第8話 台風の目

 ◇ ◆ ◇



 「──で、お前は一体どこまでついてくるんだ……?」

 「お前じゃない。リオン」


 隣を歩くリオンは不機嫌そのものだった。それもそのはず。あの後、案の定俺たち二人が実習から抜けていたことが教官にバレて、散々絞られてしまった。それでも、一発退学でもおかしくなかった所を説教と罰掃除だけで済んだということは、やはりリオンの存在があったからだろうか。

 学院側も有望なSランク魔法士を失いたくないのだろう。


 が、リオンにとっては説教と罰掃除をさせられたということ自体が気に食わなかったらしく、ずっと不機嫌だった。お陰で掃除はほとんど俺が一人でやる羽目になってしまった。


 「ここから先は男子寮だぞ?」

 「だから?」

 「だから? って……まさか俺の部屋までついてくるつもりじゃないだろうか?」

 「よくわかってるじゃない」

 「おいおいマジか……」


 男女で寮が分けられている魔法士学院においては、女子寮に男子が入ることは禁止されている。逆もまた然り。

 どうやらリオンにとって規則というものは破るためにあるらしい。──はたまた、咎められても退学になることはないとタカをくくっているか。



 「あのバカゴリラ、私に掃除させるとかいい度胸じゃない。お陰で汗かいて気持ち悪いわ」

 「教官が聞いてたら殺されるからやめろ?」


 先程からずっとこの調子だ。思い出したように教官に対する悪態をつくリオンは本当に怖いもの知らずだと思う。


 「今の時間帯、ちょうど女子寮の温水設備がメンテナンス中なの。だからハルトの部屋でシャワーを借りるからよろしく」

 「あー、なるほどそういう魂胆だったか。悪いが答えは──」

 「──まさか断る気?」


 思いっ切り断ろうと思っていたのだが、リオンに先回りされてしまった。彼女は身体の後ろで手を組みながら思わせぶりな表情で謎のステップを踏んでみせる。


 「いいのかなー? 実習中に私とハルトが二人っきりになった時、どんなことがあったかあることない事話しちゃうよ?」

 「──やり方が汚いぞ!」


 こうなると男は弱い。例えばリオンが、「二人っきりになった時に乱暴されそうになった」とかクラスで触れ回ったら、俺は社会的に死んでしまうだろう。リオンは十人が見たら九人は「美少女」だと答えるくらい可愛い。対する俺には目立たないように過ごしてきたこともあって人望があるわけでもないし、クラスのやつらがどちらを信じるかは明白だった。


 「いいじゃん減るわけでもないし、ケチは嫌われるよ?」

 「──別にリオンが気にしないなら俺は構わないけどな……」


 にしても、男子寮──ましてや俺の自室なんかに女の子を連れ込んだところを誰かに見られたらどうする……? いや、そもそも同室の優佑にはどう説明する?


 「あーもう! どうにでもなれ!」


 俺は頭を抱えた後、思考を放棄した。

 気づくと俺たちは俺と優佑の部屋の前までやってきていた。



(いや、リオンのやつはここが俺の部屋だって知ってるはずないし、なんとか誤魔化して帰せたりしないだろうか……)


 そんな考えが頭をよぎった時、既に彼女は部屋のドアに手をかけていた。


 「おい、ちょいちょいちょい!」

 「なに? ここでしょ? 早く開けなさいよ」

 「いや違……わないけど!」


 どうやら俺が無意識に立ち止まったことでリオンに部屋の場所がバレたらしい。全く抜け目のないやつだ。

 俺が軽くパニックになっているうちに、リオンはドアを開けて部屋に入っていった。慌てて周囲を見渡してみるが人影はない。居残りをさせられていたせいで他の奴らと帰る時間がズレたのが不幸中の幸いか。まあどちらにせよ俺の大ピンチが継続していることには変わりない。


 「あー! 優佑すまんこれはだな──」


 リオンの背の後ろから部屋の中に向かって叫ぶが返事はない。


 「部屋の中には誰もいないみたいだよ?」

 「えぇ……」


 これはラッキー──ではなくめちゃくちゃアンラッキーだ。部屋の中でリオンと二人でいるところにのこのこと優佑が帰ってきたら、それこそ言い逃れは困難だろう。「ワイがおらんうちに美少女を部屋に誘い込むなんて、ジブンもなかなか隅には置けんやっちゃなぁ!」とか言われるに違いない。そして次の日にはもれなく学園中の人気者だ。間違いない。


