モリニューさんとの出会い

 無類の動物好きを公言してはばからない私ではあるが、実は無類の植物好きでもある。要するに、生き物全般が好きなのだ。しかも、種類を問わない範囲がかなり広いと思う。だから、園芸は是非やりたい趣味の一つだった。

 それなのに、今日こんにちまで趣味として成立していなかったのは、幾度も・幾度も挑戦した挙句あげく、失敗を繰り返して来たからである。挙句の果てにサボテンを枯らした時に、「ああ、自分は園芸には向かないんだな」と一旦は諦めもした。


 その状況が変化したのは、二〇一六年・熊本震災が発生した春のことである。

 私の生息区域で最も大きなJRの駅に弟と所用で出かけた折り、駅前広場で大掛かりなバラの展示即売会が行われていたのだ。訊いてみると、震災で被害を受けたバラ農家さんを支援する為の展示・即売会だった。

 本来の目的である所用を済ませたあと、園芸には全く興味がない弟に頼み込んで、即売会に潜入を果たした。そこは、私には夢の国だったのである。

 基本的に野の草花や樹木を愛する私ではあるが、バラは別格に憧れの花=特別枠だ。ややオタク風味のミーハーな憧れではあったが、それでも憧れは憧れである。

 勿論、何度か挑戦したこともあるが、その度に夏を越すことが出来ずに枯らしてしまったのだ。


 それ故に、最初は購入の意志はなく、一年目の小さな株から数年越しの大株まで咲きそろっている会場を、「すごい」と「綺麗」だけで回っていた───のだが、しかし、とある大株の前で足が止まってしまった。。

 『モリニュー』と名札を下げられたバラは、全体のフォルムは丸い形で、花芯が見えないほど密集している花弁は中央のオレンジ寄りから外側に向かって黄色になっていく、とても魅力的な色合いをしていた。間違いなく、元気を象徴するビタミン・カラーだ。

 会場を丁寧に見ながら何度か回っても、必ずその株の前で足が止まる。挙句の果てに、離れ難くてその場にしゃがみこんでしまった。

 これぞ、世にいう一目惚れ───『目が合ってしまった』という現象なのだろう。

 確かに惚れた。是非連れて帰りたい───それにもかかわらず行動に移せない理由は、二つあった。

 一つはお値段である。何年かバラ農家さんで大切に育てられた大株は、お値段もそれなりに立派なものだった。

 もう一つは、立派はお値段の株を連れて帰っても、過去の経験から無事に育てる自信がなかったことである。


 そうして欲求と挫折ざせつの記憶に挟まれて、しばし座り込んだままでいたら、出展者であるバラ農家の御夫人に声を掛けられた。

「どうかされたのですか?」

 私は正直に、このバラに惚れたことと、過去の失敗からこの立派な株を育てる自信がないことを告白したのである。するとその御夫人は、私と一緒になってしゃがみ込み、「そんなに難しく考えなくてもいいんですよ?」とレクチャーしてくださったのだ。

 最初に訊かれたのは、育てるとしたら地植えか鉢植えかということである。鉢植えだと私が答えると、「では、家で一回り大きな鉢に植え替えたあと、来年の春までは鉢を変えないでください」と言われた。加えて注意点を幾つか。


◎陽当たりと水やりが最重要。水は、夏場は勿論、冬でも土の表面が乾いたらたっぷりと。バラはお日さまが大好きだけれど、猛暑・酷暑の頃には風通しのよい日陰に置く。

◎お客さん(私)が心配している害虫は、根から吸わせる魔法の粒剤りゅうざいがあって、この会場でも売っているから、月に一度与えればほぼ大丈夫。この粒剤は、農薬散布のように犬や猫には害はない。

◎四季咲き品種は、花殻はながら切りは早めに。開花→花殻切り→御礼肥おれいひの繰り返し。ただし、御礼肥は多くても月一。与え過ぎると根腐れを起こす。足りないぐらいが丁度いい。


───等々。

 アドバイスは、メモを取るほどには多くはなかった。そして、途中で出て来る専門用語───四季咲き・花殻・害虫の種類・シュート・御礼肥等───私が「それは何ですか?」と聞く事もなく話が進むので、「お客さん、まるっきりの素人しろうとじゃないでしょう?」とも訊かれた。

「いやいや、素人なんです。初めて小さなバラの鉢を買ったのが、高校生の時で、その時に『バラの育て方』というハンドブックを読んだだけなんです。ただ、興味のないことは一〇〇万回聞いても・読んでも覚えられないたちだけど、興味のあることであれば忘れない質なんです」

「へぇ、凄いですね……」

 凄いのだろうか? 自分としては、どちらかといえば変人さんの部類だと思っているのだけれど。

 そう、覚えられないのである。例えば凄く面白い映画を観たとして、ストーリーや台詞や役柄名は一度で覚えられるものの、役者や声優や監督の名前はとんと覚えられない。授業の科目でいえば英語関係、ジャンルでいえば芸能・スポーツ関係は、ほぼ全滅なのだ。もはやこれは、脳内に選別フィルターがかかっているとしか思えない。必要あって、友人や職場関係の人々が一生懸命教えてくれて、自分でも覚えようとしているのに、指の間から砂が零れ落ちるようにまるっきり脳内に残らない。それなのに、事が得意ジャンルに及ぶと、話が全く変わって来る。

「オーキッド・ガーデンと銘打っているからには、主に蘭科の園芸種がメインなんだよ。野生種だとオーキスだから」

 と、解説したのは、過去一度だけ行った事があるシンガポールでのこと。私の脳内では、オーキッド&オーキスという単語は、大好きな植物ジャンルに区分けしてあるらしい。

 これを変人と言わずして、何というのだろう?


 それはまあ置いといて、バラ農家の御夫人の後押しもあり、モリニューさんはうちの子になった。一応の建前が必要な価格であった為、『母の日の贈り物』ということになっている。この一株が、沼へと至る第一歩だった。


 そして、丸五年が経った現在も、元気にうるわしい花を咲かせてくれている。



MOLINEUXモリニュー

 イングリッシュ・ローズ 四季咲き ティー香

 芳香種 オレンジッシュ・イエロー 木立性

 デビット・オースチン作

 名前の由来は、サッカーの競技場の名前より

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