第3章-8

 もったいぶることもなく、幽霊女はあっさり電話に出た。「なに?」と、ありふれた応答からは何の感情も読み取れない。恵太は座りなれた自分のベッドに腰かけ、力を抜いた。

「助けてくれ。あんたの力を借りたい」

 目的だけ、率直に伝える。

「私年上なんだけど? 享年で二十五歳だよ? 死後はノーカウントだとしても、まあまあお姉さんなの」

「なんだよ、敬語やめろって自分で言ってただろ」

「ため口でも、『あんた』って呼ばれる筋合いはない」

 悪態が口をついて出そうになったところを、恵太は眉間を抑えてこらえる。思いついた言葉「めんどくせえ」「うぜえ」は、いずれも頼み事をする側としてはさすがに不適切だと判断した。

「すんません幽霊さん、この間の約束を守ってもらいたいんだけど」

「それでよし。それで、何して欲しいの?」

 取ってつけたような謝罪を、受け入れてくれたらしい。この辺の基準が、恵太にはまだ掴めない。

「桜町通りで、聞き込みをしようと思う。一緒に来て欲しいんだよ」

「桜町通り? あんなところに何かあるの?」

「莉花の話に出てきただろ。それに、唯をあそこで見たって奴がいるんだよ。なぜか知らないけどフラフラだったらしい」

 恵太の予想通り、桜町通りと聞いて幽霊女は戸惑っている様子だった。受話器の向こう側から、「桜町通りねえ」と、呟きが聞こえる。

「うん、いいよ」

 間をとった割に、調子の軽い声。

「いつ行くの?」

 恵太が切り出すより早く、具体的な内容の段に話を進められた。好都合とばかりに恵太はあぐらをかき、そそくさと作戦を持ち出す。

「今度の日曜日で考えてる。予定は大丈夫か?」

「幽霊に予定なんかないよ。大丈夫」

 どうあっても幽霊として話を通したいらしい。恵太は約束を取り付けられたことに満足し、それ以上触れないことにした。

「でも、なんで日曜日? 明日じゃダメなの?」

「明日学校だぞ。俺は死人じゃねえんだよ」

「なおさら明日の方がいいんじゃない? 明日金曜日でしょ? 夜遅くなるなら、次の日休みの方がいいと思うけど」

 夜遅くなる? 幽霊女の言葉を、反芻してみる。根本的な食い違いの可能性に気付いた。

「まさか、夜に行こうとしてるのか?」

「当たり前でしょ? え、昼に行くの?」

「俺は昼だと思ってた」

「唯ちゃんって昼にいたの?」

「いや、夜だって聞いた」

「じゃあ、夜に行かなきゃ意味ないんじゃない? 昼と夜じゃ、全然違う街になるんだから」

 幽霊女の意見はもっともか、と頭を掻くと同時に予感めいた不安がちらついた。

「夜って、大丈夫なのか? あの辺って結構ヤバイって有名だぞ」

 何度か耳にした覚えのある、桜町通りの話が朧気に浮かぶ。声をかけられて付いていったら身ぐるみを剥がされたとか、バイトしていた先輩が外国に売られたとか、ドラッグをやっていないと入れないクラブがあるとか。大抵の高校生は、好奇心よりも慎重さが勝つ場所だ。

「さあ、もしかしたらヤバイかもね」

 幽霊女の声は、なぜか笑いを噛み殺したように上ずって響いた。罠にはまる様を見て楽しむように、ニヤリと鳴った気がしたのが不気味だった。

「行ったことあるのか?」

「まあね。私に任せてたらいいよ。それで、明日の夜でいいの?」

「ああ」

 恵太は迷った素振りが見えないよう答えた。唯の情報が見つかるかもしれない方法を避けるのは、逃げのような気がした。心の中では、未知の領域に対する不安が拭えていない。幽霊女に危機感が無い様子なのも、嫌な予感に拍車をかけていた。

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