宇宙で煙はたなびかない

 また宇宙の話です。SFと言えば宇宙!!っていうほどではないかもしれませんが、SFの舞台として宇宙はポピュラーですね。

 そして宇宙での戦闘シーンも様々な作品の中で描かれて来ました。被弾し、まるで火山のように爆炎を噴き上げながらも砲撃を続ける宇宙戦艦の勇壮な姿はとても印象的です。

 しかし、ああいったシーンを見ていて疑問に思った事はありませんか?


 空気の無い宇宙空間で火災は起きないんじゃないの?…と。


 確かに火は酸素が無ければ燃えません。燃焼とは光と熱の放出を伴う酸化現象ですので、酸素が存在しなければ燃焼と言う現象は起きません。ですが、宇宙船で火災が全く起きないかと言うとそう言うわけでもありません。


 宇宙船に人が乗っていれば船内には呼吸のための酸素が必要です。また、宇宙船が航行したり姿勢を制御したりするための推力を、燃焼ガスの噴射に頼っている場合は燃料を燃焼させるための酸化剤(酸素を安全かつ安定的に扱うための薬剤)を必要とします。他にも宇宙に行くような船で使うかどうかは分かりませんが、火薬や爆薬などが積まれていればそれらにも酸素は含まれています。つまり、限定的ながら宇宙船内には酸素が存在するわけです。

 船内に酸素が存在する限り、その酸素を消費することで宇宙空間であっても燃焼という現象は発生しえます。


 じゃあ、火はどのように燃えるのでしょうか?


 パターンがいくつか考えられます。

 たとえば人工重力のある密閉された宇宙船内で火災が発生した場合…これは地上で火災が起きているのと同じように火が燃えるでしょう。火や煙は上へ向かって広がろうとします。


 じゃあ完全に無重力状態の密閉された宇宙船内で火災が発生した場合は?

 火は燃えますがその勢いは地上に比べ極端に弱くなります。何故なら、酸素が効率よく供給されないからです。


 私たちが普段生活している地上において、炎が上に向かって燃え広がろうとするのは空気が対流を起こすからです。火が燃えると空気が熱せられて膨張します。膨張した空気は密度が薄くなるため、比重が軽くなります。比重が軽いので上へ昇って行こうとします。熱せられて軽くなった空気が上へ昇っていくと、そこへ冷たく重たい空気が入れ替わるように入り込んできます。これが対流であり、これによって連続的に新しい酸素が火源に供給されるため、炎は勢いよく上へ向かって燃え続けることになります。

 しかし、無重力条件下では対流は発生しません。


 無重力状態で火が燃えている時、火によって空気は熱せられて膨張します。膨張することで密度も薄くなって比重は軽くなります。しかし、重力の影響がないので上へ昇ろうという力が働きません。対流は重力があって初めて起こる現象なのです。

 したがって、火は燃えることは燃えますが、対流が起こらないので新たな酸素を効率よく受け取ることが出来ません。もし、風でも吹いていれば周辺の二酸化炭素が流されて新たな酸素が流れ込むので燃え続けることができますが、そうでない場合は熱せられ、膨張し、二酸化炭素濃度の高まった空気に囲まれて新たな酸素を得ることが出来ず、青く小さい炎がボンヤリと燃え続けることになります。

 火の燃え広がり方は上へ上へと燃え広がるのではなく、燃料となる物を蝕んでいくようにジワジワと燃え広がっていくことでしょう。そもそも「上」が存在しませんからね。


 対流が起こらないため宇宙船内の空気は空調システムによってでなければ動きません。もしもそうした人工的な空気の流動性が失われた状態だった場合、火災現場の周辺には低酸素高二酸化炭素(あるいは一酸化炭素)の空気溜まりができることになります。もしもその炭酸ガス溜まりによって炎への酸素供給が遮断されてしまえば、宇宙船内に酸素が残っていたとしても鎮火してしまう可能性はあります。案外、宇宙船での火災消火の手段の一つとして利用されるかもしれません。


 そしてもう一つのパターンとしては船体に破孔が生じていてそこから空気が漏れている情況での火災です。

 この場合は空気は動いているので無重力化であっても炎は地上と同様に激しく燃えることになるでしょう。発生した風の風速と空気密度(酸素量)にもよりますが、場合によっては地上よりも激しく燃える可能性もあり得ます。

