魔王と勇者襲来~そして初めての外出(強制)へ

 聞き覚えのある白々しい声が崩壊した戸口から流れてきた。

 アルはその言葉を無視しつつ、眼前の少年を指差して声の主に訴える。


「ウルドぉ、コイツ農民!」

「ふむ、別に職業はなんでもよろしいのでは? 私たちが求めているのは『魔王を倒した』という証言なのですから」


 アルは足音を立てず優雅に室内に入ってきた従者へしがみつくようにして、これまでのいきさつを説明する。

 自らの胸にグリグリと頭を押しつけてくる主をなだめつつおおよその事情を理解したウルドは、未だに事態をつかめず茫然としている勇者へと声をかけた。


「ご挨拶がまだでしたね。私は魔王様の従者を務めております、ウルドと申します。このような格好で無作法ではありますが、ご容赦ください」

「クリム……です」

「おばあさまは、魔王について貴方に何と?」


 勇者は中空に視線を向けて記憶を手繰る。


「ええと……魔物には魔王っていう親玉がいて、コイツが生まれると作物がダメになったり魔物が増えて家畜がやられるから、出てきたらさっさと退治しに行くんだよ……って」

「魔じゃなくて、魔の王様!」


 害獣扱をされて声を荒げるアル。

 その訂正に「え、違うの?」みたいな表情をする勇者。

 ウルドは抱きついたままのアルを引きはがしつつ、補足を入れる。


「魔物は魔力の影響により動植物が変異したものです。魔力により強靭になっていますが、行動原理はもとになった生き物のそれとあまり変わりません。魔族は、長く生きた魔物がより魔力を取り込むことで進化した存在で、知恵もつき、私や魔王様のように人間と変わらない姿の者もいます」

「ほらね、魔物はケモノ。魔族はもっと賢くて強いの!」

「まあ、魔王様は例外として、ほとんどの魔族は元々魔物でなので、“魔物の王様”も間違いではありませんけどね」

「余計なこと言わないで」


 お前はどっちの味方だ。と、アルはジロリとウルドを睨みつけるが、まったく懲りた様子もない。


「魔王って言っても『魔力量が多い魔族』ってだけ。今までの魔王がどうだったか知らないけど、私は魔物も操れないし、ウルド以外の魔族に会ったこともないの」

「え、上にいた竜は?」

「あれは私です。正確には私の六割くらいの力を分けて作った分身ですが、まさかくわの打撃数発で倒されるとは思いもしませんでした」


 さらりと告げられたウルドの言葉に、改めて勇者のとんでもなさを再確認してアルの腰が引ける。


「……とにかく、私を倒したって魔物は大人しくならないわよ」

「さらに付け加えるなら、魔物の森の魔物たちが森の外へと出ないのは、魔王様が結界を張っているからです」


「え」と、勇者とアルの声が重なる。


「それ、私も知らなかったんだけど?!」

「ええ、言っていませんし。何の負担もないでしょう?」

「そりゃあ……っていつからよ!?」

「あなたが物心つくよりもずっと前ですよ。こちらで術式を組みました。魔物の被害が人間側にあからさまに出ては、魔王の復活がばれてしまいますからね」

「うう、それはそうだけど、勝手に……あ! もしかして、私が魔法使えないよわいのもそのせい?」

「ああ、それはただ魔王様が魔力の使い方を知らないだけです」

「えぇ……」


 言外に弱いのはもとからと言われ、アルはうなだれる。


「森の外に結構出てきてるけど?」

「それは通常の動物と、テノビグマなどの魔力によってやや生態が変化した魔物とも呼べない獣たちです。人間側あなたたちの認識ではあれらが代表的な魔物なのでしょうが、私共からすれば、森の表層に生息するただの獣です。彼らの魔力はあまりに小さすぎるため結界の影響を受けません。結界が押しとどめているのは、森の奥にいる魔力を多く保持し、外界の生態系から逸脱した魔物たちです。ここまでたどり着いた勇者様なら、この意味がご理解いただけるはずですが?」


