第3話 定俊仕官

 善兵衛の店は堺の守護神として信仰も厚い、開口神社から南へ下った坂道にある。

 名だたる豪商と比べれば、吹けば飛ぶような小さな店構えでありながら、朱塗りをふんだんに取り入れた中華や琉球を思わせる特異なつくりの店だった。

 定俊は気づかなかったが、実は堺には多くの中華の人間が生活しており、善兵衛と同様の店は数は少ないが存在していた。

 暖簾をくぐって早々、善兵衛は番頭を呼びつける。

「はよう医者を呼んでや! 傷はそう深うはないはずやけど、夏は傷が腐りやすいさかい」

「へ、へえ!」

 槍の傷は見た目よりも傷が深いことが多い。出血は止まったようだが、医者に見せたほうがようという善兵衛の判断は決して間違っていないと定俊は思う。一見軽そうだが、思っていたより部下を大事にする男であったようだ。

 畳十畳ほどの書院へと定俊を通し、冷えた井戸水をもってこさせた善兵衛は、ぐっと一息に飲み干すとおもむろに定俊に問いかけた。

「ほな、定俊殿にお聞きしますわ。お武家はんが絶対に欲しがるものはなんでっしゃろな?」

「――――なんとも気の早い話だな。商売人とはかくあるものか」

 つい先ほどまで己の命も危うかったというのに、子供のように目を輝かせて定俊の答えを待っている善兵衛がなんともおかしい。おかしいのだが、銭は力なりという先ほどの言葉が定俊の胸の奥にひっかかっていた。

 もし銭が力であるのならば、この人のよさそうな丸顔の商人は、いったいどれほどの力をもっていることだろうか。

 力のない武士は哀しい。その弱さゆえの哀しさを、定俊は身に染みて知っている。

 顎に手を当て、しばし黙考した定俊は、呟くように口を開いた。

「…………硝石、であろうな」

 米も槍弓刀も馬も鉄砲も、必要不可欠なものではあるが、手に入らぬというわけではない。特に堺商人に伝手があれば、まず手に入らぬものはないだろう。

 しかし硝石だけは別であった。いまだ日本には硝石の鉱脈が発見されておらず、最新の土硝法による人造硝石の生産では、質量的にも時間的にも絶対的に不足していた。

 唯一その硝石を独占的に販売しているのが南蛮商人であり、おかげで独自の交易ルートを持たない武田や上杉などは、鉄砲が強力な武器であることがわかっていても、肝心の硝石が手に入らないため、せっかくの鉄砲隊が使いたくとも使えないという有様である。

 武田氏の重臣であった穴山梅雪が、「敵の手下のふりをして敵の商人と取引せよ」と苦心の命令書を部下に送ったものが現存しているが、なりふり構っていられないと焦る気持ちがにじみ出るかのようである。それほどまでに信長の鉄砲と硝石の統制は徹底していた。

 定俊が仕えた越前朝倉家も、ついに鉄砲の大量使用が一度もできぬうちに滅亡を余儀なくされている。

 今後需要が拡大するのが明らかでありながら、欲しくても決して手に入らぬもの。それが硝石であった。可能かどうかはともかく、商うことができれば確実にお宝の山ができるだろう、と定俊は結論した。

「硝石でっか。なるほどさすがはお武家はん、ええ目の付け所でんな。ただ硝石の買い付けはほとんど堺の大店が独占しておりますのや」

「そうであろうな」

 当たり前だ。堺の大商人が硝石を独占しているからこそ、堺を直轄地とした信長もまた硝石の流通をコントロールすることができる。うまい話がそうそう転がっているはずもない。

