4章 本当のこと

1 本当の名前

 校門の前で俺に抱きついたまま、よしのんさんはいつまでも泣き続けていた。しかし、だんだん暗くなってきたし、ずっとこうしているわけにもいかない。


「よしのんさん。もう家に帰らないと」

「帰らない」

「帰らないってどうする?」

「帰れない。パパとは顔を合わせられない」

 困ったな。下校時刻は過ぎていて、校門から出てくる生徒はいなかったが、もし誰かに見られたら、どんな噂になるかわかったものじゃない。それが杏奈さんや石沢さんの耳にでも入ったら、何を言われるか……


「おい、どうした」

 通用口を閉めるためにやって来た先生が、こっちを見ている。あれは確か体育のブッチマンだ。すぐにブチ切れるからブッチマン。まずい。


「学校のまん前で、堂々と何やってるんだ」

「なんでもありません。大丈夫です」

「二年生の西原か? そっちは、他の学校の生徒さんみたいだが、泣いてるのか?」

「いや、ちょっとコンタクトがずれて、目が痛いだけです。大丈夫です」

「学校の水道使うか?」

 あろうことか、通用口から道路に出てきた。


「だ、大丈夫です。もう帰りますので。よしのんさん、行こう」

 抱きついているよしのんさんの手をはがして向きを変え、背中を押しながら、あわてて校門前から離れた。

「もう遅いから、寄り道せずに帰れよ」

「はい! さようなら!」

「他校の先生に怒鳴り込まれたりすると、大変なんだからな。面倒起こすなよ!」

「大丈夫です!」


 そのまま、早足で逃げるように駅までやってきた。しかし改札口の方に行こうとすると、またぐっとしがみついてきて動かなくなる。

「どうしても、帰らないのか」

 黙ってうなずくよしのん。

「ファーストフードに入るか」

「うん」


 そのまま駅前にあるファーストフード店に入り、コーラを二つ頼んで席につく。この店では、「芽依は浮気なんかしない」と叫んで走って行ってしまったり、修学旅行のお土産を渡したり、いろいろあったが、とうとう泣きべそかいたまま連れてくることになってしまった。


「家に帰らないって、どこに泊まるんだ?」

「……どこでもいい。ネットカフェでも、ファミレスでも」

「そんなわけにいかないだろ」

「じゃ、蓮君の家に泊めて」

「うち? いきなりそれは」

「なら野宿する」

「どうしてそうなる?」

 コーラには手もつけずに、下を向いている。


「そうだ。お姉さんのところに行ったら」

 デザイナーをしているお姉さんは、都内で一人暮らしをしているはずだ。家に帰らなくても、お姉さんのところなら安心できるはず。


「お姉ちゃんのところ?」

「一人暮らししてるんだろ?」

「お姉ちゃんには、迷惑かけられない。もし彼氏が一緒に住んでいたりしたら困るだろうし」

 お姉ちゃんには迷惑かけられないけど、俺にはいいって、それどういう基準だ?


「それに、お姉ちゃんのところに行って、なんて説明しよう」

「家出の理由?」

「お父さんに実の娘じゃないって言われた、なんて、お姉ちゃんに言えない」

「そ、そうだな」

「それに、もしお姉ちゃんから『あなたが、お父さんの娘じゃないなんて、みんな知ってたよ』とか言われたら、もっとつらいし……」

 それは確かにそうかもしれない。


「じ、自分の子供だって、ひぐっ、認めてもらえなくて、ひぐ、ひ、行くところなんて、ひぐっ、もう無いよ!」

 テーブルに突っ伏して、また泣き始めてしまった。

 おいおい、周りのお客さんの視線がこわいんだけど。隣の女子高生グループとか、露骨にこっち見ながら話しているし。


「……自分の子供だと認めないんだって」

「あの子、妊娠しちゃったのかな」

「あの男の子が、自分の子じゃないって言ってるんじゃない」

「サイテー! 女の敵」

 ちょっと待て、なんでそうなる? 誤解だ、誤解。

「あ、こっち見た」

「目が合うとやばいかも。行こう」

 立ち上がって行ってしまった。俺、何にも悪いことしてないのに、なんでいつもこうなるんだ?


 突っ伏して泣いているよしのんさんの肩に手をかけると、小刻みに震えていた。

「なあ。俺が家まで送って行ってやるから、もう帰ろう」

「蓮君が?」

 涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。

「着替えも何も持ってないんだろ。今日は一旦家に帰ろう。お父さんと顔合わせたくないって言っても、どうせ部屋に閉じこもっているんなら、大丈夫だろう?」

「……」

「どうしても家にいるのが嫌になったら、うちの親にも話をしてみるよ」

「……わかった。蓮君がついて来てくれるなら帰る」

 やれやれ。

 でも、やっぱり家出するってなった時、うちに連れてくるなんてできるのかな? 親にはなんて説明しよう?


***


 閑静な住宅街の細い道を、小さな子供のように、ずっと手を引きながら歩いてきた。地下鉄の駅から、それほど離れていない一角で立ち止まる。

「ここ」

 表札には、小さな字で「百合」と書かれていた。

「百合? 本当に百合って苗字だったんだ」

「うん」

「下の名前は?」

良子りょうこ。百合良子が本名。遊園地に行った時は、ずっと本名で呼んでもらえて嬉しかった。本当の彼女になれたみたいで」

 なんてこった。フリをしていると思っていた時が、一番本物だったなんて。


「送ってくれて、ありがとう」

「おやすみ。つらかったら、すぐにメッセージでも、電話でもしてきて」

「ねえ。一つお願いがあるんだけど」

「何?」

 門の内側で下を向いたまま、もじもじしている。


「私のこと、よしのんさん、って呼ぶでしょ」

「あ、ああ」

「今度から、よしのん、て呼んで。そうでなければ、良子、って」

 名前で呼び捨て?! なんか、すごいドキドキする。


「さん、て呼ばれると、なんか他人行儀だから」

「うん。じゃあ、よしのん、にする」

「ありがとう。おやすみ、蓮君」

 少し微笑んでいる。

「おやすみ」


「ちょっと! ちゃんと名前も呼んで、おやすみって言って!」

 せっかく微笑んでいたのが、眉をしかめて口を尖らせてしまった。

「あわわわ。お、おやすみ、よしのん」

「うん」

 また少し微笑んで、ドアの向こうに入って行った。


 駅に戻る道を歩きながら、今日の出来事を思い返していた。学校の前で、よしのんが言ってきたのは、告白だったって思っていいんだよな? 俺が必要だっていう言葉。

 それで、俺はどう思っている? よしのんのことが好きなのか?


 ツンデレで、思ったことはズケズケ言ってきて。間違いなく美少女、だけど、とっても気遣いもするし、料理も上手。ずっと一緒にいるから慣れてきちゃってたけど、俺にとってよしのんは、何なんだ?

 クリスマスツリーの下で、初めて会った時のことを思い出した。ピンクのバラを持って、輝くような笑顔で笑っていたよしのん。胸の奥がきゅっと締め付けられるような感じがした。

 あの笑顔を、また見たい。これからも見ていたい。よしのんの小説のように、よしのん自身をハッピーエンドにしてやりたい。


 俺、やっぱり、よしのんのことが好きだ。

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