その7 噂をすればなんとやら

「ちょっと寄って?」


 俺の隣に座って、瑠璃川は話しかけてきた。

 部屋が狭いから、俺は学習机を置いてなく、代わりに低いテーブルを置いてる。夜寝る時は壁に立てかけたら、布団を敷くスペースが出来るわけだ。

 ここで、宿題をやったりご飯を食べたり、執筆をしたりするわけだが、瑠璃川は風呂から上がって、化粧水を塗るから、スペースの讓渡を要求してきた。


 ショッピングモールに行った日、瑠璃川は本棚と収納ケースも買って、翌日に俺ん家に届くように丁寧に配送まで頼んで―――まあ、2人でもそれらを持ち帰るのはちょっと厳しいからね。


 それらを置く場所ないよ! って抗議したら、下着をそのまま表に置けるわけないでしょう! って反論された。

 いつも、パンツ見せびらかしてるやつが何を言うとるんだ! って思ったが、言われてみれば確かにそうだな。

 収納ケースはいいけど、本棚はいらないじゃん? って返事したら、これもまた見事に論破された。


「出版社から資料のラノベやら見本誌やらいっぱい届いてるでしょう! 仮にも作家なんだからきちんとしなさい」


 というわけで、俺の部屋はますます狭くなったというのに、彼女はまた隅に寄るように要求してきた。これはもはや侵略だ。俺は国連に訴えるべきか……


 本棚には『虹色の涙』がなんと11冊も並んでいる。10冊は佐渡川文庫から貰った見本誌で、1冊は瑠璃川、彼女が持ってきたものだ。




「早くして? ポチ」


 俺がぼーっとしていたら、瑠璃川は催促してきた。


「犬扱いするなら、せめてちゃんとした名前つけろや……」


 時間も時間だし……眠いから、瑠璃川に犬扱いされたことはここで目をつぶるとしよう。

 ただ、ポチはないだろう! もうちょっと捻れや! 適当すぎるだろうが!


「うーん、じゃ、総〇郎で!」


「そんな名前の犬いてたまるか!」


 ほんと、総〇郎って、そんな名前のいるがいたら、飼い主のセンス疑うわ……どう考えても人間の名前だろう、それ。


「えーっ? どっかにいるんじゃないの?」


「いたら明日一日瑠璃川の奴隷になってやるよ」


「あはは、彼氏を奴隷にするわけないじゃん」


「ったく……」


 なんで、平気で俺の事を彼氏と呼んでるんだよ、お前は。あくまで疑似恋愛だろう? 度が過ぎるよ―――こんなの、この疑似恋愛が終わったあとに寂しいだろう……

 にしても、賭けに勝つ前提で会話を進められるのは気に食わないな。なんならネットで総〇郎って名前の犬はいるかって聞こうか? 絶対俺の勝ちだつーの。


「早くどいてよ、ふわ? せっかく風呂入ってきたのに、顔乾いちゃうよー」


「ちょっ! 確かにそんな名前の犬はいなくはないけど、どう考えてもメスの名前だろう!」


「オスの名前つけて欲しいなら、もっと男らしくしなさい?」


「今でも十分男らしいだろう」


「同棲してるのに、彼女に指一本触れないやつをオスとして認識できませ〜ん」


「うっ……」


 少々論点がズレているような気がしなくもないが―――なぜ俺は自分に付けられている犬の名前にこだわっているのだろう―――事実を言われて、俺は言葉に詰まる。


 しょうがないじゃないか! 本物の恋人でもないし、手なんか出したらなんて言われるか分かったもんじゃない……下手したら今の同棲生活が崩壊するかもしれない。俺はいつの間にか、瑠璃川がいる日常に慣れてしまっている。

 一時的な欲望に身を任せて、瑠璃川がこの家を出ていったら……なんて想像したら寂しさに似たような感情が心の底から込み上げてくる。なんだかんだ言って、俺は瑠璃川との同棲生活を気に入っているのかもしれない。


