第14話 私立迷宮横領事件・その3

 天界に戻ったミカドとアレックスは、とある聖人の居宅にいた。

 豪奢な応接室のソファに身を落ち着けるミカド。アレックスは大剣の切先を床につけ、柄に手を置いてその背後に待機している。

 ミカドは不満げに鼻を鳴らした。


「ねえアレハン殿。やっぱ俺一人で座るの居心地悪いんだけど。一緒に座ろうぜ」

「私は軍人だ。あなたの護衛ということで良かろう」

「同じ天使仲間でしょ。護衛されるような御身分じゃ……お、おいでなすったかな」


 応接室の戸が開き、豊かな亜麻色の髭を蓄えた男性が入ってきた。鷹揚に片手を上げる彼からは、鼻腔に纏わりつくような香水の香りがしている。同じ香りはこの応接室、いや屋敷中から漂っており、むせかえるような空気だ。

 ミカドは腰を上げて一礼した。


「突然押し掛けてしまい申し訳ありません。聖人キケロ殿」

「いやはやまったくだ。一体何の用だね、あー……」

「天連ダンジョン局より参りました、迷宮管理課・回収係長のミカドです。こちらは回収業務にご協力いただいた、西方神軍所属のアレハン……殿


 ミカド、危機一髪。


「あなたが地上に設置した、第七二九・私立迷宮のことで確認事項がございましてね。緊急性が高いため、書面のやり取りではなく、こうして直接お話を伺いに参った次第です。なに、お時間は取らせません」


 ――すぐに終わりますから。


 キケロが向かいに腰を降ろすのを待ち、ミカドも再びソファに座った。そして空間収納ボックスからあの檻を取り出した。中では哀れなヘビがニョロニョロと出口を探し彷徨っている。

 キケロは体を退け反らせて慄いた。


「畜生などを持ち込むとは!」

「ご心配は要りません、私が厳重に封印しております。彼は“バジリスク”、ご覧の通り蛇系の魔物、元魔王軍の一員であった者です。彼から実に面白い話を聞きましてね……バジルちゃん、さっき俺にしてくれたとっておきのお話、このおじいちゃんにも聞かせてあげて?」


 印を結んだ片手で、元大蛇の口の禁を解いた。

 途端、するするとヘビが喋り出した。


『ワシは人間との戦いで傷を負って森へ投げ込んだ。そこへこの髭が現れて、取引をしないかと持ちかけてきた。金目の物を集める代わり、ダンジョンに君臨し人間を喰うても良いとな』

「……はは」


 キケロが乾いた笑いを漏らした。


「ミカドと申したか。まさかそんな畜生の話を信じるなどと――」

「このヘビはあなたが所有するダンジョンのボス部屋に棲みついてました。トロールを食ってね。先程実地調査に向かった折に発見して、私が調伏……こっちで何て言うんだっけ、アレハン殿?」

「魔物を従属させるということなら、“テイム”だな」

「そう、それをしました。奴は今、私の使い魔です。黙れと言えば口を閉ざし、真実を語れと言えば語る」


 ミカドは薄っすらと笑んだ。


「つまり今の言は事実なのですよ。少なくともコイツにとってはね。だから貴殿の証言と擦り合わせが必要だと、こう判断したわけです」


 くくく、と発せられた低い笑いに、対峙する聖人は背筋が粟立った。


「キケロ殿。あなたは生前、食糧の蓄えをすべて貧しい民へ解放した。それに留まらず、そのお人柄で人心を動かし、無血で政治を変えたようなお方。その功績を取り上げられ、死後“聖人”として天界に住まいを与えられたというのに……よもやよもや、生者から私腹の糧を得ようなどとは」

「……何の話かサッパリですな。その畜生が勝手に勘違いしているだけだろう」

「ほう、否定されたか。犯した所業を今認めれば、少しは罰も軽くなったでしょうに。まあいい、そちらがその気なら、私にもまだ切り札がある」


 ミカドが立ち上がった。ゆっくりと向かいのソファの裏に回り、背もたれから身を屈めてキケロの首筋に顔を近づけ――そして、すんと、鼻を鳴らした。


「香水なんかで誤魔化せると思ったかい」

「――ッ!」

「アレハン殿、ビンゴだ。今すぐ通報を……」

「とっくに通報済みだ。もう来た」


 アレックスの返事と共に、応接室の扉が勢いよく開け放たれ、軍人が数人慌ただしく駆け込んできた。あっという間に槍がキケロを取り囲み、両手を拘束されてガッシリ掴まれた。


「何をする、離せッ! 一体何のつもりだ!」

「聖人キケロ。あなたは堕天している」


 腕を押さえつけられるキケロに向かって、ミカドの冷たい声が降りかかる。その言葉にキケロの顔面が恐怖で満ちた。


「堕天……な、何を根拠にそんなことを……」

「あなたからは腐臭がする。天界の者が負の側に堕ちた時の臭いが。恐らく魔物と取引を交わした三十七年前、いやそれ以前からでしょう? 魔王軍との攻勢が激化し天界経済のバブルが弾けて、煽りを受けたあなたの生活は地に落ちた。は一度贅沢の味を占めると抜け出せなくなる」


 ミカドの指にぶらぶら揺れる檻で、ヘビが威嚇している。

 黒髪の天使の言葉は続く。


「金が欲しいあまり、あなたはダンジョンで収益を得ようとした。利益を増やすためには、迷宮内で死人が出ればいい。ちょうど戦に敗れ逃走していたバジリスクを見つけ、共謀関係に至った……あらすじはこんなもんかね」

