最終話 「fine.」

 昔、美術の教科書で見た宮殿のような造り。

 荘厳。立派。ゴージャス。


 この異世界に転生し、目覚めた時に居た、運命の魔法陣の間だった。


「……イアレウス!」


 素早く起き上がり、すぐ傍に横たわっていた魔王を助け起こそうと、その肩に手を掛けた。


 生暖かく、溢れ流れるものが手を濡らす。

「……起きろ。起きろって。何してんだ」


 それでも構わず、多少無理に身体を揺する。あんな異次元の戦いで散々天使と打ち合ったあんたがこんな事で死ぬはずがないだろ。


「……っ!」

 魔王の喉から嫌な音と黒い血が溢れ出し、俺は恐怖で強張った。


 ……マジすか。


 そんな俺を薄目で見やった魔王が、掠れ声で呟いた。


「転移魔法は、無理があったな。こんな距離までしか届かなかったが、これで充分だ」

 

 その目だけが、運命の魔法陣に向いて。

「……貴様は充分に役目を果たした。依ってここに、褒美を授けん」


「何言ってんだ。なんのつもり――」いや、その意味は判ってる。


 この魔王、俺を元の世界に還そうとしてやがるのだ。

 勇者どもに勝てないと悟って……。


「そんな真似させるか。そんな状態で何を余裕ぶってんだ。無理するな」


「見くびるなよ。余は、大魔王イアレウス。二百の国を手中に収めんとした、最強の――」

「……喋んなって!とにかく、ええと……とにかく安静にして、それで……」


 それでどうなる? 治るとでも言うのか? そんな状態で俺の望みを――


「――望みを叶えるっていうのなら、治れよ! 治ってこの状況を何とかしろ!」 


「余は、褒美を授ける、と言ったのだ」

 魔王が薄く笑った。

「お前の望みではなく、余の望みを叶えさせてもらう」


「……ふざけんな。こんな結末、俺は認めないからな! どうにかできるだろ、あんたなら! 今までどんな相手でも好き放題にしてきたじゃないか!」

「世界は、在るべき、形になろうとする、どう抗おうとも」

「それをどうにかしたかったから戦ってきたんだろ」

「理屈は単純だ。余の力は、ことわりに及ばなかった。それだけよ」


「……」

 俺はなんとか魔王を復活させるための言葉を産み出そうと抗った。

 しかし、最早それは無理だと認めるしかなかった。


 俺は、最後にもう一度、本心からの望みを伝える。


「最高の曲を聞かせたかった。あんたに。皆で」

「……その言葉だけで充分だ。余は良い仲間たちを得られた」


 その時、足音が迫って来た。

 魔法の痕跡を勇者たちが追って来たのだ。


「さあ、余の力が尽きる前に、事を済まそう」

「口上は要らぬ。正名を言え。それだけで、運命の魔法は発動する」


 魔王の言葉と共に、部屋の中央の魔法陣から立ち上る光が、突然強くなる。


 まるで色とりどりの雪が、逆さに吹き上っていくような。

 螺旋の渦が、それを包むように優しく回りながら。


 その瞬間は、すぐそこに迫っていた。

 今、それを叫ばなければ、全てが無駄になると判っていた。


 だから、俺は名前を叫ばきゃいけなかった。


「……あらかみはら……」

 ともすれば嗚咽になりかける胸の震えを、渾身の力で抑え込んで。



 見るからに重そうな木扉が、どばん!と勢いよく開いたまさにその瞬間。俺はあらん限りの声を張り上げて、全力で叫んだ。


「……俺は、魔城楽団モンストロケストラ楽団長、荒上原、詫歌志!!」


 極限の光が、広がった。



――――――――――――





 ――この馬鹿魔王。








「…………」

「お、兄貴。起きたか。どうよ気分は」

「……タクト………?」

「ったく、人の誕生日に倒れてくれるなんて、とんだプレゼントだ」


 全体的に白みがかった風景の中に、見覚えのある人影だけがぼんやりと浮かび上がっている。それが眼鏡をしていないからだと気付くまでには、少し時間がかかった。


 独特の薬品ぽい臭いで、その白い風景が病院の一室である事と、自分がベッドに横たわっている事を把握した。


「…………」


 俺は異世界から帰って来た。

 夢だったのでは、とは微塵も疑わなかった。


 あの異世界での体験は全て、俺の魂に刻まれている。



「……兄貴?」

 侘玖斗の表情は良く見えないが、その声色に心配らしきものを感じ取って、俺は掠れた声で返す。

 

「……サプライズだよ。来年もやってやろうか」

「お断りだ。絶対にやめろよな」

「知らないのか?今の、冗談って言うんだぜ」

「……相変わらず軽口ばかりだな。心配して損した。俺がたまたま兄貴んとこに行ってなきゃ死んでたってのに」


 半笑いで応える俺に、侘玖斗は気分を害してむすっとする。


 ……ん? 俺んとこ?


「俺のアパートに? お前が? なんだよ、一度も来た事なかったのに」

「……大事な話があってさ」

 それならメールなり電話なり、色々連絡する方法はあっただろ。

 直接会わないといけないような話なのか?


