Chapter27Lesson3(Ver1.1)・語学習得の鍵は右脳と左脳のコラボだ

本章では実験を用いて効果的な学習法の理解をより深めて行きます。読者様への指示を【墨付きかっこ】で書いておりますので是非ご自身でも体験してみて下さい。


【この章では実験中のネタバレを防ぐためにあえて行間を長大に空けてあります。実験で指示された順序通りに作業が終わるまで読み進まないようにして頂く事でより体験的に学習法を体験して頂けます】



高一 九月 土曜日 夜 真鶴家書斎


 真鶴家の書斎に入ると俺と先生はこれまでのレッスンと同様に勉強机を挟んで席に着いた。暖色系の間接照明で照らされた書斎は落ち着きがあって、夕食後の満腹感を伴うと普段ならついつい睡魔に襲われてしまいそうだが、今に限っては意識は冴えている。


「和歌の様子はどうだった?」


 互いに向き合うと同時に先生が訊ねてくる。その表情はいつになく真剣だ。俺もいつもとは異なって席に着くなり自らノートを開いてペンを手に取っていたので、きっと先生にも同じように見えていたに違いない。


「玄関で会った時は普通な様子でしたよ。治姉と会ったら笑ってもいましたし」


「そうか、図書館から帰って来てからもどうも避けられている感じがしてね。夕食中もあまり話せなかった。実父なのに情けない」


「家族に心配をかけたくないだけじゃないですか? でも考えてみると心配をかけたくないから相談しないって日本人っぽいかもしれないですね。アメリカのホームドラマなんかだと悩みがあるとパワフルなお父さんに気軽に相談している印象があります」


「さてどうだろう、正直分からんよ。研究はしていないから根拠はないが家庭によって差がありそうだね」


「そうですか、和歌の日本人らしい一面を見つけたと思ったんですけど」


「日本人らしさか、確か前回は我々が日常会話において無意識に文化も活用しているということについて説明したね」


「はい、そうです。和歌の問題解決のためにももっとお話を聞ければと思っています」


「私も話せれば話したいんだが、実は文化について重要な点は前回ほぼ話し終わっているんだよ。それにさっきは君の熱意に感動して文化について付加知識を語りたいと思ったけれども、話したところで和歌を混乱させる結果に変わりはないと私は思ったんだ」


「えっ、なんでですか?」


「時間だよ。文化習慣は行動の元となる価値観にまで落とし込まれるまで非常に時間がかかるんだ。落とし込まれる前に文化に関する知識だけを得たところで和歌はそれを使いこなせない。例えばテレビの異文化バラエティ番組を見て新しい文化を知ってもすぐに自分が模倣しようとは思わないだろう?」


「確かに……じゃあどれくらいかかるんですか? 時間がかかると言われても無視は今起きているんですよ?」


「残念ながら分からない。日本語会話ができるけど文化にだけ疎い人が、文化だけ追加で習得するのにかかる時間を研究したことがないんだ。私は言語学者であって民俗学者ではないからね」


「そうですか……分からないんじゃ計りようがないですね……」


「いや、やはり今日は時間に焦点を当てて話そう。私は言語学者だから外国語会話ができるようになるまでの所要時間は明示できる。根拠はないが言語習得の時間よりも文化理解にかかる時間の方が短いはずだ。それにどんな問題でも期限の設定は必須だ」


「分かりました。お願いします」


「よし、では時間の概念に入る前に前回の復習だ。まだI'm brokeの意味は覚えているかい?」


「はい、お金が無いですよね?」


「その通りだ。じゃあここ一週間宿題のDVD視聴はしてきたかい?」


「昨日と一昨日は和歌のことで考え事をしていて忘れてしまいました。でもモンスターアニメの『貴様に決めた!』の決め台詞は覚えましたよ『アイチューヂュー!』と『アイコータモンスター!』でした」※


「娘の心配をしてくれたのはありがたいけれども、夜の聞き込みは聞き流しでいいから続けてくれよ」


「はい、分かってはいたんですが、どうしても和歌の問題を考える間にカビチュウの声を聴く気にはなれませんでした」


「それもそうか、すまないね。しかしながら英紀君はしっかり自分で言った目標は達成して来たね。そこでだ、今英紀君はI'm brokeの意味を覚えていた訳だが、この一週間君は試験期間中みたいに頑張って記憶を維持しようとしたかい?」