 船体に空いた破孔付近で発生した火災の炎は、宇宙空間に空気が拡散していくにつれて燃焼を維持することができなくなっていくため、炎は船体に空いた破孔からわずかに出たあたりのところで急速に勢いを失います。ですが破孔のすぐ縁のところでは空気の流速が最大化するはずなので、そこでの酸素流量と熱エネルギー量次第では、おそらく重金属かレアメタルを含んだ合金でできているであろう船体でさえも燃えてしまう可能性があります。

 ガスバーナーで鉄板や鉄骨を切断するガス切断(溶断ようだんともいう)ってありますよね?あれはアセチレンガスの炎で鉄を熱し、そして十分に熱した鉄に高濃度の酸素を噴きつけることによってんです。たまに勘違いしている人がいますが、ガス溶断の際に吹き飛ばされている火花は燃え尽きた鉄…つまり酸化鉄で、溶けた鉄がそのまま吹き飛ばされているわけではありません。それと同じ現象が、宇宙船の船体の破孔付近で起こってしまう可能性があるわけです。


 ただ、宇宙船内に存在する酸素量は限られるでしょうから、一度火災が発生すれば酸素は急速に減少していくでしょう。船内に残存する酸素が無くなれば燃焼は止まることになりますが、火災の原因がプラズマの漏洩だったりアーク放電だったりすれば“火災”そのものは酸素が無くなったとしても止まらないかもしれません。


 以上のように、宇宙空間であっても火災そのものが発生しないわけではありません。地上と違って激しく紅蓮の炎が噴き出すような火災は起きないでしょうが、制御不能になった熱エネルギーが船体や積載物を継続的に破壊してしまう現象としての火災は十分に生じ得ます。


 じゃあ煙はどうなるんでしょうか?

 アニメに出て来る宇宙戦艦は被弾し炎上して煙をモクモクと吐き出しながら戦い続けてたりします。ですがもちろん、現実に宇宙空間で宇宙船が火災を起こしたとしてもあんな風にはなりません。


 煙自体は発生します。酸素が足りずに燃え切れなかった有機物の粒子と、燃えはしたけれどもそれによって気化するわけではなく個体(あるいは液体)のまま残った無機物の粒子…それが煙の正体です。そういう細かい粒子が、燃焼によって生じた熱気の中を舞っているような状態が、あのモクモクと立ち昇る煙なのです。

 なので、何か物が燃える限り、それがすべて完全燃焼してしまうのでない限り、煙というものは大気中だろうが宇宙空間だろうが発生するのです。


 じゃあその煙はアニメのように、この地球上で起こる火災のように、モクモクと立ち昇るのでしょうか?


 それは違います。

 宇宙空間は無重力です。そして真空です。仮に大気があったとしても、重力が無いところでは対流が発生しません。煙がモクモクと上へ立ち昇っていくのは対流が起きているからです。

 火によって熱せられた熱気は膨張し、密度が低下し、比重が軽くなっています。そして、その熱気の中には酸素不足で燃え切れなかった有機物や燃え残った無機物の粒子が大量に含まれている…つまり煙です。煙(粒子を含む熱気)は比重が軽いので、比重の重たい周囲の空気の圧力によって、上へ押し上げられていきます。だから、煙は上へ上へと昇って行き、風に吹かれて拡散して消えてしまうか、あるいは冷えて地上に降りて来ます。


 ですが、無重力空間では対流が起きません。

 よって、煙はいつまでも火の周辺に熱気と共にとどまり続け、次第に濃度を高めながらゆっくりと範囲を拡大していきます。その様はもしかしたら綿飴のように見えるかもしれません。あるいは、寒い日の朝に池や川の水面上を漂う霞のように見えるかもしれません。ただし、これは周囲に空気が満ちている環境下で、なおかつ強制的な換気が行われていない状況の話です。

 宇宙船内では必ず人工的な手段によって換気が行われます。じゃないと、人間が吐き出した息が目に見えない二酸化炭素の塊になって漂い、気づかずにそれに顔を突っ込んだ宇宙船の乗員がいきなり窒息してしまうかもしれないからです。

 なので、煙は空調装置によって吸い出され、あるいは別の場所へ吐き出されて宇宙船の中に広がっていくことになるでしょう。もっとも、その途中で空気清浄機を通過して煙の中の粒子は濾過ろかされてしまうでしょうけどね。


 もしも宇宙船の船体火災現場近くに破孔が生じていてそこから空気が漏れている場合は、煙はそこから船外へ吸い出されて行くことでしょう。では、宇宙空間へ出た煙はアニメみたいにモクモクと立ち昇っていくのでしょうか?

