ファンタジー世界の宿屋を考える

 RPG系のファンタジー作品の中では主人公や冒険者がよく宿屋に宿泊したりしています。まあ、現代の感覚で旅と言えばホテルや旅館といった宿屋は欠かせませんよね。冒険の旅をする主人公たちが寝起きする生活感を無理なく描くにはちょうどいい存在なのかもしれません。


 ホテル生活に生活感があるかと言われれば、まあ「う~ん」となってしまいますが、主人公が寝もしない食べもしないというのは流石に作品として乱暴すぎますし、ゲームとして考えた場合、進行に区切りをつけてプレイ時間を調整しやすくするという必要もあったのだろうと思います。


 ですが、ああいったファンタジー世界で描かれるような宿屋というものは現実には中世欧州には存在しませんでした。14~15世紀ごろから登場しているので厳密には中世末期ぐらいから登場しています。

 旅人を泊めて世話をするという意味ではホスピス【hospice】が11世紀から登場していますが、これはホテルや旅館というよりも旅の途中で怪我したり病気になった人を対象とした療養施設であり、少し別枠で考えた方が良いでしょう。


 それらはいずれも宿泊客用の個室などというモノを持たず、大きな部屋に雑魚寝するだけのかなり粗雑な宿泊施設でした。個室を備えた現代的なホテルが登場するのはほぼ近世も終わり現代に近くなってからであり、それも都市部に限られました。北欧スカンジナビア半島では最初のホテルが開業したのは19世紀に入ってからだそうです。

 日本では湯治場等で宿泊業が営まれるようになるのが鎌倉時代くらいからで、宿場町等で一般の旅行客向けの旅館が成立するのは江戸時代に入ってからでした。


 なんでそんなに宿屋が登場しないのかというと、そもそも需要が無かったからです。欧州で庶民が旅行するようになったのは鉄道が普及した近代以降の話であり、観光旅行なんてものが楽しまれるようになったのは20世紀に入ってからのことでした。それまで旅行と言えば、為政者や役人が公用で出張する時か、貿易商の商用か、あるいは巡礼者ぐらいしかなかったのです。これでは巡礼者の集まる聖地以外では宿屋のような商売が出来るわけもありません。需要が無いのだから開業しても商売として成り立たないのです。


 古代ローマ時代ならば、街道沿いにマンシオー【mansio】と呼ばれる宿泊施設が用意されていましたが、基本的にこれはタベラリウス【tabellarius】という郵便制度のための施設であり、帝国の役人かディプロマ【diploma】という特別な証明書を持つ者しか利用できません。民間人が利用しようとしても追い払われてしまいます。(蛇足ですが、タベラリウスとは文書タベラ【tabella】を運ぶ者という意味であり、このタベラが現代のタブレットの語源になっています。)

 他に皇帝ネロがホスピティウム【hospitium】という宿泊施設を建設していますが、これは外国の要人を宿泊させるための施設、いわば迎賓館であって営利目的で旅人を収容する宿屋とは明確に異なります。なお、このホスピティウムが後にホスピスの語源となりました。


 民間人が有料で利用できる宿泊施設と言ったらポピーナ【popina】やタベルナ【taberna】、あるいはカウポナ【caupona】といった飲食店のうち、宿泊施設を併設している比較的大きい店でしょう。しかし、これはある程度以上の人口密集地にしかなかったうえに、現代的な旅館というよりは売春宿に近く、旅行客を専門に扱う施設ではありませんでした。客にあてがわれる部屋は旅人が疲れを癒す快適空間などではなく、男女が一時の春を愉しむための最低限の空間であり、しかも個室ではなく一つの大部屋がカーテンで間仕切りされている程度のものです。一晩中、部屋のどこかからかギシギシアンアン言ってる声が聞こえるようなところでは、旅の疲れなど癒えるわけもないでしょうね。


 では、まともな旅行客向けの宿屋が出来る前の旅行者はどうしていたのでしょうか?