「いえ、アニメの台詞は頑張るってほどではなかったです。そのシーンだけ見て何回か呟いている内に覚えました。アイムブロークに関しては全く意識しませんでしたよ」


「そうだろう? 英紀君には一発でI'm brokeを覚えられる能力がある訳だが、普段の定期考査の勉強はどうだい?」


「わざわざそれ聞きますか? 先生も意地悪ですね。覚えが良ければここにいませんよ」


「ごめんごめん、比較するためにあえて言及したんだよ。じゃあなんでI'm brokeと違って簡単じゃないのか比較実験していこう。ちょっと待ってね」


「実験ですか? 分かりました」


 先生が机の上のノートPCを操作するとプリンターから数枚のA4用紙が印刷されて吐き出される。先生は立ち上がって壁際のスチールラック上に置かれたプリントを手に取ると、その内一枚を机に置いて俺に見せた。前回のI’m brokeが分かり易かったので今回はどんな実験なのか、今は深刻な目的を抱えているにも関わらず好奇心を感じて前のめりになってそのプリントに見入ってしまう。


「今から試験勉強を再現するね。このプリントに書かれた英文を覚えないでいいから音読してほしい。いいかい? 覚えないでいいよ」


「分かりました――」


 俺は言われるがままにプリントの英文を読み始める。

【読者様も是非英文を音読してみて下さい】

 She has two PS4, four TVs, six PCs, and five iiPhones at her house.


















 俺がこてこての日本語訛りで英文を読み上げると、先生はすかさずプリントを裏返しにして俺から隠し、そして告げた。


「じゃあ今の文をもう一度音読してみてくれるかい?」


「えっ! 先生さっき念を押して覚えないでいいって言ったじゃないですか!」


「英紀君が素直で良かったよ。さあ言ってみて」


 微笑みながら素直と褒められて言いくるめられた感じはしたものの、素直に従うかと思って思い出してみる……だが……


【読者様も是非英文を見ずに音読してみて下さい】


「シーハブ……トゥー……二個あるのは何だっけ? でかいからテレビか? 3DSすげぇ持ってた気がするけど……ダメです。全然分かりません」


「ありがとう、そこまででいいよ。できなくても全然気にしないでいい。何故なら九割以上の人が全文を記憶なんかできないんだ。だからできなくて普通だ。気にしないでいい」


「はあ、でもそう言われてもなんだか悔しいですね」


「まあまあ悔しさは水に流して次に行こう。次はこっちを見てくれるかい?」


 先生は次のプリントを取り出して俺に見せる。


「今度は絵ですか? この両手に乗った黄色い玉は何ですか?」


「それは動詞のhaveだと思ってほしい。両手に持っているってイメージだね。では英語で動物の種類、数、色も含めて一度音読してみてくれるかい? 例えば犬はtwo brown dogsだ」


「分かりました――」


【読者様も是非絵を見ながら音読してみて下さい。読み終わったら絵をディスプレイから消して小説にお戻り下さい】


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実験用画像

近況ノート・Chapter15・Lesson2イメージ画像1

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Lesson3用イメージ画像まとめハッシュタグ

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「読み終わったね。じゃあこっちも絵を見ないでもう一度読んで見よう」


【読者様も絵を見ずにもう一度音読してみて下さい】



















 俺が読み終わり次第、先生はまたプリントを裏返しにして俺から隠す。今度こそ忘れないうちに話さねばと思って口を開こうとした瞬間、俺は先程と違う感覚を覚えた。


「ヒーハブ……トゥーブラウンドッグス……猫は三……じゃないウサギが三だから……フォーブラックキャッツ……スリーホワイトラビッツ……最後の魚は八か……エイトレッドフィッシズインホーム……かな?」


「おお! 言えたね。今回はまた読まされると思って身構えていたからできたのかな?」


「はい……それもありますが、それだけじゃない気がします。何だろう、さっきは思考が止まった時点でもう無理だったんですけど、今回は思考が止まってからもまだ思い出せた感じがします」


