盗み見


「……どうしてそこに行き着いちゃうわけ?」


 海珠は一人、自室で映像と音声の確認を行っていた。


 ナユタの思い出作りにとプレゼントした眼鏡には、ある仕掛けが施されていた。正確には、眼鏡とナユタのサーバーを繋ぐアプリケーションにだが。


 それは、眼鏡を通して得られた映像や音声を、海珠の端末にも転送する機能だ。この仕掛けを使って、彼らの情報を少しでも得て有益に使おうと考えていた。


 しかし、海珠は盗み見していたナユタたちの外出先の出来事を目の当たりにし、一人で悶絶していた。まさか自分の過去の論文が、蓮たちに見つかってしまうとは露ほども思っていなかった。


「いやいや、おかしいでしょ。どんな確率よ」


 海珠は過去の自分が書いた拙い論文に赤面していた。一体どうして、自分の過去の遺物がこんな所で掘り起こされてしまうのだろう。いや、問題はその拙さよりも、内容の方だ。


「……結月にこの情報が渡るのは不味いかもしれない」


 蓮やナユタは特に問題ないだろう。しかし、芽依に知られるのは不味い。海珠がこの論文を書いたと知られれば、海珠の企みがバレてしまうかもしれない。もしかすると、手柄を横取りされないよう海珠を研究室から遠ざける可能性もある。


「……でも、何か今から対策が打てる訳じゃないし」


 いや、まだ敗北が決まったわけではない。例え論文を読まれたとしても、その内容とナユタの情報を収集しているストレージに芽吹いた奇跡を結び付けて考えるだろうか?


 アレはおそらく、電子の偏りが集積回路の役割を得て出来たモノだろう。


 しかし、その予測をたてられたのは、電子の特性に関して海珠が一日の長だったからに他ならない。門外漢の彼らと、海珠の間には大きな開きがある。その開きを論文一つ読んだ程度で埋められる物だろうか。


 可能性は低いだろう。けれどもゼロではない。この一瞬で結月研究室の面々が、海珠と同じ段階にまで辿り着く可能性を否定しきれない事が、気がかりでならなかった。


 そんな事を考えている内に、眼鏡の映像が海珠の論文を映す。蓮が本文へと視線を移したのだ。


「うわぁ、誤字見つけちゃったよぅ」


 今はそんな事を気にしている場合ではないのだが、変な所が気になってしまう。蓮が黙読している様子を、海珠は居たたまれない気持ちで見守るしかなかった。


『専門外だから何書いてあるか全然分からないんだけど、蓮から見てどうなの?』


 視線が本文から気合の入った化粧の芽衣の顔へと移る。彼女は蓮の隣にピタリとくっつき、覗き込むように海珠の論文を見ていた。


『着眼点は面白いし、高校生が書いたにしては論文の体裁が整っていると思う。けど、データは恣意的な印象を受けるな。結論も飛躍していて疑似科学の域を出ていない。面白がって学内コンペの大賞にした選考会の気持ちも分からないではないが、真面目に研究していた学部生や院生が可哀そうな気もする。あと、誤字が多い』


「な、なにを言う!?」


 海珠は自身の過去の論文を否定され憤慨する。例え拙いと自覚のあるものでも、いざその事を指摘されると腹が立つというものだ。当時の自分が、どれほど心血を注いでこの論文を書いたと思っているのだ。


 しかし、幸か不幸か蓮は興味を失ったらしく本を閉じてくれた。


『昼になると土曜日とはいえ生協も混むだろう。今のうちに昼食を取っておくか』


『そうね』


 話題も海珠の論文から離れ、論文集を元の場所に戻すべく席を立つ。海珠としては願ったり叶ったりの状況ではあるのだが……。


「なんか無性にムカつく」


 いっその事、眼鏡の電源をリモートで落としてやろうか。自分の論文を否定した連中が慌てふためく様はさぞ愉快だろう。そんな事を考えていると、ナユタが口を開く。


『でも、海珠さんってやっぱり凄いんだね。私と同じぐらいの時に、こんな難しそうなこと考えてたんだ』


『こんな眼鏡を作ったり、ナユタの脳の負荷を低減させるシステムを作ったり、末恐ろしい子だよ』


『変な宗教の下で研究なんかやらず、民間企業で開発とかやってた方が成功しそうなのよね、あの子』


 海珠にあまり良い感情を抱いていないはずの芽衣も含め、異口同音に海珠を褒める声が聞こえる。


「……まぁいいか」


 危惧した事態にはならないであろうと楽観する海珠は、どこか得意げな表情だった。

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