第20話 火力調整にはご注意を!

 そこら中から腐臭の漂う、ずらりと地下牢が並ぶ陰鬱な石通路。最小限に灯された松明が気流に従って揺れている。

 突然その火が激しく横にたなびいた。遅れて廊下の奥から、空気を破るような轟音と炎が押し寄せてきた。


「――〈星の欠片よ、空を割れ。天に仇なす者どもを、熱き衣で薙ぎ払え〉」


 それは大気圏で火球と成った隕石の如く、通路と牢にひしめく迷宮生物モンスターたちに襲い掛かった。炎の中で踊り狂う影は瞬く間に形を失い、消えていく。

 炎の放出が止むと、廊下には再び静寂が訪れた。腐臭の代わりに焼け焦げの臭いが立ち上る。


「珍しいね。ハッキリ呪文唱えるなんて」


 汗で張り付く赤毛を掻き上げ、マルスは声の主を振り返った。彼に呼び掛けるのは、褐色の肌に銀髪の映える女性。マルスと同じくスーツ姿で、首から下げるネームプレートには「回収係 ザハラ」と記されている。


「たまには初心にかえろうかと。気を引き締めないといけませんし」

「ミカドさんも『気を付けろ』って言ってた。早く終わらせて、次行こう」


 聖水を飲みながらマルスは頷いた。

 マルスとザハラはチームを組んで、宝物回収と閉鎖処理の承諾が下りた五件の“死屍アンデッド系”ダンジョンを回っていた。今は四件目。アンデッドモンスターは夜闇で力を増す性質があり、特にここ地下迷宮との組み合わせは悪い意味で抜群だ。


 ゴースト迷宮で異変があってから、瘴気の影響を受けやすい系統のダンジョンへは警戒するよう、ミカド係長から注意喚起がなされている。

 現にこのダンジョンのモンスターも設定難易度よりやや強いように感じる。普段あまり大技を使わないマルスも、今日は惜しみなく発動している。

 小部屋の宝箱からアイテム【トリトンの錨の欠片】を回収し、二人は宝物リストを確認した。


「未回収分はこれで終わりのようですね」

「じゃああとはボス倒すだけね。マルス、で行こう」


 ザハラが小さく呪文を唱えると、風が巻き起こった。褐色の両手が風を捕まえて練り上げ、舟艇を形作る。

 出来上がった風の乗り物を見てマルスがニヤッと笑った。彼には珍しい、悪戯っぽい笑みだ。


「エンジンはお任せを。運転は頼みます」


 前にザハラ、後ろにマルス。シートベルトも忘れずに。

 準備が出来たと見ると、座席に跨るマルスは両足に炎を灯し、一気に火力を上げた。


「いい感じ。行くよッ」


 熱で増大した風力を使い、ザハラが船を発進させた。

 眼前に現れたアンデッドたちを物ともせず体当たりでなぎ倒し、時にはマルスが焼き払い、天使による即席エアーバイクは迷宮を一気に駆けていく。


「爽快爽快! 気持ちがいいねえ」

「ザハラ、左の階段を下へ。最下層に通じてます」

「了解。ところでボスはどんな奴?」

「単騎型ではありません。ゾンビを無限に生み出すコアを探し出し、破壊。それを以ってクリアとなるようです」


 長い階段を降りきったところでザハラがバイクを停止させた。ボス戦に挑む前に二人は身支度を整えにかかった。


 マルスは口元をマスクで覆った。ハウスダストと腐臭対策である。革靴の紐をきっちり結び直し、革手袋を嵌め、ハンドガンに弾を込めた。腰のポーチにマガジンが入っているのを確かめ、最後に眼鏡のずれを直せば、準備完了だ。

