第2話 破の章1

「つばきくんってさ、授業中全然寝ないよねー」

 ぼくの首の後ろをシャーペンで突き刺しながらそんなどうでもいいことを言ってくるのは、クラスメイトの梅林さくら。

 高めの位置で結んだポニーテールがトレンドマークで、あどけなさの残った整った顔立ちをしているけれど、眠そうな瞳が活発そうなイメージを粉砕している。

 もっと詳細に言えば、世界を舐め腐ったような目をしている。

 それでもその整った顔立ちと陰鬱な表情のミスマッチが、唯一無二の個性を引き出していて、わりとモテる。でも彼女は誰といても基本的に詰まらなさそうな顔をしているので、彼氏は愚か友達らしき人もほとんどいなかった。

 でも、浮いているわけではない。そのあたりが不思議で、人間関係の調節は至極上手な女子生徒だった。

「まあね。授業中に寝ないことがぼくの唯一の取り柄みたいなところあるし」

「もうちょっと自分のこと誇っていと思うよ。一学期末の花之木つばき全教科満点事件は学校史に残る大事件じゃん」

「まぐれだよ」

「まぐれでも満点を取り得ることが君の取り柄だね」

「うまくはないからね」

「話を戻すけど、授業中眠らない人って、寝る間を惜しんで何やってるの? つばきくんは本を読んでいる様子もないし、ノートに落書きしている雰囲気もない。一見普通に授業を聞いているようだけど、果たして何を?」

 いや、普通に授業を聞いているんだけれど。

 ぼくがさくらを呆れた目で見つめていると、彼女はぽんと手を叩いた。

「そっか。そういえば男の子って授業中にテロリストを攻めこませる習性があるって聞いたことあるや」

「さすがにそれは中学生までだよ!」

 そういうとさくらは興味なさそうに「ふうん」と呟いて、それから「じゃああたしは寝るから、授業終わったら起こしてねー」と言って机に突っ伏した。授業が始まったタイミングで起こすのが正しい学友の務めだと思う。

 ちなみに、特に女性は意外に思うかもしれないけれど、男子中学生が好きな子を守りながら宇宙人やテロリストと単身で戦う回数は、好きな子とえっちをする回数よりもはるかに多い。あ、頭の中の話です。

 ぼくだって中学生の頃は何度もそんな妄想を繰り広げた。

 でも、今はそんなこともしなくなった。

 もちろんそれは単純にぼくが大人になったからだけでなく。

 下手したら、そんな馬鹿げた空想が現実に反映されてしまうからである。

 呼吸と視界を塞ぐという少し特殊なルールのせいでいまのところ大惨事には至っていないけれど、だからと言って好き勝手にめちゃくちゃな想像をしていい理由にはならない。

 いやまあ例え宇宙人を呼び寄せてしまっても、そのあと自分でなんとかできるんだけどね。

 などと考えていると、後ろから手紙が飛んできた。

 おそらく差出人はさくらだ。既に授業が始まっているのでこういう形で連絡を寄越したのだろう。

 飛んできた手紙は、女の子特有の折り方がされていて、開くのに少しだけ難儀した。

この折り方、一度開いたらもう二度と同じ形に戻せないんだよな。

しかしその手紙を開いた瞬間、ぼくの背筋がピンと伸びた。


 ・期末テストで全教科満点

 ・授業中に侵入してきた三匹の雀すべてがつばきくんの肩に止まった

 ・大遅刻をしたのに全く怒らなかった担任

 ・接点がなかったはずのひまわりちゃんとの交際


 こんなふうな箇条書きで、A4の紙がびっしりと埋まっていた。

いままでにぼくが能力で引き起こした出来事のほとんどが、簡潔にまとめられていた。

そして最後の一行に、「突風を引き起こして風船をキャッチ」と書かれているのを見つけたぼくは、弾かれたような勢いで顔をあげ、慌てて後ろを振り向こうとした。

「前を向いて」

「な……さくら……おまえ」

 首筋にひんやりとした感触が広がり、ぼくは後ろを振り向くことを諦めた。

 急所に刃物を突き付けられたぼくは一ミリたりとも動くことができず……ってこれアルミ製の定規だ。

 ただそれでも、ぼくは動くことができなかった。

「ふうん、動揺するっていうことは、やっぱりそれ全部偶然じゃないんだね」

 さくらが耳元で囁くたび、暖かい吐息が脳髄を刺激し、思考が痺れていく。

「たしかこの間風船をとった直前、目を閉じていたよね。それが君のトリガー?」

 そのままさくらは定規を持っていない左手でぼくの両目を覆った。

 定規をゆっくりとぼくの机に置いて、鼻と口をふさがれる。

 息ができない。

 前が見えない。

 この体勢は、まずい。

 ぼくは現実改変を引き起こさないように、できるだけ無心でいるよう心掛けた。

 というか、授業中に女が後ろから男の顔を覆っているんだ、先生か隣の席のやつ注意しろよ!