「バジリスクを封じた後、ミカド殿が迷宮内を徹底的に調査したのだ。トラップは動作停止、一般モンスターも一掃され、代わりにゴブリンが配置されていた。彼奴きゃつらは弱小な魔物だが金品の扱いに長けておる。宝箱の中身が元に戻っていたのもそのため」

「もちろん指定宝物の他にも、ゴブリンたちが隠し持ってた不正利益も押収させて貰った。内部状況は申告と大きな相違がある。残念無念、キケロ殿は赤点でーす」


 拘束されたままがっくりと項垂れる聖人。

 心底愉快そうに高笑いする天使。


 ダンジョン管理の不行き届き・不正の証拠は、ミカドが既に迷宮管理課長ピーターを通して軍部に提出している。

 更に天使や聖人は、自身や周囲の者の堕天を発見場合は即座通報の義務がある。放っておけば天界全体に悪影響が出かねないからだ。それを四十年近くも放置し周辺に隠していたともなれば、重罰は免れ得ない。


(早期に自己申告していれば、天界へ戻って来られるチャンスも残っていたろうに)


 哀れな聖人を眺め、アレハン殿は思った。軽いうちに罪を償い、完全に浄化が済めば、堕天した者も天界復帰の望みがあった。そのチャンスを自ら潰してしまったキケロの、なんと愚かなことか。

 軍人天使たちはキケロを連行していった。ミカドは軍人の一人にミニバジリスクの入った檻を手渡した。


「このヘビ、一応預けときます。吐かせたいネタがあったら連絡ください。今は俺の使い魔なんで、言うこと聞かせられます」

「ご協力ありがとうございました。撤去事業、頑張ってください」

「こちらこそ。じゃあな、スク君」


 敬礼してくれた軍人天使に会釈で返し、ミカドはわざとらしい声でヘビを見送った。

 そして最後、堕天聖人の哀れな背中に向かって言葉を投げつけた。


「堕ちた聖人が蛇を唆かすなんて、ネタが古いんだよ」











 翌日。


「おはようございます、ミカドさん」


 朝一番、新人職員のエマが事務室に朗らかな空気を持ち込んだ。係長席で書類作成に勤しんでいたミカドはニッと歯を見せて応えた。


「おはよう。元気だね。仕事はそろそろ慣れたかい?」

「覚えることがたくさんありますけど、何とか。ダンジョンもたくさん行ったので、だんだん瘴気にも慣れてきました」

「そりゃ良かった。だが油断はすんなよ、瘴気にやられ過ぎると堕天しちまうから」


 ミカドの脳裏には昨晩の出来事がよぎっていた。

 堕天は他人事ではない。迷宮を通して日常的に瘴気に触れる自分たちも注意しなければならないのだ。


「先輩たち、皆さんそう言いますね。口癖みたいに『聖水飲んだ?』って聞かれます。でも、それぐらい気を付けないといけないってことですね」

「そうそう。『あっ』と思った時にはね、結構蝕まれてたりするから。今日エマちゃんが行く場所は瘴気レベル低いけど、この前のゴースト迷宮の一例もある。気ィ付けて」

「今日もミカドさんは行かないんですか」


 しょんぼりするエマに苦く笑って、ペン先でパソコンの画面を指した。


「昨日君が帰った後、面倒な案件を片付けたもんでね。仕事が倍になっちゃった」

「うわ、大変ですね……」


 眉を下げて同情を見せた後、エマはにこっと頬にえくぼをつくった。


「じゃあ私、ミカドさんの負担を減らせるように、頑張って早く仕事覚えますね」

「…………」

「まあ、入りたての新人が何言ってんだーって感じですけど。アハハ」

「…………」

「ミカドさん?」

「…………課長ぉぉぉー!」


 はたと真顔になった係長、突然椅子を蹴って立ち上がったかと思うと、課長席に怒鳴り込んだ。


「大変だ! 新人がいい子過ぎて心配です!」

「ええっ!?」

「エマさん、ミカド君は疲れてちょっとおかしくなっているだけです。そっとしておいておやりなさい。ああおはようソフィアさん」

「おはようございます……ちょっとミカド、エマちゃんがドン引きしてるわよ」


 ちょうどそこへ出勤してきたソフィアが、エマの視界からミカドを隠すようにして彼女を連れて行った。

 課長のデスクの傍で蹲っていたミカドは顔を上げた。


「心配なのは本当ですよ。今ウチの課、繁忙期真っ盛りでしょ。あんまり忙しいとどうしたって負の感情が沸いてきちまう。あんな子がドロドロになるところなんて、俺ァ見たくねえんですよ……」

「堕天の気に触れて、君も疲れてしまったのでしょう。事後処理が終わったら今日は休みなさい、ミカド君」

「はは、有り難い。本当に課長には頭が上がりませんよ」


 「何を言いますか」とピーター課長が缶コーヒーを差し出した。


「頭が上がらないのはこちらですよ。の上に私が立つなど、本来とても畏れ多いことです」

「いやそんな。たかが助っ人でしょう。係長の立場も別に要らなかったのに」

「でも便利でしょう?」

「……まあね、昨日の件も肩書があったから上手く立ち回れました」


 受け取った缶コーヒーはひんやりと冷え、露が浮いていた。プルタブを起こしてごくごく喉を鳴らし、美味そうに息をつく。報告書類はまだ書きかけ、だがやる気は戻っていた。パソコンに向かい作業を再開する。


 今日も今日とて、迷宮管理課は大忙しだ。

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