Chapter7(Ver1.1)・出会う前から出会っていたんだ
高一 九月 月曜日 朝
月曜日の朝、俺の一日は驚きと共に始まった。寝起きが悪くて大学生になってからはほとんど朝に顔を合わせない治姉が起きていたのだ。
「あ、おはよ」
弟をいじくらずに挨拶だけ済ます様子を見るに無理して起きたのだろう。
「治姉、今日大学あるのか? まだ夏休みじゃないの?」
「ふぁー。まだよ」
あくびをしながらフラフラとリビングに歩いていく治姉に続いて俺もリビングに入る。そこで俺は理解しがたい光景を見た。
父さんが朝食を食べながら昨日教英先生と話したモンスター育成RPGのアニメ版を観ていた。しかもガン観である。
「……? 父さん、何やってんの?」
俺はあっけにとられながら問いかけた。
「ん? 何って英紀も好きだったアニメじゃないか」
さも当然と言わんばかりに問い返してくる。しかし何が当然なものか、今までは毎朝ビジネスニュースをBGMに経済新聞を読んでいた堅物がゲーム原作の子供向けアニメに釘付けなのだ。何かご機嫌なおクスリでもキメちまったのかと心配になるくらいだ。
TV画面では主人公がネズミ型のマスコットモンスターを好物で餌付けしていた。好物に感激したネズミモンスターがご主人に頬ずりしていて、子供なら笑顔で見守るシーンである。しかし父さんは至って真顔でガン見していた。
「お父さん、おはよう。初めて観てどう? かわいいでしょ? 私も懐かしいわ」
そんな父にいとも平然と話しかける治姉に思わずつっこむ。
「いやいや、治姉! つっこみどころそこかよ。なんで子供向けアニメ? って聞かない?」
「朝からうるさいわねぇ。別に何観てても良いじゃない。暗いニュース観てるよりずっとマシだわ。ね、お父さん?」
「ああ」
父さんはそんな姉弟の会話をよそにカプチーノをすすりながら変わらずアニメに集中している。おかしい、おかしいぞ、父さんがアニメを観ているのもおかしいが、妙に父さんの奇行に理解がある治姉もおかしい。
父親が急変したきっかけに思いつくことがあるとすれば、教英先生しかない。しかし父さんが観ているアニメは日本語音声で字幕すらない。これではおかしい。俺に英語を聞かせるのが目的ならば父さんだって英語で観るはずだ。
じゃあなんだ? 文科省で働く国家公務員として児童に影響力がある作品を研究でもしてるのか? そうこう考えながら朝食のパンをかじっているうちに1話が終わり、次回予告に移っていた。
「うん、面白かったな。治佳や英紀が夢中になったのが良く分かる」
父さんがさして面白くも無さそうに淡々と感想を述べると治姉が懐かしむ様子で応じる。
「でしょう? このシリーズは女の子向きの可愛いモンスターもいたから好きだったわ。ゲームで遊ばない女の子でもぬいぐるみを持ってたりしたわね」
「そうねぇ、治佳は誕生日にぬいぐるみを欲しがったから簡単で良かったけど、英紀はゲーム機を欲しがったからお父さんを説得するのに苦労したわ」
全員の朝食を出し終わった母さんが会話に入ってきた。
そうだ、母さんが言う通り父さんは俺が小学生の頃に欲しがった携帯ゲーム機を「みんな持ってるのに買えない家は貧乏だ!」と泣き出すまで頑として買おうとしなかったし、家族で映画版を観に行った時も父さんは一人で爆睡していた。さっき治姉に「面白かった」と答えた時も感情を伴っていなかった。つまり、行動の奇抜さが先行して見落としかけていたが、父さん自身は何ら変わっていないんだ。
何か目的があってアニメを観ていたに違いないと思った俺は掘り下げる事にしてみた。
「なんだよ父さん、俺がハマっていた頃に観てくれればもっと共通の話題ができて良かったのに。で? どこが面白かった?」
すると、まともに感想を尋ねられるとは思っていなかったのか、父さんは考え始める。
「ん? うーん、そうだな。面白さの感想とは違うが、子供向けのアニメにしては旅立ちの理由が重すぎるな。母親が水商売で生計を立てている事をからかわれてショックを受けた主人公がペットのモンスターと家出するなんてな。これは幼稚園児も観るくらい人気なんだろう? 教育に悪いだろうに」
俺はその答えで確信を得た。やはり父さんは何かしら教育に関する目的からアニメを観ていたのだ。そう俺が思考する間に母さんが返事をする。
「あー、確かにそうね。治佳が小学生の頃に『お母さん、水商売って何?』って聞いて来て『あんたどこでそんな言葉聞いてきたの?』ってなった事あったわ」
「ぶっ! 何それ!? そんなことあったっけ?」
スムージーを飲んでいた治姉が吹きそうになりながら突っ込む。
「覚えて無いの? 『水を売るお仕事よ』って教えたら英紀と和歌ちゃんの三人で水商売ごっこしてたじゃない。あんたが和歌ちゃんばっかり贔屓したから英紀が『お姉ちゃんが和歌ちゃんのばっかり買って、僕のお水買ってくれない』って泣きついてきたっけ。『僕のお水買ってくれない』はなかなか語感が面白かったわ」と母さんがニヤニヤと思い出し笑いしながら語った。