 基本的に誰かの家に頼み込んで泊めてもらいます。貴族や豪商ならば、知り合いを頼って世話してもらうということもありますが、そうでない人はその都度手近な家を訪れて一泊させてくれと頼み込むわけです。知り合いでもない人にそんなことを頼まれる側はたまったものではありませんが、基本的には引き受けてもらえました。その地域によっては、あるいはその家が豊かであれば、歓迎されて御馳走まで振舞ってもらえることもありました。無論、代金はとられません。


 なんで見ず知らずの旅人を泊めてくれるのか、あまつさえ御馳走まで振舞ってもらえるのかというと、いくつか理由がありますが、最大の理由は治安と秩序の維持の為でした。

 旅人が来て泊めてくれと頼んできたとして、それを断ったらどうなるかを考えてみましょう。


 旅人がもしも食料も何も持っていなければ、近くで野垂れ死にしてしまい、その後の死体の処理やら何やらしなければならなくなるかもしれません。特に、下手に水源の近くで死なれて死体を放置すると、水が腐敗菌に汚染されて疫病が流行ってしまいますからね。

 また、野垂れ死にしないにしても、生き延びるために食料を求めて盗みなどを働く恐れもあります。


 旅人がもし食料も水も無いが、道中の自衛のために武器を持ち歩いていた場合は、その旅人は食料や水を得るために盗賊と化してしまうかもしれません。


 旅人が食料や水を持っていて、自衛手段を満足に持ち合わせていなかったなら、旅人は近所で野盗に襲われてしまうかもしれません。そして、同じような旅人がもし頻繁に通るような地域なら、旅人を襲った野盗はそのまま別の旅人を目当てに近所に居ついてしまうかもしれませんし、そうではないのならついでにアナタの集落を襲ってくるようになるかもしれません。


 つまり、旅人を泊めずに追い出すことは、近隣地域の治安に深刻な影響を及ぼす可能性があるのです。「情けは人の為ならず」・・・自分たちがその地域で安全に暮らしていくためには、旅人を保護してやる必要があったのです。


 このため、よほど変な人物でもない限り、大抵はどこかに宿泊することが出来ました。キリスト教圏では三日までは無報酬で宿泊客を世話してやる習慣があったようですが、こうした宿泊客を無償で受け入れる習慣はキリスト教圏に限った話ではなく、キリスト教化される以前のゲルマン民族やヴァイキングたちにも同様の習慣がありましたし、またキリスト教が成立する以前の西洋世界でも同様の習慣が見られます。


 たとえばイエス・キリストがベツレヘムの馬小屋で生まれたというエピソードですが、母のマリアと夫のヨセフはベツレヘムの住人ではなく、住民登録の手続きのためにベツレヘムへ訪れていた…いわば旅行者でした。ところが、ベツレヘムの街で宿が取れず、仕方なく誰かの馬小屋に泊めてもらい、そこでイエスが生まれたという事になっています。

 この馬小屋ですが、当時は一階の床を高く作り、その下に半地下構造の倉庫を作って、そこを物置にしたり家畜を飼ったりするのが一般的で、不意の泊り客が来た場合もそこを使う習慣がありました。

 ですから日本語では「馬小屋」とか「うまや」と訳されますが、聖書のこのシーンに馬は登場せず、牛やロバが登場しており、厳密には「家畜小屋」と訳すべきだという説もあります。

 ですが、上述のような習慣や住居文化を鑑みれば、聖書に登場する牛やロバさえも現実にはいなかった可能性があります。実際は来客用の倉庫だったけど、「家畜小屋」で生まれ飼葉桶に寝かされたことになっているから、そこに家畜も居たはずだ…と、後に聖書を編纂する際に話を膨らませた可能性も無いわけではないのです。赤ん坊が飼葉桶に寝かされたと言う話も特におかしなものではなく、昔は飼葉を敷き詰めた寝床に人が寝るのは珍しくありませんでしたしね。


 キリスト教化が進んだ欧州では、旅人の宿泊施設として教会が利用されるようになります。旅人は教会を訪れればタダで泊めてもらえるのです。多少のは要求されますが、必ず払わなければならないと言うわけでもありません。


 そしてエルサレムへの聖地巡礼が活発になると、体調を崩した旅人を保護するためのホスピスも営まれるようになりますが、やはりこれも基本的に営利目的ではなく、寄付によって運営されるものでした。


 キリスト教会にしろ、このホスピスにしろ、宿泊客は大きな部屋に並べられたベッドに寝るドミトリー方式でした。しかも一つのベッドに数人が寝るという、ほぼ雑魚寝も同然だったようです。


