第11話 裏路地

安城家本家にある温泉に入ったからか疲れや体の痛みが取れた朝日は月曜日、いつもの通りに訓練校に登校した。

「今日は裏路地の見学に行きます」

いつも現役の殺し屋を招き入れるタイミングで鯉口は言った。

それとなく周りを見てみると西東恵や横田熱男などの同年代はいるが、もう仕事をしている若手の殺し屋達は教室にいない。

「殺し屋としてデビューした人は今日はいないので、えーっと、12人ですね。じゃあ荷物をもってついてきてください」

教室から出た鯉口は大きなエレベータに乗り込む。

操作盤の下部にある鍵穴にカギを差し込み回すと操作盤が開く。

いくつかあるボタンの中から緑色の四角いボタンを選んで押すとエレベータが下降し始める。

「当然、裏路地の入口はこのエレベータだけではありません。このビルのように裏路地が所有する建物や、フロント企業の店舗などいたるところに裏路地の入口は存在します。」

階数の表示が存在しないはずの地下を示してからもエレベータは止まらない。

「皆さんこれを身に着けてください」

鯉口が何かを配り始める。

朝日が受け取ったものは何も書かれていないポケットティッシュほどの大きさの木製の板で、社員証のように首からかけられるよう紐がついていた。

熱男はもう首にかけている。

「殺し屋たちに絡まれるといけませんからね。それを身に着けた人に危害を及ぼさないよう裏路地が警告を出してもらっています。なのでそれは帰るまで外さないように。」

手に取って眺めていた生徒たちは急いでそれを首にかけた。

チン、と音がして扉が開く。

扉の先はホテルのロビーのような内装になっていた。

大理石の床に真っ赤なカーペット、待合室の家具はどれも磨き上げられている。

受付まで歩いていく鯉口の後ろを生徒たちは周りを見回しながらついていく。

「殺し屋1人、デビュー前12人ね。」

「はい。お待ちしておりました鯉口様。

 訓練校の生徒の方々も『裏路地』にようこそ。」

受付の女性が手元の大きい端末に掌を当てるとフロントの横にある重厚な金属の扉が開く。


『裏路地』は一つの町ほどの大きさがある。

地下空間に根を伸ばす裏路地の施設には様々なエリアが存在する。

例えば裏路地の職員が殺し屋達一人一人に仕事を割り振りもしくは斡旋するための受付と裏路地の内部作業をするための事務エリア。

例えば一日単位でホテルのように借りることができる部屋が無数に存在する居住区エリア。

例えばコンビニのような小売商店から銭湯や病院のような公共の施設まで個人が利用する施設が設置されている生活エリア。

極端なことを言ってしまえば『裏路地』から出ることなく生活することが可能である。

無論エリアは一部を除き一つずつではなく各所に分散して存在している。

鯉口美穂と朝日たちは事務エリアの中でも一番大きなエリアに足を踏み入れた。


「お待ちしておりました。

 本日の案内を務めます、秘書の本間です。」

出迎えたのはすらりとした長身の女性だった。

ゆるく巻いて一つにまとめた金髪とタイトスカートが印象的な美人だったが、生徒たちの意識はもう一人の男性に向けられた。

本間と同程度だが男性にしては少し高いくらいの身長。

撫でつけた黒髪はわずかに生え際が後退しているのかもともと額が広いのか判別がつかない。

神経質そうな細い眉の下にある目が彼の印象を強くした。

眼窩の周囲は落ち窪んでおり、その中心には灰色の瞳がぎらぎらと光っている。

目の下は色素沈着により今まで見たことのない濃い隈ができていて、眼光の鋭さと相まって只者でない威圧感を放っている。

ぶつぶつと呪詛のようなものが漏れ聞こえる唇は血色が薄く、目の周囲とは違い弱弱しさすら透けて見える。

顔の中心に位置する鼻の形は以外にも整っており、自然それ以外のパーツも数年前は整っていたことを感じさせた。

鯉口が彼の顔を見て少し驚いた顔をしたのも生徒たちが意識を向けた一因である。

「本日は特別に裏路地の代表、宮木雄一様があいさつに参られました。

 お願いします。」

本間が左後ろに音もなく下がり、本間がいた位置に宮木雄一が進み出る。

「『裏路地』代表、宮木だ。」

その声はさっきまで漏れ聞こえていた呪詛からは考えられないほど明瞭でよく響く声だった。

しかしその内容は顔面の凶悪さと不吉さに合致するものだった。

「そこの裏切り者の女は気に食わないし今でも殺してやりたいが、幸か不幸か訓練校の教官としては優秀なようだ。諸君らは鯉口から技術を学び自分の人生と業界に対して利益を齎すことができる殺し屋になれるよう、努力を重ねてもらいたい。」

宮木は鯉口をにらみつけながら言う。

「本間ァ!」

本間は名前を大声で呼ばれる前に宮木の横に歩み寄っており名前を呼ばれた瞬間にどこから取り出したのかバインダーを彼に手渡した。

宮木はバインダーをめくりながら生徒たちの顔を見渡した後、軽く鼻を鳴らしてバインダーを閉じる。

本間がバインダーを受け取り後ろに下がる。

「毎度面倒なことだがこれだけは言っておこう。

 傑出した個人になれ。

 誰にも掣肘されない傑出した個人に。

 『裏路地』はそんな個人を求めている。」

それだけ言い残し宮木は大股で事務エリアの奥に歩き去った。

「先生。あの人、なんであんなに怒っているんですか」

朝日が聞くと鯉口は恥ずかしそうに頬を掻く。

「5年くらい前に雄一がこの組織の代表になる時、結構ごたついててね。

 その混乱に乗じて当時は裏路地の管理下だった訓練校を奪い取ったんだけど、まだそれのことを怒ってるみたいだね。

 昔は友達だったのに、ねちっこいのは相変わらず」

「それで、先生は謝ったんですか」

話を聞いていたのか横田がさらに質問する。

「いや?だって奪った時は裏路地の代表はまだ前の人だったから。

 雄一個人から奪ったわけでもないし許してくれてもいいのにね。」

朝日は殺し屋の倫理観に改めて絶句するとともに、

宮木雄一が傑出した個人を求めている理由の一片を理解したように思えた。

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