「いい気付きだね。もっと掘り下げよう。じゃあ思考停止後に何故また思い出せたんだろう?」


「絵が思い浮かんだからです」


「そうだろう? きっと絵の方を思い出した時はまず脳内に動物の種類、色、数が浮かんでそれらを一つづつ英語に変えていった感じだったんじゃないかな?」


「そうです! 確かにそんな感じでした」


「どちらの方が思い出し易かったかい?」


「それはもう断然絵の方が思い出し易かったです!」


「だろう? じゃあ覚え易かった方の絵の方も文字化して比べてみよう」


 そう言って先生が取り出した三枚目のプリントを見て俺は思わず目を見開く。


 She has two PS4, four TVs, six PCs, and five iiPhones at her house.


 He has two brown dogs, four black cats, three white rabbits, and eight gold fish at his house.


「お、気付いたかい? 文字におこすとほぼコンプリートできた絵の方が長いんだ」


「あぁ、でも俺ハブって言いましたよね。それにレッドじゃなくてゴールドなんだ……あれ? 八匹いるのにフィッシズじゃない? あ、ヒズも抜けてるしアットか……間違いだらけだな……」


「いや、いいんだよ。文法の授業をしている訳じゃないんだから、間違いよりも長文を記憶できた実績に注目しよう。どうだい驚いたかい?」


「はい、正直こんなに出来るとは意外でした」


「では何故こんなにも覚え易さに違いがあったか? その原因は人間の脳にある」


「脳ですか。まあ確かに記憶する訳ですからそりゃあ脳には関係しますよね」


「そうだね。英紀君は右脳と左脳で得意不得意があることは知っているかい?」


「いえ、よくDuTubeで右脳型勉強法がなんちゃらっていうCMを見るのでその程度しか知りません」


「分かるよ、一時期流行ったからね。CMで見ると胡散臭いけど、右脳と左脳に機能の差があるのは本当だ。英紀君はそれぞれどんな特徴があると思っているのかな?」


「そうですね……左利きは右脳が強いから天才肌とか、芸術や音楽に才能があるなんてのは聞いたことがあります。左脳は……特に印象がないですね。広告なんかで取り沙汰されているのは右脳ばかりだからその印象が強いんだと思います」


「確かにそうだね。何かと右脳が注目されていて、左脳が可哀想な感じはある。でもね、こと言語に関しては中枢があるのは左脳なんだ」


「え? そうなんですか? てっきり話の流れからして右脳で英語が話せるようになるって流れになると思っていましたよ」


「鋭いね。だが惜しい。左脳に言語中枢があるからには左脳抜きに言語を扱うことはできない。だから右脳使って学ぶんじゃなくて、右脳使って学ぶんだ」


「右脳? ということは両方使うってことですよね? そして両方使うことを強調するってことは普段は片方しか使っていないということですか?」


「その通りだよ。いい思考力をしているね。じゃあいかにして両方活用して学ぶか語る前に左右の脳の機能について確認しよう。まず右脳は君が想像した通り音楽や芸術等の感性を要する分野に優れている他に、空間を把握したり、直感的な動作や思考をするのに優れている」


「はい、そんな気がします」


「対して左脳は文字や記号の処理や計算等の論理的な動作や思考をするのに優れているんだ」


「なるほど、感性の右脳、理屈の左脳って感じですか」


「そうだね。そして無意識の右脳と意識の左脳とも言える。よく考えてみて欲しい、右脳が得意としている分野はどれも無意識にできるものばかりで、反対に左脳の得意分野はどれも意識しなければできないものばかりじゃないかい?」


「言われてみればそうですね。計算なんか意識しないとできないし、文字だって読もうと思わないと視界に入っていても素通りしてしまいますし」


「その通りだよ。そこでだ、このプリントに書かれている要素は無意識に処理可能か、意識が必要かで分けてみてくれるかい?」


 先生はまた手元から一枚のプリントを取り出して俺に見せる。それは前回のレッスンで見た外国語会話の構成要素を円グラフにしたものだった。俺は言語、表情、仕草、抑揚、声色、文化、習慣、状況の各項目に一つづつ右、あるいは左の文字を考えながらかき込んでいく。