 キリスト教会と関係ないところでは、各地方の領主や名士の家に泊めてもらうというのもありました。自己顕示欲の強い領主や名士たちは、旅人を歓待することで自分の権勢や名声を世に広め、同時に旅人から外の世界の情勢を聞くという目的から、旅人を受け入れてくれる傾向があったのです。

 といっても、現在の我々が想像するような御屋敷などではありません。大きな倉庫も同然のホールがあるだけで、そこに貴族の一家も家来も奴隷も旅行客も一緒に食事をし、一緒に寝起きをしていました。もっとも、領主はホールの一番奥が指定席で、他の者たちは壁際近くに寝るという区分けはありましたが…ともかく、欧州の貴族の屋敷がたまに「〇〇ホール」と名付けられるのはこの時の名残です。


 どのみち、キリスト教会に泊まろうがホスピスに泊まろうが地方領主の館に泊めてもらおうが、当時の宿泊客はプライベートの全くない環境で生活しなければならなかったわけです。


 もっとも、それはホールで暮らす地方貴族も同様で、個室が無くて広いホールで雑魚寝という環境ではプライベートなど無いも同然、おまけにホールの中で灯りと暖房と調理のために焚火をするので、天井からはしょっちゅう煤が落ちて来ます。

 このような環境で少しでもプライベートを確保し、天井から降って来る煤を被らないようにするために、天蓋付きベッドが発明されました。欧州貴族のあの豪華なベッド、その天蓋は天井から降って来る煤を防ぎ、ベッドを囲うカーテンは同じホールで生活する家来や領民たちにエッチしてるところを覗かれないためのものだったのです。

 家屋に個室というものが作られるようになるのは、ローマ化あるいはキリスト教化が進んだ後の時代の話です。南欧では古代から個室は存在していましたが、北欧では個室が設けられるのは貴族の館でさえ中世も半ばを過ぎてからですし、旅人用の宿泊施設に関して言えばそれからさらに数百年後というのが実情だったわけです。


 こうした背景を見ると、ホテルなどの宿泊業がほとんど成立しなかったのも当然と言えるでしょう。

 なにせ旅人がそもそも少ないうえに、その旅人は知人の家か領主の館かキリスト教会に泊まってしまう。金を払って個室のある宿をとろうと言う客なんて滅多にいない。いや、存在しない。

 例外は巡礼者の集まる聖地や、湯治客の集まる温泉地くらいです。


 そうした史実を踏まえてファンタジー世界を振り返った場合、宿屋さんは成立するでしょうか?


 キリスト教をモデルにしたような宗教や宗教団体は存在しますが、キリスト教そのものは存在しません。ですので、もしかしたら教会や教会が運営するホスピスのような施設は存在しないかもしれません。だとすれば、旅人を教会にとられるからという理由で宿泊業が成立しないということは無いのかもしれません。


 ですが、旅人を保護し一夜の宿を提供するという行為の必要性は残ります。旅人を無償で泊めるという文化自体は世界のどこにでも割とみられる現象で、上述したように合理的な背景がある以上はファンタジー世界でもそうした文化がある程度は成立しているものと考えるのが自然です。

 ただ、旅人が多くなればその地域の住民の負担が増えますから、必然的に旅人を泊めるための施設を別途用意しようという形にはなるでしょう。実際、巡礼者のあつまる聖地や湯治客の集まる温泉地などでは、古代から宿泊業そのものは存在していました。現在知られているような宿屋とは違いましたが…。


 やはり旅人…つまり宿泊客をどれだけ確保できるかが宿泊業が成立するかどうかのカギとなります。採算が採れなければ“業”として成立するわけもありませんから当然ですね。

 ですが、大抵のファンタジー世界ではモンスターが登場します。街から街へ移動するだけでモンスターに襲われてしまい、冒険者が護衛につかなければならない世界に果たして旅人がどれだけ居るでしょうか?