「あきまへんな。早合点は損のもとでっせ?」

 そんな定俊の胸の内を察したのか、したり顔で善兵衛はぽん、と自分の胸を右手で大仰に叩いて見せた。

 ひょうげてみせてはいるが、そこには確かな自信の色が窺える。

「こうみえて、わては倭寇に伝手がありますねん!」

「本当に見かけによらんものだな」

「放っといてや!」

 定俊の素直な感想に善兵衛は拗ねたように喚いた。

 どうやらこの善兵衛、自分でも童顔で押し出しのない面構えを気にしているらしかった。

「倭寇と言いましても日本(ヒノモト)の海賊やありまへん。明の王(ワン)という男ですわ」

 倭寇と一口にはいっても、実際のところ日本人は二割にも満たぬのだと善兵衛は言う。残りの八割以上は中華や朝鮮の人間で、その活動領域は遠く天竺(インド)にまで及ぶ。

 彼らの多くは博多商人や堺商人と手を結んだ非合法な海上交易を商売としていたため、頻繁に堺の街を訪れる機会があるのである。

 善兵衛が友誼を結んだその男は、名を王元紘という。およそ与太話の類であろうが、二十年近く前に処刑された大海賊王直の一族を名乗っているようだ。

 王直といえば数百隻の大船団を率いた倭寇の大頭目で、日本への鉄砲伝来にも関わった大立者である。松浦隆信の保護を得て平戸に在したが、のちに明から罪を許し官位を与えると騙され千五百九十九年に処刑されていた。

 その一族の出身という割には出会いのきっかけはお粗末なもので、縄張り争いで船団を失い、危うく自分の船も沈みかけて、あてどなく漂流していたところを助けたのが善兵衛らしい。

「奇貨居くべし、という言葉を知ってまっか?」

「その王元紘が善兵衛殿にとっての荘襄王ということか」

「いやいや、さすがに荘襄王はいいすぎでんな」

 きまり悪そうに善兵衛は笑った。

 奇貨居くべし、とは古代中国で呂不韋という大商人が、人質としてやってきた秦の王子を支援して、見事に秦の国王とすることでついには秦の宰相へと成りあがったという故事である。

 そんな教養をひけらかし、それをあっさり定俊に返されてしまったことで、急に恥ずかしさが襲ってきたらしかった。

「…………それからうちで資金を出しましてな。今じゃ十隻以上の船団にまで膨れ上がってますわ。それでも倭寇のなかではようやく中の中というとこでんな」

「信用できるのか?」

 人は容易く人を裏切る。それが親子三代主君に仕えた重臣だとしても、いつ裏切るかわからぬのが戦国という時代であった。主君義景を裏切った一族の重臣、朝倉景鏡に仕えた定俊は身に染みてそれを知っている。

「これは日本(ヒノモト)でもそうかもしれへんが……水に落ちた犬は打つのが世の中ですねん。だから水に落ちた時に助けてくれた人は大事にせなあかん。あちら(中華)のお人はその傾向が特に強いそうでっせ?」

 泥船に付き合うことまでは期待でけへんでっしゃろが、とまで善兵衛は言わなかった。

 これほどの武力と教養を持つ定俊が、一人で仕官を探しているということは、なんらかの没落した名家の子息の可能性が高いからだ。没落した名家というのはほぼ全てが、同盟国なり配下なり、なんらかの形で裏切られていることを善兵衛は知っていた。

「まずは王の伝手で硝石を明の国から買いつけるところから始めましょか?」

 買いつけるには当然のように略奪してくる、という意味も含まれるのだが、そうした事情に目をつぶる程度には、善兵衛もまた戦国の商人であったということであろう。


 いざ始めてみると、商売というものは恐ろしく面白いものであった。

 この時代は、ある意味で日本に訪れた最後のゴールドラッシュのようなもので、石見銀山を代表とする世界最大級の銀の輸出国となった日本は、一躍大国スペインやイギリスの注目の的となった。

 しかし問題なのは中華の明政権が、大内義隆が陶晴賢に討たれた大寧寺の変により、勘合貿易を停止してしまったことである。

 勘合貿易とは明の皇帝が朝貢してきた臣下を冊封するという体裁で行う貿易のことで、あらかじめ用意された割符の片方を互いが持ち、それがぴったり合うことを確認して交易が開始される。

 その割符を幕府から譲り受けていたのが大内氏で、大内氏が滅亡した以上勘合貿易を続ける理由はないというのが明の立場であった。

 大内氏の地位をほぼ引き継いだ全盛期の毛利元就をもってしても、勘合貿易の復活は叶わなかった。

 これにより明から銅銭を輸入していた日本では急速に貨幣流通量が不足し、米を銭の代わりにする米本位経済が浸透していくことになる。

 その日明貿易の断絶を補ったのが、王たちをはじめとする倭寇の集団であった。

 もちろん彼らが非合法な海賊の集団であったことも事実である。しかしながら日本にとって、明の生糸や硝石をはじめとする品々が必要不可欠であることもまた確かなのだ。ある意味彼らは必要悪な存在だった。

 もっとも非合法な倭寇だけでは到底全ての需要を満たすことはできず、大半は南蛮商人が独占して暴利をむさぼっているのが現状であった。特に硝石は香辛料と並んで彼らの欠くべからざる収入源となっていた。