「親父とお袋が交通事故で死んで、遺産が入るとか?」

「そういうとこが親父たちに嫌われる理由なんだぞ兄貴」

「……そうだったな」


 そして、お前にも。


 真剣な話をしようとしている弟を、こうして茶化す癖がどうしても抜けなかった。

 本当にごめんな。


 俺のそんな視線を読んだのか、弟は少し躊躇いがちに、本題を切り出した。


「……それで、こんな時に何だけどさ。その……」

「言えよ」

「……今度、新しくユニットを組むんだ。本気でプロを目指そうと思って」

「音大に行くんじゃなかったのか」

「行かない」

「親不孝もの」

「兄貴よりはマシだ。別に良いだろ。家に金入れてんだから」


 それを言われるともう何も言えない。


「それでさ。そのユニットのマネージャーになってくれないかな」

「俺、やっぱ死にかけてるのかも。幻聴が聴こえた気がする。先生呼んで」

「茶化すな。本気だよ」

「なんでまた、そんな風に血迷ったんだ」


「……やっぱり、俺の音楽は、兄貴に教わったものがルーツだと思ったから」


 侘玖斗は、この際言いたい事は全部言ってしまおうと決めたようだ。


「俺のやりたい音楽を一番判ってくれてるのは、やっぱり兄貴なのかもしれないって思ったんだ。色んな面子とやってきたけど、皆、流行だとか技術の話しかしてくれない。兄ちゃんみたいに、色んなジャンルの色んな良さを少しずつでも試したいって思ってる奴と仕事をしたくてさ」


「ユニットの面子はもう決まってて変えられない。だからマネージャーって立場で、色々相談しながらやっていけたらいいなと思って。営業やってる兄貴ならいけるだろ?」


「でも、今の仕事は辞めてもらう事になる。それにプロの世界はすげー厳しい。キツい思いをする事になるから、ゆっくり考えて決め――」

「やるよ。やる」


 侘玖斗は、自信たっぷりに即答した俺に面食らった。


「……良いの? 朝とか夜とか関係ない世界だぜ?」


 俺はこう答えた。


「魔王に仕え、モンスターの楽団を率いて様々な楽曲を捧げてきたのに比べたら、余裕だよ」


「……何だよそれ。すげー面白そう。ちゃんと聞きたい」

 

 侘玖斗は興味に顔を輝かせて身を乗り出してきた。


 てっきり引かれるかと思っ――……

 いや、お前も元々そんな奴だったもんな。判ってて言ってやった。



――――――――――――――――



 数日が経った。


 病院で目覚めた時は侘玖斗の話への驚きが大きかったが、日が経つにつれて、あの雑な運命の魔法陣によって導かれた異世界と、仲間たちへの喪失感が強くなっていった。


 ようやく退院し、自宅に戻った俺が最初にやったのは、気を失ったまんまでほったらかしになっていたパソコンのスリープを解く事。


 異世界では全く気にしていなかったが、現実に戻った途端にネット中毒に逆戻り。


 とにかく貪る様に動画を漁って、油断すると泣きそうになるのを誤魔化す事しか考えていなかった。

 

 今日はもう回線を気にせずに貪り尽くしてやる、と、ブラウザを開こうとする。


「……あれ」


 気を失って異世界に飛ぶ前に開いていたDAWに、見慣れないプロジェクトファイルが追加されている事に気付いた。日付は……俺が、病院で目覚めた日。時刻はまさに俺が目覚めた瞬間だ。


「…………!」

 急に怖気が襲い、鳥肌が立つ。有り得ない。


 しかし、震える手が勝手にダブルクリックを。


 びっしりとMIDIデータが打ち込まれたパートファイルで構成された、長大な曲が現れた。普通はパートごとに楽器名をネームにしているのだが、代わりに仲間達の名前が打ち込んであった。


 そしてその曲の内容も、再生する前から判っていた。

 あの魔王の最後の戦いで、演奏したいと思い描いた曲。


 

 一つ一つ、ワンパートごとに再生し、それぞれの演奏を確認していく。そのデータには、それぞれの個性や癖が全て反映されていた。


 中でもやたら凄い技術や理論が駆使された、一番複雑で重いファイル。

 バイオリンのパートだ。あの骨、こんな所でもやってくれた。


 俺は笑い、そしていつの間にか泣いてた。





 冷静に思い直せば、なんと残酷で猟奇的な世界だっただろう。


 でも、その中でも限りなく緩く、雑な生き方を全力で楽しむモンスター達との暮らしは、心から楽しかったし、かけがえのないものだった。


 初めてあの異世界で目覚めた日のこと。

 魔王との出会い。

 国歌を作る事になった経緯と。

 戦闘BGMをガチの戦闘中に演奏する羽目になった事件。

 色んなモンスター達との交流。

 色んな敵との戦い。

 仲間との、わ……わか、わかれ。

 

 ……言い出せばキリがないのでやめようね。

 思い出せば思い出すほど泣くし。てか泣いてんだけどね。


 とにかく。


 その結晶は、今もこうして八ギガバイトのファイルに収まっている。

 ……八ギガ?でけぇなおい。


 


 ……あの異世界で生きた者達の証は、確かに俺の手元に残ったのだ。



 俺は何度も何度も繰り返し、果たせなかった楽団の思い出を聴き続けた。

 

 ここでまた気を失って、また異世界に飛んだら面白いけど。

 まあ流石にそんなことはないよね。



 俺は、DAWの演奏を止めた。







       

       終楽章『グランド・フィナーレ』

               最終話「fine.」






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