阿僧祇>京


 白い廊下の先の扉に、二人の黒ずくめの人間が守る扉を見つける。部屋の番号を確認するまでもなく、その扉が目的の場所だと確信する。


 私はガードマンに近寄り、この施設での名札を見せる。


「結月研究室の湊です」


 黒ずくめの二人は互いに目配せをし、顎をしゃくる。


「入れ」


 ボディーチェックも無いのか。随分と信用されたものだと思いつつ、私は抱えた茶封筒とノートパソコンを落とさないよう、しっかりと抱えながら扉を開いた。


 中は広い会議室だった。いや、実際の面積はさほどのものではないが、壁一面が窓ガラスになっているため光が強く入り、開放感があり広く感じるのだ。


 そして、窓ガラスを背にする形で座る、禿頭の老人の姿。背後に控える二人のボディーガードに守られるその老人こそ、忘れもしない阿僧祇京その人であった。


「……お前たちは少し外しなさい」


 老人は私の姿を見ると、背後のボディーガード達に向けて言い放つ。黒服にグラサンというベタな恰好の二人は、すぐに言葉に従い私の背後の扉から外へ出る。


 黒服が外へ出ると、部屋の中を満たしていた緊張が幾分ほぐれたように思う。


「お久しぶりです、京爺さん」


「フン。嘱託の一研究員が私をそんな呼び方していると知ったら、表の連中は豆鉄砲食らった鳩みたいに驚くだろうよ」


「だから厄介払いしてくださったのでしょう? おかげで首の皮一枚繋がりました」


 私は京爺さんと話しながら、持ち込んだノートPCをプロジェクターに接続する。しかし、京爺さんは言葉でその行動を制した。


「今日は君から研究の成果を聞くつもりは無い」


「……ですが」


「そんなもの、結月君の報告書を読めば十分だ。そんな事よりも、早く掛けたまえ」


 この老人は、年齢は八十前後のはずだが、衰えを全く感じさせない。広い肩幅に筋骨隆々な様が衣服の上からも見て取れる。そのうえ眼光が鋭く、禿頭のインパクトも相まって威圧感がある。私は京爺さんの恐ろしさに屈したわけではないが、渋々その手を止め、京爺さんの向かいの席に腰掛ける。


 この部屋に入るのは初めてだが、普段私たち一般研究員が使用している会議室とは違う造りをしている。調度品や椅子がワンランク上なのだ。恐らく、この研究所の中でも上層のメンバーが使用する部屋なのだろう。


 座り心地のより柔らかな椅子に体重をかけながら、「どうせ年がら年中この部屋を使っている訳でもないのだから、たまには使わせてくれても良いのに」と余計な事を思う。


「さて……那由多なゆたはどうしている?」


 老人は前置きも無く本題へ切り込んだ。私は開いたノートPCの画面に目をやりながら、重い口を開く。


「……元気に生きていますよ。自分で見つけたやりたい事を精一杯頑張って、毎日が充実しているように見えます」


「水槽の中の脳がかね」


 京爺さんが淡々と言うものだから、その言葉の意図を測りかねる。私は気が進まないながらも、これを聞かずに話を進める訳にはいかないと考える。


「京爺さんはナユタの現状をどうお考えなのですか?」


「質問の意図がざっくりしすぎだな。まったく、お前は成長しない。まあいい、答えてやる。那由多は死んだ。私にとって、それ以上でもそれ以下でもない」


「……不死を目指している阿僧祇会の尊師が、そのような事を言ってもよろしいのですか?」


「ビジネスとしての生死と私個人の認識は別のものだ。必ずしも一致するとは限らん。結月君のアプローチは金になる。それだけの話だ」


「それなのに、ナユタの現状を尋ねるのですね。芽衣の研究よりも孫の事が優先されるというのは、ビジネス以外の私情が入っているのでは?」


「言いたいことは分かる。確かに私情が入っている事に違いない。しかし、それは那由多の死後に対する興味だ。孫は成れ果てた姿で後どれぐらい存在できる? その時間で、一体何を求めておる?」


「そんな事、本人に会って聞けばいいじゃありませんか」


「会う必要は無い。私の中では那由多は死んだのだ」


 京爺さんが、わざと回りくどい表現を使うことに、一瞬ボケたのかと考えた。


 しかし、今の答えが全てなのだろう。彼はナユタに会うのが怖いのだ。


 その気持ちは理解できる。私も京爺さんと会うのが怖かった。


 けれども、いざこうして顔を突き合わせれば、どうという事はない。


 私はプロジェクターに接続したノートパソコンを操作する。


「いいえ、会う必要はありますよ。不死を使って金儲けをする貴方が、ナユタから目を背ける事は許されない。ナユタもナユタだ。ノートパソコンの中でこそこそしなくても、京爺さんと話したいなら話せばいい」


 私の画面がプロジェクターに映し出される。そこには、驚いた表情のナユタが居た。


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