第22話 闇ダンジョン、挑むべし

 ――三日後、“ブラックダンジョンNo.3”出発日。


 各係の準備も完了し、通常より約一時間ほど早い朝八時、朝礼が始まった。

 内容は連絡事項というよりも“No.3”緊急対応に向けた最終確認だ。


「調査係です。回収係が現地対応に当たる間、可能な限り情報を漁ります。回収係の皆さんも、どんな些細なことでも連携をお願いします」

「外部応対係。この二、三日の間で窓口は当面稼働しないと告知はしましたが、緊急通報システムは動かしてます。我々は通常迷宮業務の方で待機になります」


 こういった具合で、各係長から一言ずつ話していく。

 最後にミカドの番が回ってきた。普段の朝礼でもそうだが、何故か彼にトリが振られることが多い。


「回収係は、潜入班・待機班・連携班の三チームに分けて動きます。迷宮には現地時間で最大三日間滞在して、極力延長はせず戻ってきます。こっちで七時間半経っても音沙汰ない場合は、連合の天使警察局と……あと【水晶宮】にも通報を頼みます」


(水晶宮……どうしてだろう?)


 迷宮とは関連なさそうな単語が飛び出して、エマは首を傾げた。水晶宮は水の精霊や天使、下級神などの宮殿だが……。

 しかし訝しんでいるのはエマだけで、他の職員は特に気にかけていない。後で誰かに質問しようと、エマは今は胸の内に留めることにした。

 課長の挨拶が始まった。


「No.3対応期間の中でも、今日は特に過酷な日になるでしょう。地上へ向かう回収係を通して、我々もダンジョンの瘴気やけがれに触れることになります。天界にいるからと油断せず、各自聖水補給を心がけましょう。残留組の状態もまた地上へ伝わりますから、我々が正常であることは潜入班の応援にも繋がります」


 挨拶というより注意事項だ。

 そして学校の先生みたいだと、エマはこっそりと思った。


「地上に余計な影響を出す前にNo.3を封鎖し、ついでに設置者を見つけられれば、私たちの勝ちです。さあ皆さん」


 ピーター課長、人のいい顔でニコリと微笑み。


「闇ダンジョン、徹底的にぶちのめしますよ」

「「応ッ!!」」


 管理課一同から上がる鬨の声。やはり置いてけぼりのエマは、


(この部署、やっぱり変だよ……)


 その思いをいっそう強くしたのだった。




 三十分後。ミカド率いる潜入班が出発した。

 彼らを見送った管理課は各自席につき、一言も語らず仕事を始めた。調査を進める者、どこかへ手紙を飛ばす者、さまざまだ。

 回収係の待機班も同じく席に座っている。しかしパソコンを立ち上げはしたものの、何かをしようという気配はない。事務室は通常以上に静かだ。


「潜入班は二時間おきに定時連絡を送る決まりになってるのさ。つまり天界こっちへ一二分おきにな」

「あ、そっか。皆さんそれを待っているのですね」


 連携班のリーダー・ジークが声を潜めてエマに説明した。連携班の二人は自席ではなく、回収係エリアの隅に置かれているソファーで待機している。


「メールが届いたら、待機班は情報をまとめ上げる。オレたちはそれを受け取って――」

「コピーして、課長さんや他の係に渡していくんですよね」

「そう。これが結構大変。他にも仕事があるけど、それは五回くらい定時連絡が入った後だな」


 「他の仕事」についてエマはまだ聞いていないが、一体何をするのだろうか。

 と……ジョナさんのパソコンから、メールの通知音が上がった。


「来たッ! マル坊、プリンターつけ! いくぞ……〈Ctrl+Pプリントアウト〉、〈Enter実行〉!」


 待機班が一斉に動き出した。メールの文面をジョナさんがプリントアウトし、出てきた紙をマルスがキャッチ、渡されたパットとウィリアムで内容を確認。パットはメモ用紙に内容を書きなぐり、もう一人がぐるんと振り向いて、


「連携班ッ! 回せェ!」

「承知ィ!」


 ──ジークの手にメール文が届いた。

 ここまでのタイム、実に三〇秒。


「エマ、十部コピー。一枚目出たらすぐ課長ンとこ持ってけ。他はオレが配っとくから」

「一枚目出ました、行きますッ」


 コピーを引っ掴んだエマのスニーカーが、事務室の床を蹴った。

 ブラックダンジョン臨時対策室本部、つまり管理課事務室で、新人天使の障害物走が今、始まった!


