第5話 時給と価値

「ではこちらにお座りください」


「あ、しっ、失礼っ……しますっ!」


 終始肩を震わせ、キョロキョロする少女は恐る恐る席についた。


 この子、ここがどう言う店か分かってきてるのだろうか。


 メニューを渡し、ひとまず退却すると、事務所につながる戸の間から手招きが見えた。


「どうかしましたか?」


 そこには回転式の椅子で足を組みながら座る弥生さんと遠慮がちな笑みを浮かべる真澄がいた。


「どうか、じゃないわよっ! さっきのは何⁉︎ ツンデレはどこへ行ったの⁉︎」


「……あ」


 そんなことはすっかり忘れていた。忘れたかったから、忘れていた。


「あ、じゃないわよ! ちゃんとやりなさいっ!」


 弥生さんはビシッと指を向け、叱責を飛ばした。


「ま、まぁまぁ……落ち着いて下さい、弥生さん……紫音は今日が初めてなんですよ?」


 真澄の言う通りだ。半場騙されて働いてるんだ。少しくらいは大目に見て欲しい。


「そ、そうだけど……紫音くん素質あるからこう……勿体ないなんだよねぇ……!」


 拳を聞かせ、悔しがる弥生さん。演歌歌手にでもなるべきだと思う。


「素質って……接客の、ですか」


「男装のだよ!」


「は、はぁ……」


 だ、男装の素質って何だろう。そもそも俺、男なんだけど……。


 悶々と思考が巡る中、隙間の空いたドアから『すみませーん』と呼び出しがかかった。


 明るく、こなれた声。先程の女の子のものではなかった。


「真澄ちゃん、ゴーよ」


「は、はい」


 指は扉の方を向き、キッとした目線は真澄の方を向く。


 それを受けた真澄は慌てて店内へ向かった。


 バタン。扉が閉まり、俺と弥生さん、二人きりになってしまった。


「……まぁ、真澄ちゃんの言うことも一理あるわ。元はと言えば、私が無理やりやらせたんだし」


 並べられた反省とは裏腹に、ふてくされる弥生さん。おもちゃ買ってもらえなかった子供かよ。


「でも時給が出てるんだから真面目にやって欲しいの」


「その時給っていくらなんですか?」


「2000円」


「に、二千円⁉」


 想定を凌駕した金額に目が飛び出る。弥生さんはその反応を受け、一瞬驚いて見せたが、すぐにああ、成程ねと呟いた。


「うちはこれでも安い方よ。昼はチェキやドリンクのバックがないもの」


「だ、だとしても高すぎでは……? も、もしかして騙されてます、俺?」


「コンカフェはこれが普通。もし、高すぎると思っているならちゃんとやりなさい。貴方のツンデレに二千円の価値があるんだから」


「は、はぁ……」


 理解はしたが納得は出来ない。そもそも俺のツンデレに価値なんかあるのか?


「言っとくけど、紫音くんのツンデレはゼロ円よ? 私が価値を見出したのは、男装女子トールくんだからね!」


 念を押すように投げられた言葉は優しく俺を突き刺した。喜ぶべきか、嘆くべきか。男としては後者を選びたい。


「では先程接客してきたこの様子を見てきなさい!」


「でもまだ呼ばれてないです」


「あの子、かなり緊張してたわ。恐らくこういう場所が初めてなのよ。紫音く、いえトールくん。貴方がリードしてあげなさい」


 親指を突き立て、肩を叩かれる。ここは戦場か。


「俺も初めてなんですけど」


「細かいことは気にしない! さぁ、出陣よ!」


 あ、やっぱり戦場だったのか。




 

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