 一方ザハラは軽装だ。スーツの襟元には薄紫色のストールが巻かれている。武器の類は持っていない。豊かな銀髪を高い位置で纏め直して頷いた。


「マルスはゾンビを。ワタシは核を探す。見つけたら教えるよ」

「了解。では――開けますよ」


 マルスが両開きの扉を押し開けていく。隙間から流れ込んでくる腐臭は酷いもので、マスク越しにも鼻がひん曲がりそうだ。

 広間に体を滑り込ませ、二人は奥へと進み出た。そこは石の床ではなく、ところどころ墓石の突き立てられた土が覆っていた。


「墓場だね」

「墓石のない場所からも湧き出してくるでしょう。気を付けて」


 注意深く歩む、二人の天使。

 ちょうど中央へ差し掛かった時、低い唸り声がそこら中から響き始めた。マルスが両手を勢いよく突き出し、構えた。


「ザハラ、空中へ。一掃します」


 言うが早いかマルスは詠唱を始めた。風を連れて飛び上がったザハラ、滞空する彼女は見た。


 アンデッドたちの目が赤い。

 瘴気汚染が進み、パワーアップしている。


「マルス! そいつら――」

「〈薙ぎ払え、焼き払え。天理の下に等しく滅ぼせ〉」


 詠唱が締め括られた。

 マルスを中心に高温の炎の渦が地面を覆い尽くしていく。捕らわれた死体はたちまち炭に変わり、土に崩れ落ちた。

 ザハラは束の間、同僚の思いがけぬ大技に呆けていたが、すぐに我に返って目を凝らした。アンデッドが地表から這い出てくる時、つまり死体に魔力が宿った瞬間、その魔力の導線を辿ることができれば核を見つけ出せる。


(……? おかしい。こいつら、自力で――)


 ザハラは胸にざわざわと不安が波立つのを感じた。どの死体も、魔力供給を得ないままに立ち上がり、炎の出力源であるマルスを倒さんとしている。

 加えて“赤目”状態。瘴気を取り込みすぎたモンスターは、迷宮本来の機能から外れて暴走状態になることがあるが、眼下で蠢くアンデッドたちの大多数が、赤目を爛々と光らせている。


「くっ……核、核はどこ……?」


 核を破壊したところで、アンデッドの襲撃は止むのだろうか……焦燥感ばかりが先走ろうとする。


(よく考えて。大丈夫、ヒントはあるはず)


 目を閉じて、深く息を吐く。鼻腔に満ちる腐臭を風の力で取り去って、ザハラは思考する。

 赤目状態なのは揺るぎない事実。だが、アンデッドが沸き出したのは自分たちがボス戦開始の動作を行ってから――部屋の中央に進み出てからだ。もし完全に暴走状態にあるのならば、ドアを開けた時点で部屋中にひしめいていたはずなのだ。

 死体が動いているのは瘴気の影響でも、これは正しい手順を踏まれた、正規のボス戦。核は正常に作動している。壊せば、少なくともアンデッドのはなくなる。


「ごめん、マルス。もう少し耐えて」

「なるべく早めに頼みます。こんなにバカスカ大技撃ったの初めてなんですよ」


 顔をしかめてこそいるが、軽口を叩く余裕は残っているようだ。

 ザハラは風を送り込み、広間中を模索しながら核の在処を絞りにかかった。墓石、違う。枯れ木、これも違う。井戸を模した設置物も核ではない。


……?)


 ザハラの研ぎ澄まされた感覚が、ある仮説を導き出した。迷う暇はない。操った風でマルスの首根っこを引っ掴み、空中へ引き上げた。


「何ですかいきなり!」

「土だよ、マルス。腐った死体を作るのは土だ。変な感覚がすると思った、魔力の導線が分からないわけね」

「ええと……つまり?」

「アンデッドが自分の魔力で立ち上がったように見えた。赤目なのも惑わされた。本当は、土の一粒一粒が核の役割をしていて、アンデッドに地面から魔力供給してる。だから土を焼けばいい」


 未攻略ダンジョンなだけある。“アンデッドには炎”は鉄則だが、広範囲高出力の炎属性攻撃が出来る人間は、なかなかいない。


「焼けばいいなんて簡単に言ってくれますね……まだ一件残ってるのに、ここで力使い果たせって?」

「それは必要ないよ」


 ザハラは褐色の人差し指を立てて、ニッコリ笑った。


「ワタシ、あなたとやってみたいことがある。きっとスカッとするよ」











「――それで? どうやってボス部屋爆破したの」


 管理課の会議室の長テーブルで、ミカドはニヤニヤと笑いながらメモを取っていた。テーブルを挟んで向かい合うのはマルスとザハラ。四件目の迷宮を爆破する事態を引き起こした二人は、一度上司へ報告のために天界へ戻ってきていた。全身黒こげでスーツのあちこちが破れている。