だめだ、この母あってこの姉ありだ。どう考えても俺を弄って快楽を得る性質は遺伝している。
「あー、確かに英紀のお水は要らないわねぇ」
寝起きモードから徐々に弟いじりのギアを上げる姉。
「そうか、やっぱりレズビアンだったか」
「あんたねぇ、生意気言ってると部屋のエロ本リビングに晒すわよ」
「今時そんなんねえよ」
「知ってるわよ。金髪お姉さん大好きな英紀君は海外サイトじゃないと満足できないからね」
「え? 治姉? なんで?」
なんで俺の性癖知ってんの? 毎度履歴消してんのに。
「その反応、やっぱあんただったか。今度から閲覧履歴だけじゃなくて検索履歴も消しておきなさい。金髪スペースお姉さんなんて検索ワードが残ってたらバレバレよ。もし『お姉さん』だけだったら気持ち悪さのあまりに去勢してたわ」
そう言って口の端で笑って治姉は勝ち誇った表情になる。
「何? 英紀? 海外って事は無修正の観てるの? 嫌ねぇ、後で管理者アカウントのパスワード変えておかないと」と母。
「なんだ、英紀? 無修正ポルノなんか観てるのか? 年頃だし女性に興味があるのは良く分かるが、お前は十八歳未満だし無修正は違法なんだからヤングなんたらのグラビアでも見てなさい」と唯一理解者になる可能性があると思った父さんからも正論で注意されて流石に居心地が悪くなった。
「いや、ていうか俺には物心つく前からあんたら二人に弄られていた事実が衝撃だよ! グレなかった俺が偉すぎるわ! ごちそうさま! もう学校行く」
無理矢理話題を巻き戻してつっこんで切り上げると、俺は食器を流しに片づけてリビングを去った。もっと父さんがアニメを観ていた意図を探りたかったが仕方がない。女家族二人に自分の性趣向をネタに弄られるなんて御免被りたいからな。
二階の自室で夏服のシャツを着ていると玄関の呼び鈴が鳴った。真鶴さんだろう。
「英紀ー。和歌ちゃんが来たわよー」
一階から母さんが呼ぶ声がする。普段より声が高く聞こえるのは、おそらく息子を美少女が迎えに来たのが嬉しいからだろう。何やら真鶴さんにハイテンションで話しかけている声が続いて聞こえる。
ただでさえ中二語録の解説が待っているのに枕営業の解説までさせられたらたまったものじゃない。俺が支度作業を急いで一階に降りると、リビングから治姉が顔を出して言った。
「お母さん、調子に乗ってさっきの事言わないでよね」
どうやら治姉も枕営業ごっこの話題を真鶴さんに吹き込まれるのは御免らしい。珍しく姉弟で利害が一致するじゃないか。
「えぇ? 懐かしい思い出話なのに」
不満そうに言いつつも口元はニヤけている。どうやら俺の下ネタ好きは母親譲りらしいな。
「? 法子さん、何の話? 懐かしいって私の事?」
好奇心で尋ねる真鶴さん。
「ああいえ、大したことじゃないわ。ほら英紀も来たからいってらっしゃい」
母さんは質問を受け流して満面の笑みを浮かべて俺達を送り出す。真鶴さんも怪訝そうな顔をしていたがノリノリの母さんに気圧されて二人で一緒に玄関を出た。その後もまるで一流老舗旅館の女将が上客の帰りを見送るように角を曲がって姿が見えなくなるまで微笑んで俺達を見続けていた。
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イメージ画像 英紀と和歌の通学路 目黒川沿い歩道
https://twitter.com/romanzo0087/status/1395553059887927298?s=20
TwitterイメージCGまとめハッシュタグ
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「あのさ」
「あのね」
自分達に向けられていた好奇の視線が途切れると俺達はほぼ同時に声を掛け合った。
「あ、ええと、先にいいよ」
父さんの豹変の原因を知っているか聞きたかった。でも俺は中二語録説明会の覚悟をして真鶴さんに話題を譲った。
「ありがとう。さっきは私の話をしていたの?」
「え? ああ、やっぱり気になった? 別に真鶴さんだけの話題じゃないよ。治姉と俺らの3人で、み……じゃない。あのー、あれだ。お店屋さんごっこをやってたら治姉が真鶴さんを贔屓して俺を泣かしたって昔話だよ。俺は全然覚えてなかったけどね」
「おみせやさんごっこって何? あと贔屓は何?」
「贔屓はたくさんの人の中から一人だけ特別に可愛がったり褒めたりすることだよ。あと、ごっこは子供の遊びだよ。一人が店の店員になって他の人に物を売る真似をするんだ。お医者さんごっこのお店版だな」