 まず、一般の旅行客が存在することは期待できないでしょう。巡礼者はいるかもしれませんが、命の危険性が極めて高い以上、その数は現実世界の中世よりも少なくならざるを得ないでしょうね。

 となると、あとは官吏か貿易商ということになります。が、官吏や貿易商相手に宿泊業が成立するかというとかなり難しいでしょう。


 官吏(公務員)や貿易商は、もし頻繁に同じ地区を行き来するのであれば、自前で宿泊施設を用意してしまう可能性が高いです。実際、ローマ帝国では上述したようにマンシオー(日本語では「宿駅」と訳される)と呼ばれる宿泊施設を用意していましたし、貿易商などは数人で出資し合って商会(商人の組合…ギルドのような独占的団体ではなく自主的な寄り合い)を作って自前の宿を用意してしまうこともありました。取引相手が宿泊施設を提供してくれることもありますしね。


 つまり、宿泊客の数を確保できるか?という点では、ファンタジー世界で宿屋などの宿泊業を営むのは非常に難しいと言わざるを得ないようです。


 冒険者が居るじゃないか!?と思われるかもしれませんが、考えてみてください。冒険者がたくさんいるっていうことはそれだけモンスターがたくさん出るってことです。日帰りできる距離に専門家でなければ対処できないモンスターがウヨウヨいる地域で、それだけ多くの冒険者に多くの報酬を払えるだけの経済社会が、いったいどうやって成立すると言うのでしょうか?現代社会で言えば紛争地帯のど真ん中ですよ?


 まあ、町の近くにダンジョンがあって、モンスターはダンジョンの中にだけいて、しかもダンジョンからは出てこないっていうのなら成立するかもしれません。随分と都合のいい話ではありますが…ですが、そうだとすると冒険者は必然的に、そのダンジョンがある街に長期滞在するということになりますよね?そうなった場合、ホテルみたいな宿泊施設を果たして利用するでしょうか?


 いっそ、ボロ屋でいいから借家を借りようってなりませんか?


 一泊二千円の簡易宿泊所だって一か月泊れば六万円にはなります。でも、小さなボロでもいいなら家賃月三万前後でアパートや掘っ立て小屋ぐらいは借りれるんです。そっちなら一部屋で複数人が寝起きできますから、簡易宿泊所より安上がりです。あとは部屋を借りれるだけの信用があるかどうかという話になるでしょう。

 宿泊料と家賃のバランスは多分どの世界でもそれほど変わらないと思います。借家等賃貸物件は長期的に安定収入が見込めるのにくらべ、宿泊業は不安定で施設のメンテナンス(日頃の清掃等)を要する分、賃貸物件に比べて料金をどうしても割高にせざるを得ないからです。宿泊料と家賃の比は宿泊料の方か絶対に高くなりますし、その比は開くことはあっても1.5~2倍より小さく縮まることは…まして逆転することは原理的にあり得ないのです。


 その街でデビューしたばかりの新人冒険者は宿を利用せざるを得ないかもしれませんが、“業”としてダンジョンアタックを行い、この町で飯を食っていこうっていう人なら生活を安定させるためにもなるべく早いうちに借家なり持ち家なりの生活拠点を得ようとするでしょう。

 となると、宿屋を利用する冒険者は基本的に新人ばかりということになります。


 宿泊業が成立するほど安定的に新人冒険者が存在するということは、逆にそれだけ離職する冒険者が多いということでもあります。じゃないと過当競争が起きて冒険者稼業そのものが成立しなくなりますからね。

 ということは、冒険者はそれだけ死ぬ(あるいは引退せざるを得ないほどの重傷を負う)ということです。当然、ベテランよりも新人の方が離職率は高いでしょう。宿屋の店員や経営者たちは、昨日泊って今日ダンジョンアタックに行った客が帰ってこない…という日常に慣れてしまう必要があるでしょうね。そして、そういう日常に慣れた宿屋が注意することがあるとすれば、冒険者の荷物をどうするか?ということです。


 さすがに冒険者も自分の荷物全部を持ってダンジョンアタックはしないでしょう。いずれは借家を借りるなりして生活を安定させるために、貯金や備蓄は必要な筈。銀行のような施設が存在するならそこに預けるでしょうが、そうでないなら荷物や金の一部を宿屋に預ける必要が出て来ます。宿屋はそれにどう対応するのか?