「一部迷ったのもありましたけどできました。言語以外全部右、つまり無意識に処理できるものだと思いました」


「正解だ。因みに迷ったのはどれだい?」


「文化と習慣と状況です。未知の文化とか習慣に直面した時は意識的に考えると思ったからです。でも未知か馴染みかの判断は無意識に行っていると思ったので右と書きました」


「いい考察だ。英紀君の言う通りだよ。既知の文化や習慣に関しては右脳で無意識に処理できるが、未知の場合だとそれができないから左脳が代わりに考えてくれる。カルチャーショックが起きるのはだからだよ」


「確かに。無意識にショックを受けるなんてできませんね。それにしても外国語会話の構成要素のほとんどが右脳的な要素で構成されているなんて驚きです。こんなに右脳を使う教科なんてもしかして主要五教科で英語だけじゃないですか?」


「面白いことを言うね。他教科が左右どちらで学ぶ教科かなんて考えたこともなかったな。でも考えてみればどんな教科でも好きな教科を楽しく学んでいる時は右脳で学んでいる気がするな」


「え? 数学なんか計算が要りますし、歴史なんか典型的な暗記科目じゃないですか?」


「いや、そうでもないと思うよ。例えば幾何の勉強の時に数式で分からなくても先生が図形を描いて解説してくれたら一気に理解が進んだり、歴史好きな人にまるでその場にいたかのように戦国時代の合戦の様子を語られた経験はないかい?」


「それ分かります。今の数学の先生が幾何でなくても描いて説明する人ですごく分かり易いです。歴史語りは……俺、信長の欲望が好きなんで、されるというよりむしろ俺がやってそうだと思います」


「おお、君もやるんだね。私も歴史シミュレーションは大好きだよ。歴史好きは教科書だけじゃなくて映画とかゲームのイメージを通じて歴史に思いを馳せているのに対して、嫌いな人にとっては教科書上の文字の塊でしかないんだ。だから定期試験が終わったらさっきの実験みたいにすぐに忘れてしまう」


「確かに俺も苦手な中国史なんかだと試験後にすぐ忘れちゃいます」


「そうだろう? 話を英語に戻そう。前回英会話がなかなかできるようにならない人は7%だけで勉強しているからだと言ったよね。これは言うなれば勉強する時に左脳だけしか使っていないということなんだよ」


「分かりました! さっきの実験はTVとかゲーム機の文章が左脳だけで勉強した場合、そして動物の文章の方は左右両方使った勉強を再現したんですね?」


「そう、その通りだ。じゃあここでもう一つ実験をしようか。左脳だけで会話を学ぶということがいかに非効率か実感してもらうのが目的の実験だ」


「目的をバラしちゃっていいんですか? 間違えないように警戒してしまいますよ?」


「問題ないよ。この実験は日本語会話で行うからね」


「日本語でですか?」


「ああ、とある手段を使って無理矢理左脳だけで翻訳しながら外国語会話しているような疑似体験をしてもらうことができるんだ」


「ええ? まさかSFアニメみたいに俺の脳を改造しないですよね?」


「まさかそんなことはしないよ。この実験では左右両方使って会話した場合と左脳ばっかりで会話した場合でどれだけスムーズに会話が進んだか比べて欲しい。まずは両方の場合を実験しよう」


 先生はイタリアの赤い高級スポーツカーがプリントされたA4用紙を取り出して俺に見せる。


「これは……ペラーリのラ・ペラーリかな?」


「おお、詳しいね。私は車にはそんなに興味がないから、これがペラーリということくらいしか分からないよ。とにかくこの写真を見ながら会話を進めていくよ。準備はいいかい?」