「はっはっはっ! やっぱり生糸は外れませんわ。こりゃ笑いが止まりませんでえ」

 善兵衛はほくほく顔で船から下ろされる大量の生糸に目を細めた。

 今回これほどの大口で生糸を仕入れることができたのは、倭寇とポルトガル商人が縄張り争いで争ったために得た漁夫の利である。

 これまでのところ倭寇と南蛮船は協力関係にあったが、貿易額や流通量が増加したことで、このところ互いの縄張りをめぐって武力衝突することが増え始めていた。

 今回は王元紘の前に、たまたま相討ちに近い形で潰滅した船団がいたので、ありがたく生糸を略奪させてもらったというわけだ。

 間垣屋の主力商品は硝石だが、実は生糸もはずれのない高額商品である。明で仕入れた良質の生糸は、ものによっては二十五倍もの高値となって国内で売りさばくことができた。正しく濡れ手に粟のぼろもうけであった。

 ちょうど博多織や西陣織の技術が上がり、海外への主要輸出商品として、切実に品質の高い生糸が求められていたので、需要は天井知らずにあった。

「こんなぼろい商売があるのか」

 定俊は驚くというよりもまず呆れた。同時に、痺れるほどに興奮した。見たこともない宝の山に、自分もいつかこれほどの金を動かしたいと願った。

 若狭の一領主では到底見ることのできない金額が、定俊の前で日常的に飛び交っている。しかも善兵衛は堺商人としてはまだまだ駆け出しであるというではないか。

 では豪商と呼ばれる今井宗久や津田宗及や千宗易たちは、いったいどれほどの財を持つというのか。

 後の世に紀伊国屋文左衛門や三井高利、鴻池善右衛門といった豪商たちが誕生するが、彼らの莫大な富は実のところ、この時代の堺の豪商たちには及ばない。

 なぜなら彼らはあくまでも日本国内の豪商であるのに対し、堺商人はまさに世界を相手にしているからだ。

 それに引き換え、猫の額のごとき土地にしがみつく武士のなんと小さいことか。

 そう定俊が考えてしまうのは、先祖代々の土地にしがみつく父の妄執に対する忌避感があったことは確かである。しかしこの時代の武士は一所懸命が当たり前であり、定俊のような武士が圧倒的に少数派であるのもまた確かなことであった。


 みるみるうちに善兵衛から知識と交渉術を吸収し、さらに有力武家に産まれた教養と経験を持つ定俊は、いつしか間垣屋にとって不可欠な存在になろうとしていた。

 このまま定俊を右腕として育てることができれば、間垣屋はあるいは会合衆と肩を並べる大店になることも夢ではない。善兵衛がそう思えるほどであった。

 特に定俊が、海の荒くれものである王元紘とその一党に気に入られていることが大きい。

 腕っぷしも強く、人当たりもよくて、土豪の長男という育ちの良さで風格のような雰囲気の漂う定俊は、彼らにとって信頼に値する男と認められたらしかった。

 先日なども貴重な色絵皿を個人的に王元紘に頼んでいたらしく、明の青花をいくつか渡されていた。このところ高騰著しい景徳鎮であれば、目を剥くほどの値がつくに違いなかった。

 そうした定俊の個人的な売買を善兵衛は止めようとは思わなかったし、蓄財した銭を前につぶらな瞳を細めて笑う定俊を、可愛いところもあるものだとすら思っていた。

 ところが実はそんな可愛らしいどころの騒ぎではないことを知ったのは、つい二日ほど前のことである。

 定俊は、間垣屋にいくつかある客間のひとつを私室として与えられていた。

 使用人がいうには、夜毎その一角からちゃりん、ちゃりんと銭の音が鳴るという。気味が悪いので止めて欲しいらしい。

 好奇心に駆られた善兵衛は、その夜足音を忍ばせて確かめに行った。するとどうだろう。定俊が永楽銭を数えては頬ずりしながらなんともいい顔で笑っているではないか。銭を落としてちゃりん、と音を鳴らしては、うしし、と涎を流さんばかりに笑み崩れるその表情は、だらしなく緩んでいた。それはもはや、襖を開けてからかってやろうという雰囲気ではなかった。

(わては何も見んかった…………それでええんや)

 どうやら定俊の金に対する業は、善兵衛よりもよほど深いものであるらしい。善兵衛はもっと取引を大きくして店を拡大したいとは思うが、金そのものに対して定俊ほどの執着はない。