 最初の難関は書類キャビネットとデスク間の狭い通路、しかしエマはなんと、机に手をついて宙に跳び上がった!

 華麗な着地が決まる、その先にはデスクで作られた迷路。さあどうする、おっとこれはすごい、複雑な迷路をエマは日々の業務で攻略済み、軽やかなステップで通り抜けていく!

 あァーっと危ない、眼前に肩幅の広い庶務係長だ! ぶつかるか、いやぶつからない、直前でスライディング回避! さあ課長席ゴールはすぐそこだ、コピーも無事だ、行けェエマ――!


「お待たせしました課長。定時連絡です」

「エマさんありがとう、ご苦労様です。ヘルメス神顔負けの伝達ですね」

「学生時代は陸上部でした!」


 光属性の新人天使はピカピカと笑った。

 エマが課長へ速達する間、ジークも各係へのスマートな配達を終えていた。メール文が回った途端に事務室全体が忙しく動き始めた。

 ソファーへ戻ったエマは、ジークと共にコピーを覗き込んだ。


『以下現地時間

 0600現着 第一階層構造、事前情報通り。全体構造解析開始

 0635会敵 昆虫型迷宮生物群(小規模)、両断にて討伐。解析継続

 0710解析完了率二割……』


「あ、本当に攻略メモみたいなんですね」

「地上では何時間も経つけど、天界にしてみりゃ感覚短いからな。伝わるように簡潔に書いてもらうのさ」


 ジークが頷いた。エマが彼と業務につくのはこれが初めてだが、先輩たちから聞くところによると、No.1対応の時から迷宮管理課に在籍している古株の一人だそうだ。


「さあ、これがあと何十回も続くぞ。今のうちに聖水飲んで休もう」


 聖水のボトルをエマに差し出して、ジークは朗らかに笑った。











 昼休憩が近づいた頃、エマとジークは「もう一つの仕事」をこなしていた。

 “連携係”とは課内を指すのみならず、ブラックダンジョン対応中にと接触できる限られた人員でもある。

 つまり……。


「皆さん、お疲れ様です! お昼ご飯が到着しましたー!」

「飲み物はコーヒー、紅茶、オレンジジュースの三種類です。係ごとに数言ってください」


 昼食や聖水、リフレッシュ用の飲み物や甘味の存在は、連携係の二人にかかっているということである。

 出前サービスを手配したエマたちは、届いた昼食を各係に配って回っていた。手っ取り早くスタミナを摂取できるようにと選んだ、グリルチキンのサンドイッチだ。


「はい、回収係の分です。……マルス先輩、大丈夫ですか」

「大丈夫だよ。聖水も飲んでる」


 エマが思わず声を掛けると、安心させようとマルスは微笑んだ。しかしその顔色は優れない。


「疲れてますね。ソファー座ります? ふかふかですよ、ほら」

「……エマは将来大物になりそうだ」


 エマに強引にソファーへ押しやられたマルスは苦笑いした。その口にチキンサンドを突っ込んだのはジョナさん。


「まずは食え、マル坊。ミカドさん達が地下にいる影響が出てるんだ」


 潜入班のマッピング作業は終わったらしく、完成したマップが画像データで送られてきていた。地上・地下それぞれ五階層構造とのことで、夜が来る前にある程度地下部分の攻略を進めると決めたようだ。


「マルス先輩は地下が苦手なんですか」

「惑星系の天使は宇宙から力を得る。空から遠ざかる地下は大体相性が悪いのさ。慣れれば平気だそうだがな、わしの昔の仲間も最初は吐いとった」


 現役時代、地下に何の用があったのか。エマは訊けなかった。


「エマ嬢も気ィつけなさい。ブラックダンジョンは普通じゃない、絶対に何かが起こる」

「何かって……」


 その時、パソコンから受信音が上がった。

 「ピロン、ポーン」という小さな音に、一斉に事務室が静まり返った。


 何も起こっていなければ、この音が鳴るのはもう五分ほど先のはず。

 それは……定時連絡ではなく、緊急事態を告げる音だった。

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