 もちろん、同じことを繰り返すようですが宇宙空間では対流が発生しませんから煙がモクモクと立ち昇っていくということはありません。一度船外へ出た煙は、一緒に吐き出された空気と共に宇宙空間に拡散して消えてしまうでしょう。その、拡散して消えていく速度は私たちが想像し、アニメに描写されているよりもずっと早いはずです。


 そもそも、モクモクと立ち昇っていく煙が何であんなに丸っこい塊の連なりのように見えるのかというと、周囲に大気があるからです。火で温められた熱気は膨張しようとしますが、周囲の冷たい大気によって阻まれて拡散しようという勢いを殺がれてしまうために、ああいう丸っこい形になるのです。それが連続的に、あるいは断続的に起こるから、煙はモクモクという丸っこい塊の連なりのように見えるわけです。

 じゃあ周囲に空気が存在しなければ?


 ああいうモクモクという丸っこい綿飴のような形状そのものが形成されません。煙の、粒子を含んだ熱気の膨張を阻むものが何も存在しませんから、煙は一気に膨張して広がりすぎることによって粒子の密度が薄まり、すぐに消えて見えなくなってしまいます。その様子を再現するなら、笛吹ケトルから噴き出る白い蒸気のようなものでしょう。実際には煙の拡散(つまり消えて見えなくなる様子)はアレよりも早いはずです。

 したがって、宇宙船が火災を起こしたとしても煙がモクモクと吐き出されることはありません。飛行機雲のような煙の尾を引きずりながら航行することもありません。煙の尾が出来るということは、煙の粒子が拡散しようとする勢いが何らかの要因で殺がれてしまうということです。しかし、真空中でなおかつ無重力の空間ではそのような要因となるものがありません。


 同じ理由で、例えば宇宙空間で何かが爆発したとしても、爆煙のようなものは生じません。爆弾を爆発させたときに、爆発地点の周辺に煙の塊がボワッと広がるのは、周囲に空気があって煙の拡散を阻む抵抗として作用してくれるからです。

 実際には爆発が起こると煙の微粒子と爆破された物体の破片が減速することなく最初の勢いのまま拡散するので、爆薬の燃焼でパッと光り、そこから燃焼ガスでその周辺が一瞬だけボヤけて見え、それから粒子やら破片やらが一気に広がり飛び散って行く…そういう風に見えるはずです。

 アニメ『MS-IGLOO』第一話の最後に撃破されたマゼラン級宇宙戦艦のように、一度吹き飛ばされた砲塔が船体近くで減速して漂っているような状況も、同じ理由で発生しません。ああいうのは本当に純粋に演出上の描写であって、現実にはあり得ないんです。


 じゃあ天体の爆発によって出来る星雲はどうなるんだ?…と、思われる方がもしかしたらいるかもしれません。確かに天体が爆発した痕跡とされる星雲は宇宙のあちこちに点在しており、実際に観測することができます。

 あれはまず非常にスケールが大きい爆発を非常に遠くから見ているから、爆煙のような煙の塊に見えているのと、その周囲にある天体や飛び散った粒子等が持つ質量が互いに引力で引き合うことで拡散の勢いが減じられて減速していることから、あのように見えています。


 よって、宇宙船で起きるような小さいレベルの爆発や火災では、星雲ような事にはなりません。宇宙船が非常に重くて、宇宙船自体が煙の粒子を引き戻すほどの引力を発生しているのなら話は別ですが、それはデス・スターとかイゼルローン要塞みたいな人工天体と呼べるような規模の宇宙船になるでしょうね。

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