「はい」俺は警戒しつつ答える。負けず嫌いな性分なのでこればかりは仕方ない。


【是非読者様もブラウザでLa Ferrariを検索して画像をご覧になってから実験をご覧下さい】





















「ドアはいくつある?」


「クーペだから二つ」


 俺が即答すると矢継ぎ早に先生は質問を繰り返す。


「色は?」


「赤です」


「ハンドルはいくつ?」


「一つです」


「どの国の車?」


「イタリア製です」


「タイヤは――」


 先生から次々と発せられる写真を一目見れば簡単に即答できるごく簡単な質問に俺は瞬時に答えていった。当然間違いなしの満点だった。


「どうだい? 簡単だったろう?」


「はい、想像以上で拍子抜けしました」


「じゃあ今の即答できた会話のスピード感を覚えておいてね。次は会話に無理矢理左脳要素を詰め込んで会話をしてみよう。問題の難易度自体は今のペラーリと大差ないよ」


「はい、分かりました」とは言いつつも左脳だけということは難しいのだろうと思って俺は身構える。


「君の苗字の漢字を想像してみてくれるかい?」


「はい、できました」


 なんだ簡単じゃないかと思ったその時……。


「それらは合計で何画だい?」


「えっ……?」


 思わず絶句した後に、俺は脳内で米沢の画数を数え始める。


【読者様も画数を数えるまで何秒かかるかお計り下さい】


「十二? いや、十三画です」


「じゃあ私の苗字は何画かな?」


「ええっ? 画数多い! 一、二、三……三十一? 三十二?」


「はい、そこまででいいよ。どうだった? ペラーリよりも回答に時間がかかっただろう?」


「はい、頭脳をフル回転させている自覚があるのにめちゃくちゃ遅くて歯がゆい感じがしました」


「ペラーリは瞬時に回答できていたからなおさらだろう? 因みに自分の苗字は五秒ほど、私の苗字は十五秒くらいかかっていたよ」


「そんなにですか。先生が言う通り問題の難易度自体は難しくなかったのにこんなに時間がかかるなんて意外でした」


「今の回答までに数秒かけている感覚が正に聞こえた英語を脳内で翻訳してから返答している時に近いんだよ。脳内で翻訳しているから左脳の言語野がフル回転しているんだ」


「なるほど。分かる気がします。宿題を嫌々辞書を引きながらやっている時と似ているかも」


「そうだね。その場合も左脳がフル回転して翻訳作業をしている。どうだい? 慣れ親しんだ母国語でさえ、左脳の負荷を重くするとこれだけ会話が遅くなるんだから、英語も左右両方使った方がいいと身に染みたんじゃないかな?」


「はい、実感しました。もういいところ尽くめな感じがしますよ」


 やっぱり先生はすごい、最初は話が上手くて乗せられているのが悔しい感じがしていたが今となってはそれが心地良いくらいだ。和歌の心配をして真剣に聞いていた自分がいつの間にか好奇心に駆られて笑みを浮かべて聞いているのに気が付く。


「うむ、ここまでの実験では右脳のいいところばかりが目についたと思うが、いいところ尽くしではないんだ。右脳にも欠点はある。それが時間なんだ」


「時間か、冒頭でも仰っていましたね」


「そうだ、右脳は無意識に処理を行えるのが強みなんだが、その強みを生かすまでに非常に時間がかかるんだ。さっきの動物の実験で君がほぼ完全に答えられたのは、既に君の脳内に各動物に対応するボキャブラリーがあって、尚且つ結び付けが完了していたからだ。確かにDogもCatもRabbitも全部英語だがあれらは小学生でさえ常識的に分かる単語だろう?」


「確かにそうですね。金魚だけは直訳でいいなんて知らなかったんでレッドフィッシュって言っちゃいましたけど」


「だとしても今回の実験で印象付けられて結び付けが完了したはずだ。実は言語習得においてはこのイメージを伴った音声と言語を一つ一つ結び付ける過程が特に重要でね、この結び付けに一役買っているのが右脳なんだ。右脳が視覚と聴覚の情報を印象付けて左脳に外国語のフォルダーを作って一つ一つ保存していく。そして保存された単語と単語が結びついて一つのまとまったパターンが出来上がった時に、さっきのペラーリの実験の時のように瞬時に取り出せるようになるんだよ」