 そんなことがあったとはいえ商売に並々ならぬ関心を見せながらも、毎朝のつらい稽古を怠らない定俊が、武士としての生き方を諦めたわけではないことは、善兵衛の目にも一目瞭然であった。それに何より定俊にとって善兵衛は、友にはなれても主人となれる男ではなかった。

 二人の関係は三年弱が経った今も、対等の協力者のままだった。

 間垣屋の店主として、それなりの人を使う善兵衛には、それが残念でもあり同時にうれしくもあった。

 やはり心のどこかで善兵衛自身も本当に定俊が似合うのは、戦場を駆け巡る武者の姿であると思ってしまったからであろう。


「――――このまま商人になる気はあらしまへんか?」

 定俊が間垣屋にきて三年弱、長々と引き延ばしてきたがそろそろ限界か、と善兵衛は思い切って尋ねた。まだ吐く息も白い三月も初めのことであった。

 その気になればすぐにも定俊は一端の商人になれる。おそらく定俊が個人的に蓄えた資産は、十分に暖簾わけをして店を構えるに足るものとなっているであろう。

「ないな」

 にべもなく定俊は即答する。

 自分でも驚くほど、その言葉はすんなりと口をついてでた。

 商人というのは面白い。銭が槍より強い力だという考えも今は共感している。というより、銭を集めるのはひどく楽しい。大量の銭は見ているだけで興奮する。このまま善兵衛や王元紘たちと付き合っていけたらさぞや楽しかろうとも思う。

 ――――それでもなお、岡源八郎定俊は武の者である。そこだけは決して諦めることも譲ることもできなかった。

 武士らしからぬ父を忌避することがあっても、定俊は一度も武士であることをやめようとは思わなかった。なるほど、この岡源八郎定俊は武の者であったか。期せずして善兵衛の問いに自分の本性を覗き見てしまったような気分であった。それがたまらなく清々しかった。

「さいでっか。ま、おかげでわいも未練なく話せますわ」

 憑き物が落ちたように善兵衛は笑った。肩の力が抜けた、てらいのない良い笑いであった。

「昨年から硝石のお得意様にならはった蒲生氏郷様から、二十貫で仕官しないかとお話が来とります」

 かつて六角に仕えた日野の領主で蒲生氏郷、という織田信長の女婿となった出来物の話は定俊も聞いていた。

 すでに天正十年六月二日、本能寺において総見院(信長)は惟任日向守(光秀)に攻められ横死していたが、義父を失っても、氏郷の存在感は失われるどころかますます大きさを増しているという。

「徳川様と羽柴様の戦いで有能な武士(もののふ)を探してはるようで」

 三河の徳川家康が織田信雄と結び、羽柴秀吉に対する事実上の宣戦布告を行ったのはつい先日の三月六日のことである。

 四国の長曾我部元親や紀州雑賀党も同時に決起し、越中の佐々成政も表立って兵を挙げないまでも水面下で蠢動し始めていた。

 柴田勝家を賤ケ岳で破って以来、実質的な天下人となった羽柴秀吉にとって、おそらくは最後の天下への挑戦者であった。

 関東の北条、九州の島津、いずれも強敵ではあるが、天下を望む気概はない。大義名分としても能力としても、織田信長唯一の同盟者であった徳川家康を除いて、羽柴秀吉に挑戦できる資格はないといえるだろう。

 その秀吉の支配を受ける形となった蒲生家も、伊勢方面で織田信雄と対決することを強いられていた。

 今は使える武士なら喉から手が出るほど欲しい。

「定俊はんには物足らへんかもしれへんけど……」

 すでに善兵衛は、定俊が若狭で城持ち国人領主の嫡男であったことを知っている。

 二十貫という禄は正直、定俊には物足りないだろう。おそらく若狭での領地を継げば一千貫はくだらなかったはずである。

 しかし実績のない十八歳の若者を召し抱えるのには十分破格な知行であり、それ以上の待遇を求めるのは、さすがの善兵衛にも難しかったのだった。

「なんの、初めだけのことよ」

 定俊は破壊顔して善兵衛の杞憂を一蹴した。むしろ変に高禄などもらっては古参家臣の嫉妬を買うだけである。二十貫というのは、これから成り上がるには最適な貫高だと思えた。

 ――――事実、定俊はそれから半年と経たぬうちにその言葉を現実のものとしたのである。

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