 じゃ、本物の恋人だったら手を出してたかって? そんな野暮なことは聞かないでくれ。手を出さないに決まってるだろう。その、だいたい勇気がないし……それに、そんなドキドキイベントに俺の心臓が耐えられる自信がない。これはヘタレとかじゃないから。純情? そう、俺は純情なんだ。プラトニックな恋愛がしたいんだ―――って思ってるけど、恋愛経験ないんだよね、俺。


「もう聞いてる? ふわ」


「うん?」

 

「またぼーっとしてると思ったら、やっぱり聞いてないじゃん!」


 そう言って、瑠璃川はあぐらをかいてる俺の足をいきなり踏んできた。

 うわー、痺れる〜! なんて冗談言ってる場合じゃない。

 まじで、神経を逆撫でされたような痛みが足から全身を駆け巡る。

 

「分かった! 分かったから! どくよ!」


 俺は痺れた足を引きずって少し左にずれると、瑠璃川は俺の隣に座り込んで、手に持っている化粧水を机の上に置いた。


「ふわはいい子でちゅね!」


「だから、メスじゃないって!」


「あはは」


 あれれ、なんかツッコむべきところを間違えていたような気がする。

 って、完全にこいつのペースに乗せられて、犬扱いされてるのを当たり前だと思ったじゃないか!

 おのれ! 諸葛亮孔明め! お前は一生畑を耕しいていればよかったのに!


 瑠璃川は化粧水を左手のてのひらに何滴か垂らして、両手を擦り合わせた。


「いい子にしてるから、伊桜くんにも化粧水塗ってあげようか!」


「断る! 男にそんなのいらない!」


「えぇっ!? 今美容系男子流行ってるの知らないの!?」


 瑠璃川はクリっとした目をさらに大きく見開いて、まるで珍獣を見ているような目で俺を見つめてきている。

 そんなに俺の言ったことがおかしいのかな? 化粧水を使わないというのはそんなに驚くこと?

 美容系男子とか聞いたことないし―――そもそも、俺テレビ見ないし。


「いや、テレビ見なくても、ネットとかでよく見かけるでしょう!」


「掲示板とかネットニュースとか、誹謗中傷ばっかで見る気にならないよ」


「うわー、偏見もそこまで堂々と言ってたら真実に聞こえちゃうわー」


 瑠璃川はわざと口を開いて、びっくりしたフリをする。うざいから、ニンジンでも突っ込んでやろうか? そう言えば、ニンジン切らしたっけ? 明日スーパーで買ってこないと。


「ほっとけ!」


「そうだね、化粧水使う犬なんて聞いたことないもんね〜」


「うんうん、そうだよ……って、そのネタいつまで引っ張るの!?」


「ピザが作れるくらいまでかな?」


「それ生地!」


「あはは、ツッコミ必死すぎ〜」


 瑠璃川は両手を顔に当てて、ぐにぐにと頬を揉みながら俺に適当に返事してくる。

 ムカつくやつだが、横から見た瑠璃川は凄く可愛かった。


 仮にも学校一の美少女なのに、その変顔を作っているような感じで化粧水を塗っているところ、恐らくお父さん以外の男性で見たのは俺が初めてかも。

 そう思うと優越感みたいなのが湧いてくる。

 いつか、この関係が終わっても、俺が見たこのときの瑠璃川を心のアルバムに収めておいてもいいだろうか。


「うーん、なんかロマンチスト臭がする!」


 瑠璃川はパッと両手を止めて、俺の方に向いてきた。

 頬を両手で挟んだままの瑠璃川の顔はなんとも言えないような変顔になっている。うーん、敢えて特徴を挙げると、口がタコみたいだ。


 って、ロマンチスト臭ってなに!? まさか俺の考えがバレてたのか!? そんなピンポイントに!? 顔に出てた!? 「君の笑顔を僕の心のアルバムに留めておきたい」って。


「あはは、なにそれ? ロマンチスト臭って聞いたことないよ、あはは」

 

 気づいたら、俺はいつもの瑠璃川みたいに、あははって笑いながら誤魔化してた。若干棒読みなのは自分でも分かるけど。


「いや、わたし、臭いセリフとかに敏感なんだよ―――なんか臭いセリフセンサーみたいなのが生まれつき持っていて、今そのセンサーが反応したんだよね〜」


 瑠璃川は首を傾げて、おかしいな〜って呟いてる。

 それに対して、俺の心中は大パニック!