「ザハラの術で掌握した地中の空気に、僕の最大火力を注入して、圧縮させた後解放しました」

「そんで、君ら二人が予想してた以上の爆発が起こっちゃったわけだ。あまりの威力にダンジョンが崩壊しちまって、ギリギリ無事だった管理室で機能停止だけかけてきたと……なるほどね」


 ミカドは楽しそうだ。この男が楽しそうにする時は大抵、あまり良くないことが起きている時である。


「はっはっはっは! 封鎖業務が始まって三十年経つけど、ダンジョン吹っ飛ばしたのは君らが初めてだ!」


 笑い事じゃないです、係長。


「まあ、『土ごと焼き払え』なんてフツーの人間が出来るわけないよね。これは設置した人にも非がある、仕方ない部分も大きい。けどやりすぎです。地上に影響出さねえための封鎖なのに、その過程で巻き込んでちゃあ意味ねえだろ。近くに人里もなかったんで、迷宮崩落による地盤沈下以外に被害がなかったのが、不幸中の幸いってところだな」


 ニヤリ顔から“上司”の顔を作り、ミカドは腕を組んで煤だらけの部下二人を見上げる。上司よりも座高の高いマルスとザハラは、パイプ椅子でますます縮こまって小さく「申し訳ございません」と謝った。


「ザハラ。一応君の方が先輩でしょ。歯止めは自分で掛けなさい。仕事は楽しむに越したことはねえがな、あくまで仕事。締めるところはキッチリ締めること」

「ごめんなさい……」

「マルスも。ザハラがちょっと頭のネジ緩いのは知ってるはずだろ。一緒に悪ノリするんじゃない。……大技連発して思考力低下してたんだろうが、それを許しちまえばこれからもダンジョン吹っ飛んじまうから、やっぱ自分で分別できねえとな」

「はい……ごめんなさい」


 厳しい顔でそれぞれに注意したあとで、「パンッ」といつものように手を打った。


「よろしい。尻拭いは任せなさい。ちゃんと身綺麗にしてから最後の一件行っておいで。あ、マルス、君はもう少し話したいことが。ザハラ、先行きな」


 会議室から出て行く同僚の後ろ姿を、マルスは居心地の悪い思いで見ていた。自分だけ残るというのはどういう意味だろうか。何かまずいことをしてしまったのだろうか。


「そんな顔しなくていいって。叱るとかじゃねえから」


 見透かしたように笑うミカドに、マルスは肩をすぼませた。


「みんなに訊いて回ってんだ。アンデッド系のダンジョン、君の目から見てどんな感じ?」


 ミカドは軽い調子で尋ねてきたが、マルスはやや緊張感のようなものを覚えた。以前起こったゴースト迷宮での一件に関連したものだろう。


「そもそもモンスター自体が腐ってますからね、瘴気の影響は他よりも多く出てる気がします。爆破したダンジョンでも何度も大技を使いました。攻略を焦ったとはいえ、一般アンデッドですらかなりの火力が必要でした」

「銃とかでただ倒すだけじゃ、アンデッドは無限に蘇るからな。死体ごと消滅せんことには対処できねえ。なるほど、やっぱか」

「ボス部屋のモンスターに至ってはほぼ全体“赤目”でした。……なんか、進行が急すぎませんか? ダンジョンの瘴気ってこんなに侵食するものでしょうか。魔王討伐までの数百年、過度な汚染はなかったんですか?」

「あっても数件だ。封鎖が決まった途端、進行が早くなってる。データ取ったわけでもねえから確かとは言えねえが……」


 ミカドの手が顎をさする。無精ひげが立てる音が、静かな会議室で響くようだ。

 ふとその音が止まった。ミカドの黒い目が細められた。


「……違うな。封鎖決定じゃねえ。か」

「ミカドさん?」

「アレハン殿の言っていたセリフとも繋がるし、この線で考えた方が……うん、すまんな引き留めて。シャワー浴びておいで」


 一方的に切り上げられては問い直すこともできず、マルスは会議室を後にした。上司が呟いた声がひたすら反芻されていた。


(魔王が討たれたのが、汚染進行の鍵ってことか? でもどうして……)


「あっマルス先輩。お疲れ様です……きゃあっ、真っ黒こげじゃないですか!」


 廊下の角から現れたエマが悲鳴を上げた。

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