたとしても。


「大丈夫大丈夫、カットされるから!」


「生放送じゃなくてよかったぜ」


「本当にねー。生放送は怖いよー。この前なんか――」


 雪穂の口に左手を当て、「シッ」と話すのを止めさせる。

 それから小さな声で言った。


「イノシシがいる」


 平均的なものより一回り大きなイノシシが、そこにいた。

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