 〇日間帰ってこなかったら没収とか、××へ送るとか、そういう契約を事前に結んでおかないと、持ち主が帰ってこなくて処分できない荷物がどんどん増えることになりそうですね。しかも新人の持ち物だから大抵はガラクタ…下手したら処分する方が金がかかるという事になるかもしれません。そうした荷物の保管場所は宿泊客の収容スペースを圧迫しますし、建物の床面積当たりの収益率は低下せざるを得ないでしょう。

 結果、賃貸物件の家賃と宿泊施設の宿泊料はますます乖離かいりしていくことになりそうです。宿泊業とは別に倉庫業を成立させる必要が出てくるかもしれませんね。


 そうした問題を解決するために冒険者ギルドがあるんじゃないか?!


 だとすれば、おそらく新人冒険者用の宿舎もギルドが作っちゃって益々宿泊業は余計に成立しなくなるんじゃないでしょうか?


 いや、モンスターがダンジョンから出てこないという世界なら街と街の間を通る街道はモンスターの脅威には晒されないから、今度は治安さえ確保できれば普通の旅行客が増える可能性は出てきますね。ただ、ダンジョンのある街に観光に来る旅行者が多いかどうかはわかりませんが、旅行客が集まる(あるいは通過する)だけの理由がその街にあることが、宿泊業成立のために必要になるでしょう。


 そして旅行客が増えるため…旅行文化が成立するために必要な前提条件…同時に中世以前に宿泊業が成立しなかった理由がもう一つあります。それは貨幣経済です。


 物々交換が商取引の主体となっている世界で旅行しようと思ったら大変です。交換可能な価値のある荷物をたくさん持って歩かねばならないからです。もう自分の食べ物や飲み物を最初から全部持ち歩いた方が楽かもしれません。実際、大規模なキャラバンが自前の食料を持たずに小さな寒村に入りでもしたら、それだけでその寒村は食糧危機に陥ってしまいます。

 ですが貨幣経済が浸透していれば、嵩張らない貨幣を持ち歩くだけで旅行先で必要な物を買い、サービスを受けることが出来ます。持ち運びが容易で見知らぬ土地でも通用する、価値が共通している物が存在するというのは、人や物が地域を超えて流れるために大変重要なのです。そして、実際に貨幣というものが地方の庶民の間にも普及するようになるのは中世も末期になってからでした。


 そして更に必要になるのが通信です。


 旅行先でも通用するお金というものは便利ですが、逆に旅行先でそれが無くなってしまえば大変なことになってしまいます。単純に準備した金が足らない、途中で紛失した、盗まれた、強盗に襲われた…旅先でお金が足らなくなることは珍しいことではありません。江戸時代の大名が参勤交代の途中でお金が無くなって大至急領国からお金を送ってもらうということもあったくらいです。

 そして、旅先でお金に困れば、借りるか送ってもらうか恵んでもらうしかなくなるでしょう。ですが、見ず知らずの余所者に少額を恵んでやるくらいならともかく、まとまった金を貸したりするのは難しい。知っている人ならある程度貸すこともできるでしょうが、それが出来るのは貴族や貿易商だけでしょう。そこで通信が必要になるわけです。


 遠距離での通信が可能なら、お金を送ってくれと要求することもできるでしょうし、現地で金を借りるにしても「このヒトは確かに〇〇という町の××という人だから信用して良い」と照会することもできるかもしれません。

 銀行に金を預け、旅先の銀行で必要なお金を引き出すことができれば尚いいですが、そのためにも銀行同士の通信体制が成立している必要があります。


 そうしたサービスが存在しなければ、旅に出たまま帰ってこないという人が続出してしまうことになるでしょう。安心安全はひとつの文化が成立・成長するために必要不可欠な要素なのです。


 ともあれ、ファンタジー世界…とくに中世以前の社会をモデルにした世界では、作中に描かれているような宿屋というのは一筋縄では成立しないでしょう。

 現に今の日本でも、ビジネスホテルが一軒も存在しない市町村というのは存在しますしね。


 今、私たちが当たり前のように利用しているサービスは宿屋一つとってみても決して無条件に成立するような物ではなく、長い歴史の中で様々な前提条件を満たしていって初めて成立したものがほとんどです。

 ファンタジーとは言え一つの世界、その世界を作り上げるのであれば、その世界を構築している要素にも考えを向けていろいろ調べてみると、実は当たり前だったと思っていたサービスや物が成立するために背景にモノすごい条件や歴史があるのだと知ることが出来るかもしれません。


 一つのオリジナルのファンタジー世界を構築する…これって案外ものすごい社会勉強になるんじゃないでしょうか?

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