「義」疑義

 義の解字は、羊に我。

 我(刀)でいけにえの羊をころすさまから、作法にかなったふるまいの意に。

 そこから、よい・正しい(道)などの字義が派生した。


 また、かり(仮)の意味もあり、義兄弟などと使われるが、義にかりの意がついた経緯はわからない。先にかりの意があったのかも不明。

 かりの意から、血縁以外の他人との結びつき・助け合いも義という言葉が内包するようになったと思われる。

 この点が、義という漢字をわかりにくくしている要因と考える。


 さらに、論語における義の字義は、新漢語林によると、「道にかなっている・人のふみ行うべき正しい道」である。

 まちがいではないのだが、「自分の立場に応じた責任と義務を履行すること」(貫成人「哲学マップ」/ちくま新書 №2291/2817)のほうが、私はしっくりくる。


 なお、貫さんは、同じ個所で恕を「自分が望まないことを相手に行わない思いやり」と説明している(キリスト教における「おのれの欲するところを人に施せ」を対極において)。


 義と恕を大切にして生きたいところだ。

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