「なるほど……それでどれくらい時間がかかるんです?」


「それはね。およそ千時間だ。千時間かけて先週のI'm brokeの実験の時みたいに視覚情報を通じた理解と共に言語を聞いて、今日の実験のように口に出すことで人間の左脳に右脳とリンクした言語フォルダーが出来上がる」


「千時間か……一日二十四時間だけど睡眠とか生活の時間もあるからなんかピンときませんね」


「じゃあ計算してみよう。帝東高校のALTがいる授業で本場の英語を週一時間聞いたとして何年かかるか。一年は何週間だっけ?」


「え? えーと、少年ジャンクが年五十冊くらいでるから五十週かな?」


「面白い答え方をするね。まあほぼその通りで五十二週だ。つまり年間でおよそ五十時間フォルダーの組み立てができるね」


「えっ! 年五十ってことは二十年もかかるんですか? そん時はもう俺アラフォーに突入しているじゃないですか!」


「お、気付いたね。じゃあ週二時間にしたら?」


「それでも十年……週三でも七年弱……いや、こんなの無理じゃないですか」


「そうだよ。これが週数回英会話スクールに通ったところで英会話なんかできるようにならない理由だ。そして私が君達家族に毎日DVDを視聴するよう勧めた理由でもある。毎日一時間英語に触れたらどれくらいかかりそうだい?」


「一年が三百六十五日だから……三年弱ですね! やっと現実的な期間になってきました。これなら俺の受験にギリギリ間に合うくらいか」


「そうだ、一日最低一時間に+αとしたのは受験に余裕を持って無意識に英語が理解できる状態になって欲しいと考えたからだよ」


「なるほど、じゃあもし俺が高二だったら一日三時間ぐらいする羽目になっていたんですね? 高一で良かった……。ところで、この千時間ってどんな実験をして確かめたんですか?」


「お、根拠を聞いてくるなんて流石は理系だね。もちろん資料はあるけれども、私が難しいうんちくを垂れるよりももっと簡単で納得できる根拠がある。私以外の外国語会話ができる人に聞くんだ」


「先生以外? 言語学者以外に聞いて根拠が確認できるものなんですか?」


「言語学者じゃないからこそだよ。学者って言うのは少なからず自分の研究や理論に想い入れがあるからね。この私だって自分の研究を元にして君に教えている訳だから、自分の理論寄りのポジショントークをしているかもしれない。あ、これは和製英語だから英語として覚えないでね」


「あ、はい。分かりました。でも一般の人がどうやって?」


「もともと日本語のモノリンガルだったけれども留学や海外勤務を経てバイリンガルになって帰って来た人に、『海外に行って大体何か月くらいで突然相手の話が聞き取れるようになって、無意識に相手の言語で答えられるようになりましたか?』って聞いてみてくれ。すると大半の人が三ヵ月から四ヵ月で回答するはずだ」


「三ヵ月から四ヵ月ってことは大体九十日から百二十日だから、まあ百日として……千時間を割ると……一日当たり十時間か! なるほど! 一日二十四時間から生活時間や移動時間を除けば確かにそれくらいの活動時間になりますね!」


「その通りだ。自分で計算してくれて助かるよ。私がポジショントークでうんちくを語るよりも、私なんか知らない無関係な人間に質問してこの通りの答えが返って来た方がよっぽど説得力があるだろう?」


「確かに、利害が全くない分もっと信憑性がありますね。長期留学から帰ってきた高三の先輩でも捕まえて聞いてみようかな」


「是非とも聞いてみてくれ。一つ一つ情報を集めることで君自身がバイリンガルになれるという確信をもっと深められるよ」


「はい、分かりました!」


「お、いい返事だね」


「はい、具体的に必要な学習と時間を知ることができて、今やっと俺に才能がないから、バカだから英語ができないんじゃないんだって理解できましたから。今まで塾とか家庭教師の時間を入れても英語を聞いていたのなんて多い時でも週五時間程度でしたし、視覚を伴って聞いていた時間に絞ったらもっと少なかったです。このペースじゃ中一から聞いていてもまだ千時間には全然満たないじゃないですか。単純に足りなかったからできなかったと分かって嬉しいんですよ」