「ああ! 分かった! お店に屋さんとごっこを合わせてお店屋さんごっこね」
「そうだな。あの治姉が褒めていただけあってやっぱ物分かりが良いんだな」
「それは頭が良いってこと? ありがとう。ところであなたは覚えていないの?」
「え? ごっこの事?」
「そうよ。私は少し思い出せるかもしれない。最初は治佳お姉ちゃんが優しくしてくれて嬉しかったけど、男の子が泣いたのを見て可哀そうだなと思って、……そう、何か悪い事をした気持ちになったのよ。だから、私が売ったお金で男の子の品物……ええと何だったかな……。とにかく品物を買うって言ったのよ。あっ! そうだ! そうしたら、男の子、あなたはどうしたと思う?」
「いや、聞かれても覚えてないよ」
「ふふっ、あなたは昔から意地悪でね、『お前に売らない! お姉ちゃんに売る!』って断ったのよ!」
「そ、そうなの?」
「そう! 値段を上げても全然売ってくれなくて、それで私も悔しくなって、最後には私も一緒に泣いたわ。懐かしい。あなたは治佳お姉ちゃんを取られて悔しかったのね。だから贔屓だったかしら? それをされた私に優しくされてもっと悔しくなったのね。今は分かるわ」
家の女家族達とは違った嫌味の無い微笑みをたたえながら懐かしそうに語った。
(治姉を取られて嫉妬して当たり散らす……)
物心つく前の幼児の頃とはいえ、過去の自分の醜態を聞くのが気恥ずかしくなった俺は耐えられなくなって話を遮る。
「もういい。やめてくれ。なんか聞いていて自分が恥ずかしい。治姉を取られて嫉妬して、さらに八つ当たりなんて。それより真鶴さんはよくそんなに四歳だった頃の事を覚えていられるな。さっき覚えたばっかの贔屓だって正しく使えているし、やっぱり記憶力に恵まれているんだろうな。そりゃ七か国語話せる訳だ。ルーザーの俺には羨ましいもんだわ」
「それは……、覚えているわよ。だって次の日に私はオランダに行ったんだもの。喧嘩の後に、お母さんにあなたにいじめられたって言いつけたら、言われたのよ。『ヒデキ君は大好きな治佳ちゃんに買って欲しかったんだね。ヒデキ君のも買ってあげてって治佳ちゃんにお願いすればよかったね』って」
「えっ? 前日?」
「そう、だから自分が持っていた悪い気持ちの意味が分かっても、仲直りできなかった。できないままオランダに行っちゃった。お母さんに仲直りしに行きたいって泣きついたわ」
少し自嘲気味に笑って続ける。
「真鶴さん……。なんか悪いな。俺は全然覚えて無かったからな」
「私は後悔していたから覚えていたのかもね。だから私は記憶力が良いんじゃないし、外国語が話せるのも別に私が特別だからじゃないわ」
「えー、それじゃ俺が特別に頭が悪いから英語音痴って事かよ」
「そんなこと言ってないでしょ! ネガティブね。それに!」
「それに?」
「和歌でいいわ。真鶴さんってなんか慣れてなくて変な感じがするの」
「えっ、いいの?」
「私がいいって言っているからいいのよ。それにごっこをしていた頃は和歌ちゃんって呼んでたんでしょ?」
「まあ、そうみたいだけど」
「? 何? 嫌なの?」
怪訝そうに首を傾げてこちらの目を覗き込んでくる。
「いや、嫌じゃない。嫌じゃないけどなんか恥ずかしいだけかな」
まっすぐ向けられた視線で余計恥ずかしくなってついつい本音を吐いてしまう。
「なんでよ? 私もヒデキって呼べばお相子でしょ。これ、使い方合ってる?」
「お相子? ああ、合ってるよ。分かったよ。でもその発音止めてくれる? なんかオデキみたいじゃん」
「オデキって何?」
また首を傾げて尋ねる和歌。
「えっ? オデキも通じないの? この歳なら一つや二つ……」
語るより見せた方が早いと思ってまず自分の顔を調べたが今は無い。じゃあと思って和歌の顔を見る。
「え? な、何よ」
さっきまで恥ずかしがって視線をそらしていた俺が一転して顔を覗き込んだからか今度は和歌が頬を赤らめる。
「あ、これだよ、これ。これがオデキだ」
和歌の様子を気にせずに俺が指を指すと、和歌は指を辿って自分の額のニキビに振れる。
「これって……。ニキビの事……?」
恥じらいの表情から一転、ジト目で俺を見返すと和歌は俺の手を払って続ける。
「ニキビならニキビって言えばいいじゃない!」
「お前にどの日本語が通じるかなんて分かんないだろ。だから見せた方が早いって思ったんだよ!」
「だからって女の子の顔を見てニキビを探さないで! それに、お前じゃなくて和歌よ。OK?」
「OKOK、分かったよ。和歌さん」
「良くできました。ヒデキ!」
額のニキビを気にしつつ、いたずらっぽく笑った和歌はオデキの抑揚のまま俺の名を呼んだのだった。
Ver1.1 パロディ削除と下ネタの緩和
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