 なにそのセンサー! 瑠璃川、お前、普通に人間辞めてるよね!

 めっちゃ怖いんだけど。


「ねえ、伊桜くん、なんかロマンチストが考えるようなこと考えてないよね?」


 ギクッ。

 体が若干震えたのを感じる。


「か、考えてない……よ」


「ほんとに?」


 タコ唇のまま、俺を覗き込んでくる瑠璃川。めっちゃくちゃ、可笑しくて可愛いけど、その分威圧感も半端ない。緊張のあまりに、俺の目尻が潤んできた。


「あはは、信じてるよ! だから泣かないで?」


「えっ?」


 瑠璃川は右手を顔から離して、ゆっくりと俺の目尻に付いてる涙を拭ってくれた。

 胸が熱くなって、苦しい……


「わたし、ロマンチスト好きよ? だって、人間は夢を見てるほうがいい。夢を見て、そして、夢を追いかけて、いつか夢を達成する人って素敵じゃない?」


 なによ、その理屈……てか、これって完全に私がロマンチックなこと考えてたのバレてるってことじゃんか。信じてるよなんて平然と言っといて、この嘘つき……


「私は伊桜くんから夢を貰ったの」


「えっ?」


 急に俺から目を逸らした瑠璃川はどこか遠くを見ているような感じで、そう言い出した。


「今のわたしは、伊桜くんと最高の小説を作りたいと思うの。伊桜くんの『虹色の涙』に夢を見出して、こうやって疑似恋愛して2人で夢を追いかけて、そして、いつか、君の作品が最高のものになったら、私たちの夢は実現するんだ〜」


「お前の夢に俺を巻き込むなよ……」


 照れ隠しだった。瑠璃川の顔は見えないけど、彼女がきっと眩しい顔をして、今の話をしていたのだろう。それを想像すると、俺はなんて返事すればいいのか分からなくなった。


 机の下では、時々瑠璃川の足と俺の足が触れたりして、くすぐったいよって瑠璃川は笑っている。

 そんな彼女はどうしようもなく可愛いと思った。そして、彼女とのスキンシップに、俺はドキドキが止まりそうにない……


「だから、ありがとうね? ふわ」


「最後まで犬扱いかよ……しかもメスだし」


 彼女が視線を戻してくると、今度は慌てて、俺が視線を外した。今は彼女の顔を真っ直ぐに見れない。きっと、見たら、どうしようもなく好きになってしまうから。そしたら、2人の結末を迎えた時、俺が傷つくだけだ。


「オスの名前で呼んで欲しかったら、今から襲って?」


 そう言って瑠璃川は目を閉じて、顎を少しだけ上げた。

 ねえ、からかってるんだよね。本気で襲ってほしいなんて思ってないよね。俺なんかにそんなことしてほしいわけないよね。


 どれくらい時間が経ったのか分からない。俺は瑠璃川の唇を注視したまま、フリーズしている。

 ここで瑠璃川にキスしたら……きっと戻れなくなる。それでも……俺は……

 俺は何かに取り憑かれたように、顔を瑠璃川に近づける。だか、その瞬間―――


「もう意気地無し! ふわ! いや、もうポチでいいや!」


 ―――瑠璃川は急に目を開けて、俺の事を意気地無しと呼んだ。彼女はもう少し待ってくれていればなと思いながらも、心の中ではほっとした自分もいる。


「いたっ!」


 瑠璃川は足の指で俺の足の裏を突いてきた。


「ふーんだ」


 そんな膨れっ面も、ほんとに可愛いな……




 そんなふうに瑠璃川と軽口を叩きあった翌日―――


「わんちゃんだー!」


 ―――俺らはスーパーの帰りに首輪のついてないわんちゃんを見かけたのだった。

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