「おお! 前向きだね。英会話学習で挫折する人の大半がこの千時間の壁を自分がどれくらいの期間で超えられるか知らないまま勉強しているから、数か月CDを聞いたりスクールに通っただけで諦めてしまう。例えるなら何キロ先にゴールがあるか分からないウルトラマラソンを走っているって感じかな。そんなのサッカー部の君でも嫌だろう?」


「ああ、それ嫌ですね。俺ディフェンスなのでオフェンスがやらかして防戦一方になった時に正にそんな感じになりましたよ。でも考えてみれば『これいつ終わんの?』って思っていてもベンチから『あと五分!』って言われたりすると不思議と粘れたりするんですよね」


「そうだろう? 人間どれくらいやればどんな結果が得られるか具体的に明確な方が前向きに頑張れるんだよ。ではここで一度まとめようか。外国語を外国語で理解してペラーリの実験みたいに瞬時に返答できるまでに必要な学習時間は千時間、そしてその千時間は五感を最大限に活用して文化や習慣ごと外国語に触れる必要がある。決して文字情報だけではダメだ。それは何故だったかな?」


「左脳しか使っていないからです」


「その通り。先週教えた毎朝アニメを観て印象的な場面と共に覚えた英語を真似るのは右脳も使って暗記ではなくて身に付けるためだ。それに毎日視聴しているとその内に耳が聞き取れていてなんとなく意味も想像できるけれども正しいか分からないというあやふやな感じを覚えてくるだろう」


「分かる気がするけど自信がないって感じですか」


「そうだ。このあやふやな感覚を感じたらそこで初めて辞書を使って初めて左脳の力を使うんだ。そうすると今まで体験したことがない感覚で辞書が引けるよ。未知の単語を調べるために引くんじゃなくて、今の自分のあやふやな理解が合っているか確信するために辞書を引く感覚になるんだ。『よし、自分は正しかった!』と自信を高めるために辞書が引けるようになる」


「答え合わせみたいな感じですね」


「そうだね。五感で意味を理解してから真似して口に出し、確信するために調べる。ひたすらこの流れを繰り返すんだ。そうしていく内に左脳にたまった単語や表現が連鎖反応を起こして左脳の英語フォルダから溢れ出す。溢れ出た英語を右脳が拾って無意識に英語を使ってくれるようになる。こうなったらもう君の勝ちだ、英語を英語で学べるようになる」


「英語で英語を学ぶって初めてのレッスンでも仰ってましたね。あの時は何の冗談を言っているんだかと思っていましたけど、今は信じられる気がします。お話を伺っていて思いました。きっと先生や和歌みたいなバイリンガルには俺には見えていないものが見えているんだろうなって」


「ああ、そうだね。ただ君には見えていて和歌には見えていないものもきっとあるはずだ。私はそれに期待したい。どうだい? 今回のレッスンで何か気付いたことはあったかい?」


「そうですね……」


「ゆっくり考えてくれていいよ。私は何か飲み物でも持って来よう」


  そう告げて部屋から出る先生はレッスン前とは変わって期待を感じさせる表情をしていた。俺自身も実験や新たに得た知識に高揚していたからお互いに盛り上がったのは間違いない。しかし、今の先生が期待しているのは俺の英語学習の成果よりも今回の知識が和歌の問題解決の糸口になるかだ。そうひとたび冷静になると好奇心が満たされた満足感が緊張感に変わる。


 文化だけを学ぶのに言語習得ほどの時間がかからないとしても、数日じゃあ無理だろう。無視のトリガーになった姫野さん語学マウント事件から一週間も経たずにこの有様なんだからどう考えても悪化のスピードの方が速い。文化習得させたところで間に合う訳がないんじゃないか? 

 ん? 語学マウント? そもそもなんで語学マウントってこんなに嫌われるんだ? オランダにいた頃は三、四か国語話せる人が当たり前だったんなら日本特有なんじゃないか? だとしたら……これだ! また先生と話せば解決策が見えるかもしれない!


 戻ってきてドアを開けた先生の、期待感を感じさせる視線と目が合うと、俺も同じく期待を込めて先生を見返した。

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