 ウルドの言葉に勇者は無言でうなずく。

 魔王城は魔物の森の奥にある。この道中に遭遇した魔物たちは、全身から鋼鉄の針をはやした雄牛ほどもある大きさの狼、鉤爪のついた枝を自ら伸ばして捕食する大樹など、いずれも森以外では見たことのない異形ばかりだった。

 対して勇者が「森の外に出ている」と言ったは、魔物の森周辺以外でも見かける。さらにそのどれもが程度にもよるが、武器を持った人間であれば対処ができるモノばかり。

 いつの頃からかは不明だが、誰もが「魔物」と呼ぶだけで、実際はただの獣と扱いは変わらない。


「春が来れば植物も動物も、ましてや人間ですら活発になるでしょう? 魔力の高まりでも同様のことが言えます」

「つまり、魔王による世界中の魔力の高まりは、が元気になる程度だけれど、魔王がいなくなればそれよりもずっと酷いことになる?」

「ええ」


 ウルドは勇者の理解に対し慇懃に礼を返す。

 これはウルドの持つ交渉の切り札の一つではあった。しかし一見、魔王を倒すべきではないと思える情報だが、見方を変えれば、魔王を倒しうる理由にもなる。つまり、魔王を倒し、森の魔物ももろともに駆逐すれば、ヒトの絶対的な平穏を獲得できると見做すこともできるのだ。

 魔王を倒せる戦力であれば、その他の魔物や魔族などとるに足りない。人間側の統率者などであれば、そう判断して勇者と共に膨大な戦力を投入してもおかしくはない。


 何より、二百年前の大戦争がある。

 魔王率いる魔族・魔物の軍勢と、勇者を中心に集まった何十万という人間たちが全面衝突し、人間側が勝利したというわずらわしい先例。

 人類が滅亡寸前まで追い込まれた痛ましい記憶と共に、ただの人間たちが魔族と正面から戦い打ち勝つことができるという、彼らにとって誇らしい希望でもある。

 この史実があるからこそ、ウルドの告げた事実は、相手によっては自らの首を断頭台へ差し出すことになり得る行為であった。

 対峙する勇者が、魔族を絶対的に敵視していたり、好戦的な性格であれば同様の結果を招く恐れがあったが――


「そうか……。それじゃあ今まで以上に森の方に注意するしかないのか」


 そう呟いて、勇者はきびすを返した。

 ウルドは自らの判断が正しかったことに静かにうなずく。

 勇者の顎を軽く引いてポリポリと頭を描く仕草から、すでに自分たちがその眼中からいなくなっているのは明白だ。

 しかし、まだだ。

 目の前の少年一人が納得して帰っただけでは意味がないのだ。

 人間たちには、魔王が倒されたのだと騙されてもらわなくてはならないのだから。


「ちょっと待ちなさい」


 次の交渉の手を考えている間に、これまで大人しくしていたアルが声をあげた。


「え?」

「アンタねぇ、人ん家ひとんちをぶっ壊しておいてさっさと帰る気?」

「あ」

「ウルド、ウチの被害額は?」


――おやまあ。


 まさかアルが格好の材料を提示してくれるとは思っていなかった。


――いつまでも子供だと思っていましたが、こちらの意を汲んで助け舟を出してくるなんて。この子もいろいろと成長してる……あ、これ違う。ただ反撃できそうな糸口をつかんだから仕返ししてるだけですね。