 リオンは俺の穏やかではない心境などお構いなしに、靴を脱いで我が家のような気楽さで上がり込んでいく。


 「ふーん、男の人の部屋ってこんな感じになってるんだ?」

 「あんま見るな。用事済ませたらさっさと出ていってくれ頼むから……」


 俺はユニットバスの扉を指さしながら懇願した。リオンは大人しく頷く。


 「じゃあお言葉に甘えて──」

 「おーい! ちょ、ちょいちょいちょい! 何やってんだお前!」


 悲鳴のような叫びを上げながら俺は思わずその場で周り右をしてしまった。リオンが慣れた手つきで制服を脱ぎ始めたからだ。

 反射的に目を逸らしたものの、彼女の黒い下着とそれと正反対なくらい白く美しい肌が目の裏に焼き付いてしまう。──仕方ないだろ俺だって男なんだから!


 「何って、シャワー借り──まさかハルト、変なこと想像してたんじゃないでしょうね?」

 「目の前で女の子が脱ぎ始めたら誰だって多少はそういうことを考え……ることが無きにしも非ず……」

 「──ヘンタイ、ハルトのえっち」

 「えぇ……」


 いやいやいや、これはどう考えてもリオンが悪いだろう? なのになんでこんな言われようをされなければいけないのだろう。なんだか泣けてくる……。

 とはいえ、あんなことを言われてしまってはもはやこの場に留まるわけにはいかない。俺は大人しく部屋の奥に退散してリオンがシャワーを浴び終わるのを待つことにする。



 自分のベッドに腰掛けながら、今日の不思議な体験を思い返してみた。


(あの時、確かに蝕は俺に何かを伝えようとしていた……)


 そして、倒された蝕がその場に残していったもの──銀色の壊れた腕時計をポケットから取り出して眺めてみる。特別高価でもない何の変哲もない時計だったが、文字盤の裏には『H・T』というイニシャルが刻まれていた。

 俺と同じイニシャル──それは同時に俺の母親と同じイニシャルでもあった。


(母親も似た腕時計をしていたな……)


 聞いた話では父親からプレゼントされたものらしい。特別な贈り物として彼女のイニシャルが入っていてもおかしくはなかった。


 仮にこの腕時計が母親のものだったとして、それの意味するところは……。


 「──考えたくないな。やっぱり別人のものか……」


 そう願うしかない。ひとまず俺は腕時計のことは忘れることにした。時計をカバンの中にしまうと、ユニットバスの方から物音がして、リオンが現れた。


 「ねぇ、何か着替え貸してくれない?」

 「何してんだお前……」

 「ん?」


 ん? じゃねぇ。問題はリオンのその格好だ。

 濡れた髪を拭きながら現れた彼女は当然バスタオルを頭から被っており──端的にいうと身体がノーガード、つまり彼女の未成熟な裸体が丸見えだったのだ。どこまでサービスするつもりだこいつ。

 が、指摘するとまた何されるか分かったものではないので、俺は努めて冷静さを保ちながら、荷物の中から自分のジャージを取り出して彼女に投げつけた。


 「これでも着とけ、デカいかもしれないが」

 「うん、デカい」


 文句言うなそれしかないんだ。


 早くこいつを部屋から追い出さないと、これ以上好き勝手やられるとこちらの寿命が縮む一方だった。気づいたら目的がリオンを宥めることからリオンを追い出すことに変更されつつある。


 文句を言いながらも俺のジャージを着込んだ彼女は、懸念していたとおりブカブカで袖や裾をまくらなければならなかったが、とりあえず全裸状態は解消されたので一安心だった。


 「用が済んだらさっさと帰れ、今すぐ! ジャストナウ!」

 「──これ、洗って返すから」


 俺が苛立ちをあらわにすると、さすがのリオンも少し申し訳ないと思ったのか、当たり前のことを言いながら自分の来ていた衣類を回収してそそくさと部屋から出ていった。



 「──ふぅ、死ぬかと思った」


 嵐の過ぎ去った自室で、俺は一人胸を撫で下ろしたのだった。

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