 そう思っていると、再び耳元に暖かい吐息がかかる。

「『思創献誤ミスリアクション』」


**********


 次の瞬間、勢いよく教室の扉が開いた。

「全員両手を挙げろ!」

 クラスメイト全員が戸惑っている中、二人の男がずけずけと部屋に入ってくる。大声を出した男の手に握られているのは黒く輝く拳銃。

「おい! 聞こえなかったのか」

 声を荒げた男がそのまま天井に向かって拳銃を発砲した。

 パン! という冗談みたいに乾いた音が響いた瞬間、ようやく事情を呑み込んだ委員長が「きゃあ!」という悲鳴をあげる。

 その悲鳴がきっかけとなり、絶望と恐怖が教室中に伝染していった。


**********


「っは!」

 顔を覆っていたさくらの手が解かれ、視界が一気に晴れる。

 やばい!

 やばいやばいやばいやばい!

 どうして今ぼくは、あんなふざけた妄想をしてしまったんだ?

 今時中学生でもしないようなコテコテの妄想だ。そんなことを考えようだなんて全く思っていなかった。それなのに、さくらが耳元で謎の単語を囁いた瞬間、ふざけた妄想がはじまった。

 いまいち状況は呑み込めなかったけれど、とんでもないことをやらかしてしたということだけは理解した。

 目を閉じ、呼吸を止め、教室にテロリストが来る妄想をしてしまった。つまり、今から数秒後にはテロリストがやってくる。

 二つ目のルール、『この力で引き起こした現実は、この力で改変できない』があるせいで、今からテロリストをいなかったことにすることはできない。

 さくらのほうに目をやると、神妙な、それでいて珍しくどこかわくわくしたような表情をしながら、ポニーテールにまとまった髪の毛を両手で束ね直している。

 艶めかしい。

 じゃなくて!

 きっとさくらが何かをしたのだろう。状況的にそうとしか考えられない。

 どんな手段で、どんな動機でそんなことを行ったのかはわからない。それを考えるのはあとでいい。

 今はただ、待ち受ける現実をどう乗り切るか。それだけを考えなくてはならない。

 そう思った瞬間、勢いよく教室の扉が開いた。

「へえ、ほんとに来くるんだ」

 後ろの席から「やばいね、テロリストさん」と言う呑気な声が聞こえてくる。

 ぼくがさくらを睨んだ瞬間、発砲音が鳴り響き、委員長が悲鳴をあげる。

 そして教室がざわつき始めた。隣のクラスのざわめきも聞こえる。

 ここまでは想像通り。決まっていた未来だ。

「な、なにが目的だ!」

 と担任の先生が震えながらも勇敢にタンカを切るも、テロリストは「うるせえ!」とそれを一蹴し、先生に銃口を突きつけた。

 さて、過程はどうであれこれはぼくが引き起こした事件だ。ぼくが片付けるべきだろう。

 しかしあまりにも突拍子のない不思議パワーで事件を解決するわけにはいかない。理由は簡単で、ニュースになると困るからだ。

 いや、テロリストが攻め込んできて発砲した時点で当然ニュースにはなるのだけれど、ぼくが言いたいのはそういうことではない。

 ぼくが危惧しているのは、ぼくのような超能力者が組織だっている可能性だ。もしぼく以外にもこんな超能力を使える人間がこの世に存在するとすれば、漫画やアニメの世界のように、異能者たちが徒党を組んで活動している場合だって十分考えられる。

 そういう組織が友好的で、ぼくの悩みを解消してくれるならいいが、現実改変なんて言うとんでもない異能者は消せ、という方針だった場合、人生が終わる。

 人生を終わらせないよう現実を塗り替えることはできるだろうし、別にこのつまらない人生を無理して続けたいわけでもないけれど。

 それでも、超常現象を引き起こして華麗に解決! と言う手段は出来るだけ取りたくなかった。

 さて、どうしようか。

 具体的な策もないまま、腰を浮かし立ち上がろうとした瞬間、我らが二年七組は奇妙なシンクロニシティに包まれた。

 クラスメイトの男子ほぼ全員が、一斉に椅子から腰を浮かしたのである。

 ガタ。ギギ。ガタン。

 教室の至る所から椅子を引く音がする。

 それに慄いたテロリストが拳銃を振り回しながら「動くな!」と叫んだ。

 男子たちはその言葉に従い決して顔を見合わせなかったが、心の中では全員同じことを考えているだろう、と予想しあい、ニヤリと口を歪めていた。

「ついに、この日が、来た」

 誰も口には出さなかったが、出さずとも伝わった。

 何度脳内で授業中にテロリストが攻めてくるシチュエーションをシミュレーションしただろうか。

 中には歓喜に打ち震える生徒すらいたかもしれない。

 それを見てぼくは、ああ、これは使える、と思った。

 ぼく一人が状況をひっくり返すのは人間離れしすぎている。

 でも、クラスメイト全員でテロリストを撃退すれば、多少のお叱りは受けるだろうが美談として語り継がれる。

 実際に行動に出たクラスメイトも誇らしい気持ちになるだろう。

 そうと決まれば話は早い。ぼくはいつものようにふー、と長く息を吐きだして。

「じゃ、この不条理な現実を塗り替えようか」

 誰にも聞こえないようにそうっと呟く。

 この馬鹿げた空虚な思考で、吹けば飛びそうなほど淡い物語を。

「『虚思淡譚オーバーライド』」

 目を閉じ、息を止めた。


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