 従者の陰に隠れて強気に出るの姿と自らのぬか喜びに気落ちしかけたが、それでもせっかくの好機を逃さず追撃を仕掛ける。


「謁見の間とこの部屋の修繕で、金貨数千枚はくだらないでしょうね」

「金……!?」


 金貨一枚が、平民の一日におけるおおよその生活費である。

 その数千倍ともなれば勇者には想像もできない金額だろう。


「ちなみに、貴方の畜産物の大半はうちが買い取ってます」


 勇者はウルドの言葉に思い当たるフシがあったのか、絶句して滝のように汗を流し始めた。

 だが、それはアルも初めて知る事実だ。


「さてはアンタ、勇者の正体最初から知ってたんじゃ……」

「今取り込み中ですから、その話はまたの機会に」

「むぐぅ……」

「……さて、改めてお話ししましょうか。このまま時間をかけて弁償していただいてももちろん結構です」


 ビクリ、と勇者の肩が震える。

 魔族の話を鵜呑みにするなんて、なんて真っ直ぐなコト。

 その正直さ加減には関心と同情を禁じ得ないが、手を緩めるつもりはない。


「ですが、取引をしましょう。魔王様がおっしゃた通り、我々は平穏を望んでいます。ですので、それに全面的に協力してください」

「でもウルド、コイツが『魔王を倒した』って言っても信用されないんじゃない? あ、何か証拠を持って帰ればいいのか」

「いいえ、それだけでは盗品を疑われるだけですし、たとえ“勇者の力”を証明できたとしても、魔王の城や魔王自身を見たことのない人間たちにすればその真偽を確かめる術はありません。結局は確認と監視を兼ねた軍隊を連れて、勇者が再度派遣されるでしょう」


 人間たちに城を占拠されるなど論外だ。かといって妨害などすれば、欺瞞がばれてしまう。


「ですので、旅をしてください。勇者として人を助け、魔物を討伐し、噂を広げましょう。仲間を集め、勇者一行として、人間の代表として希望の御旗を掲げ魔王討伐に向かうのです」


 それは結局、当初の計画の焼き直しだった。

 仲間については「魔王が倒れた」と証言する第三者が必要だからだ。

 ウルドは勇者が頷くのを確認すると、いくつかの言葉ととともに、真っ黒な指輪を取り出して手渡した。装飾も光沢もない、簡素な指輪だ。

 勇者は指輪を受け取ると、そのまま右手の人差し指にはめた。


「さて、話はこれで終わりです」


 一つ手を打つとウルドは、二人を連れて階上へと向かった。

 謁見の間はボロボロで、天井には大穴が開いて空が見えている。被害のわりに大きな瓦礫が少ないのは、ウルドの火炎で溶けたり、両者の力で文字通りになったからだ。


「ふん、あの悪趣味で気味の悪い玉座は無事だったんだ。跡形もなく壊れればよかったのに」


 ぽつりとアルが呟いたが、他の二人には聞こえなかった。

 ウルドが立ち止まり、それにならう。ちょうど大穴の真下だ。


「せっかくですので、森の境までお送りしましょう」


 ウルドが手を勇者にかざすと、その身体の周囲を光の繭のようなものが包む。

 始めてみる魔法をアルが興味津々に眺める。これはもしかして転送魔法というモノじゃないだろうか。本では読んだけれど、本当に存在するなんて思わなかった。

 興奮して近くで見入っている彼女に「あ、そうそう、アル」とウルドが声をかけた。


「なあに?」と答える間もなく、アルの周囲にも光の繭が現れる。


「いい機会ですから、勇者様と一緒に旅をしてきなさいな」

「は?」

「やはりずっと城にひきこもりっぱなしというのも不健康ですからね。たまにはお日様の光を浴びて、ついでに見聞も広めてくるといいでしょう」

「え、は? まっ、ちょ……そんな『ちょっと散歩行ってこい』みたいに――」

「アルは念のため背を低くしておいた方がいいですよ? 多少は衝撃があるでしょうから」

「しょ、しょうげき? これ転送魔法でしょ?」

「違いますよ? 転送魔法なんてお話の中だけですよ。これは、魔力で持ち上げて目的地まで放り投げるだけです」

「ちょっとおぉぉぉぉっ!?」

「ちゃんと保護にも魔力を回していますから、安心してください。では――」


 アルは抗議をあげるのを中止して、急いで頭を抱えてしゃがみ込む。

 ウルドは、見た者をすっかり恋に落とすだろう茶目っ気たっぷりの仕草で片目を閉じて――


「お二人とも、よい旅を」


 アルたちをぶん投げた。



   * * *



 数瞬の浮遊感の後、触れたことのない感触を膝の下に感じ、目を開く。

 は、知らない場所にへたり込んでいた。

 見渡す限りの草原。背後には鬱蒼うっそうとした森。草を波打たせながら身体をすり抜けていく風。むせ返るほど濃い緑の匂い。


――ああ、外だ。


 私の意識はここで途切れた。

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